はてなキーワード: 支那そばとは
でもそうしようとすると食べたことあるものだけリピートしがちなんだよなあ。
俺の舌はとても上出来に安上がりだから大抵の食事はうまいと感じるはずなんだよなあ。
じゃあどこ行ってもいいじゃん!とも思うんだけど、ごくたまに「なんでこの店建ってるんだ…?」みたいな壊滅手作り飯を出してくるとこあるじゃん?比率としてはごく僅かであろうそれに当たりたくないんだよなあ。
グラタン食いてえな。容器の縁でチーズがグツグツいってるような、焼きたてのやつ。
ラーメンもいいよな。なんか違いがわからないから、多分ラーメンでなくとも近縁種ではあるだろうと思うから挙げるけど、支那そばが好きだな。たまにお麩が乗ってるやつがあるんだけどあれが特に好きだな。
あと麻婆豆腐、麻婆豆腐もいいな。広東風と四川風があるらしいんだけども、初めて巡り会ったのが四川風だから四川風の方に寄って行っちゃうんだよな。付け合わせのスープで舌が痺れるくらい山椒入れてもらうのが好きだな。
ごくたまに食べるプリン。
鮭のホイル焼きに入ってるしめじと人参の鮭の油?何らかのエキスが混ざってるあたり。
縁日のたこ焼きの、普段やってないんだろうなあって婆さんが作ってるやつ、めちゃくちゃうまいか食った後腹具合が心配になってくるかの二択だよな。
上にゼリーみたいなのが載ってるタイプのチーズケーキ、なぜかあれ見るとワクワクするんだよな。多分、小さい頃にいい思い出になるような形で食わしてもらったんだと思う。
豚汁。
グリーンカレー。普通のカレーももちろんそれはもう好き。スパイスカレー?はものによる、なんかの種みたいなの食わされるようなのはちょっと苦手だな、喉にひっかかるんだよな。
何ヶ月か熟成する方の生ハム。しば漬け。半熟じゃないオムライス。白子の天ぷら。舞茸の天ぷら。しいたけの天ぷら。タルタルソースの白身のフライ。衣がバキバキにとがったとんかつ。マッシュルームとブロッコリー多めのシチュー。キャベツのなんか塩とごま油のやつ、名前忘れた。タイだかのなんかちょっと辛いチャーハンみたいなやつ、焼きそばみたいなやつもおいしかった、名前がわからないし、なんなら本当にタイ料理だったかどうかも思い出せない。梅水晶。卵載せて天かすいっぱい入れたうどん、の最後の方の汁が天かすと卵でドゥルドゥルになってるあたり。イカフライ、イカリング。串カツ。サバの塩焼き。チーズバーガー、どこのチェーン店のやつでも。牛すじ、モツ煮、キンカン。アスパラ。
普通に腹減ってきちゃったな。何食べようかな。
駅前で徳三郎が五平餅を売る姿は、戦前の果名村の風景そのものであった。もともとは村の者ではなかった彼が屋台を営む姿は年月とともに周囲へ溶け込み、その存在に疑問を抱く者はもはやなかった。
木造駅舎の改札を出ると、小さな広場の向こうに商人宿がある。その軒先に徳三郎は質素な屋台を据え、七輪に火を起こし、金網に五平餅を載せて客を待つ。
森深い谷間に取り残されたような果名の駅にあえて降り立つ人々は当時それほど多くはなかった。早朝から町で用を足して帰ってきた村人を除けば、大きな荷物を担いで山間の村々を歩いてきた行商人や、近隣の温泉場から渓谷へ遊びに来る湯治客くらいであった。
そのような駅の前で生業を営む必要が何処にあったか、餅を買いに訪れる村人が冗談めかして尋ねたことは一度や二度ではなかった。その度に徳三郎は含羞めいた笑みを穏やかに浮かべるばかりであったという。
柔和で笑みを絶やさなかった徳三郎には村内で客がついたものらしく、屋台は続いた。だが五平餅だけで生計を立てることは難しかったのか、同じ屋台で支那そばも売り始めている。当時はまだ新しい食べ物であった支那そばを作ることのできた徳三郎は、都会育ちであっただろう。村に唯一残されている屋台の写真には「羅宇麺」と書かれた立札が見える。徳三郎の作る支那そばは温泉客のあいだでも評判を呼んだものらしく、当時の温泉街の冊子には「果名ノ羅宇麺」として紹介されている。
だが屋台の繁盛は徳三郎の逮捕により終焉を迎える。ある晴れた日、駅から出てきた男女二人連れの姿を認めた徳三郎は、広場で女に襲いかかった。馬乗りになって首筋に千枚通しを突き刺そうとしたところで村人に取り押さえられている。警察の調べに対し徳三郎は「許せなかった」とだけ語り黙秘を貫いたとされる。徳三郎が村にやってくる前の恋愛事件に起因する私的怨恨説が村内でまことしやかに取り沙汰されたが、真相は不明なまま村は戦時体制へ突入していった。
戦後まもなく、徳三郎の駅前屋台は一時的に復活している。神社の軒下で寝泊まりしている人物が徳三郎であることに気づいた自作農家の幣原元彌氏が徳三郎の身柄を引き取り、再び屋台を持たせた。徳三郎の人となりを知っており、彼が作る支那そばの味を懐かしんだ幣原氏が「おめが羅宇麺をまた食わせてくれや」と懇請し、元の場所へ屋台を設置する資金援助を申し出たものであった。
近隣の温泉地は進駐軍の保養地として接収され、果名村にも米兵のジープが度々姿を現すようになった。米兵から手に入れたコカ・コーラを支那そばのスープに隠し味として入れる手法を徳三郎が考案したのはこの頃であるとされる。彼が生み出した味は、再起を助けた幣原氏への感謝を込めて「おめが羅宇麺」と名付けられ、中部地方を中心に戦後の日本に広まった。
漢字(やひらがな、カタカナ)でchina(支那)がダメなら南シナ海や東シナ海、支那蕎麦とかもダメになるんでしょうか?と疑問におもってしまう。蒋介石がなぜか嫌って戦後、それを使うなって圧力を掛けたことがきっかけとも言われている。べつに馬鹿にした言い方ではないし、単純にchinaを日本読みして漢字に宛てただけだからな。江戸時代では普通に用いられてたわけだし。蒋介石といえば沖縄分断工作をしていたらしいという…(証拠、ソースは持っていないけど)。
https://otonanswer.jp/post/8178/
因みに私はシナ(支那)じゃなくて中華でもいいと思う。ただ東シナ海や南シナ海、支那そばだけはちゃんとシナと使わせてほしい。それで中華人とかって言っているけど、それは日本の中国地方と被るのを避けるため。でもだいたいがこちらの気分でそういったり言わなかったりしているけど。
池袋に長年住んでいたんだけど、小さい頃芸術劇場の向かい側(丸井側)に松もとってラーメン屋があった。
今は揚州商人になってる。
俺が小学校位までは池袋には今みたいにラーメン屋なんて全然なくて、大勝軒は有名店で並んでたけど、
30歳以上の池袋の人間は福しんの手もみラーメンがソウルフードだって人多いと思う。
話が逸れた。
透き通った魚介系の出汁のシンプルな塩ラーメンの上にラー油を絡めた白髪ネギが乗ってて鰹節が散らしてあった。
それが大好きで、家族で松もと行く度にネギ支那そばばっか食べてた。
でも2004年位には池袋店は閉店して揚州商人になってしまい、もう味わう事は出来なくなった。
大人になってもあのネギ支那そばが食べたい想いは消えなかった。
色々こってりあっさり話題の店にも行って美味いラーメン食べたけど、思い出の味には勝てない。
そこから10年も経ったつい最近、何の気なしに入った幸楽苑でふとメニューの写真が気になって塩ねぎラーメン頼んだら、
なんとまぁ見た目も味もほぼ思い出の中の松もとのネギ支那そばなんだよ。
びっくりした。あんだけ恋い焦がれてた味にチェーン店で、税抜き490円で再会できるとは。
直接松もと幸楽苑に関係は無いとは思うけど、近いスピリットのラーメンはきっとどこかで受け継がれるのだ、感慨深いなぁという事を、
信憑性は読む人に任せるけど~
と、付記されて示されたURLに、支那がどうとかなどと書かれていて目が滑った
メンヘラで変なスピリチュアル系のセミナーにも引っ掛かってたけど
今はそこそこ普通の生活送れてるイメージだったのにいつの間にそうなった
一般的ではない国の名前を使うサイトを論の根拠として示されましても応対に困るわ
日常会話で黒人のことをくろんぼって言われた並みにどんびきしてる
ほんとキツいわ
昔なじみが劣化していくみたいでまじキツい
もっと普通の言葉で安保の重要性語ってるサイトなんていくらでもあるじゃないか
特定クラスタに好んで使われる、昔はともかく現代じゃ一般性のない国名使ってるサイトに信憑性もクソもないわ
がっかりだわ
佐野実の店に限らずラーメンの旧称である支那そばはいまも生きている言葉で、
どの地方にもそういう屋号や品名としてラーメン出してる店は残っているもので。
ラーメンマニアでなければ知らない、使うはずもない類の言葉でもない。
中国との軋轢と緊張が高まっている近年、支那という語はネット上に飛び交っているし、
そもそもなぜ中国人が支那と呼ばれることを嫌うのか、なぜ辞書で変換されないか、
ここに一度も意識が向かないというのは、社会に対する問題意識が低いと言わざるを得ないんじゃないかな
MS-IMEは新聞から語彙収集してるからというなら差別語がでないというなら、
新聞などで目にすることのできる滑舌や巨乳という語ぐらい辞書変換できないのはおかしい話で。
基本的に市販されている一般的な国語辞典ベースでそこから特定のコードに引っかかる語彙を間引くという方式で変換辞書作っているものだから、
地獄のミサワ的な言い方になっちゃうけど、いまさら感が非常に強い。
ATOKの変換語彙自主規制は90年代半ばにはすでに実装されていて、
その規制語彙の一覧などを見れば、
一度も気づけないなんてことが考えにくいほどに無茶な規制を組み入れている。
”不快表現、差別語なんて一般的な場面ではつかわねーから気づくわけないだろ!”
たとえばラーメン店の屋号としてつかわれる支那そば屋の支那をなぜ変換できないのか、
なんてことに人生で一度もぶち当らないで済むような上流階級の貴族様や、
ぶち当たっても変換できないのが当然と思ってスルーしてきたような問題意識の乏しい人が、
だれかがATOKに変換語彙自主規制が導入されていると言っているのを耳にして、
にわかに「20年来のパートナーと別れる」なんて言い出すのなんて、だっせーなとしか思えない。
古女房がプロ市民として長年活動していることを他人から指摘されて初めて気づいて、いきなり離婚すると言い出すような。
程度の差こそあれ、MS-IMEにも表現規制は導入されていて、
メーカー側の勝手な配慮により自動変換不能にされてる語彙は少なくないことからすれば、
他に十分な変換機能を備えたまともな選択もない以上、実際に使う使わないかは別として、
ジャストシステム様が「おめーらには使わせてやんねえ」とのたまってるド下品な語彙リストを
ユーザー辞書としてぶち込んで抵抗してやるぐらいのことしかできない
・・・はずだった状況もGoogle日本語入力が登場するまでの話で。
盲滅法もつんぼ桟敷も一発で変換してくれる素敵な変態IMEのGoogle日本語入力があるんだから、