はてなキーワード: nlとは
だから厚みのある群像劇は作れないし、骨太な成長ストーリーも描けない
例えば
「○○くんと一緒にいられれば他のことなんてどうでもいいの!」
なんて異性愛者がいたら
無論、NL漫画にそういう系の拗らせ系主役キャラがいないこともない
でも、GL漫画の場合、この「恋愛脳拗らせケース」にあたる率が異常に高い
そして百合オタは「いや、むしろそれが尊い」と持て囃してしまう(そして、少年誌のラブコメ漫画のように、外部の批判の目に晒されることもない)から
これが、レズキャラやレズ物のストーリーに、厚みや整合性がいつまで経っても生まれない最大原因だ
更に厄介なのは、こういうレズキャラが非百合アニメに突っ込まれてしまうことなんだ
「百合オタの考える一般的レズキャラ」は、一般人が好み想像するレズキャラと比べて
○2位 ちいかわ
○5位 完全メシ
○9位 スプラトゥーン3
○12位 SHEIN
×13位 Tamagotchi Smart
×19位 YOLU
○21位 SPY×FAMILY
23個知ってた
知ってて多少なりとも関心ある
2位 ちいかわ
21位 SPY×FAMILY
知ってる
5位 完全メシ
9位 スプラトゥーン3
12位 SHEIN
知らない
13位 Tamagotchi Smart
19位 YOLU
>BLはよいが男性向けはダメ/男性向けはよいがBLはダメ(ダブスタクソ親父!)
そもそもエロ表現と同性愛表現は同等ではないけれど、それはそれとしてこの前者を掲げる規制派フェミニストの思考回路は想像に難くなかったりする。
男性に都合の良い女性キャラクター造形というものは以下に並ぶものだと考えているから。
これに加えて『差別表現はゾーニングされていようが許されるものではない』という考えが加わる。
たとえゾーニングされていようと「ホモ」「レズ」「NL」という差別的と捉えられる単語が許されないのと同じ。
その上で、フェミニストらのBL擁護とは「社会における男女の性差」を考慮した上で、女に都合の良い男性キャラクター造形というものは『男性への性差別になり得ない』というものである(まあこれが「モノ化」云々やね)
もちろん短絡的に、海外被れで規制派になっているようなタイプもいるだろうけど……基本的な規制派フェミニストの思考回路はこんな感じ。
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自分はゾーニング自体は表現規制ではないと思ってるから、ゾーニングは前提で書いたけどこうやって書くと事態は更に深刻なんだよな。
一部フェミニストの間ではもはや「隠せ」ではなく「描かせるな」に至っている。
スレッタがデートの対象としてミオリネを見てないの、ここまでの強引すぎる印象を鑑みれば当然と言えば当然である。大丈夫、まだ3話だから。これから関係性を築く時間は十分すぎるほどある。
大丈夫、いつか普通に女の子を好きになれる日がくるから。スレッタ。
https://twitter.com/7tsubaki3/status/1581669009950650369
最後は百合が勝つ話なんでしょ、知ってる。分かってますよ、最後のシーンはヘテロ営業ってことぐらい
https://twitter.com/7tsubaki3/status/1581669011288633344
↑ノンケの性的指向を捻じ曲げて百合にもっていくことに何の呵責も感じないオタ怖え
逆のGL→NLに置き換えて考えたらメチャクチャ気持ち悪いって分かりそうなものだが
これを「界隈内での閉じた妄想」で留められずに発信してしまうから、百合オタはおそろしい
違うんだよ。
俺は本当に百合が好きで、かつ救われないNTRが好きだから、百合カップルの間に要らん男が挟まってきて2人は引き裂かれるというシチュエーションに血の涙を流しながら鬱勃起したちんちんをシコシコするのが気持ちいいだけなんだよ
分かる、分かるよ
全力で中傷して潰しに来るんだ
百合オタは、NL作品で好き勝手百合妄想してネットに垂れ流すのにね
……というと、「結局はそういうジャンルにいるから多く見えるだけで絶対値としてはそうでもない」という答えが返って来そうだが、そのあたりは一旦置いておいて。長文のため先に要約を置いておく。
【要約】
交流企画に腐女子が大集合すると、男同士の恋愛ネタが蔓延りすぎてそれ以外の話題を扱うと除け者気味になる傾向があるので、楽しみ方が限定されてしまい、本来の自由度が損なわれているような気がして居心地が悪い。嗜好による選択の結果であると認識しているため、仕方がないと思いつつモヤモヤしているという話。
はじめに自己紹介だが、一次創作を趣味にしている筆者は、自身も小説を書いたり、絵を描いたりする。主な活動拠点はTwitterである。BL・GLともに嫌いというほどではないが、進んで手に取ることはない。
Twitter上には様々な「交流企画」なるものが存在しているが、どこを覗いても思うことがある。
腐女子が多すぎるのだ。
ここでいう交流企画というのは、ある設定が共有されたシェアードワールドの枠組み内でキャラクターを創作し、時には企画制作者が提供するイベントに沿って世界観に没入しながら、キャラクター同士の交流や作品群を楽しむ、というものを指す。学園モノであれば我々は教師や生徒を作り、異世界モノであれば魔法使いや剣士を作り……といった具合にそのシステムは様々であり、言うなれば一種のTRPGのようなものである。Tabletalkではないので、TはTwitterのTだ。
「交流」と名を冠するからには参加者が互いの趣味嗜好を尊重する必要があり、相性のよい相手と関係を深める(キャラクターも作者も)という在り方が推奨されるが、そのために自己紹介シートのようなものが設けられていることがある。その中にしばしば「GL・NL・BL」と書かれた項目があり、地雷にバツ印を付ける、あるいは平気なものにマルを付けることで、自身の嗜好を示せるようになっている。(こうしたシートが無い企画も当然ある)
企画の世界観に興味を持った筆者は、前述の通りBL・GL・NLともに平気であること、全部にマル(なんなら花丸)つけてる人が大多数を占めていることなどを理由として、そういった「腐女子」達と交流を持つことになるわけである。
ここで問題になるのが、「マル」というのが何を指しているか、という点。企画主が明示していない限り、「平気ですよ」のマルもあれば、恐らく「それはもうメチャメチャ大好きです寝る間も惜しんでPi〇ivを渉猟し三度の飯よりバクバクムシャムシャペロリズム」みたいなマルもあるだろう。筆者は前者の消極的なマルなので、当然後者の積極的な参加者たちとは熱量に差が出てくる。
そして後者の場合、往々にして彼ら彼女らが求めるものを提供できない人間に人権はない。
極端な言い方をしたが、見ても忌避感を覚えず恋愛モノの一様態として楽しめるというだけでそうしたコンテンツを提供しない筆者は、どうも「つまらないヤツ」と判断されてしまうようなのだ。セロリ嫌いじゃないけど好きでもないから進んで食卓に並べはしない人間が、セロリ大好き主食集団の中に紛れ込んだとき異端になるのは自明であるが、つまり、セロリ食え!セロリ出せ!セロリを愛さぬ者に用はない!というわけだ。それならばセロリを愛する者同士、色がどうの食感がどうの味がどうのと推しポイントを共有できる相手と関わった方が精神的にコスパが良い。その道理はよくわかる。
ところがこちらとしては男同士(GLのパターンもあるだろうがBL遭遇率が体感異様に高いのでBLということにする)がイチャコラしているのが見たいわけでも、そこに割って入りたいわけでもなく、あくまで企画の世界観に惹かれているのである。交流を成り立たせるための関係は必ずしも恋人に限らず、先輩後輩、同級生、親友、そこまで親しくはないけども同じ部署にいる顔見知り、敵対……etc.、様々な在り方があってしかるべきだ。が、その実態といえば、先輩後輩(ホモカプ)、同級生(ホモカプ)、親友(だがホモカプ)、ただの顔見知り(だが寝たことがある)、敵対(しているがやはりちょっと気になる///)といった具合で、ファミレスでメニューを見たら全部にセロリ入ってたような状況なのだ。ライスにも刻みセロリが入っている。
与えられたシステムの中で仲良くワイワイしたいだけなのだが、「平気ですよ」のマルを付けたばかりに、友達だと思っていた相手から突然「酔っぱらってそういう雰囲気になるかもねw」「受け攻めどっちぽい?」というコメントが飛んでくる。拍子抜けする。勢力図がどうとか、この世界ではどんな生き物がいるのかとか、能力の応用とか、そういうものは基本的に話題に上がらず、TLを流れていくのは専らうちよそのデート描写、お互いをどう思っているか、お互いの好きなところは、という風に恋愛色が強い。その企画でなくてもできたのではないかという、企画の世界観や設定が全くといっていいほど絡まない恋愛ネタ。そして見渡す限りの同性カップル。戦闘や駆け引き、探索をしながら絆を深めるとか、そういうものを想定していたら合コン会場に迷い込んでしまった。
ここまで書いて、同性カップルに理解の無い差別主義者と疑われていそうなので、弁明しておく。筆者にとって、恋愛は性別がどうだろうと恋愛なので、閲覧に際してはNLもGLもBLも特別区別はしていない。この文で「同性」を強調しているのは、それ以外の恋愛形態が尊重されないほど腐女子たちによるBL推しが激しいためである。そしてBLネタを求める彼女らは自動的に男性キャラクターを作成するため、片割れを探す作者同士が意気投合すればカップル、もしくはちょっとつつけば即座にカップル成立しそうな距離感の過沸騰ペアが増えていく。女性キャラクターとして受け入れられていた独身キャラクターが、実は男でしたとネタ晴らしされた瞬間伴侶を得るこの世界で、女性キャラクターの婚活は氷河期にある。
腐女子であることが豊かな交流の前提になっている空間は、本来許されていたはずの自由な創作・自由な交流に制限をかける。男女、女女、男男、3種類あるはずの恋人関係が1種類しか快く受け入れられないとあってはそこで楽しむのも難しくなってくる。それが分かれば最初から参加していないのだが、企画ができたてであればあるほど、なまじゾーニングを重視する彼女らの生態を初対面で汲み取るのは難しい。数段前に自己紹介シートの話をしたが、シートがあれどもすれ違うのに、無ければなおさら困難極まってくる。筆者が極まりたいのは困難ではなく感なのに、だ。
平気ならお前もBLカップル作ればいいじゃん。その通り。だが環境に強制されて作る関係を心地よいものとは思えず、結局幾度も身を引くことにした。したくてするのと、そうしないと弊害があるからと妥協してするのでは大違いだろう。
「腐女子が多すぎる」というのはこういうことだ。ある空間に占める腐女子が多ければ多いほど、彼女らの常識がその場の常識にすり替わっていく。これは筆者の体験から腐女子を取り上げているだけで、同じことはそれ以外にも言える。自然愛好グループの中に野生動物に餌を与えることを生きがいとする集団が増えて、動物たちが事故に遭うリスクを懸念する人々が押し負けてしまうであるとか、例を挙げればキリがない。感情・思想を共有する集団は強固ゆえに存在自体がある程度の強制力を持ち得るというわけである。
腐女子は日陰者であるべきとは言わない。しかし意識的にせよ無意識にせよ、ホモカプが描写できないならお役御免とばかりの傲慢さを感じざるをえず、それゆえ不信の念を抱かずにはいられない。なぜこうも交流企画には内輪を形成する腐女子が集うのだろう。
様々な性癖・趣向がありそれを悪だと言う人がいるのは、害されたと感じる人がいるからだと思います。ならば、同じ性癖を持つ人だけ、見たいと感じたときだけ見る表示することを選択して見れる開示方法、望まない人が突然浴びせられることのない方法を模索すれば、わりあい平和な環境になるのではないでしょうか?
この記事は一次創作にも適用できるかもしれませんが、あくまで二次創作のSNS公開方法についてという増田です。
シスゲイの方が腐向けという分類、棲み分けなどに 腐女子の同性愛は隠れるべきという認識 を感じ憤りを感じる事について拝見しました。私は同性愛だからBLだからではなく、描き手が恋愛や性愛、性的な視線で創作し、見たものにそう感じさせたいと思う 二次創作 は棲み分けやワンクッションしたほうが特に良いと思っています。
つまりはBL NL HL ゲイ レズ 夢という区分に限らず、キャラ単品 全年齢 R18 いずれにせよ 描き手の性癖や性的な視線で描かれ、見た人にそう感じさせたいと描き手が思って描かれた作品 はセンシティブであると思っています。
センシティブだと思うものを見たい思う人だけが能動的に見ようと行動したときだけ表示されるようにすれば諍いは、あまり起きなくなるのではないかと思います。あえて見に行った先であれば、これは自分が悪かったと怒りを抑えやすくもなると思います。
一次創作のセンシティブな創作物も勿論、公開する場や方法を考えてほしいなと不快に感じることはなくはないですが、こと二次創作であれば乗せる場と公開方法には作り手の配慮というのが大切なのではないかと思います。
沢山の人に見てもらい、一緒に盛り上がれる仲間が欲しい、だからこそ二次創作作品を公開する。けれども、その原作が好きな人にも様々な趣味趣向の方がいて様々な目的でSNSを利用しています。センシティブな妄想が悪い作るな排除したいとことではなく、表示するしないを見る人が選択できるようにしませんか?という提案です。
追伸と余談。
センシティブな二次創作も、同人誌の制作や公式BDやグッツの購入で経済をまわしている、またSNSでセンシティブな二次創作と出会い自分も原作ファンになった、書き手になった、だから伏せる必要はないというご意見も散見しますが、誰しもが出会いを喜びと感じるわけではない、センシティブな表現または一次創作のキャラを使用したセンシティブな表現を望まない人達もいます。同じ作品が好きな人から害されたという感覚は、好きだからこそその人の中で大きく、長く引きずってしまうものではないかと思います。