はてなキーワード: ホッブズとは
http://japanese.engadget.com/2015/12/15/sun/の話。
(追記あり)
Woodland rejects solar farm
http://www.roanoke-chowannewsherald.com/2015/12/08/woodland-rejects-solar-farm/
まあ確かに変なことを言ってる人はいたけれども、それが議論の流れを決めたという根拠は特になさそうである。
これと比べるとEngadget Japan(及び本家Engadgetの記事)は明らかに盛っているというか
「田舎者を馬鹿にしてやろう」という意図で誇張があるようにしか見えない。
そもそも「太陽光発電が作られ始めてから、町の人間関係がどんどん薄れてしまっている」とか一言も出てない。
さて、大元の記事が12月8日に出た後で、アメリカの掲示板のいくつかでこの記事についての投稿がなされ、
「この元教師って創造説信奉者じゃねえの?」的な揶揄が行われたりといった事象は確認できたが、とりあえず12月9日までは大手メディアへの掲載は確認できなかった。
現時点で最初に大手メディアでこれに触れたのは12月10日付けの
https://www.rt.com/usa/325536-us-town-fears-solar-farms/
その後、英語圏の媒体(の信頼性の低いニュースが載るページ)に転載されたりするうちに尾ひれが付いていって、こんな形に育っていった模様。
しねばいいのに。
日本と異なり、アメリカには「郡に属するが市町村には属さない地域」がかなり存在する。
今回の発電所も、そういう形でウッドランド町の外に位置するものなので、町税対象にはならないようである。
ただし、そういう土地に公害を垂れ流す工場とかを勝手に建設されるても困るので、「域外管轄権Extraterritorial Jurisdiction」というものが自治体に認められている、ようである(流石に50州全部調べたわけではないので断定は避ける)。
ノースカロライナ州の場合、州一般法160章A第19条「開発計画及び規制」において区域外1マイル(人口に応じて拡大され、最大で3マイル)まで、自治体に権限が認められており、その域内であれば、制度上は、自治体内の土地と同じような開発の許認可権限を持っている。
http://law.justia.com/codes/north-carolina/2013/chapter-160a/article-19
ブコメ及びトラバで翻訳記事ではないかとの指摘があり原文を確認した。
http://www.engadget.com/2015/12/14/nc-town-fears-solar-farm-will-suck-up-all-the-energy-from-the-s/
…英語版もいい加減酷いけど、日本版はもっと酷いってことでいいんじゃないでしょうか。まとめサイトかよ。
ブコメとトラバで情報が得られたのでそれを踏まえて書き直しました。
追記前がどうだったか知りたい人は、誰かが魚拓とってくれてたんでそちらでどうぞ
http://megalodon.jp/2015-1216-0520-08/anond.hatelabo.jp/20151216033210
NEVADAちゃん2世事件を受けて、はてブ界隈では「なぜ人を殺してはいけないのか」議論が少しだけ盛り上がりを見せている。
http://www.open.sh/entry/20140728/1406552151 とか http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/07/29/092214 とかがホッテントリ入りしてるし。
だけども、そんなのは大昔から議論されてきたわけで、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」とか「リヴァイアサン」とか「社会契約法」なんてのは中学や高校の社会の教科書の最初に載ってる。
先回りして店の都合を考えてしまうのが、よくも悪くも日本社会的。
メイロマたちの考えるグローバルスタンダードな世界は、万人の万人に対する闘争であって、ホッブズ大喜び。
人権というものを語るとき、必ずといっていいほどまで言われることがいくつかある。
たとえば、「人権というものは近代国家を満たす要件のひとつだ」というぐあいだ。
ホッブズは社会契約説として自然権を考えたが、彼の見据えた先は絶対君主制であり、巷で言われるような近代国家とはまた異なる。
ロックは間接民主制を見据えていたので、これはさらに民主主義を推し進めたという意味でより近代的である。すなわち、近代国家というのは民主的であるというのも大事なのだ。
他に言われることとしては、「障害者に人権がなかったら、虐殺される」というものや「お前みたいなクズが生きていられるのも人権のおかげだ」というたぐいのものだ。
常識的に考えてみて欲しいのだが、人権の有無と虐殺の有無は異なる。人権がなかろうと人を殺せば刑法に触れるのであり、ふつう虐殺など起こらない。人権がない、すなわち無法地帯というわけではないのだ。後者に至っては発言者のゲス具合が遺憾なく発揮されており、恫喝以外の何物でもないと考える。
さて、憲法改正議論にあたって基本的人権の尊重などというのが槍玉に上がっている。これを廃することは、近代国家の否定だという人が思ったよりいる。
少しシミュレートして欲しいのだが、この国から人権を廃して、何か変わるだろうか?
警察の対応が杜撰になる?そんなことはない、もとから人権など顧みない杜撰な組織だ。
国家が国民や他国の人間を守らなくなる?そんなことはない、人権等より実質的な国家的相互監視によって、そんなことは許されないし、軽微なものならこれまでも無視されている。
自由が奪われて息苦しい時代になる?そんなことはない、それはある程度は景気の問題であって、人権があるかどうかと自由があるかどうかは関係ない。人権があろうとなかろうとわれわれはこれまでも「公益及び福祉のため」にこれを実践してきたし、人権の有無にかかわらず公共の福祉のために衝突があれば調停してきた。
ここまできてわかっただろう。この国に人権などいらないのだ。人権などいらないと言いのけても矛盾ないほどまでに杜撰な国家に杜撰な国民、杜撰な社会だと言うのもいいし、人権などいらないと言うまでに自律的かつ他律的な国家国民社会なのだ、と言うのもいい。
いずれにしても、民主的手続きで人権を放擲するならそれは最大限尊重されてしかるべきだし、今回の改憲が実現したとして人権がきれいさっぱり憲法からなくなるというわけでもないのだから、反対派にしても良かったじゃあないか。
まおゆう読んだ。すごくおもしろかった。みんなぜひ読むべき。
魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト
http://maouyusya2828.web.fc2.com/
ほかの人の感想はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20100510/1273472249
泣けるほどおもしろすぎるネット小説を読んだので熱烈推薦するよ。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100423/
人生を変えることのできる物語/魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20100422/
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/
はじまりの物語
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/795
魔王が世界を征服できない問題への一つの回答となる「まおゆう」
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20100517/1274022158
みなさん、すげーテンション。気合の入った文章。実際、かなり面白かったので、興味のある人はぜひ。
そして以下は、読み終わったあと、テンションがあがりきって大学時代の講義ノート引っ張り出して書きました。
たぶんネタばれはない、はず。(追記)スポイルするかもしれないので、読了後によむことをおすすめします。
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昔、ある人は考えました。
「幸せってなんだろう?」
みんなは「お金があれば幸せ」っていうけど、何か違う気がする。
幸せの源泉は、お金じゃなくて、お金で買うことの出来る『モノ』だよね?
『幸せ=お金』だと思っている人たちは、みんな奪いあいばかりしていて、
「誰かが得をすれば誰かが損する」っていうけど、それって、きっと間違ってるよ。
例えば農作物なんかは、みんなががんばって働けば増えるよね?
この『ある人』の名前を、経済学の父、アダム・スミスと言います。
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「まおゆう」は、みんなが幸せを求めて奪い合いばかりしているのに、
「奪い合わなくてもみんなが幸せになれる世界」を目指し、ある程度の成果を収めます。
しかし、魔王は考えます。「何か足りない」「何かおかしい」
アダム・スミスが『国富論』を出版し、経済学がスタートしたのは、1759年のことでした。
この『国富論』は彼の独創ではなく、多くの先人の思索の上に成り立ったものでした。
魔王が足りないと感じていたのは、おそらくこの『多くの先人の気付き』なのでしょう。
前近代においては、まず『国王、国家』があり、その下に各人民が権利を与えられます。
近代においては、まず『個人の権利』が前提として存在し、そのために国家が設立されます。
前近代社会というのは未だ「神様のいうことが唯一正しい」という世界で、
過程をすっとばしていきなり答えを出しちゃったようなもので、
基礎となる考え方が共有されていない以上、いくら成果をあげても、なんか、ふわふわ。
魔王に影響を受けて、少しずつ『多くの先人達の気付き』を埋めていきます。
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昔、ある人は考えました。
そもそも「人間はみんな善の魂を持っている、だって神様がそう決めたから」
っていうけど、そんなこと無いよね?現実みろよ!
みんな欲望むき出しじゃん!奪い合ってんじゃん!人間は悪だよ!
誰かが「恐れられる君主」になって、縛り付けないと平和に何かならないよ!
「人間の一生は既に決まっている。奪い合うならそれは運命なのだ」
ってそんなことないよ!
運命に挑戦する強い意志が、事実を冷静に判断し、決断する強い心があれば、
運命だって切り開けるはずだ!!
彼の名をマキャベリと言います。
マキャベリが『君主論』で説いた『運命に挑戦する強い意志』=『徳』は、
主体的に道を切り開こうとする近代的個人のモデルとなりました。
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昔、ある人は考えました。
「国って何で必要なのかな?」
あれだね、人間ってほんと欲望強くて、いやになるね。
でも、それを放っとくと多分、みんな自分の利益のために奪いあいになっちゃう。
きっと、みんなそんな世界には住みたくないから、
人間の欲望=『権利』を預けるところが欲しくなったんだろうな。
きっとそれが『国家』なんだ。人間が作った元気玉。別名『可視の神』。
でも、ちょっと元気集めすぎて、絶対的な権力になりすぎかも。
怖くて逆らえないし。でも、生きてくためには仕方ないか。。。ジレンマだなぁ。。。
彼はこの『可視の神』を、伝説の怪物『リヴァイアサン』に例えました。
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そして昔、ある人は考えました。
なんか最近「人間マジクズっすわ」「あぶねえ」「あいつらの権利とりあげようぜ!」
って言う人いますけど、ぼく、それおかしいと思うんですよ。そんなことないんじゃない?
『生命』と『身体』と『自由』と、そして『財産』を持つ権利があるんだ!
「人間が放っておくと欲望に取り付かれる、殺しあう」
そんなことない!
たとえ人間の行動は欲望からスタートしたとしても、『真の幸福』について思いを馳せて、
誰かを傷つける前に自分の欲望をとめられる、『真の自由』が人間にはあるんだ!
国に預ける権利は「誰かに傷つけられた時に報復する権利」だけで十分だ!
ぼくたちはいつだって白紙の切符を手に持って生まれてくる。
だから『真の自由』を持って平和に暮らせるような社会をみんなで作っていこうよ。
例えば、ほら、教育とかにちからいれてさ。
彼は、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言に大きな影響を与えました。
そして現在の資本主義、自由主義の考え方の源泉となっています。
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おれ、気付いたんだけどさ。『モノ』作るとき、一人で作るんじゃなくて、
みんなで役割分担=『分業』したら、生産性、めちゃくちゃ高まるよ!
だからさ、みんなで前よりたくさん『モノ』を作れるようになって、みんなで交換したら、
もっともっと幸せになれるんじゃね?
そして、この労働の分業化が進むと、他人の労働生産物との交換が不可欠となるため、
人々の経済的協力が要求され、結果として調和的秩序がもたらされる。
物語の始め、魔王が夢見て、商人が憧れた『あの丘の向こう』は、きっとこの調和的秩序なんだろうと思っています。
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『あの丘の向こう』を夢見て手に入れたものだということを
改めて再確認してくれる、すばらしい物語でした。
おれ、いい歳して、けっこういろんなところで、ぼろぼろ泣いちゃったよ。
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ネットを外部から総括する人間は、なんでネットユーザーを一枚岩の性悪説で一刀両断したがるのだろう。
ネット-非ネットの関係に限らず、自分の所属しない文化に直面すると、どうしても悪い面・不快な面のみがクローズアップされるらしい。
ちょっと前まで2chやってる人間は、全員ネット右翼で、自分以外の集団は叩き潰そうとする匿名の無責任なクズたちの集まりだ、という(特に年輩の)意見が多かった。いまでもそう思ってる人も多いと思う。
私は案外、ネット匿名性善説の立場であり、どこかでなにか盛り上がっていれば、必ずそのアンチが出現する。意外とバランスがとれているものだ。ひろゆきが辞める辺りまでの2chの運営は、ほぼ放し飼い状態であったのに、10年近く秩序は保たれ、暗黙のルール・規範が生まれ、使用者ひとりひとりが自分なりの倫理観を持って書き込み等を行っている。
これは凄いことではないか?ホッブズの「万人の万人に対する闘争→リヴァイアサン」という図式通りには行かなかった。もともと「日本的価値観」を有する者同士がユーザーだから極度の無秩序にならないのは当然なのだが、それに加えて「(日本)ネット上の暗黙の価値観」が時とともに醸成されてきたことは、ディープなネットユーザーほど感じることだと思う。
当たり前のことだが、自分の感じていることは他の多くの人もそう感じている。自分にとって不快な現象は、不快な対象において、その全面を覆っている気がするが、それは多分錯覚だ。国保?朝青龍?ネット上には擁護者が無数にいるし、そもそもそんな問題に興味のない人間も無数にいる。反対者の存在だけに目が行って「自分以外の人間はみんなクズだ」と思うのは、傲慢や偏見というより、単なる無知なのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。