2023-03-14

多世界解釈に基づきシュレディンガーの猫を考えるとして、私が観測者だとします。今観測したら猫は死んでいました。しか多世界解釈では生きている猫を観測している私がいる世界観測から観測後の分岐先の世界として対等に存在していることのなります

ここで生きている猫を観測している私も死んでいる猫を観測している私も同様に私であるはずです。しか現実として現前の猫を観測している私をカッコつきで「私」と表記するとすれば、この「私」は観測する前から観測後までに、猫が死んでいる世界に進んだことになります。なぜ生きている世界ではなく死んでいる世界に「私」がいることとなったのでしょうか?

これは猫が生きている世界の私も同様の疑問を抱いているかもしれません。ちょっと何を言っているかからいかもしれませんがわかる限りで答えてくれるだけでもありがたいです。

  • 多世界解釈においては、観測前の状態において、あなたを含めたあらゆるものは、あらゆる可能性を含んだ状態の重ね合わせに存在していると考えられます。したがって、猫が死んでい...

  • 猫が死んだ世界にも猫が生きている世界にも「私」がおるんやで。

    • 解釈理論上存在している対等な私たちと特にその解釈を知らなかったら無かったことにされてる私を取り除いたあとに残る、現実にある観測結果を目撃している私を「私」として区別し...

      • どっちの世界の「私」も「なぜこちらの『私』だけが選ばれたのだろうか?」と考えとるで。そこに非対称性は存在せえへんで。

        • そこまでわかったうえでなお腑に落ちないんだよ。なんでそっちじゃなくてこっちの立場なんだろって。あっちの世界のやつも同じ問答してたとしてもあっちのやりとりは覗けないのだ...

          • 「なんであっちじゃなかったんだろ」って、本当にあっちにいってたら「なんでこっちじゃなかったんだろ」って思うだけやんか。

            • だからどういう規則性というか基準でそっちいくかあっちにいくかみたいな結果が出たのかってことよ

              • そもそもどっちにも行ってるんやから規則も基準もないやん。振り分け自体が行われとらんのよ。 全身にカードを隠しといて観客が答えた数字のカードだけを取り出してみせるマジシャ...

                • でも一つの認識主体に注目したらどこかにしか行ってないよね。そこら辺が気持ち悪い。これを気持ち悪いと思ってない人の大抵はわかったつもりになってるだけだと思う

                  • どっちも同質同等の「認識主体」やけど互いの観測ができへんから「私が唯一の認識主体や」と錯覚しとるだけやで。

                    • だからお前の言ってる認識主体とはおそらく意味のすり合わせはできてないんだって。

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