はてなキーワード: 刹那的とは
5chの専門版を主に見てきたんだがスクリプト被害にあいだしていよいよって感がある
5chなんて年寄りしかいない若い子はSNSでやってるというが、SNSって情報がけっこう一方通行でまとまってないのでめんどくささがある
Xやインスタでは時系列に沿ったやりとりが分かりにくいしそもそも議論とかにも向いてない
刹那的に使うにはSNSはいいけど承認欲求の発散の場として機能しすぎててノイズも多すぎる
そこに居る人というよりはスレッドで見れるようになってる仕組みが欲しい
Xでもスレッドでやりとりが見れるようになってたりするならそれでもいいんだけど、この先そんなふうになるとも思えない
自分の場合5chは人が多い板というのはほとんど見てなくて専門的な板ばかり見ていた
そこには知識が溢れていて、玉石混交ではあるが知らない事を知れたり、その分野の人達の意見の相違なんかも把握しやすかった
Xでも頑張ってリストなどを作っていけばある程度質を求めることはできるかもしれないけど、定期的に自主的にメンテしないといけない
5ch自体はとても見づらいのでそもそも問題も多いけど、専ブラで見るというスタイルができてからはほんとによく見ていた
時代とともに移り変わりがあることは仕方ないし良いことなんだと思うけど、掲示板システムってログを追うにはいいシステムだと思うんだけどなあ
なんでこんな使われなくなっちゃったのか
気の合う友人を見つけられる人は当人の性格どうこうではなく、ぜったい的に運なので気にしなくて良い
次へ行こう
気の合う友人を見つけられる人は当人の性格どうこうではなく、ぜったい的に運が大前提にあれど、
話を聞いてると、多くの場合、ガチ発達のワイがドン引きするレベルでコミュニケーションの取り方が一方的
たとえば、
気の合う友人を見つけられる人は当人の性格どうこうではなく、ぜったい的に運なので気にしなくて良いけど、
少しでもガチャ要素減らしたかったら上記の対策はしとくといいと思う
anond:20230909020032 anond:20230910121323 anond:20230911151401
フェミニズムのテンプレを表面だけなぞってきたその理論の、何が間違っているかというと、
旧き家父長制世界で女性が消費されていた、という前提から勝手に空想して
「平等になると女性が消費されなくなる」と考えてしまっている点。
今まさにそうなってるだろ、ホストクラブがある。自由恋愛市場では男性に向けたルッキズムとATM扱いがまかり通る。
お前は、テンプレでしかフェミニズム考えてないから、「まだ女性がモノとして消費されてるってことは、まだ男女平等ではないね」とか主張するが、違います。
順調に、男性のモノ消費は増加しており、つまり男女平等は順調に完成しています。
元増田が自由恋愛の失敗だ成功だ言ってるのも、自由恋愛は人間のモノ消費を男女関係なく進めるからだね。自分がモノ扱いされてることが気にくわないってのが間違いなくあるだろ。
刹那的な快楽を追求するようになったのは、古い社会の抑圧から解放された女性である。当たり前だろ。女性解放運動だぞ。男性が変わってないとか話はじめるのは分脈が全然お門違い。
女性に対等なヒトとしての自由意志を認めないミソジニストがインセルじゃん。
インセルの思想は「男は当然女をあてがわれるべき」だ。女性の自由意志を想定してない。
そして男女平等を疑いなく受け入れてるなら、男女が同じ生き物だと分かってるから、男女分断の思想にも陥らない。
だから自由恋愛のデメリットに見えるそれらは、実は自由恋愛が徹底されてない為に起こると思う。
女性を人間扱いせずモノとして消費するのがメジャーな男社会こそが問題だ。
幼少の頃から男だけで固まって女性を排除して、無許可で性的消費するのが横行する文化。
疑問を持たずにそんな環境に慣れてしまえば、理性は育たず、まともな感覚は麻痺していく。
その結果、たとえば女性同士はメイクの技術を教えあって助け合うのに、男はスキンケアさえ怠って清潔感を蔑ろにしてるわけ。
相手を対等な人として扱わず、美人とか胸とか男社会で評価されるトロフィーとしての価値で挙動不審になる。
他人の心理的安全性をゴリゴリに削ってるのに、「避けられて悲しいよ」「辛いよ」「次行け次」。
個人的な考えだけど、少子化だけが社会的な解決が必要な問題だと思う。
ごく一部の成婚して子どもを育てられる、えらい奴らに必要なカネが行き届いてない。
分析のためには、ある程度デジタルに人々を社会的な歯車として見る必要がある。
『人材』みたいな言い方って好きじゃないけどね。でも人間同士が依存しあうのが社会。
幸福を生み出す社会的装置として、よく機能してる最小単位の家庭に資源を注ぐべきだと、私は思う。
家庭から第二子、第三子と、さらに子育てできる余裕を奪って、身勝手な人たちに回してる現状を見よ。
優先順位をつけなくっちゃならない。
本当に生まれて一度も女性と付き合ったことないなら、まずマッチングアプリとかは全部やめるほうがいい
とにかく必要なのは免疫だけで、それも35歳ならまだ全然余裕で間に合う
ただただ合理性を求めてるだけの刹那的なマッチングアプリ経由のデートなんかでは経験値は絶対に積めない
友達がいないわけではないようなので、なんでもいいから女性も一緒に楽しめるような趣味を開拓する
キャンプでもなんでもよいがあまりマイナーじゃないものがいいと思う
そうして人付き合いの幅を広げる中で女性と多く接して経験を積もう。だいたい1年もすれば女性との接し方も変わってくる
ここで重要なのはできるだけ男女混合での趣味仲間などを作っておくこと
これをすれば「女性に対して~はダメだよ」とかアドバイスしてくれる人も現れる可能性がある
めんどくさいしめちゃくちゃ遠回りな気がするかもしれないけど、
このままマッチングアプリとかで失敗するたびに自信を失い俺はダメなのかと悶々とするくらいなら、
40代に入るまで修行するつもりでそういう人間関係を作る努力をするほうが絶対に良いと思う
社会的なステータスや条件はもちろん重要だけど、とにかく経済的な面がクリアできてるなら後は顔とかより本人の表現力にかかってる
どんな人でも中身がそこまで酷い人ってそんなにいないんだよ
昔のキモオタは家庭環境や容姿や才能や人間関係に恵まれず、社会不信を募らせ生きる目標や将来の夢が無く、一時的に不貞腐れ自暴自棄になり、気の合う仲間と刹那的快楽に現実逃避しているタイプの人が多かった。だから昔は一人ひとりは素直で明るくひょうきんな人間だった。
惨めな自分が嫌で馬鹿にされたり苛められたりされたくないから、オシャレさを感じない娯楽にはまり、当時の常識人には理解できないような格好をしてアニメ絵のステッカーの貼られている車を乗り回すなど虚勢を張ることである種の自己防衛をしていた。
しかしそういった当時の青少年少女の問題は大人の問題。クズだのキモいなどと批判し排他すれば、却って自分を肯定し愛せるようになるために昔のキモオタやDQNヤンキーに憧れる青少年少女がまた世に出てくる。彼ら彼女らに不足しているのは愛。彼ら彼女らを批判する者も同様。
FGOのメイン層は30代〜40代で、vtuberは大学生〜20代ってところだよな
自分はFGO側の世代だが、正直言ってvtuberは別の宇宙の出来事のようによく分からない
なんというか、FGO世代は、声優やイラストレーター、クリエイターを色々知ってて、
それが次はなんの作品に出てーとか、中の人ネタがーって、いわゆるデータベース的消費をしてるんだけど、
vtuber世代がそういう楽しみ方をしているようには(私からは)見えず、
刹那的に流行ってるV、流行ってるゲーム実況を追いかけてるイメージ。
なんかこう、うまく言い表せないけど、致命的な隔絶がある気がするんだよなー。
毎日焦ってる。読んでない本はどんどん積まれていって、読むべき本も積まれていって部屋の中にはホコリが積もってる。休日は昼に起きてそれだけでまず絶望して、だけどTwitterとかインスタとかYouTubeとか見てたらもう寝る時間。夜眠れなくて、朝起きれない。原因は分かってる。SNSは刹那的な快感を断続的に送ってくれるからそれに依存してるんだろうと。でもそれだけじゃなくてきっと多くの時間が切り崩されてるからその長さを実感できない。だから、本が読めなくなる。アニメが見れなくなる。好きなVtuberを切り抜きでしか見なくなる。いっぱい時間をかけて何も得られなかったら嫌だから時間をかけることに億劫になる。それなのにインフルエンサーだとかYouTuberだとかTwitterに流れてくる神絵師の絵だとかを見せられて、自分も何かしなきゃって思う。何かのエキスパートが身近に溢れすぎて、だから物が多くなる。けど自分がそうなれるはずないなんて思い込んでしまう。没頭して失敗したら? 何も為せなかったら? 時間だけ無くなったって思う。無駄にした、貴重な時間を無駄にした。世の中こんなにキラキラで溢れてるのに。そんなありもしない他の人生を夢想する事になるのでは? だからタイパを求める。Z世代なんか言われてる我々は。SNSに出てくる「キラキラ」になれる可能性なれない可能性全部を諦めて、現状の維持を図る。今の時代失敗が許されないから動けない。「失敗する人の特徴!」「負け組の思考!」とかよく見るけど。だけど、何もやってないから不安になる。
ヒップホップ?ラップ?は悪党の詩とStraight Outta Compotonの2曲しか聴いた事がなかった。
ギャングスタ系って言うのかね。ブラント巻いたりブン殴ったりの。
STUSとPUNPEEの「夜を使いはたして」を初めて聴いた。めっちゃ良かった。
イントロ長えな……と思うけど、メロウなトラックが始まると「お?」って思った。
内容は夜通し遊びまわっちゃうぜというだけのものなんだけど、表現がいちいち情緒的。
「夜を使いはたして」だもんな。まず曲名が良すぎる。
思春期に真夜中にフラフラ歩き回るのが好きだったし。というかと今でも全然好き。
ブンブン 唸るベースがブームになる けどお茶の間じゃLOWもカット
でもいつかのテレビ小僧もでっかいスピーカーの前で本物のRawを知り一人前になる
この曲一番のパンチラインなのかな。
クラブとか全然興味無かったけどちょっと行ってみたくなった。早く一人前になりてえ。
その前んとこの
作ろうとしないで作った曲を武器に日々戦うよ さあ繰り出そう
人気のない夜の先々に案とヒントは眠ってる
も良い。
どこで韻踏んでのとかはよく分からんけど、ネットの受け売りの日本語ラップはダサいみたいな認識が改まった。
いくつもの夜を使いはたしてこの曲が生まれたのなら、この曲に感動できたのなら、刹那的な時間も磨り減った寿命も無駄にはならなかったんじゃないかって思えたね。
アメトーク読書芸人見てるんだけど、「自分が読んだ本について分かりやすく楽しそうにこちらが興味を持つ様に語れる人」ってほんと魅力的だなと思う
読書をしなくなって幾星霜の自分を省みると、全く面白みの無い人間だなと思う
(本が手元に無いと困るので常に持参していたのは電車通勤していた時代だ。すごく昔。スマホで読まない時代
あの頃は本当に読書が捗った。そもそも仕事の帰りに毎日本屋に寄るし、休日も本屋や古本屋に行っていたわ
それでも少しは読んでいたけど、今の仕事になってからはラノベすら読まなくなった)
読書どころか、映画も見なくなって久しいので語れるものが何一つ無い
数年前まではアニメを見ていたからまだマシだったけれども汎用性の無い話題だしな。遂にはそれすら語れなくなった
ほんで、読んでるものはpixivの素人小説(しかもオリジではなく某ジャンル)。それのみ!!!!
あーあー
(それどころか課金してるサブスクすら全然使わない。意味もなくネトフリ・hulu・アマプラ・dアニメに金だけ払い続けている。お気に入りだけ溜まる)
人としての余裕の無さが笑える
体を鍛える精神的余裕も無いから体力無くていっぱいいっぱいで余計に心が荒むという悪循環
もうダメだ
追記:アメトークでビビる大木の本棚を見ていて、ケンコバと同時に「コージーパウエル…」と呟いてしまいました
https://miyearnzzlabo.com/archives/78398
自分は「RainbowはStargazer」派です。コージーパウエルのドラムが好き。そしてディオ様の声が好き
あー。人の本棚見てると、買った本全部売ってしまう悪癖が悔やまれるんだよな
やっぱ読んだ本は並べておきたいじゃん
でも置ききれないじゃん
それでも「これだけは売らん」って本がいくつか有るなあ
ヒコロヒーも大好きと言っていたサリンジャーとか。フラニーとゾーイーが特にお気に入りだな。ちょっとイライラしながら読み進めて、最後に昇華される感じが良い
ガキ向けYouTubeチャンネルをガキでもないのに好き好んで視聴してるんだけど結構闇深いのよ。
いやそのこと自体も多少闇だけど今回話す闇はガキ向けYouTubeチャンネルさんサイドの闇の話ね。
ガキ向けYouTubeチャンネルってのはRobloxとかマイクラの寸劇とかやってるやつ。
ガキ向けかどうかの基準はコメント欄に「〇〇のみんなだいすき」とか「さいごたすかってよかった」とかいかにもガキのコメントが溢れてることとする。
なにが闇ってまずけっこうエグめの表現を多用する。
とくにサムネで流血とか四肢切断みたいな画像をかなりポップな色遣いで使ったりする。
大人が見てもなんてことないが親からしたらたぶん見せたくないだろうなってレベルでグロい。
ただまあガキ大歓喜の鬼滅の刃もそれなりのグロさではあったので子供って本能的にそういうの好きなんだろうな。
クレヨンしんちゃんとかドラえもん、プリキュアでは過剰に配慮されすぎていてそれらからでは得られない「快」を得てるんだろうな。
あと二つ目の闇は話のオチが薄すぎたり全然落ちてなかったりってことね。
話の腰をブッツリぶった切りでいきなり終わったりすんのがしょっちゅう。
悪役がいても最後10秒くらいで唐突に落とし穴に落ちて死んだりする。
なんかもうちょっとドラマチックな展開考えろよって気もするけどガキには話の流れよりも悪い奴が死ぬ瞬間とかの刹那的なカタルシスが効くんだろうな。
あと次の闇なんだけど複数人でやっててる奴らはメンバーがいきなりいなくなったりってのがある。
そんでメンバーいなくなったことに軽くも触れられなかったりする。
【大切なお知らせ】とかいってスーツ着たサムネみたいのあるじゃん?ああいうの無い。
そんでいなくなったメンバーは別のチャンネルに登場してたりする。
「〇〇いなくなったの?」「〇〇かえってきて!」みたいなガキのコメントがたまにあってちょっとしんみりする。
(追記)
そういやエルサゲートってあったな。まああそこまで露悪的な感じは最近みないけど。
でもしっかりスパイス的にそういう要素入れてるのはやっぱ大脳皮質的な需要があるんだろうか。
YouTubeだとかなり統計的なことに基づいて動画作ってるだろうし、極端なやつが駆逐されていった後で最後まで消せなかったものがあのレベルのアレなんだろうな。
『フェイブルマンズ』で「芸術」と言われていたものは後者の類と言える。仕事や、家庭を持ち人を愛し愛されるという事がそれに取って代わる、ないし併存するという人も多数だろう。
生き甲斐とは現実に即した、社会と密着したものでなければならないというボンクラも世の中には少なくない。そんな人間達の目を憚って、社会性として「趣味」という言葉でカモフラージュされた生き甲斐なのかもしれない。
なぜ趣味に留めるのか、仕事にしないのか、と言えば、それに越したことはない。好きな事で生きていけたらどれだけ良いだろう。しかし当然、また残念ながら、好きや憧れが人の役に立つとは限らない。要求される水準の技量があるとも限らない。いや、役に立たないからこその趣味なのではないかと思う。
総じて気晴らしの趣味は消費的、生き甲斐のそれは生産的とでも言われるようなものだろう。
前者であれば、生活の延長にあるものが多い。着飾って出掛けて美味しいものを食べ、温泉に浸かりスッキリして、思い思いの快適な部屋でゆっくりと過ごす。刹那的な快楽を得て、日々の生活の活力を補充する。
対して後者は、表現にまつわるものが最たるものだろう。音楽、美術、文藝、写真、映画、……etc. 美や善なるものの存在を信じ、それを描き出す。自身の人生の固有性と真摯に向き合い追い求める。他者に何かを訴えかける。あるいは、ただ純粋に好きや憧れを追求する。その中で、たった一度の人生に意義を見出す。たとえそれが自己満足に終始するものであったとしても。
無論、衣食住が必要十分の域を超えて、また低俗な娯楽と軽んじられるようなものの中でも、生き甲斐を見出し得る領域に及ぶ事はあるだろう。芸術作品もまた、鑑賞してただ「あー良かった」で終わる満足であれば消費的と言えるだろう。
生き甲斐を求める趣味においては、時に義務感を抱き、疲れてしまうような事もある。趣味なのにイヤイヤやるだなんてナンセンスだと思う人もいるかもしれない。しかし人を納得させ得るような「意味」など問題ではない。胸の内の無根拠な確信と納得、それだけで突き動かされ、追い求めずにはいられないのが生き甲斐というものだ。
世の中には、気晴らしの類の趣味のみを糧に生きる人もいるようだ。人生の意義やアイデンティティなどといったナイーブな考えは捨て、日々の些細な満足を拾い集め続ける事に重きを置く人も、むしろそういった人の方が多いだろう。それが納得を伴っているのなら、いや伴っていなくとも、それに口出しする道理は無い。
が、根本的な人生観において異なる価値観を持った両者は分かり合えないのではないかと思う。私は生き甲斐のない人間を理解できないが、彼らもまた全く同じ気持ちをこちらに抱く事もあるだろう。
しかし、双方が子供じみたナイーブな考えだ、凡庸さに屈した気晴らしにかまけるだけの生き方だ、などと互いに罵り合わないようあって欲しいものだ。