はてなキーワード: 同族企業とは
今年から中小企業の採用を努めているのだが、なかなか応募が少なくて売手市場というのもあるのだろうけど、思った以上にうまくいっていないのが現状。。。
弊社は年商100億円以上の会社で、自己資本比率40%以上(純資産額50億円位)と財務盤石且つ毎期黒字経営。昇給も賞与も平均以上(昇給率4%、賞与実績5か月)をしっかり出せている会社ではあるのだがなかなかその良さが伝わらない・・・。因みに離職率は5%くらい。残業時間は多くて50、60時間位。サビ残はないです。
ま、それを学生に伝わると思っているのがそもそも間違いなのかもしれないが・・・。
違う見方でいうと、とある地方のとある業界の専門商社且つ同族企業。その地方では名門に入る企業ではあるのだけど、いかんせんニッチな分野ゆえ学生には知られておらず、選考に進む人は数少ない次第・・・。
大量採用するわけではないのだけど、ここまでうまくいかないとは思っていなかったので正直戸惑うこと多し。
ただ、一点悔しいのは、上場企業やら都内の企業並みにしっかり昇給やら賞与を支給できている弊社がここまで応募が少ないということが腹立たしいというか悔しいというか。
よくわからない巷のベンチャー企業なんたらに応募が集まって、なんでうちがこの人数しか応募がこないのかと。
あー悔しい。。。
元増田です。
皆さん、多々ご意見・ご助言をくださり、ありがとうございました。
「続報希望」みたいなコメントを頂いていたので、簡単に続報を記載します。
銀行に告発しても、自分たちのザルな融資を認めることに繋がりもみ消されると判断し、
銀行と関係のある●●●●●●にだけ、退職直前に内部告発いたしました(すみません、ここは伏せさせて下さい)。
事実は事実として伝え、それで潰れるなら潰れた方が良いと判断し、告発に踏み切りました。
その結果、
・2か月の給与遅配が発生(6月時点で4月分の給与しか支払われていない)
になったと、先日会った元同僚に聞きました。
2か月分の給与+賞与は約2億円であり、私の告発の影響かどうかは不明ですが、
3月末で折り返す予定の融資の一本が断られたものと推測できます。
ちなみに、この状況においても、
毎年1億弱の役員報酬を得ていた社長が会社に貸し付けていないという点で、
貸し付けを行い給与遅配を防ぎ、社員の離職を防止するのが本来の姿だと思うのですが、
これぐらいじゃ社員は辞めないと思っているのか、本当に個人資産が無いのか…非常に不可解です。
以上、簡単ですが続報まで。
■追伸
https://www.bengo4.com/houmu/n_4279/ とかに取り上げられたのは驚きました。
結局何が悪かったのかわかるようでわからんようで、まだ正直気持ちの整理もできていないが、落ち着かせる意味で増田に書かせてもらう。
今度、35年つとめた会社を退職することになった。いや、正確には一応は役員になっているから、解任か。
解任理由は簡単、
会社人生ではいろいろやった。自分なりに会社に貢献してきたつもりだったし、事実、苦しいときには俺がやった事業が会社の新しい展開をやれたとは思う。
ただ、その事実そのものを、専務の奴は気にくわなかったんだと思う。
もういい加減、愛想が尽きた。今は、あんな会社は徐々に腐っていけばいいと思う。
入社したときは、企画職でも営業でもなく事務職だった。ただ、ちょうどその頃会社はその頃の看板商品が大ヒットしていて、人手が足りなくなってた。
そこで、他の部署に応援に回される事になって、いろいろな部署の応援をやった。
人海戦術のDM発送、苦情受け付けに倉庫整理、制服の繕い物、展示会の売り子から営業の補助まで、何でもやったよ。その中で、最終的にある製品企画のプロジェクトに回された事が転機になった。
そのプロジェクトは全然注目されて無くて、一応商品化は済ませていたものの、社長や専務の覚えも悪く全然売れてなかった。
ただ会社の景気だけは良かったからお取りつぶしにされる事無く済んでいた。
こんな、他にもいくつかあったプロジェクトの一つだった。一応は責任者という立場だったが部下はいなかった。
会社はどこまで行っても同族企業で、その上社長や専務が強力なコネクションを持って仕事を取ってくるような所があった。
だから、社長や専務の覚えがめでたけりゃ予算をもらえてそれだけである程度売れる。
ただ、そういう所はひたすら専務の言うことを聞いてなきゃだめ、言いなりになってないと駄目と言う感じだった。
一方で、そうではないところは完全に日陰。だから俺がやる事になった所は、商売としてはさっぱりだったが、その代わり注目もされないので専務に横やりを入れられることもなく、自由にやる事ができた。とにかく当時は看板商品が売れに売れてお取りつぶしにするような手間すら惜しかったのだろ。
どうせつぶれるのだろうし、いろいろな場所でいろいろな手伝いをして歩いてずっと考えてたビジネスプランを実行してみることにした。
それが、当たった。ビジネスプランには自信が無いわけじゃないが、時代に当たった運もある。
もちろん、始めはいろいろと難しかったけど、取り組み初めて数年で軌道に乗り始めた。
バブルの残り香が消え始め、酔いが覚めるように人々はだんだんともうバブルは終わったんだと言う空気感になり始めた頃。そんな時代が切り替わるタイミングというのはいろいろと古い商売と新しい商売が入れ替わっていく。
そんなタイミングにあっても、出た芽は小さくて、昔からの商売をしている人にすれば、たまに生まれてすぐに消えるようなものに見えていたと思う。だからそう言う新しいことをやろうとしている人は、今の商売でうまくいっている人々に相手にされていなかった。
そこに俺は、今の商売でうまくっている所の看板を使って乗り込むことで、一気に市場で存在感を出すことができた。今流で言うと社内ベンチャーということになるのだろうか。最初は小さかった商売もだんだんとうまく行き始めた。
ただ、うまくいきすぎた。いや、違うか、本当に時代が変わっていた。これは悪い事に、これは看板商品の方がだんだん時代に通用しなくなってきたことも意味してた。前の看板商品はだんだんと売れ行きが鈍っていく。一方で俺の商品は売れていく。
そうして、あるとき有力な取引先が3つも相次いで路線変更をし、うちの商品のそれまでの看板製品の扱いを大幅に絞った。その代わり採用されたのが俺がやってた路線の商品。
うれしいと思うよりも、もう必死だったよ。気楽にやってたのにいつの間にか主流の落ちた売上を俺が支えなきゃならない立場になってしまった。必死で必死で会社を守るために働いた。幸いにして努力は報われてどんどん売上は伸びたが、主流派の商品はどんどん駄目になっていった。
よく覚えている、阪神淡路大震災があり、オウム真理教事件があった頃だ。
専務が関わっていた主流派の方は、既存の設備が無理がたたって主力品が販売できなくなった。
一方で、同系統の代替品を用意はしていたが、売れない。それはそうだ。時代の変化について行けなくなったから。前と全く同じ商品だったから売れていただけで、時代に合わない違う新製品を出しても売れなくなっていた。
一方で俺の方の商品は順調に売れていた。そこで、俺はよかれと思って、俺の方の商品に、主流派の商品をセット販売を少しずつ始めていた。どうも専務たちはそれを本当はやりたくないような雰囲気が合ったが、当時は完全に俺の商品以外は赤字になっていたからだ。
また、この新しい商品のノウハウは社内にも公開した。当然だ、秘密にする理由がない。
ただ、ここまで来ても俺がやっていた方のラインは、メインのラインと完全に交わることはなかった。ただ、スタッフの交流は行われていたし、現場レベルでは別に完全に分離されているわけじゃなかった。
社長や専務が主流の方に力を入れていて、こちらに何も言ってこないのは以前からだったし、何よりもそう言う体制があったからこそ、時代の流れの変化に会社として対応ができたから、それはそれで好ましいと思って、特に気にしなかったんだ。
ただ、今思うと、だんだんとひずみが蓄積していったのだと思う。
いくつか時代を象徴する出来事というのがあるが、オウム真理教事件が以前の時代の節目を象徴したものなら、俺にとってのその次は、リーマンショックだったと思う。
この頃から市場環境が再び大きく変化し始めた。商売の環境が再び変化し、90年代に確立しつつあったやり方が再び通用しなくなった。顧客の予算配分が大幅に変わり、そもそも市場が縮小し始めた。これにより売上が頭打ちになり始めた。当然手は打っている。手を打ったから大幅な売上減少にまでは至らなかったが、このままではじり貧なのは間違いが無い。
そして時代が回るうちに、うちの会社で主流派の社長や専務がやってきていた古いスタイルが再び受けるようになってきた。主流派は、こちらが作り上げ、提供したやり方と、80年代からやっている古いやり方両方を知っているため、堅調に伸び続けた。
当然、我々も後を追おうと考えた。
この二つのうち、どちらかを認めてくれるのならば、まだ耐えられた。ただ、両方とも封じられてしまったら、もう手も足も出ずに、座して沈んでいくのを待つしか無い。
しかし、もう問題は俺だけの問題でも、俺の部下だけの問題でもなく、供給者責任として商品を届ける取引先や、それに連なる経済の生態系に対して責任が及ぶようになってしまった。
そこで俺は、ここへ来て明確な指示への違反をした。いろいろと問題にならないように配慮をしつつ、せめて影響が小さくなるように、できる限りの手配をし、できる限りの手を打った。
専務からは何度も話は合った。そのたびにできる限り社の方針に従いながらも、しかし責任は果たすように新しい方向に舵を切っていった。
専務からの締付は強くなってきてはいたが、専務はそもそも会社愛が非常に強い人間でもある。ある程度の自制は効いていたのか、俺や幹部には強く当たるが、実際に決まった業務に影響が出るようなことはなかった。関係性は冷え込んで、それは取引先にまでしれるような状況になっていたが。
均衡状態が一気に動いたのは、ある噂だった。
タイミングとしては最悪だった。社長や専務はもう高齢で、後継者の話がでて、専務の娘が会社に入り、次期社長に決まっていた。そこでいろいろな整理が始まっていた頃だった。
もちろん、俺にはそんな気は全くなかった。弁解もした。ただ、これが「とどめ」になった。
専務からの指示はどんどん強くなっていった。それは俺に言うだけではなく、従来は現場レベルではある程度協業できていた末端の業務にも影響が出始めた。
そして去年の1月、専務に呼び出された。慌てて向かうとそこには専務の他に取引先の人間と、会社の顧問弁護士がいた。専務は取引先の人間に、独立する気も社長の座をねらってもいないと直接説明するように求めた。
俺は求められたように、何度も繰り返していた同じ話をした。そんなつもりは全くない、これからもやっていくつもりだと。事実として、社長や専務が戦後直後から作り上げた偉大なブランド力と、会社の巨大なシステムがなければ商売は続けられないし、それを辞めるメリットはどこにもなかった。冷静になれば誰にでもわかることだ。
ただ、専務はその取引先がいる席上で、そういった説明だけではなく、俺がやっている商品がいかに駄目か、いくらやっても会社の主流は専務の商品であり、劣った亜流であるかを演説し始めた。顧客まで馬鹿にするような発言。はっきり言って事実じゃない。そうして言ったのだ。主流になっているラインと、俺がやっているラインが分かれて摩擦がある事そのものが存在せず、もし存在しているとしたら刃を向けているのと同じだから、辞めてもらうと。
話はあっという間に広まった。
わかっている。いくらやっても主流になれないことは。
だが、会社が問題になったときに、古いやり方に固執して市場変化に対応できず、それでも売ろうとして製品を壊してしまったの誰なのか、収益を上げて会社を支えたのは誰なのか、それぐらいは人気視していると思っていた。
専務が後生大事に掲げる理想ははっきり言って利益になってない。それは我々が作り上げた売れ筋の土壌の上にしか存在できないものだ。それを認めろとは言わないが、否定するということはどういうことなのか。
主流になりたいと思ったことがないと言ったら事実ではないが、主流にしてくれと言ったことはないではないか。それでも何故、敵視してくるのか。
専務の言い分、それがすべてでたらめとは言わない。もっともな指摘はあるだろう。古い伝統や理想を掲げることは大事だ。
しかし、古い理想を古いやり方が再び流行が回るように時代の流れになったからと言って、それは合っていたとは言わない。
止まっている時計は必ず一日に一度は正確な時間を示す、しかしそれは時を動かしているものがいるからだ。止まっていることと動いている事は全く違う。
正直愛想が尽きた。
この方針は続けることになるだろう。少なくとも社長と専務がいる限りは。その娘がいる限りは。ただ、誰の目にもその方針でいつかは行き詰まることはわかりきっている。消えてしまうことはないだろうが、市場は大幅に縮小することになるだろう。
専務は取引先がいる席上でこう言った。「辞めろ」と。本流と一緒にやろうとしたとき、それを拒否し壁を決定的にした本人が、摩擦が存在するならば、辞めろと。ならば辞めてやろうと思う。
ただ、そう決めたからと言って、いきなり出社しないとかではなく、いなくなっても問題が無くなるまで引き継ぎをするあたり、結局俺は小物なのだと思う。
あいつが勝手に辞めたから会社が駄目になったとか言われるのも癪に触る。部下が困るのも本意では無い。結局一年かかってしまった。
希望を言うならば、ただ、進行の遅い癌のようにじわじわと会社をむしばんでいって、最後どうにもならなくなった時に、あのときあいつが残っていれば違ったのだろうなと言わせたいと言う程度の希望はある。(これは呪いでもある)
金なら十分すぎるほどあるし、仕事しかしてこなかったから養わなきゃならん家族もいない。これからは気楽にやろうと思っている。
悩み事としては、俺が辞めるではなく独立して新しい会社を興そうと考えてると勘違いして、ついて行きますと言ってる部下をなだめるのに苦労している。
俺も、それなりに人望はあると思ったが、そこまでとは、正直感動した。
感動したが、部下たちもあんな会社でそんなことを言ったら会社での立場が完全に駄目になることはわかりきっているのに言ってしまった。だからといって本当に会社を興してうまくいくとは思っていないので彼らを拾うこともできない。
もう噂になっていると言う所で頭が痛いが、最後の奉公だと思って(会社はどうでもいいが、部下や取引先は大切だ)各方面にこの下げなれた軽い頭を下げに行ってくるつもりだ。
SMAPというのは、日本のいわゆる「失われた20年」を駆け抜けたアイドルなのだろうと思う。
今、あらためてWikipediaを見てみたら、前身である「スケートボーイズ」の結成が1988年、
バラエティーも全力でこなす新しいタイプのアイドルとしての存在のスタートとなったテレビ番組
『夢がMORIMORI』のレギュラーとなったのが1991年
そして、『SMAP×SMAP』が始まったのが1996年だそうだ。
以降、森くんの脱退という事件をはさみながらも、日本の芸能界のトップを、彼らが懸命に走ってきたことは、誰もが知っている。
ちなみに、日経平均株価が、38,957円という今では信じられない高値を付けたのが1989年の年末。
その後、バブルが崩壊して、山一證券が自主廃業を決定して、社長が記者会見で号泣して世間に衝撃を与えたのは1997年のことである。
まさに、SMAPのメンバーが光GENJIのバックダンサーなどの下積みを経て、人気を獲得しだすまでの時期に重なる。
まだまだ「一生懸命勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職すれば、一生安定した生活が送れる」という、
高度成長期の神話(当時は、あながち神話でもなかった)を信じ込まされて大学まで進んだものの、
やっと就職した会社では、自分の目上に掃いて捨てるほどいるバブル世代の下で、
後輩もろくにできず、ブラックな働き方を長年続けさせられたり、
就職活動がうまくいかずに非正規社員になったり、ニートになったりという人が、相当数いるはずである。
そして、そんな彼らの中に、SMAPに憧れたり、勇気づけられたり、
やけっぱちになってSMAPの歌をカラオケボックスでがなったりしていた人も多くいるはずだ。
SMAP自身も、アイドルをめぐる環境変化の中で、当初はなかなか売れる見通しが立たず、苦労を強いられたという。
それが「バブル崩壊」と関係あるのかどうかはよくわからないが、ともかく、彼らは有能な女性マネージャーの下で、
歌唱力も演技力もダンスも、彼らより優れた人たちはいるのだろうが、
どんなに「スカしている」「いきっている」といわれようとも、かつてのキムタクは「カッコいい」の代名詞として人気は別格だったし、
「音痴」という、本来歌手としてあるまじきレッテルを張られながらも、その人柄と気配りで中居くんは日本屈指のMCタレントになっていったし、
闇を抱えながらも明るさを振りまく慎吾ちゃんの姿とか、
あくまで飄々と、ときにユースケサンタマリアと、女性の胸が見える見えないではしゃいでたりする草薙くんとか、
決して仲良しではないのだろうけれど、互いを尊重しながら「プロのアイドル」として彼らは日本の芸能界に君臨してきた。
そんな彼らが、「同族企業の経営一族」と「自分たちを育ててくれたたたき上げの取締役」の対立が原因で、
分裂させられそうなのだという。
これは、とてつもなく哀しい。
あんなに「スーパースター」な彼らも、所詮は権力を持っている年寄りたちの都合で動かされる「労働者」にすぎないなんて。
昨年からSMAPが「のど自慢」に出場して、東京から5~6時間かかる被災地の街を訪問したり、
年末には、中居くんが『笑ってはいけない』に出てきて、お笑いタレントとキスシーンを披露するなど、体をはった仕事をしたり、
年明けには『すべらない話』で、中居くんが事務所社長の誕生日のエピソード
(それも、事務所内での近藤真彦の優遇ぶりと、中居くんの立ち位置を彷彿とさせる話)を披露したり、
なんか、SMAPが仕事の幅を広げてきているなあ、とは思っていた。
それが、事務所独立を見据えた必死の行動だったと思うとまた、なんとも切ない。
現在の事務所に頼らず生きていくためには、そりゃNHKや吉本興業との関係は深くしておくに越したことはない。
とくに、中居くんの「肝の座りっぷり」と「体の張りっぷり」は、「SMAPの居場所を俺がつくる」という覚悟の上ではないだろうか。
一部報道によれば、キムタクが現在の事務所に残留を決めた理由の一端に
奥さんの懇願もあったともいう。
メンバーで唯一、家族を抱える彼にとっては、「安定した現在の会社に残ってほしい」という奥さんの願いは無視はできないだろう。
これも「労働者」っぽくって、哀しい。
バブル後に社会に出た人の多くは、バブル以前の社会が残した諸々の「負の遺産」を清算するために、
苦労を強いられてきたうえに、あまり感謝されることもなく、年寄りたちの「わがまま」に振り回されているのではないかと個人的に思っている。
少子化はあんたらが結婚して子供創らないせいだとかいわれても知るかよ。
SMAPもそうだ、とは言うつもりはないんだけれど、でも、なんか、やはりどこか重なっているように見えて仕方がないのだ。
さらに突飛なことをいえば、ちょっとだけ、例の「新国立競技場」をめぐる騒動を思い出す。
偉くて権力を持った人たちが決めてしまったことが、たとえ非合理だったとしても、もう覆すことなんかできないのが、
この国の常識だった。
幸いにして、あの膨大な予算を食いつぶす「ザハ案」とやらは変更が決まって、
多少なりとも「世論」が、「権力者が決めたこと」を覆せたのはよかったけれど、
あの、「権力を都合のいいように使う年寄り」の象徴たるオリンピック組織委員会のトップ(記すのも忌々しいので、ここのは名前は出さない)は
いまだトップであり続けている。
それが、多分、今のこの国の限界だ。
はたしてSMAP、どうなるんでしょうね?
なんとか存続してほしいなあ。
自分は、そこそこテレビ好きでお笑い好きだけど、SMAPに今まで特別な思い入れがあったわけではない。
カラオケで代表曲のほとんどは歌えるけれど、CDを買ったこともない。
でも、SMAP存続の役に立つんなら、『世界に一つだけの花』のCD一枚くらいなら買ってもいいかなと、今回、思ってしまった。
まあ、役に立たないと思うから、買わないけれど。
「事務所内部の問題に口に出す立場にはないが、フジテレビとしては、『SMAP×SMAP』は長年、視聴者に愛されてきた番組であり、
今後も放映が続けられるよう関係各所には努力してほしいとは思っている」くらいのことを会見で発言したらどうだろ?
現在ネット上では四面楚歌にあるフジテレビの好感度も、多少は上がるんじゃないかと思うし、
結局は業界にいる人たちが動かないと、事態は良い方向には動かないのだろう。
黒船もまた、軍艦であるということが、増田は今ひとつ理解していない。
兵士に与えられた自由は限定されている。
新卒として日本の大手出版社で正社員として勤務し、そのあと出版系のベンチャー企業に転職したものの、そこが潰れたため、外資系金融業の広報で派遣社員として働き、そのあと再び日本の出版社で、契約社員として働いて3年目に入ったのではないか。
その経歴では、外資系のいいところしか見ることはなかったのだろう。
今時、金融の大手企業なのに、パワハラ、セクハラなどが蔓延している職場なんて、あるのか?
銀行、保険会社、証券会社などでは、コンプライアンス研修が毎月のようにあり、訴訟の芽は事前に摘まれる。
それは、この15年近くで劇的に変わった。
パワハラ・セクハラが無かったのは、外資系だったからではなく、金融業だからではないのか?
そもそも出版社やマスコミなどは、現代日本の中では意識改革が相当遅れた業界としても有名だ。
いまだにパワハラ・セクハラが蔓延していて、例えば有名作家や取材対象の政治家などに遅くまで女性社員が接待したり、大手出版社の社長が地方支社に愛人がいるのが当たり前だったり、部下をしかるのに灰皿を投げつけるようなボス猿がのさばっていたりする。
サービス残業が当たり前の本当に糞のような業界が、日本の出版社・マスコミの姿なのだ。派閥も多いし、くだらない足の引っ張り合いも日常茶飯事。
そして、同業他社は、お互いの短所を知っていても、かばい合い、罪の追求をすることはない。
製造業や官僚の罪は追求するワイドショーのスタジオで、ADが失敗してボコボコに殴られていても、注意するくらいで加害者を処罰することすらしないのが、この業界なのだ。
そりゃ、増田もつらかっただろう。
それに、増田は外資系では派遣社員だった。日本でも、派遣社員の処遇は相当に守られている。
なぜなら、契約書で、残業代をきっちりと払うことが明確に定められていて、例外を認められていないからだ。
しょせん、他社の人間であり、身内のようにムリを効かせることはできない。
増田が今の職場でそれを強いられているのだとしたら、契約社員という、正社員を餌にされた準社員の地位にいるからだ。
派遣社員と契約社員の立場の違いが、増田の処遇の差になったとは考えられないか。
さらに、外資系の人間関係を天国のように増田は評価するが、外資系の正社員同士の社内政治がいかに大変か、増田は知らなかったのだろうか。
2年弱といえば、長いようで短かったのかもしれない。
何故彼らは、頻繁にホームパーティーをするのだろうか。
会社を離れたら友人だよ、というスタンスで、フレンドリーに接するのが欧米流。
だが、そんな訳があるはずがない。
上司であっても、友だちとしてつきあわなければならないのは、義務だからだ。
こちらの方が、逆にきつくないか?
プライベートに仕事を持ち込みたくない、という人間は、少しずつ疎外され、出世から外れていく。
とアピールしあい、価値観が違う者同士なのに、相手の趣味に合わせて笑い、会話をし、お互いの家族について相談を「しなきゃならない」。
日本の武道を習いに来た欧米人に、日本の道場のどういう点がいいか、聞いたことがある。
「日本の道場は、上下関係がきっちりと決まっているからとても楽で居心地がいい。欧米では演技が必要で、フレンドリーに接しながら腹を探り合わねばならず、ストレスがたまる」
このような接待方法に近いことを、日本だとMRがやっている。彼らの顧客の医者は、ロジカルで欧米的な個人主義者が多いのも関係があるのかもしれない。
医者は、仕事帰りに居酒屋で飲むのをあまり好まない(中にはキャバクラ大好きの医者もいるけれども)。
それよりも多いのが、週末のつきあいだ。
そこで、週末、医者の野球チームのメンバーになったり、バーベキューを開催したりして親睦を図る。
MRをやっている友人曰く、「自分だけでなく、時には妻にまで、バーベキュー場で顧客のために肉を取り分けさせたりせねばならないのがつらい」とのこと。
増田は、お客様として外資系の上澄みだけに浸り、外資系の賛美者となってしまった。
外資系で本格的に働くと、相当に人間関係で苦労する。それは日本の非じゃありませんぜ。
しかし、文化の違いを乗り越えて、彼らに仲間として認められた時の喜びは、それ以上のものだ。
それは、社内政治を勝ち抜き、圧倒的な業績を上げ、奴隷以上に長時間働いてのち、得られるものだ。
増田のような人間の賛美は、外資系のイメージを上げるという点ではいい宣伝になるけれども、外資系で戦力となる仲間を必要とする者にとってみれば、ありがた迷惑だ。