2020年08月09日の日記

2020-08-09

まさに増田みたいなのを人間好きという

恋人いたことはある。複数回ある。

↑ まさに こういうこと

 

人と一緒いることが喜びになる人は、

コミュニケーション能力健全関係を維持しようとする責任感 がなくたって

特に理由無く誰かと一緒になってしまう。そうして不毛なやり取りを続ける

 

あるいは妥協我慢適当パートナー関係を結んだあとに、パートナー関係を解消せずに理想相手を探しがち

 

人類は割と古代から人間が好きじゃない。身内にだって手厳しい

人間が好きじゃない(興味がない)人の一緒にいて不快じゃないの基準は厳し目

理由もなく誰かと一緒にはいない

anond:20200809012638

めちゃめちゃふつうの話してるで。

セックス込みの異性の友人が恋人

役所に届けたのが夫婦

長期間協力して生活しましたねっていう実績が夫婦愛だろ(つまり本当は愛は感情じゃない)

それ以外の要素なんかある?

anond:20200807171013

これ、「男女逆なら散々叩かれるはず~」というコメント結構見たけど、個人的には挙げられる例がなんかピントずれてる気がするんだよね。

男女逆にした例として、

ナース服と献身的で優しい女性萌えるから看護学校に進んだ」とか

「華やかでスタイルの良い美人が多かったかアパレル系の職場で働いて毎日目の保養にしてる」とか、

だとニュアンスが違って、

普段コミュ症だけど宮沢賢治話題になると銀河鉄道の夜ブルカニロ博士篇について熱く語りだし、その後はオノマトペで会話しようとしてくるような浮世離れした文学少女が好きで~」とか、

ハリネズミとか芋虫みたいな服を最高に美しいと思って真剣デザインしているような独創的な世界観女性が好きで服飾系の学校に進んだが…」とかそういう話だよね。

(詳しくない分野なので例が微妙申し訳ない)

まり増田にとって実利はないんだけど、「相手が好きなものに熱中し、その道を真摯に極めていく姿」にフェチズムを感じていると思うんだよね。

相手の視界に増田が入っている必要はないわけよ。まさにファン。本当に上手い表現だなぁと思った。

そして、例の増田ほどではないにせよ、女友達と会話していると、そういうフェチを持った女性は少なくないように思われる。

男性の細かい発言とか日常生活垣間見える性格とか、かなり観察していて、ピンポイントマニアックポイントで恋に落ちた話をよく聞いた。

対して男性は、惚れている女性内面についても、捉え方の大雑把な人が多い気がする。

「いつも明るくて前向きなところに癒される」とか、

自分といるとよく笑ってくれるからしかった」とかはわりとよく聞くんだけど、

なんか、彼女が一人でいるときどんな風に過ごしているかはあまり気にならないんだろうか、そんな解像度結婚まで決めてしまって大丈夫か、みたいに思うときがある。

まあでも、女性に対してだけでなく、自分自身の内面についても解像度が低い人が男性には多いと感じる。

仕事や家庭でストレスを少しずつ貯めているのに、自覚がなく、ある日突然ぽっきり折れてしまうような人。

男ならうじうじするな、女々しくするなと言われて育った影響とか、成果主義仕事だけを長くしてきた影響もあるんだろうけどね。

そういう事情があるにせよ、女性内面に興味が薄そうな男性が多い世の中で、自分には利益もないのに女性オタク気質に好感を持って性的にも惹かれる男性がいるとしたら、

それほど悪い気もしないのではないか、と私は思いました。

anond:20200809010143

コメントとてもしっくりきました。

私があまりSNSをやらないので、電脳的に周囲にたくさん人がいる環境をあまり想像しておりませんでした。

論より共感。そのための自分感情(の語り)。

批評するオタク流行らなくなる構造的な転換も納得です。

私も古い人間でこーいう批評オタクが好きだったから、如上の事柄が気になっているのだと思います

noteって、自称フェミニストと、(男、女両方の)恋愛工学者のどっちもいて、すげえなって感じる。

anond:20200809012629

印象論で居るわけねーだろ高望みも大概にしろカスとか言わず客観的情報を数値付きで示してるのに何にキレてるんだ

anond:20200805230431

痴漢との差と書いた者です。

撤回します。

ごめんなさい。

              

痴漢との差」について。

              

私は痴漢被害増田イジメ被害増田の書いたものからだけしか受けた傷の大きさを感知しようとしなかった。

その上、イジメについて、席が隣という事でゲロ吐くまねされた事とか、集団無視とか、執拗からかいとか、給食シチューゴミを入れられて食べさせられるとか、そういう自分体験しか想像ができなかったのに、勝手に当てはめて傷の大小をジャッジしてしまった。

当てはめたことも、ジャッジしたことも、私の誤りで落ち度だった。

ごめんなさい。

書かれていないことや語ることが難しいことが、一つの文の背景にはあるのに。

表現力のある者に人は同情的になりがちだという指摘はまさに私の失敗の事だと思う。

              

私はイジメ被害増田の傷を誰かと比べるべきではなかった。

              

増田追記してくれたので、ここまでは考える事ができたが、多分、この「反省」もわかってなくて全く足りないものかも知れない。

許しを得ようとか、わかってる自分アピールではなく、ブコメ追記では書き足りなかったのでダダ漏れに思った事をただ書いた。

              

追記してくれてどうもありがとうございました。

戦争を知らない世代」 ←こういうの何なんだろうな

戦争悲惨さを教えたいなら今も世界で続いてる紛争の話でもすりゃいい

70年以上前戦争の話をできる人がいなくなったことを殊更に取り上げるのは明らかに何かを履き違えてる

 

あとこれと似た話で

阪神淡路大震災より後に生まれた子を「震災を知らない世代」とか言ってたのは流石に笑った

東日本大震災経験してるっていうね

anond:20200807213033

理解できます

当然の気持ちです。

派遣から、告るのです、後先考えず。

後先考えてないから、派遣なんです。

結局ポリティカル・コレクトネス共産主義と同じだった

同じというのは思想がということではない。

お題目は大変崇高で、実現できれば素晴らしいが人間が素晴らしくないのでダメな方に転がっていった。」という所である

本来マジョリティの無神経さからマイノリティを守るという何気ないものであったはずであるが、今や「自分不快もの相対主義を持ち出してすりつぶす行為」に変貌した。

まるでアテナイソフィストである

というかそのまんまだ。プロタゴラスなどのちゃんとした知恵者が節度を持って使っていれば、学問ツールとしての懐疑論に収まっていた相対主義も、市井政治の場に降りていった時点で、相手を蹴落とし、自己肯定のために用いられるごろつきの便利ツールへと変貌してしまった。

野球ルールの中で使えば人々を楽しませることができるバットも、人の頭に使えば簡単に不幸を量産できるようなものだ。

ポリコレもきちんと自己批判、懐疑、考察を繰り返すことのできる「ルール守って議論できる学者」が使っていれば人類倫理底上げできるものであったのであろうが、

自己批判自己観察もできない我々のような一般市民の手に落ちたことで、自己肯定社会の中での地位闘争転用されてしまったと言って良いだろう。(その間に「自己批判ができない学者=ド三流の学者」が挟まっているのは相対主義でも同じである

共産主義相対主義も、学問ルールに収まっているうちは誰も殺さなかったし、何者も抑圧しなかったのである

小学生の時に胸を触られる痴漢にあった

胸を触る系じゃなくて、車を止めて下半身見せて来る系の痴漢にもあったことある

車に乗せられそうになったこともある

断ったらそのまま去っていったけど

確か小学生ときで、七歳くらいだった

道を聞くのに声かけられるとかだったから、話聞いたらそれされた。


怖かったとか気持ち悪かったとかはあんま無くて、あれは性器を触るとか見せるってことだったのか!って思ったのはそこから20年くらいたってからだった。

うちさ10才くらい年下の妹がいるんだけど、妹が小学生に上がった年におなじく似たような痴漢にあったんだよね。

そんで、妹は変に思ったらしくてそのまま親に言ったんだよ。

うち自営業でさ両親とも仕事忙しくて夕飯食べて仕事するとかも結構するだけど、その時は仕事切り上げて夜なのに突然警察電話して妹と警察に行ってた。

そしたらそれは痴漢だってことになってさ。

当時は携帯とかもネットもない環境でさ、ファックス学校とか地元のお知らせがくるんだけど、すぐに不審者情報が共有されてさ。

調べたら似たような痴漢被害が他にもあったんだよ。


なんか、それ聞いて私の時のことも大人に言って良かったんだ!?って思ったんだよね。

あと、すごい大事になることだったんだ!?とも思った。

もちろん、痴漢にあったってわかって怖かった子とかもいると思うんだよ。ただ、私みたいな子はさ、なにをされてるのかわかんない子もいると思うんだよね。

車に連れ込まれるのは普通に嫌ですって言ったけど、あれ無視して連れ込まれてたら生きてない可能性もあったんだよな。

ちなみに、私があった痴漢は知らないけど妹があった痴漢は捕まったよ。

うちの地元、車ないと移動で詰むレベルのド田舎なんだけど、痴漢地元人間じゃなくて地元から二、三時間距離地方都市人間だったよ。わざわざ二、三時間かけて痴漢しにきてたらしい。

子供だけで家に歩いて帰る田舎を選んでてさ。回りが畑とか森とか山で人気が無いってことを調べて来てたんだって

犯罪者ってよくわからん情熱計画性でもってきてるんだなったわかったんで、大人世代はさ常識とか捨てて子供世代を守った方がいいよねとは思ってるよ。

anond:20200809011743

自分が読み違えていたのかもしれない。申し訳ない。

anond:20200809005921

本八幡です。

言及いただいた通り、自分も感動した部分も、きっと他者もまた感動しうるであろうと考えることはとても大切なことだと思います

けれども、それについて自分感情の揺れ幅という棍棒を振り回すだけで語って良いものか、その棍棒の振り回しが尊いものである常套手段とするべきであるという発想はどこから来るのか、あるいはそうしたことから来る弊害があるのではないか、とも感じています

別枝の共感コメントを読んで、現代共感時代と改めて思います

共感する際に、「自分が強く突き動かされた」「相手を神と思った」ことを主軸に語ることは本当に共感感覚に行き着くのでしょうか。

このことは最後に書いていただいた他人との感情差異距離感を考えること、そうしたことから惹起する孤独や寂寥なんかを考えるときにも大切になってくると感じます

人を好きだってどういう感情

多分、誰かを恋愛的な意味で好きになったことがない。

恋人いたことはある。複数回ある。その時は、相手のことを好きだと思っていた。でも思い返すと、あれが本当に「人を好きになる」ってことだったのか?と疑問が生じる。

友愛も怪しいもんだ。長く続く友人は踏み込んでこない人で、共通話題があるときだけ親しくしている。それでいい。付かず離れずくらいの関係が一番心地いい。それ以上を求められると煩わしくなり、離れてしまう。それは、恋人でも同じことだ。

そう考えると、今までの恋人は、多分友愛の延長線上にいただけなんだと思う。好きだと言われたから好きだと返しただけで、友達への感情との違いを答えろと言われたら、答えられない。でも、世間の人を見ていると、友達恋人は明確に違うみたいだ。なら多分、誰かを恋愛的な意味で好きになったことがない。

フィクション恋愛は、小説映画ドラマで何度も見た。知識として知ってはいるが、理解はあまりできなかった。誰かのことが好きだから、という理由で行動したことは、恐らくない。

その代わり人を嫌いになることもほとんどない。煩わしく思うことはあるが、嫌いとか憎いとか、そうは思わない。そもそも密に関わらなければ、数年経てば存在ごと忘れてしまう。我ながら薄情だと思うが、どうしようもない。

アセクシュアルとか、ノンセクシュアルとか、そういうのも調べてみたけど、よく分からなかった。

たとえ恋愛ができなくても、世間体を求めて結婚することも考えたけど、他人自分の家にいるかと思うと、多分数年で煩わしさが爆発するなと思った。いや上なしに血という縁がある親族と違って、紙一枚で繋がったパートナーを、そのあとも繋ぎ止める自信はない。

恋愛がしたい。誰かを好きになりたい。たとえ好かれなくてもいいから、誰かを心から好きだと思いたい。芸能人でもアイドルでも二次元でも、誰かを好きになっている人は幸せそうだ。羨ましい。

自分がどこか欠けている気がしてならない。

anond:20200809012433

病気の発想だと思う

何が君らをそこまで駆り立てるのか・・・

anond:20200809010316

25歳~28歳で年収400~500万の年収偏差値は55.7~76.4

増田の実力次第だけど、一番偏差値低い28歳400万ならわりと手が届きそうなとこではある(メーカー勤務まで絞るとキツそうだが)。

23なのであれば女としての価値が正にピークを迎えようとしているとこなので、向こう2~3年で無理ならどこかしら妥協しないと高望みおばさんになっちゃうな

https://yoikaisha.com/tool/

anond:20200809010913

地域歴史背景に縛られない世帯認識する記号」が必要だとしたら、役場婚姻届出したときにくじひかせて そこに書かれてたもの苗字とする。

とか?

anond:20200809011555

結婚相談所対象年齢に合致してなさそうなことはうすうすわかってましたがやっぱり金ドブですかね

婚活パーティーオーネット辺りの軽めのところ覗いてみます

ありがとうございます

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