はてなキーワード: 関西人とは
世間では「明るいこと」に比べて「後ろ暗いこと」への理解が浅い。浅すぎると思う。
そもそもいつからこんなに、明るさや賑やかさが正義とされ始めたのだろう。そして明るさを「楽しい」と変換する安直な人が増えたのだろう。
「性質」と「それがもたらす感情」は別物なのに、ごく当たり前のようにいっしょくたにされすぎである。自分の中できちんと「楽しい」に変換されたなら全く構わない。し、社訓や集団のスローガンに沿っていっしょくたになる場合は往々にしてあるから仕方ない。
けれどよく考えずに、よりによってその場の空気なんかで「楽しい」としているのはいただけない。
後述するように、思考を放棄すると自分のためにならないからだ。
明るく賑やかなものに触れると楽しい。後ろ暗いものに触れると気が滅入るし嫌だ。だから暗さは人生に必要ない。Q.E.D。
ここまで解いてペンを置く人たちが意外と多くて恐怖をおぼえる。はたしてそんなに簡単に証明できるものなんでしょうか。まだ終了のチャイム鳴ってませんよ。まだまだ考える時間はたくさんありますよ。ゲーデルの不完全性定理みたく証明できないということを証明しても間違いじゃないんだから、もうちょっと考えましょうよー!
情報が増えSNSが普及し、みんなが広く「人と比べる」ことを始めてから、世の中ではグッとわかりやすいものへの評価が高まった。
わかりやすいというのは、説明しやすいということだ。「楽しい」はわかりやすい。他者との濃密なコミュニケーション。よろこび。平和。笑顔。健康。皮肉にも先人たちのブランディングのおかげで、個人に沿ったものかは別として楽しいシチュエーションなんて山ほどあげられる。フェス。海。BBQ。友人とのランチ。家族との食事。etc……。
それに比べて「気が滅入る」「嫌」はどうだ。「楽しい」ほどポンポンシチュエーションが出る人は少ない気がする。
それは人によって全く違う形をしているのと、「嫌なことなんて忘れて、楽しいことだけ考えないと人生もったいないですよ♪」というひとつの考えが蔓延しているからだ。
はたしてそれがみんなに適応する考えなのだろうか。楽しいことだけで自己が形成されているわけなんてないのに、臭いものに蓋をしてしまったとき、ひずみが生まれないだろうか。そしてそのひずみは、今すぐでなくても時間をかけてゆっくりと自分を苦しめたり、あるいは自分が無意識に他者を攻撃する原因になったりしないだろうか。
私の母はもう還暦になるが、家の中でひとりでボケてツッコんで、永遠に喋り続けている陽気な関西人だ。器用で頭の回転が速く、生活力も抜群に高い。何をやらせても80〜120点でこなせるタイプで、どこでも重宝されて生きてきた。
母は子供時代、友達と遊ぶことを許されなかった。共働きの両親の代わりに家事を引き受け、弟の面倒をみた。ランドセルを放り出して遊びにいきたいのをずっと我慢して、結婚して家を出るまで一生懸命家族に尽くしてきた。
年月は流れ、両親も母も歳を取った。いざ相続に関する話が出たとき、母の親、つまり私の祖父母は露骨に弟を贔屓したそうだ。
母は当時50代だったが、そこから何年も「男尊女卑精神が染み付いた両親」と向き合うことになった。
『思えばずっと、あの家が嫌いだった。ずっと、両親の弟贔屓が嫌だった。でも、嫌ってしまったら「嫌な家庭に生まれた人間」になってしまうから考えないようにしていた。年老いた親を嫌うひどい人間になりたくない』……。
さめざめと泣く母を見て「別に実の親のこと嫌っててもいいじゃん。そういう自分を認めていいじゃん。『私はあの人たちを嫌いで理解できない』ってことを自分で理解しておけばいいじゃん」と言った。
これは言わなかったけれど「私は絶対に自分の中の『暗い部分』や『何かを嫌う理由』と向き合っておこう」と思った。
私は母と違って生活力もなければ大抵のことが40〜50点しかできないし、場合によっては0点も当たり前、でもある特定の条件が重なると涼しい顔で200点を叩き出せる、そういうタイプの人間なのでより一層そう思う。
これは私の持論だが、これから先もずっと自分の弱い部分や後ろ暗さ、悲しみや憎しみについて考えなければならないと思う(楽しいことなんて放っておいても無意識に考える)。
「ずっとトラウマを抱えるな」「いい大人なんだから忘れろ」「うじうじするな」「そんなこと考えて人生楽しい?」とかなんとか言ってくる人がいる。けれど、そもそも簡単に忘れられないからトラウマなのだし、「いい大人」なんて曖昧な言葉が理由になることなんてないし、うじうじしているのではなく向き合っているのだし、人生は広い目で見ると楽しいけどピンポイントで見ると全然楽しくない、そういうものだと思ってます。
勘違いされたくないから強調するが「『暗い部分』や『何かを嫌う理由』と向き合って昇華し、キラキラすっきりと生きていこう♪」という能天気なことを言っているわけではない。無理無理、それは私には無理。ずっと私は暗いもん抱え続けて生きているし、嫌なもんは嫌なまま。
その理由を言葉で説明できるようにしておくと「本当に無理なこと」を避けられる。客観視できるまで噛み砕いておくと「これに関しては私のバランス感覚がおかしいのだな、人を選んで主張しよう」「これは今いる環境によって自己がブレてしまって起きている事象だから、あまり気にしないでおこう」と判断ができる。
自分を知るという槍、客観視点という盾で戦うしかない。転生したらきっとチート主人公になれるのだから、今世ではとりあえず、武器を持って立ち上がろうと思う。
「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」を見てると、関西各地の解放戦線の不甲斐なさに、麻実麗が発破を掛けるセリフの一つに「そんなんだから三重は中部に行ってしまったんだろ!!」というのがあった。
言われてみれば確かに三重県って、昔はもっと関西扱いされていたと思うけど、いつの間にか関西って括りで語られることがなくなったような。
少し前までは三重県は関西?中部?みたいな話のネタがあり、三重県のホームページにすらその話題がある(どちらかといえば中部地方というより、東海三県で語られることが多い気もするが)。
https://www.pref.mie.lg.jp/KIKAKUK/HP/renkei/09519011959.htm
でも今じゃ三重県は関西?中部?みたいな話のネタすらなくなり、関西とは二府四県のことであり、三重県は含まないというのが完全に定着した感がある。実際、今回やってる翔んで埼玉もそうだし(一応、奈良から滋賀に行くのに三重を通ってるのに話題すら触れない)、少し前に見かけた関西の夕方の情報番組で、三重県の名張の街ブラロケを「久しぶりに関西以外にやってきました」って言ってたこともあるからな。
こち亀の40巻で、三重県の松阪出身の法条正義が両さんから関西人呼ばわりされているシーンもあるし、昔は三重県は関西に含まれる扱いだったのに、いつの間に関西を離脱したんだろ。
ちなみに元巡査部長の指導を負担に感じたことがあるのは被告人だけではなかった。
被告人、被害者と同じく河瀬駅前交番に配属され、ともに働いていたもう1人の警察官が、午後に証人出廷した際、次のように語った。
「同僚からは異動前、被害者は『厳しく細かい方』だと聞いていた」
実際に、3人での勤務中、書類作成時に被害者から12〜13回もの修正を求められた被告人が、夜中まで対応している姿も見ていた。
だが証人自身は、一緒に働いてみて「ちゃんと教えてくれる人なんや」という思いに至り、指導を受けることで「自分の実力が上がる」と考えるようにもなったと語っていた。
さらに、事件の前年度まで被害者とともに働いていた元部下の調書では、被害者の指導の実態がさらに明らかになった。
供述では、当時の辛い状況を振り返りながらも、やはり先の証人と同様、“愛のある指導”だったとも語る。
「口が荒く『アホ、ボケ』などが口癖だった。相手を侮辱しているわけではなく関西人によくある挨拶がわりだった。
何を言っても『それは違う』と否定するので、嫌になり、言葉を選ぶのが難しく、自然と話しかける回数が少なくなった。会話は減る一方だった」
という元部下はしかし、こうも語った。
「被害者は刑事出身で特に書類に厳しかった。指摘を受け毎回書き直しをしていた。ちょっとした間違いでも指摘してくるので正直気持ちよくはなかったが、書類作成の能力が高くなったのではと思う」
さらに、
「その姿はパワハラに思われるかもしれないがただ単に自分の仕事の出来が悪かった。
異動直前の送別会で初めて酒を酌み交わしたとき『よう頑張ったな、これからも頑張れよ』と言われた時、これまで自分を育てるために厳しくしていたのだとはっきりと分かった。感極まり号泣した」
と供述を終えたのだ。
被告人は勾留中に開示されたこの元部下の調書を読み「自分より厳しい指導を受けていた、それでも潰れなかった。被害者は自分を育てようとしていたのだとわかって後悔し、うつ状態となった」(弁護側冒頭陳述より)という。
厳しい指導に隠された裏にある上司の思いというものは、その指導が終わってから気づくことのほうが多い。また同じ指導でも、教える側の人格、教わる側の人格により、まったく違う結果を生む。