2007-04-30

仏教は心の科学」はニセ科学

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50815759.html

書評および『仏教は心の科学』はトンデモ仏教学への冒涜でしかない。

まず,

ブッダ言葉は実に「実に単純で明快で痛快」

ではない。どれが「ブッダ言葉」なのか確証を持つことができない現状では,「ブッダ言葉」は単純でも明快でも痛快でもない。

スマナサーラ氏が自分にとって都合のよいものを「ブッダ言葉」として選び出しているだけ。

そもそもパーリ語はブッダが使っていた言語ではない。パーリ語は西インドスリランカプラークリット方言みたいなもん)。「ブッダ言葉」は現在では半マガダ語もしくはそれに類似するものといわれている。

スマナサーラ氏はスリランカ言葉であるパーリ語へ翻訳された「ブッダ言葉」(それもブッダの死後200年以上を経過して)を「ブッダ言葉」として決めつけているにすぎない。

次,

以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。

天界は快楽を食べて生きる次元

みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。

でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?

仏教は仏界を目指すものであって天界のような縁起の内側の世界はフル無視で当たり前。こんなので「どこのGeek?」って驚いてたら,弥勒菩薩の世界(トゥシタ天ね)なんかは子供がひざの上から産まれてくる。しかも三歳児の姿で。Geekどころではない。無知すぎ。

次,

ブッダの教え」は、「つるむ」、すなわち組織をまとめるには本当に向かない。

いやブッダはつるんでます。ブッダサンガには多くの仏弟子が集まっていました。それから三宝って知ってますか?仏法僧。仏と法とサンガサンガって僧団ね。それに帰依しろと。ブッダがそういって死んだと書いてあるのは,ほかならぬパーリ仏典です。

同じく

生のブッダの教えは、組織人にはヤバすぎるのである。

パーリ仏典には組織の長であるクシャトリアの帰依の記述がいくらでもあります。

また,

出家根本にある限り、ブッダの教えは組織とは相容れない。

ブッダの教え」の根本に「出家」なんかない。勝手に決めないように。

次,

ブッダの教えの寛大なところは、こうした「ブッダインスパイヤ教」を邪教として糾弾しなかったこと。

パーリ仏典の記述によれば,ブッダ自身が行なっています。デーヴァダッタの仏教を。

勝手なことを言わないように。

最後,

仏教科学的な教えです。「科学的」とは、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分でも確かめられる、証拠があって証拠に基づいた話が出来る。そういうことです。

と思うならば,どうかご自分で原典なり研究書なりを当たって勉強してください。

スリランカタイミャンマー仏教は,日本仏教と同じく,ブッダの教えをいくつかのフィルターを通して伝えている仏教です。

そうではなく,我々現代人には西洋人文科学の方法論に基づく,実に科学的な仏教学というものがあります。それに基づいて話をしてください。そのフィルターを通して理解する仏教が,科学的な「ブッダの教え」というものです。

  • 増田じゃない所で書けばネタになるのに 以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。 天界は快楽を食べて生きる次元 みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだ...

  • >仏教は心の科学 日本の葬式仏教ではダメだこりゃだよ。坊主の商売道具さな。 では、 科学が一番権威で幸福をもたらすならば、科学教になればいい。しかし、その科学教が地球破壊...

  • 「スマナサーラの説くブッダの教え」をLispに読み替えたたとえ話として読まないと元の文章は分からないよ。

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