はてなキーワード: 知的障害者とは
たとえば知的障害者の97%は未婚ってデータ(http://www.gp-sri.jp/report/detail028.html)があり、これはたぶんみなさんの「会話すらマトモにできない人間とは結婚したくないな」という素直な気持ちが実を結んだものだと思う
でもじゃあこれに対して「差別だ!やめろ!知的障害者とも結婚しろ!」と言えるかというと、言えない気がする
結婚、本質的には関わるのが個人2人だけなので、相手選びに関して社会がとやかく言えない聖域っぽさがある
「会話を楽しめる相手と結婚したい」←それはそうですよね!いいと思います!
「まともに会話もできん人間はウチ(企業)の客ではないです」←ひどすぎる!とんでもない差別だ!
こういう事例もっとほしい
あくまで相関関係であって因果関係はわからないですよ〜、と前置きしつつ。
・小・中卒男性の刑務所の入所率(219.0)は,大卒男性の入所率(6.9)31.8倍
・毎年約50人に1人程度の割合で、「知的障害者」が刑法犯として検挙されている(累犯障害者の存在もあるとはいえ、それって知的障害者の多数が生涯において1度は検挙されるってことでは…)
↑このあたりの数字を踏まえた上で「差別」にならないような形で知的障害者男性の犯罪率についてポリコレに配慮した上で語るのは、ちょっと、ほんとうに、卓越した筆力および気合と根性がいるなあ、と思います。少なくともワイは、どう頑張っても差別的な言説しか発することができない。
知的障害者や犯罪者の割合は男女比9:1で男性が多く逆に女性は少ないのは有名な話だけど
一般的に男性は女性と比べると低い知能で生まれて攻撃的な人間として育ってしまう
この事はパートナーや子供、兄弟など家族に男性が居る女性なら皆何となく分かっていると思う
男性の強い攻撃性は「人間」という種族を他の動物から守る必要があった太古の時代には必須の物であったのかもしれない
しかし「人間」を脅かす外敵が居ない現代では、男性の攻撃性は同じ人間を害する物でしかないのが現実なのだ
元増田は「フェミニストは男性について不理解である」と主張しているが、一般的に女性の方が男性と比べると異性に対する理解力が深いとされている
これまでの人類の歴史において子育ては常に母親が行ってきた事もあり、男性がどのように育つか女性は親の立場から見てきた事が大きいと思われる
男性の女性に対する理解が著しく低い事は、女性が外出する際に当然の身嗜みとして行う事を強要されてきた化粧への男性の認識を見ても分かるだろう
フェミニズムとは、古来より女性というだけで馬鹿にされてきた性が「女性にだって男性と同じように知性もあれば感情もある、同じ人間として扱って欲しい」と馬鹿にしてきた性に訴える叫びである
その逆のケースがこれまで殆ど見られなかったのは、男性は「女は自分達男の事を全て理解していて当然である。故に説明する必要もない」という傲慢な「無理解」からであった事は、言うまでもないだろう
マクドナルドの二階、階段から一番近い席で、おれはポテトをパクつきながらスマホをいじっていた。
その奧、壁際の席ではおばさんが二人、向かい合って談笑している。
おれの席からはその姿が嫌でも目に入る。
階段を上り切るその瞬間、少年は最後の一段につまづいてバランスを崩し、飲み物をトレイから落としてしまった。
床に広がっていくコーラ、直立不動で固まる少年、少年を見つめるおれ。
少年と目が合い、数秒間見つめ合う。
「え、こぼした。飲み物めっちゃこぼれてる。え、助けた方がいいのか、何してんのトレイを一旦横の回収棚かテーブルにでも置けばいいんだ、助けるっていっても出来ることないよな、外国の子かな、ナプキン余ってるから拭いてやるか、こっち見てる、二枚じゃたいして吸えない、いやそこまですることないだろ、なに固まってるんだ、棚に置いて店員呼びにいけばいいのに」
時間にして3,4秒。咄嗟のことで何も出来ず、ただ頭の中でぐるぐる思考を巡らすおれ。固まるおれたち二人の間に奥の席で談笑していたおばちゃんの一人が割り込む。
「あらあら〜、もう一回店員さんのところに言ってこぼしちゃったって言っといで!たぶん新しいのくれるから」
「優しいわね〜、やっぱり子どもがいると違うわね」
ということが先程起こったんですが、おれの情けないことと言ったらね。
なんであそこで動けないのか。優しさを発揮する前に「でもそこまでする必要があるかな」とか余計なことを考えてしまうんだよな。
少年がマスクをしていて表情が読めなかったとか、落としたのがハンバーガーだったら拾ってやったけど飲み物はもう拾えないし特にしてやれることがなかったとか、このパターンは初めてで戸惑ったとか言い訳じみたことは色々思いつくものの、おばちゃんの方が立派だよね。人として。
自分が行動を起こす妥当性というか「これ、おれが助ける必要があるか?一人でなんとか出来そうじゃない?」とか一旦考えてしまうんだよな。優しさなんてその原理からして妥当性を超えたところにあるんだから、余計なこと考えずに助けてやればいいものを。とりあえず近付いて「大丈夫?」とか声を掛けてやればいいものを。
もし、飲み物を零したのが自分だったら、即座にカップの残骸を拾って捨ててトレイ一旦置いて店員さん呼びに行くから、なんで子どもが何もしないで突っ立ってるのかマジで理解できなかったんだけど、中一ぐらい?ってあんなもんなのかね。どうしていいかわかんないものだったっけ。お兄さんもう覚えてないや。
しかも、その時スマホで見ていたのが倫理学の講義のレジュメだっていうのが、また情けなさを引き立てるよね。「医師は、重度の知的障害者を持った新生児が命を落としかけていた場合に、両親が望まぬ手術を施すべきか」なんて問題を医者になる予定もないおれがうんうん考えてる暇があったら、もっと現実的な問題に目を向けろ。「マックで飲み物をこぼした少年を助けるべきか」を考えろよ。知行合一でないと。頭だけでっかちでも仕方ないんですよ。実践経験のない現代っ子はこれだから困る。
でも本当に子どもと関わる機会なんてゼロだからね。どこで実践なんて積めばいいんだ、という話でした。少年はトレイに新しくもらった飲み物を乗せて、今度は転ばずに階段を上り切り、それじゃおばちゃんまで届いてねーだろってぐらい小さい声でボソッとお礼言ってました。おわり。
これを書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20200630021035
睡眠剤を多めに飲んで、野宿さて凍死(低体温症)で死にたいと考えていました。それか不審者や若者に蹴ったくられて死にたい。ただ、都内の寒さ程度では体調を崩す程度で終わるかなと懸念しています。春がきてしまった。行ったことない北海道に行って決行したほうが確実かしら。
先月から仕事を休みがちになりました。うつで通院していますがコロナで休んでいるわけではないので公的支援は受けられません。お金がありません。
知的障害者の弟が最近てんかんで救急車に2度運ばれました。「弟を捨てて施設に入れるのか」「姉と2人で弟を支えなさい」これが父親からの、わたしが上京する条件でした。母は「お父さんの言うことだからわたしは何も言えない」と、わたしの気持ちには寄り添う気は当時なかったようです。いまは気持ちが変わっているかしら。ちなみに、姉は結婚して数人子供を産んで育てています。良くも悪くも、「うまいこと逃げたな」と思ってしまった私は性格が悪いかもしれない。
なので、弟が普通に生活できなければ、わたしは自由を無くして実家に戻り介護で軟禁状態になる可能性があります。軟禁生活になって自分の人生がなくなるだろうということは中学生のときにふと気付きました。わたしの人生はおよそ30〜35歳までだろうと思い嘆き、おそらく鬱自体は相当昔から患っています。
しかし、わたしが家にいると弟(自閉症)の思い通りに事が運ばないことがあり、そうすると弟は大声で奇声を発して手を挙げる(だけで叩かない)か、嘔吐します。実家で一緒に生活している時もそうだったのですが、わたしがたまに帰省した時も「お姉ちゃんが○○だから△△には行けませんか?」「お姉ちゃんが○○だから△△できませんか?」と不機嫌になります。親は弟を相当可愛がっておりますが、おそらくわたしについては大人(30歳)だからもう大丈夫だと親は思っているのかもしれません。親の気持ちはあくまで想像ですが、弟の振る舞いが変わらないことは、弟が生きている限り、自閉症である限り変わりません。
人生の終わりが見えてきてしまった。あと少し、もう少し自由でいられるかなと、10代から毎日のように考えてきましたが、弟が救急車で搬送されたと聞いてから、弟の心配はもちろんですが、わたしの終わりが近いことを意識して嘆くしかできなくなってしまいました。
人生ってなんでしょうね。もちろん軟禁されるのも第二の人生です。軟禁状態でもいまはwebで繋がったり、地元の何かのコミュニティに入ったり、やれることはあるよ、という声もあるでしょう。
てもわたしは冒頭の記事で書いた通り、薬を飲まなければ本来は「息をしているのもつらい」人間です。
ここらで終わりにしたい。
これを書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20200630021035
今晩、眠剤を飲んで公園で野宿しようと思います。凍死(低体温症)で死にたい。それか不審者や若者に蹴ったくられて死にたい。ただ、都内の寒さ程度では体調を崩す程度で終わるかなと懸念しています。行ったことない北海道に行って決行したほうが確実かしら。
先月から仕事を休みがちになりました。うつで通院していますがコロナで休んでいるわけではないので公的支援は受けられません。お金がありません。
知的障害者の弟が最近てんかんで救急車に2度運ばれました。「弟を捨てて施設に入れるのか」「姉と2人で弟を支えなさい」これが父親からの、わたしが上京する条件でした。母は「お父さんの言うことだからわたしは何も言えない」と、わたしの気持ちには寄り添う気は当時なかったようです。いまは気持ちが変わっているかしら。ちなみに、姉は結婚して数人子供を産んで育てています。良くも悪くも、「うまいこと逃げたな」と思ってしまった私は性格が悪いかもしれない。
なので、弟が普通に生活できなければ、わたしは自由を無くして実家に戻り介護で軟禁状態になる可能性があります。軟禁生活になって自分の人生がなくなるだろうということは中学生のときにふと気付きました。わたしの人生はおよそ30〜35歳までだろうと思い嘆き、おそらく鬱自体は相当昔から患っています。
しかし、わたしが家にいると弟(自閉症)の思い通りに事が運ばないことがあり、そうすると弟は大声で奇声を発して手を挙げる(だけで叩かない)か、嘔吐します。実家で一緒に生活している時もそうだったのですが、わたしがたまに帰省した時も「お姉ちゃんが○○だから△△には行けませんか?」「お姉ちゃんが○○だから△△できませんか?」と不機嫌になります。親は弟を相当可愛がっておりますが、おそらくわたしについては大人(30歳)だからもう大丈夫だと親は思っているのかもしれません。親の気持ちはあくまで想像ですが、弟の振る舞いが変わらないことは、弟が生きている限り、自閉症である限り変わりません。
人生の終わりが見えてきてしまった。あと少し、もう少し自由でいられるかなと、10代から毎日のように考えてきましたが、弟が救急車で搬送されたと聞いてから、弟の心配はもちろんですが、わたしの終わりが近いことを意識して嘆くしかできなくなってしまいました。
人生ってなんでしょうね。もちろん軟禁されるのも第二の人生です。軟禁状態でもいまはwebで繋がったり、地元の何かのコミュニティに入ったり、やれることはあるよ、という声もあるでしょう。
てもわたしは冒頭の記事で書いた通り、薬を飲まなければ本来は「息をしているのもつらい」人間です。
ここらで終わりにしたい。