例えば「目が見える」ことの感動を目が見える人に伝えるにはどうすればいいか?
それは目が見えない人の物語をきかせてやればよい
よくやるのは「知る」と言う行為
こういう手法ってこんなに有効なんだ、って改めて発見して面白かったんだが
これあまりやる人いないナ?
と思ったが、今期同じくやってるどろろがそれか
あれも五感失ってる
好きな作品をけなすオタクはいない。彼らは「好き」か「無視」かのどちらかである。また、オタクではない一般の人も作品の出来不出来にこだわることはない。では、アニメやゲームなどに文句を言っている人は誰か。それはプロになり損ねた人である。自分が本気を出せばもっと良いものが作れると思っている人が他人の仕事にケチをつけるのである。
○朝食:ビジホ朝食
○調子
はややー。
そんなわけで、地獄のような出張が終わったのを祝うために、天井までガチャを回しました。
とはいっても、ほとんど貯めた石とチケットを使うだけで、課金したのは全体のほんの少し。
まあ社会人が辛い仕事終わって使う額にしては、かなり安いと思うので許してください。
目標は、僕の好きなキャラクタのロゼッタさんが好きなイオちゃんを手にいれることです。
そして、肝心のその結果は……
・Rキャラ
ペトラ、ツバサ、ソシエ(火)、ヘルエス(風)、ダーントandフライハイト、シャルロッテ(水)、アリーザ、ロザミア、メルゥ
カタリナ、フェリ、カイン
・SSR石
5個
6%を300回でこの数値はなかなか運がいいんじゃないかな。
その23個の中身も、今回PUのキャラクタと石が全部出ただけじゃなく、リミフェス限定のサプチケ不可キャラが三人に、サプチケ不可石が一つと、いい感じ。(とはいえ僕の火属性弱いから上限UPは生かしきれなさそうなのが残念。古戦場の奥義パでなら有効かも)
私は立ちションをしない男性は面接の段階で例外なく落とすべきと考えます。
こんなことを書くと立ちションをしない男性から総攻撃を食らいそうですが、きちんとした理由がありますのでどうぞ最後までお付き合いください。
こういった内容を会社のブログに書くわけにもいきませんので、この投稿ではなぜ立ちションをしない男性は自己中なのか、なぜ私は立ちションをしない男性を落とすべきなのか書いていきたいと思います。
①心に余裕がない
まず立ちションが何なのかわからない方に説明すると、立ちションとはズボンのチャックを下ろし、勃ったまま便器に向かってションベンをする行為です。
立ちションは、ズボンとパンツを下ろし座って用を足すのに比べスピーディーに事が済みます。
つまり、スピーディーに事が済むということは、トイレで一息をつく心の余裕がないということです。
トイレの個室で一息をつく心の余裕がある人間は、デスマーチが続いても飛びません。
スピーディーに事を済ませて仕事に戻る人間は、早々に鬱病になり飛ぶでしょう。
②臭い
立ちションをする方は例外なく用を足した後のブツを拭きません。
拭かずにそのままションベンがついたままのブツをパンツへしまいます。
つまり、全裸で寝た時に、寝具や抱き枕が汚れる危険性があります。
そのため、ションベンがついたままのブツを拭く人間は、全裸で寝る時に抱き枕を汚さないことを考えている男性であり、全裸で寝ている可能性が高いです。
座りションをすると、ブツが元気な場合に便器内のションベンが便座の上まで跳ね返りますが、男性はこれをなんとも思いません。
次使う人のことも一切考えないため、飛び散った状態のままトイレを出ます。
また、便座にブツが直接触れる回数が上昇し、性感染症のリスクも上がります。
こういった男性は気遣いの心が欠落しているので、一緒に仕事をする上で非常に悪影響になります。
以上のことから、私は立ちションをしない男性を一切雇うべきではないと考えます。
対男のケースはそれでプライドが傷つくようなタイプだったらそもそも相談してこないだろうから、普通によかれと思うアドバイスすればいいんじゃないの。
相手を怒らせたなら理由は女であることよりもはてな民であるということに求めたほうが正しそうじゃないか。増田にいるときと同じ調子で手斧を振り回してそうで心配。
どんな風に表現したら伝わるんだろう?
文章が不得手なので、私が今強く思っていることが正しく伝わるかどうか自信がない。
でもとりあえず書いてみることにする。
言いたいことはタイトルの通りだ。
例を挙げると、私は以下のような状況に対して非常な抵抗をおぼえる。
・職場に、職場に関係している人以外の自分の知り合いが来ること
・何らかの知り合いと職場で一緒に働くこと(私より前か後かは関係なく)
・知り合いと一緒にいるところを、共通ではない別の知り合いに見られること
どうして嫌悪感をおぼえるのか、あるとき考えてみたことがある。
その結果、
自分が、自分の家以外のあらゆる場所で演技をしていて、しかもその振る舞いが場所によって違うので、他の場所の人に見られると都合が悪いからなのだと気が付いた。
職場の中では、あまり感情を出しすぎない、口答えしない、落ち着いたキャラクターで通している。
家族の中では、私の兄が昔からいつもちょっとしたことですぐ不機嫌になりがちで空気が悪くなることが多かったので、その空気をやわらげようとピエロのようにおどけるキャラクターで通している。
友達の前では、お笑いのボケ役みたいな感じのキャラクターで、中二病ポエム的なことをうっかり言ってしまう(中二病ポエムはわざとではないのだが)。学校でもそんな感じだった。
好きな人の前では、おっとりしていて優しいキャラクターで、恥ずかしがりやでモジモジしがちである(これは好きな人のことがすごく好きだからなのだが)。
一人暮らしの自分の家では、たぶん本当に素でいられて、ムカつく人間を罵りながら酒を煽ったり、いきなり性的欲求に襲われてそれを即座に一人で解消したり、xvideosを観たり、本を読みながら独り言を言ったりしている。
小学生の頃くらいから、友達を実家に連れていったことがない。何かにつけて断っていた。
過去の恋人を実家に連れてきたことはないし、恋人を友達と引き合わせたこともない。
一人暮らしの家には人が来たことはあるが、本当はいつもあまりいい気持ちではない。
世の中には、気軽に友達を家に連れてきたり、
私もそういう風になりたい。
私は自分の知り合いのことを恥ずかしく感じているわけでは決してないのに、
こうやって別々にしておきたいと強く思って、彼らが混ざりあうような状況を全力で避けようとしてしまう。
敏感で繊細な人は、私のこうした考えに気付いて、ひそかに傷ついているのかもしれないと思うといたたまれない気持ちになる。
私自身は、自分の知り合いの職場に行きたいとか、家族とか友達とか恋人とか学校の人に自分のことを紹介してほしいと思ったことがない。
でも、周りにいる人もまた私と同じように思っているわけではないということもわかっている。
知り合いが混ざりこむ状況が我慢できなくて死にそうになってそれを避けてしまうのは、結局自分が一番大切で、本当は心から変えたいと思っていないのだろうか。
世田谷区と言えどお世辞にも華やかとは言えず、駅前唯一の商店街はもう何年も前からシャッターが閉まったままの店が多い、寂れた駅だ。
駅前の桜が有名ではあるものの、駅から伸びる道沿いに木が映えているだけなので、満足に花見も出来やしない。
他に特筆すべきは、自動車の教習所があるとか、色々な逸話のある巨大な精神病院があるぐらいで、日常生活で楽しめるような施設は本当に少ない。
僕がそんな上北沢に住んで、もう18年になる。
上北沢について聞かれた際に、僕はいつも自虐を込めて「下北沢と間違えられる為に存在している駅さ」と応えている。
事実、金の無いバンドマンだった僕は電車代すらも惜しんで当時仲の良かった女の子たちに上北沢まで来てもらうことも多かったのだけれど、初めて来る子が「駅に着いたけれど何処に行けばいい?」と電話を掛けてきた際に、その後ろに喧騒が聞こえたりしようものなら、大概は下北沢にいるのだ。
この下北沢というのが曲者で、どちらかと言えば下北沢にとって上北沢が曲者というのが正しい表現かもしれないが、二つの駅は隣り合う駅などではなく、上北沢は京王線、下北沢は京王井の頭線と、乗り換えも必要な結構離れた駅なのである。
この二つの駅が離れているのは、どうやらこの辺りには地下を通る北沢川という川があり、その上流と下流に位置しているかららしく、その北沢川をずっと辿っていくと目黒川まで通じているらしいのだ。
こんな豆知識も、住みたい街ランキング上位に名を連ね、音楽の街だの古着の街だの様々な二つ名を持つ下北沢に対するのが全く無名の上北沢では、話したところで「そもそもそんな駅あるんだ」で終わってしまうのである。
散々なことを書いてきたが、僕はこの上北沢という場所が嫌いではなかった。
駅同士の間隔が狭い京王線の新宿寄りの区間において、上北沢は急行まで止まる桜上水と快速まで止まる八幡山に挟まれて、乗り降りする人は朝のラッシュ時ですら疎らだ。
意味も無く学校をサボりがちだった高校生の頃、二度寝した後の昼過ぎの上北沢駅のホームは端から端まで人の姿が無く、蝉の声や風で揺れる木々の音がいつもより大きく聞こえた。
終電を過ぎた時間になれば、コンビニこそあれど休日のオフィス街より静かな駅前で、集まった音楽仲間と無駄に大きい銀行の駐車場に座ってカップラーメンを啜りながら叶いもしない夢について語り合った。
何も無い、人もいない上北沢にも、唯一自慢出来るお店が在って、いつの間にか出来た駅前のベーグル屋だけはそれなりに有名で、インターネットの情報によると国内でも随一の実力派の店舗らしく、確かに美味しかった。
バンドマンという肩書きに騙されてクズ男の実家にこそこそと泊まりに来る女の子を連れては、朝食代わりにベーグルを一つか二つ買って、上北沢駅は素通りして隣の桜上水まで歩きながら食べるのがたまの楽しみだった。
社会人として働き始めてからは日々が過ぎ去っていくのはあっという間で、僕がくたびれたおっさんになっていく一方で、件のベーグル屋は同じ上北沢の中で移転して大きく綺麗になっていた。
因みに、移転先には元々和菓子屋があって、カフェオレ大福という何だか不思議なお菓子が名物で一度食べた記憶はあるもののそれが美味しかったのか美味しくなかったのかは定かでは無いが、まぁ、そんな些細な変化があった。
上北沢と同じように大した変化は訪れないと思っていた僕の人生にも意外や転機は訪れるもので、結婚という人並みに幸せそうなイベントや、就職した際には一生この仕事を続けるなんて思っていた癖にすんなりと決まってしまった転職で、僕はこの上北沢を、東京を、関東からも離れることになったのだ。
離れることが決まると、大した思い入れもなかったはずの上北沢という街が、急にいとおしくなってくるのが不思議だ。
大学時代に長期休みが来ると故郷に帰る友人を羨ましく思っていたが、この山も海も無い、何も無い街が、僕にとっての故郷なのかもしれない。