はてなキーワード: 慶應とは
3割しか一般で入ったやつがいなくて、AOなんて倍率1倍台なのに45分で小論文400字と面接10分という適当さ。
就職や司法試験、国会議員などすべての面で阪大法学部を上回ってるしな。
実が伴われたら仕方ないね。
今みたいにAOや公募で簡単に入学できた時代と異なって昔の早稲田大学は慶應義塾大学よりも入学が厳しかったと聞く。
というのも幼稚舎からエスカレーター式に進学できる上にその生徒の殆どがどこそこの名家や華族の出身者で犇めいてたわけで
それらから選抜的に大学へ進学してきたという歴史があったからだ。
一方早稲田大学は文学を志す者、法律を志す者、政治を志す者とで多くの庶民階級がその入学を希望したものだった。
今ではそんな早大も慶應並に簡単に入学試験を通過できるようになってしまったし、犯罪団体スーパーフリーや小保方晴子の一連の捏造案件もあって
今、早稲田と慶應は私大の二大巨頭である事は周知の事実であるが、マスオさんの時代はどうだったのか。
今週放送のサザエさんでは、マスオさんが英語を話せるという事にサザエさん以下家族の誰もが驚きを隠せなかった、という話があった。
その当時、早稲田大学というのはあくまで学問を志す者が行く大学であった、という事なのだろう。
つまりステータスを重視する、あるいはステータスとなった現在と異なる、という事である。
要するに、サザエさん一家はマスオさんの出身大学に関して何一つ関心がなかった。
という事は早稲田大学というのは当時無名に等しかったと言う事であろう。
無名である事が悪いのではなく、むしろそこから文学者や政治家、新聞記者などが輩出されてきた事を受けて学問の大学として有名になったという境遇がある事を証明するものである。
今でこそ早稲田大学は、無知な人間が多く通っているし無知な人間が捏造をしたり犯罪を冒したり等をして有名になってはいるが、それは誤りである。
何故ならば、マスオさんが早稲田大学出身である頃の早稲田大学は無名であったが、そこから学問の大学へと全国的に知られるのはそう遅くはなかったのである。
ま、要するにだ。
マスオさんが居た頃の早稲田大学はあまり知られてなくてその後学問における優秀な人材が国内どころか海外の様々な分野で活躍して有名になったのだろう。
だからこそ、サザエさん一家の中で高学歴でありながら英語が話せるかどうかについてマスオさんが疑われるエピソードがあったのである。
そうでなければ説明が付かない。
早慶戦といえば、早稲田大学と慶應大学がおこなう野球の対抗戦であり、六大学野球のクライマックスとしてよく知られている。
だが、その裏側でもう一つの戦い、「珪藻戦」がおこなわれていることを知る人は少ない。
私がその存在を知ったのは、大学に入った年の五月、教授の下のごとき発言によってである。
小学校の理科で習ったように、珪藻は植物プランクトンの一種だ。
珪藻戦というからにはプランクトンが関係しているのだろうか……興味をひかれて調べてみると、この存在の極めて奇妙であることが、徐々にわかってきた。
慶應大学において、珪藻戦はまことに由緒正しきイベントということになっている。
実際、毎年五月の半ばになると、観戦チケットが中庭で売られるようになり、各種サークルの人間が行列を作る。
しかし、メディアが報道するのは早慶戦のことばかりで、珪藻戦についての記事はさっぱり見当たらない。
対戦相手である早稲田大学では、さすがに珪藻戦の名を知るものは多い。
それでも珪藻戦の話題に触れるものはバカにされるようだ。
早稲田大学の学生に、珪藻戦について知っているか、と聞いたことがある。
彼は失笑しながら、
と答えた。
早慶戦と珪藻戦の決定的な違いは、その応援の仕方にある。
早慶戦の応援は、全学をあげての大行事である。早慶それぞれの学生が肩をがっしりと組み、校歌を若々しく歌い上げる姿をテレビで見たことのある人は多いと思う。
それに対して珪藻戦の応援は気まぐれだ。慶應の学生は自分の大学を応援したりしなかったりする。
これには理由がある。
慶應大学では珪藻戦の日が休校になる。そして珪藻戦は土・日・月と行なわれ、二勝先取であるから、両者一勝ずつで三戦目にもつれこめば、学生は思わぬハッピーマンデーを手にし、自宅で珪藻のごとく光合成にはげむことができる。
だから、慶應生の多くはそれが早慶どちらであるかに関係なく、初日に負けた方を二日目には応援するようだ。
「天は人の上に人をつくらず」という一万円札の教えに従った結果かもしれない。
また、珪藻戦は異性との交友を深める場としても大きな期待を背負っている。
ある卒業生によると、肩を組んだ拍子に指先がおっぱいをかすめてしまう、というのはごく普通にあることで、おっぱいを鷲掴みにしてそのままホテルまで引き摺っていってしまうことすらあるのだという。
人間は珪藻とちがって有性生殖をする生物だから仕方ないのかもしれない。
早稲田には、近ごろ独自に万能細胞を開発している卒業生がいるということである。
これが珪藻戦における勝利を目指したものだ、というのは考えすぎだろうか。
年収は1200ちょい。
あれは経営者になってから人脈広げに行くもんだと思った方がいいと思う。
国内MBA自体、学部卒からすぐにとりに行ってもあんまり役に立たない。
それなら頑張って海外行った方が良い。
慶應の商学部の学部卒の方が下手したら就職はマシじゃねーかと思うわ。
「営業の一環」と思えないなら行くべきじゃない。
1.会社が仕組化されていて熱意のある新卒なら安く働かせて踊らせられる土壌がある
2.マインドコントロールしやすい
3.意外と高学歴。高学歴だからこそ騙される。マルチ商法と同じ。
5.「コンサルティング」「クリエイティブ」「企画」という言葉に釣られて、実態とかけ離れた仕事についてしまう
6.1年ぐらい働いた時に気づくがすでに遅く、他社もこんなもんだ!と思い出す。
7.絶対に辞めない!と決意したもののブラックさが激しくなり今後も続くことがわかった3年目に辞職する
8.入社3ヶ月内に辞めた新卒を笑っていたが、だんだんそいつらが良い待遇の他社で生活しているのをみてきづく。
逆だと思うのだが。学問機関=教授のレベルとしての東大は別に他の大学とたいして変わらない。
が、東大生は平等な受験競争の勝者のため、受験競争の敗者に比べて、少なくとも学習能力あるいは努力をする力については高いことが想定される。
東大以外の教授も十分すぎるほど優秀なのだが、生徒の理解力や基礎力が低いがために、能力の1%も発揮できない授業をせざるをえないのだ。
地方のF欄経済学部に、例えば竹中平蔵(かれは慶應だが)がいっても、何を教えるだろうか。基本のキしか話せないだろう。
逆に、地方のF欄経済学部の教授が東大経済学部にきて講義したら、講義の内容は上の竹中平蔵の講義より高度なものになるだろう。
わかる?
当然そうだが、ホワイトカラーの通常の仕事と結果と比べてほしい。
配属の運や、たまたま任せられた仕事、誰に気に入られたか、など、通常の仕事のアウトプットは非常にコントロールしにくい。
何かで判断しなくてはならないとき、「比較的」平等な条件下で行われた「受験競争」は十分に素質を一定程度見極める条件になる。
別にすべての東大生が優秀だとか、すべてのF欄が無能だとかそういう話ではない。
比較的受験競争の勝者のほうが、優秀な人間が多く、無能な人間が少ないというだけだ。
そしてそういう指標は少ないから「学歴」は能力を測る重要な一つの材料だということだ。
ただ、何度か上がったように、受験戦争に参加することが貧困により許されなかったレベルの高卒の人はかわいそうだと思う。
だからこそ、そういう人のためにより一層の高校の学費の低価格化、学生向け奨学金の充実は必須だとおもう。
君がほんとうに恨むべきは、東大のようなかなり平等な競争で国公立に入った東大卒ではなく、
親のお金で慶應や早稲田の付属高校、付属中学、付属小学校などでエスカレーターで上がった人のほうじゃないか?
あるいは、国公立ではなくお金のかかる私立大学に親に補助してもらって進学して、高卒や短大卒や専門学校卒を馬鹿にする人たちなんじゃないか?