はてなキーワード: バタフライナイフとは
人生で一番きちがいだった時期。小便をおーいお茶のアルミペットボトルに入れて街を散策した。
女にぶっかけてやりてえ、なんて思いながら。
それを持っているとバタフライナイフを持った中学生みたいな感じで、無敵感に包まれてた。
女子高生、女子大生、OLなどいろいろ物色しながらポケットのおーいお茶しょんべんを握ってた。
こいつらを汚す権利が俺にはあるんだと思って、本当にウキウキしてた。なんでもできる。
ギャルを汚すか清楚系を汚すかエリートっぽい女を汚すか。街を歩いているだけで楽しくて、ニートの
俺がしばらく感じたことのない高揚感。
しばらく歩いたのち、ちょっとおーいお茶の様子を確かめようと人影でポケットから取り出した。
激臭がした。え? 蓋閉じてるのにめっちゃ臭いんだけど。って思って一気に萎えて捨てて帰ってきた。
■追記
思ったより反響があった。
古い話で恐縮だが、フジテレビの大昔のドラマ、キムタク主演のGiftってのがあって、
それにアホ娘役で篠原涼子が出てたんだけど、素晴らしくアホでかわいくて大変良かった。
あのドラマはなんかよく分からんが確かバタフライナイフがアレでナニという理由でDVD化されてなくて、
そういえば、木更津キャッツアイに出てたモー子役の酒井若菜もとんでもなく良かった。
どうも私は、アホだけど憎めない娘、という役どころがそもそも好きみたいだ。
更に思い返せば、もっと大昔の子供の頃なので覚えてない、トレンディドラマ()の何かに、工藤静香がやっぱりアホ娘の役で出ていてすごく良かった。
工藤静香自体には当時も今も一貫して良さを全く認めないのだが、ドラマのタイトルを思いだせもしないその役の工藤静香だけはすごく良かった。
●起きるの章
猫を背負って町を出て、何かでっかいことをしたいんだと思う中流ドロシー(少年・トゥーナイヴス)。
猫(型マスコット、喋れる魔法少年のしもべという設定)のトト。
◆◆◆
●承るの章
台風がやってきた。暴風警報が発令され、休校になった。少年ドロシーは退屈だった。
飼い猫トトとバタフライナイフとカッターナイフとLEDのライトとかたく焼きしめたパンをリュックに詰めこんで家を出た。
書き置きには「パパママごめんね僕はヤンキー とても口じゃ言えないくらいの 退屈な大人になんかなりたくないんだ ドロシー」
街で遭遇した交通事故。台風の所為かやじ馬はいなかった。少年ドロシーと同年代の被害者。
即死だったのだろう。
足元のナイキのエアマックスは雨に濡れているがとてもきれいだった(状態が良かった)ので、ドロシーは盗って履いてみるとぴったりだった。
背負ったリュックからトトが姫姉さまの声で死んだ人のものをとるのはやめなさいって言った。ドロシーにだけ聞こえる声で。
◆◆◆
●転がるの章
道すがら出会うのは
過剰な知識が人格を破たんさせたのか、博士はラブドールで腹上死。しかし、そのとき奇跡が……。
自称マッドサイエンティストにして非科学的存在、メガネと白衣のDr.スケア=クロウ。
ブリキとは武力。労働13号(レイバー13orロボット13)という林業用自立歩行作業用機械にして、見た目はゴスロリ美少女。
あまりにも勇敢過ぎて、腰抜け呼ばわりされただけでプッツンきちゃうんです。
「誰にも腰抜けなんて言わせないぞ"Nobody calls me (man)chicken"」が口癖。
僕に踏まれた町にして僕が踏まれた町のルビータウンから出るために1人の少年と3人の美少女(非人間)と1匹の猫がたんけんぼくのまち。
町を徘徊する一行の邪魔をする暇人、「XA(イクサ)の戦士」が送り込む刺客たち。基本的に少女たちが勝手に倒してくれた。
だいたいそういう展開がワンクール続いた。最終回直前。中ボス的存在が登場。
少年ドロシーは両手にナイヴスを握りしめ、エアマックスで大地を踏みしめ、町を駆け抜けた(逃げ出した)。
◆◆◆
●結ぶの章
町から逃げ出した(逃げ出せた)、少女たちからも逃げ出した少年ドロシーと飼い猫トト。
辿り着くのは最果ての街トウキョウ。
だけど、本当は全部に認められたかっただけと10年後に気付きそうになるけど、そのうちドロシーは考えるのをやめた。
トトはもう死んだ。
たまに聞かれるんだが、いつ頃からかアホらしくて答える気にもならなくなった。それでもまだ聞いてくるヤツがいるから呆れる。私と同じ立場だったとして、理性があれば本当にそんなことを考えるだろうか?それとも、単純に相手が私の立場を見えていないだけだろうか?
確かに、同世代で結婚している人間もいるし、子供がいるヤツもいる。友人の中にもいる。でも私にとっては、そっちのほうが特殊に見える。それが彼らの当たり前なのかもしれないが、少なくとも私にとっては特殊だ。だったら単に私のことが見えていないだけなんだろうな。私は特殊なんだろうか。果たして。そうは思えない。とても。
27歳。団塊ジュニアより5年ほど下か、ゆとりより5年ほど上か。
我々と大体同世代になるのは、サカキバラの東くん、バスジャックのネオ麦くん、芸能人はよく知らないけど、最年少で芥川賞だった人とか、思いつくのはそれぐらい。
我々の世代の流行といえば、イジメ、キレる十代、円光、バタフライナイフ、オウム真理教、あとなんだろう、時事としてはそんなもんか。
ソ連も一応は知っている。ベルリンの壁も知っている。教科書でも習った。ソフホーズとかコルホーズとか、五カ年計画とか、過去としてではなく。
私は映画が好きだったから、子供の頃はベトナム戦争の映画ばかり見て育った。洋画と言えば、ハリウッド映画と言えば、どこもかしこもベトナム戦争だった。
バブルも崩壊直前直後だけを知っている。平成米騒動とかもあったっけ。覚えてないけど。
小学生の途中で土曜日は完全に休日になった。確か卒業間際だったと思う。
小学校は4クラスあった。中学は6クラスだった。我々以降はどんどんクラスの数も減っていっていたと思う。少子化の走り。
失われた20数年とかリーマンショックとか重なっているけれど、もう物心ついたときにはそういうのは当たり前。
日本が経済世界一だったことがあるってのも幼い頃の記憶であるかないか程度で、実感としては残っていない。
だから、老人が言っていることは何一つ信用できないし、そもそも老害としか思っていないし、老人が作った会社も信用していない。そしてその老人が作り上げ、老人にて成り立っているこの社会も信用していない。参加したいとも思わない。早く逃げ出したいというのが本音だ。
老人は我々を食い物としか思ってないだろう。我々を奴隷としか思っていないだろう。彼らは自分の息子に対してでも、まともに人扱いしているのか疑問に思う。私から見れば、彼らは自分にへつらうか、同調するか、そういう人間以外は取り合わない。取り合ったところで果たして人間扱いしているのか、上手く使おうとしているだけにも見える。そして、私はそれだけは絶対に出来ない。吐き気がする。
今思えば、そういう反発、反発ではないな。脱却、逸脱、それはずっとあったのかもしれない。子供の頃から、学生の頃から。大人になっても。
老人と若者の世代間闘争とか、感覚のズレとか、大昔からある話だと言うけれど、今と昔が違うのは、その数の割合であって、社会が成熟した今は老人が圧倒的に多い。若者の反発などは、存在したとしても見向きもされないほど無力だ。そのことが老人には理解できるだろうか。丁度今中国と日本が戦争するようなもので、力も数もジジイたちが握っている。我々は既に諦めている。
私は外国のニュースを見るたびに思う。40代の首相がいる国だったり。26歳のCEOが老人たちの会社を、一瞬で、理解も出来ないようなサービスで、追い抜いたり。老人たちはその自らが作り上げた狭き共同体の中で、どう考えているのだろうか。狭い中で権力を奮ってはいるものの、それが井の中の蛙であるということに対して、そしてその井戸は、自らの無能によって自ら侵食や崩壊を招いていると言う事実に対して。老人帝国は無視されて終わるか、食いつぶされて終わるだろう。このままだと。私は別にどっちでもいい。同国人として多少なりとも憂う気持ちはあるけど、関係ない。どうしようもない。
一芸がある人、世渡り上手な人、金のある人、上手くいってる人は同世代にだっていくらでもいるだろうから、彼らはただ好きにがんばってください、としか言いようがない。ただ、それらを何一つ持ち合わせていない私のような人間は、ただただ毎日を成り行きに任せて過ごすしかない。普通の人が普通に暮らし、普通に過ごせて普通の人生を歩み、普通の生涯を終える、そういう絵に描いた普通は、今の私にとっては理想でしかない。理想、理想ですらない。私はそういう普通を望むことすらしなくなった。どうでもいい。
キムタコ?だかがバタフライナイフをドラマで見せびらかした直後、
んー。その件に関しては別にバタフライなくてもやったんじゃね?
まぁ『殺人者の心理学』を全面的に支持するわけじゃないが、FPSとかが殺人のオペラント動機付けみたいになるのはわかる気が。でも受動メディアに関しては懐疑的かも。だってグロに対してなにか報酬があるわけでもないし。そういうのに興味を持っちゃう子、実践しちゃう子は分けなきゃだし。いずれにしろ統計的に有意な差が認められないなら気分で「アレはダメだコレはダメだ」いうのはバカ(資料があるようならどなたかご教示を)。
http://anond.hatelabo.jp/20070921150504の人も含め、結論において同意。
キムタコ?だかがバタフライナイフをドラマで見せびらかした直後、
中学生だった僕の周りでもバタフライナイフを持つのが大流行した。
日本中でも大流行していたようで、そのナイフを使って教師を刺殺する事件さえ起こった(ソースなくて恐縮だが)。
僕自身も、小学校の頃はケンシロウになりたかったし、かめはめ波の練習だってした。
放映自粛だの、アニメやゲームの影響を受けた少年だのが出てきて、
「そんなマネするやついねーよw」とのたまう人が出てくるたびににこの話を想起する。
影響受けない自我が確立してる人が、影響受けないぞこんなん、放送しろ! と力説するのはどうなんだろう。
真似するのはいつも、そういうのが確立していないアホアホ少年少女やDQN(もちろん少数)ってもう判明してるんだから。
そして、テレビで放送するということの影響力は上記の例からも分かるようにけっして0ではない。
影響力は真実10くらいなんだろうけど、世間一般の人は、初耳の未知の世界の話だし、過剰反応して100くらいに考えてるんじゃないかな。
そうだとすれば、放送を敢行すれば大多数である一般の人からのクレームもつきやすくなる。マスコミもおもしろおかしく煽るだろうしね。
なら放送局としては、放送しないでオタにあーだこーだ言われる方がコストは遙かに低いと考えると思う。
「放送しなかったからもうその局のアニメは見ねーよ」っていうオタはいないだろうし。
じゃあそういう過剰反応をしないようにすればいいんだけど、まあ不可能だろうね。
知らない世界の話に恐怖や嫌悪感を覚えるのは人間の心理だから。
ましてや一般人が日頃から非難の対象としているオタクが懸命に擁護してるのを目の当たりにしたらね。
なんていうか、構造上の問題だと思う。
アホアホに「見るな」といっても見るし、一般人に「そこまで影響受けるものではない」と説いても無駄だし。
解消しようがない。
アニメを、そういうアホアホが現れて放送が自粛される可能性があるというものだと考えるしかないと思う。