ライターを目指すことと、自分語りをすることはだいぶ違うと思うのだけれど、どうなんだろうか。
エッセイストを目指すというのなら理解できる。でも「ライターとして文章を仕事にしたい」って、そういうことなのか?
自分の感動を不特定多数の人間に伝える記事が書きたいのか、不特定多数の人間に共感される記事が書きたいのか、どっちでもいいけど、そんな仕事って?
例えば最近むちゃくちゃ多い逃げ恥の記事は、作品の客観的な分析があって、そこに「なるほどねーたしかに」っていう納得という意味の共感が生まれてはじめて成り立つのであって
自分の経験からくる感動をひたすら書きなぐって一部から共感を得て……それだけでお金が発生する仕事にはならないのでは?と感じる。
うまく説明できないけど。
気持ち悪いというか、こわい。
わたしがいまこれを書いているのは、このもやもやした気持ち悪さを整理したかったのと、誰か一人でも、なんとなくでも共感してくれたら「わたし間違ってないよな?」っていう気持ちが満たされるだろうと思ったから。自分のためだ。
でも友人は、こんな自分語りの文章にお金を出すよっていう人がいると思っているということだろうか。自分のものの見方、感じ方に価値を見出す人がいると。
理解できなくて怖い。
「能町さんのようになりたい」とか言ってくれればすっきりするんだけど。
ライターとは。
別にいいんじゃないの。 新時代のライター・スタイルとして一世を風靡するかもしれないじゃん。 デビュー前から、既成の枠に押し込めようとするのは才能の芽を摘むようなものだよ。...
例えば、スタパ斎藤と同じスタイルのライターって他に居ないと思うけどちゃんと仕事になってるしね。 たまには中村うさぎのことも思い出してやって下さい。