はてなキーワード: サイロとは
小学校の時、受験のために塾に通っていたが、6年生の時一人の男の子が新たに入ってきた。
授業の合間の休み時間に、簡単に自己紹介をした後に、彼はこう聞いてきた。
「子供の作り方って知ってる?」
今思うと「こうのとりが運んでくる」やら「キャベツ畑で拾った」など、面白い答えを相手は期待していたのかもしれない。
当時、その方面の知識が皆無であった私は、何も考えずに「知らない」と答えた。
その後、彼はそもそも性行為とは何なのかを教えてくれた。物凄く丁寧に。
それから受験本番まで、休み時間の度に彼は性の知識を私や他の同級生に披露してきた。
彼は、「入れる」や「なめる」など普通の言葉をワザと性的な意味で捉えたり、当時流行していた歌の歌詞を下ネタに替えて歌ってきたりしてきた。
休み時間、時折彼は股に手を当てて,あえぐ真似事をしていた。要するに、性行為の最中の女性の行動の真似をしていたのだが、意味を理解するのは後になってからだ。
女子がいる前でも彼は平気で下ネタを披露していたが、私と彼が受けていた第一志望特訓授業では、男子しかいないので普段よりもエスカレート。
何度も私は彼に「止めてくれ」「下ネタはもういいから違う話がしたい」と伝えても、彼は「恥ずかしがることはない」「本当は聞きたいんでしょう?いい子ぶるなって」とお構いなしに続けてきた。
受験の結果、私は第一志望とは違う学校に通うことになったが、彼がどこの学校に行ったのか、今でも分からない。
中学と高校は一貫制の男子校だった。とりわけ中1の時は性への関心が異常に強い級友もいたが、そのような話題を好まない生徒も一定数いるので、そのような人たちと仲良くしていた。別に下ネタを話さなくとも、別の話題で友達は作れるので、一向に困らなかった。私が「下ネタは苦手」だと伝えると、きちんと配慮してくれる友人にも恵まれた。
なお、1年近く彼から性的な言葉を聞かされ続けた結果、性的な言葉や下ネタを耳にしたり目に入ったりする度に彼のことを思い出して吐き気を催すほど気分が悪くなるようになってしまった。
電車の車内広告にある、グラビアアイドルの写真や、男性向け週刊誌の際どい見出しなど、彼のことを思い出すので、そもそも目に入れたくも無かった。性描写が際どいライトノベルなど、挿し絵を見ただけで吐き気がしてしまった。
男子校だったので、そのことが問題だとは全く思わなかったし、そもそもどうして苦手になったのかすら話せなかったから、自分から触れたくもなかった。
次第に、彼の事例を元に、このような考えにいたった。
「女性を性的な対象として見て、単なる性欲の捌け口として扱うのは失礼だ」。
例の彼は、女性を「モノ」扱いして独りの人間として扱っていないような気がしたからだ。
今でも基本的な考え方は変わっていない。
高3の時、予備校に通い同年代の女子と話す機会があったが、特に問題無く話せた。あくまでも性的な話題が嫌いなのであって、女嫌いなのではない。
同年代の女子とは普通に話せるし、気分が悪くなることは無かった。
しかし、私が下ネタが苦手であることを伝えると、一定数、恰も私の人格に問題があるかのように接してくる人が現れたのだ。中には、私が同性愛者ではないかと「心配」してくる人も。
不思議なことに、男子校出身の男子は「下ネタが苦手な人もいるよね」と一定の理解を示してくれるが、女子や、共学出身の男子は上記のような対応をしてくる人が多かった。特に男性の場合、お酒が入ると下ネタが入ってくる人がいるので、飲み会が苦手な私には二重の苦痛となった。
初めの内は、「苦手なんですよね~」とお茶を濁していたが、きちんと話さないと色々と後で困ると考え、信頼出来る人には男女関係無く話すようにした。
話していて、どうも世の中には「男性は女性に性的な関心をもって当然」との「常識」があるのだと察するようになった。
後日、「セックスレス」という言葉を知った時、「愛し合う男女の間には定期的な性交渉があるのが当然なのか?」と疑問に思った。恋愛と性行為がどうしてセットになるのか分からない。
上記小学校時代のトラウマが原因で、「性行為とは、男性が女性に対して一方的に欲情を発すること」だという印象が強く、「性行為はコミュニケーションである」という考え方がどうも理解できない。
とある女友達の「男の子ってそういうの好きなんじゃないの?」の一言は今でも忘れられない。その人は事情を説明したら理解してくれたのが幸いだったが。
別に私は女性嫌いなのではなくて、下ネタばかり言う下品な人間が嫌いなだけなのに。
そのまま時が流れた。
私は現在大学院博士課程。下ネタを聞いても吐き気を催さない程度には克服出来たが、依然苦手なままで、関心も無い。子供を作る目的意外では、性行為に及んではいけないと考えている。
研究職志望なので、将来の収入は安定しないし、そもそも出会いの機会に恵まれないだろうから、一生独身で終わることを覚悟している。
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メーカー勤務のエンジニアがいかにキャリアチェンジに失敗し、価値観の転換を迫られ変化しつつあるかについて記す。
話は2009年頃にさかのぼる。リーマンショックと円高、さらには震災により日本の電機業界は縮小を余儀なくされ、度重なる大手企業のリストラ報道に触れることで自らのサラリーマンエンジニアとしてのキャリアの継続に不安を覚えるようになった。
それ以前から自らのスキルの中核が会社の本業とは少しずれたソフトウェア、Webよりのところにあることを自覚しており、その分野での知識、経験を伸ばすことでエンジニアとしての成長、生き残りの手段と出来るのではないかと考えるようになった。
もともとネット依存な傾向と学術的な活動への未練があってはてな界隈でのの情報収集を行っていたのだが、その中で見いだしたのが機械学習関連の勉強会であった。Web業界を中心とした技術勉強会は2008~2009年頃からツイッターなどのSNSを通じて盛んになって来たように思われる。機械学習関連の勉強会参加者はその中でも博士課程進学者や社会人博士が一般の技術職に比べてずっと多く、知的エリート的雰囲気を感じるものであった。
自分が勉強会に参加するようになってから少したった2010~2012年頃になると周辺のコミュニティーはどんどんと活気を増していった。
ソーシャルゲーム業界の爆発的な成長、そこではWeb関連の技術とは異なる学術的色彩の濃いバックグラウンドを持った人間を求めていること、待遇も(安定性を差し引けば)伝統的な大企業に劣らないどころか収入、技術追求の環境としては遥かに凌駕するものであるとこと、自分と同様電機業界出身の人間も多く転身していることなどその魅力ばかりが目につくようになった。そして勉強会は新興企業が優秀な人材を獲得する場であることにもすぐに気づいた。
そんな空気を勝手に感じ取って勉強会、ブログやSNSでそこそこ積極的に情報発信を行うようになっていった。
技術情報を発信する活動は承認欲求、自己顕示欲を十分に満たすものであり、まさにソーシャルゲームがゲーマーにもたらすものを開発者サイドとして並行に体験しているような感じすらもった。しかしその魔力に取り付かれることで成熟した会社、業界内のサイロ化した技術の習得、それを用いた地道な作業の繰り返しにモチベーションを感じることが出来なくなり、次第にプロジェクトで主体的な役割を果たすことを避けていくようになった。
昼間の仕事に熱意を持って取り組めなくなったことから不眠そして鬱に悩まされ、仕事と勉学に割く時間の質と量は減っていった。
数年の年月が経過することで勉強会周囲の人間が少数は華麗に、多数はぼちぼち、あるいは人知れず職を変えていった。公の場での発表を続けるもの、所属企業を巻き込んでそれを拡大するもの、全く姿を消してしまうものなどその動向は様々であった。
周囲を見ると転職成功者はSNSを使いこなしてオピニオンリーダーとなるような行動力、コミュニケーション能力が頭ひとつ高いようにも見えた。そもそも勉強会に出て発表してある程度の知名度を得るという時点で最低限の技術力、現状の組織には依存しないという意思がスクリーニングされていたと言えるのかもしれない。
そんな周りの人間の状況や数年にわたる知識の蓄積、景気の改善や人工知能、機械学習、統計などの分野へ全ての産業が注目しているような状況を追い風と感じて2014年後半から2015年に掛けて本業とリンクした業界で活動をしてみた。
しかしながら会社において明確な業績がある訳でもなく、また活用できるような知名度や人脈があった訳もなかったからなのかあえなくお祈り攻勢にあうようになった。
もっとも同世代のより経営状況の悪い会社に勤めていた友人と比べると質、量(応募数)ともに圧倒的に少なく客観的に見ても転職の本気度が疑われるような有様で、その姿勢が採用担当者に見透かされていたのかもしれない。
転職活動の失敗と並行して仕事と勉強会関連の活動という二足のわらじに近い活動は肉体、精神の健康を蝕んでいった。
精神的な転機は職場の同期や友人の結婚、出産、親世代の訃報であった。アラサーのライフイベントを避け続けて仕事と勉学に取り組み続けることが精神的に不可能になり、元々あった不眠、鬱傾向に拍車がかかり、休職一歩手前の段階にまで悪化していってしまった。そもそもの自分の活動の契機であった電機業界のリストラに伴う人材流動化がもたらした環境の変化が社内に及びそれもまたストレスの原因となった。
恋愛関係やサークル活動などの濃密な人間関係の経験やストレス解消法が乏しかったこと(いわゆる非リア)が精神的健康の維持を妨げていたようにも思えるが、そうでもない人もいるので一概には言えない。元々の体質も影響しているかもしれない。強いて言えばストレス耐性の不足によるものだろうか。
体調の悪化や周囲の同年代のライフスタイルの変化が勉強会を中心とした活動への力を失わせ、また社内における信頼も完全に失われてしまった。
仕事での信頼、そして同期との業界知識経験の格差を取り戻すのはほぼ不可能に近く、次の景気後退、経営悪化ではリストラ対象になることはほぼ間違いない。だが生活の維持のためには地道な作業の繰り返し=労働が必須であること、自分はすでに新技術の習得でボーナスがもらえるような年ではない普通以下のおっさんになってしまったこと自覚できたことがわずかな収穫かもしれない。
研修を終えて、いまの営業部に配属されて3ヶ月が過ぎた。
営業現場のビジネスモデルは研修現場で学んだものとは全く関係がなく、
営業現場のルールは採用現場が唱えているグローバルとかダイバーシティとかにも全く関係がない。
他の会社にも当てはまると信じているが、修正点があれば指摘して欲しい。
社長:株主に対する責任があり、会社を守るために、数々の「言い訳」を作る。
(それが本当であっても、嘘であってもよい。)
事業部長:社長の方針に近い形で事業部方針を作り、数字目標をたてる。
(たいてい方針も数字も前年を踏まえた形で作られる。社内の部長報告や社外の重役との会食が仕事。)
部長:営業部毎に数字が与えられており、その数字の責任者となる。
(上とは調整、下には強制である。ただし、下のトラブルには部長が対処する。)
課長・係長:上の立てた方針は営業現場に適用できないので、目先の計画をたてる。
(上から「宿題」を与えられたら、それに答える。雑用は末端にどんどんやらせる。)
係長・末端:タスクがどんどん降ってくるので、残業してでも終わらせる。
(課長・係長は指示をするのを嫌がるので、末端は課長・係長の指示を予め予測する。)
つまり、現場は現場で動いており、会社全体と現場は別物、という印象である。
入社前は上述した日本企業的ルールに従う全てを「社畜」と言っていたが、
こうしたルールから逸脱した途端、会社からパージされる。ルールに従わなければ会社にいる意味がない。
知り合いは、「海外に行きたい」と言ってドメスティックな部署に配属されたり、
「上司が無能力」と言って閑散とした新設部署に配属されたりしている。
奴隷になりえない「わがままなやつ」は扱いにくいからパージする。
ただし、こうしたルールのもとで前例踏襲が横行し、社内変化がなく、景気変動に一喜一憂しているように見える。
現場は現場で動いており、会社内が縦割り、サイロ化しているようにも見える。
ここで、クエスチョン。
採用現場でいう「グローバル」や「クリエイティビティ」など含む「異色の人材」はどこで活かされるか。
学歴採用、リクルータ採用や推薦採用では「一色の人材」になってしまうため、オープン採用に変化したはずだ。
ところが、現場では「一色の人材」が求められているような気がする。
異色の人材はどこに消えたのか。あるいは、どこに生きているのか。
サイロ → 牛 → うっしっしー → ?