はてなキーワード: 性善説とは
「探検ドリランドしながらロングブレスダイエット」の続き。
課金なしの場合、「完全に一本道」&「たたかう」しかコマンドがないドラクエという印象。
持ってるカードがすべてで戦略とか全くないから一人で黙々とプレイしているとすぐに詰まる。なにより全く面白くない。
改めて思うけれど、ドラゴンクエスト1ってのは、一人旅であそこまで盛り上がるゲームを作れたという意味で神だと思う。
とにかく、一人プレイというのは、かなり知恵を使わないとすぐに行き詰まりになる。これがポイント。
仲間が増えると一人プレイでは考えられなかったくらいに可能性が広がる。
仲間がいれば強いボスでも何とか倒せる。
みんなで壁を乗り越えるという体験は相当気持ち良いものだろう。
一人プレイの侘しさはプレイヤーがすぐ実感することになるし、後述するが仲間になるデメリットも無いので申請しやすい。
非コミュ(死語)の方でも機械的に仲間を増やすことが可能だ。(この部分がドリランドが一番人気である理由だろう)
ちなみにネトゲだと仲間に手を貸すのは面倒だが、ソーシャルゲームの場合、仲間登録さえしていれば勝手に協力する。
協力しあうメリットだけがあって、協力するための手間を削っているため、まずます協力し合うことが魅力的に見える。
さらに、リアルやネトゲーと違ってみんなで分けると経験値が下がったりとか、一人あたりの取り分が減ったりということもない。
一人だと1000万円の会社しか作れないが、みんなで出資したら1億円の会社が作れて、しかもみんなが1億円分の持分があるみたいな不思議な光景。
他人の存在は純粋にプラスという、今時ポジティブ教でもここまで性善説に満ちた世界はイメージできないよ、というくらいの仲間至上主義。
いやー仲間って本当にすばらしいもんですね。
・人が人を脅かしたりものを奪ったりは原理的に不可能。PKとかなにそれおいしいの?他人とは仲間として協力し合う以外の関わりを持たないよ。
・世界のリソースは無限にある。協力しあって一人では倒せないボスを倒せればいくらでも手に入る。
自己啓発のセミナーで5時間くらいかけて語る「理想の世界」がこの世界では当たり前のように実現している。
何者にも脅かされない。ただ、勤労(目の前のボタンをクリック)しているだけで友だちが増えて、みんなに認められて、世界が成長していく。
高度経済成長期の日本ってこのくらい幸せな世界観を持ってたのかもしれないなー、とか思ったり。
弱いやつからすれば、強い奴の仲間になってオコボレを頂きたい。
そいつらが育ってくれて将来的に貢献してくれるなら、十分に元は取れる。幸い育てるのに大して手間はいらない。
かくして下っ端の間はみんなが自分を助けてくれる。引っ張り上げてくれる。
上の立場になっても成長していってる間はみんな自分を尊敬してくれる。
勝利し続けている間はみんなが自分を慕ってくれて、自分のためにいろんな貢献をしてくれる。
このあたりはすごく楽しいと思う。
順調に成長している間は、チームとか組織って多分すごくキレイなんだと思う。(まぁ成長の段階で既に争いのタネがいっぱい出てくるわけだが)
まぁ実際はそれほど甘くはないですが。
「ルーキーズ」がどんだけ仲間至上主義でも野球は9人しかスタメンになれないのと同じ。
このゲームも一番美味しいところにありつける(同時に最前線で戦う)スタメンは10人まで。
スタメン枠はできるだけ強いやつで固めたい。オコボレだけ欲しがってるような奴はいらない。
この世界には人間同士に「敵・味方」はいないけれど、「上・下」は厳然として存在する。
上のものは上のもので、同レベルの仲間や下のものに十分な褒美をやらなければ見捨てられてしまう。
このゲームはとにかくカードしかないからその報奨を用意しなければいけない。
※このあたりから「共和制ローマ」がいかにして出来上がったか、みたいな話をしようと思ったがさすがに説明が面倒なので省略
しかし、上になればなるほど常に戦に勝って何かを獲得し、供給し続けなければいけない。常に成長し続けなければいけない。
ところが、十分成長した後は、課金なしだと敵だけどんどん強くなって、こちらのレベルも戦力もなかなか伸びなくなる。
・・・このあたりから多分なにか狂い始めるんだろうと思う。まだそこまでいってないからわからんけど。
こういうゲームにおけるレアカードはあくまで「借金」であって、依存すると危険な感じがする。
一度借金に頼り始めると、あとは地獄まで一直線みたいなやばげな匂いがプンプンするぜー。
ソーシャルゲームは1アイデアで極めてシンプル。しかも組織の人員の上限が決まっている。
しかもそのポテンシャル上限はあっという間に到達するし、最初から目に見えています。
そのあとは組織の衰退と、組織内での生き残りを欠けた内ゲバが待っている。
関連企業や下請けからプラスの要素だけ吸い上げてマイナスは押し付けるという
延命を図るための腐りきった仕組みも可能であるけれども、ゲームではそういうPKよりもえぐい行為は禁じられている。
故に、どこかで見切りをつけて次の舟に移る必要がある。
もっとも、ソーシャルゲームの場合、GREE社長自らが言ったように他の船はどれもコピペみたいな内容で
どこに移ってもそう代わりはないので、一斉に反映して一斉に沈没すると思われる。
あの発言って生態系とか無視して自然破壊をする悪徳社長の発言だと思うんだけれどうわなにをすr
起業家とか、ネトゲのギルマスとかの楽しさを苦しさを象徴的に理解するには良いゲームなんじゃないかと。
リアルの痛さもないし、あくまで象徴的な意味しか分からないけれど、
ゲームだけに、人情とか付き合いといったごまかし一切抜きでみんなデジタルに行動するので
むしろ百戦錬磨の実際の経営者とかがプレイした方がズシッと来るかもしれない。「リアルより難しい」とか唸ってしまいそう。
最終的には狭い選択肢と厳しい条件ではにっちもさっちもイカなくなることを学ぶゲームなのかもしれない。
あるいは「胴元」がいるゲームは絶対にプレイしてはいけない、ということを学べるかもしれない。
つまり「このゲームを始めた時点で負けが確定していた」ということを痛感することになるだろう。
そして、いかにこういう「負け戦」に巻き込まれないように知恵を使うかとか、
打てる手の幅を広く確保することがいかに重要か、とかも考えるようになるかもしれない。
他にも、複數のソーシャルゲームを回しているなら、「EXIT」をどこに設定するか、といった知恵も身につくかもしれない。
ソーシャルゲームから学ぶことなど何もない、という大人の声もあるが、
部活でリーダーシップ発揮したり、バイトを経験したことがない息子に社会を学ばせたりするならアリじゃないかと。
もっとも、リアルで組織運営とかリーダーシップを行なっている人には全く不要であることは間違いない。
タイトル修正しました。最初は「バッドエンドしか見えないゲーム」というタイトルでした。
これはやってて「Hunter×Hunter」というよりは「狂死郎2030」あたりと同じディストピア臭を感じたから。
洗脳された下層市民が嬉々として国家を崇め奉り、喜んで勤労奉仕に励み、
上級市民が下層市民の尻を叩いて積極的に上層部の搾取を助長し、下層民から搾取して国家を動かす上層部の人間は権力争いで汲々としている。
「狂死郎2030」の世界では、結局レジスタンスやらなんやらで国を変えていこうという試みはすべて失敗して、主人公とヒロインが逃げ出すのが精一杯だった。
自浄作用も機能しない、自壊していくのを先延ばしにしてるだけのどうしようもない世界。
誰も幸せそうでないあの世界。ある意味下層民がもっとも幸せで、頑張って成長するとどうしようもなく行き詰った世界の現実に気づくという構造。
ここまで書くと言いすぎだと思ったから辞めたわけだけれど、まぁ蛇足だからいいよね。
参考リンク
本当に横なのだがw
追記しておくと
以外はよく読んでいないので、中学生増田が何を議論しているのか詳しくは知らないが、厳密に議論をすればこの箇所も「思うよ」と同じミスをしでかしている。
若者の就職難についてのネット上にありがちな無知蒙昧を論破しようと思います。
っていう義務でもあるかのように語られていること。
企業の目的は「金儲け」にあるっていう大前提を忘れてないだろうか。
今後今以上に深刻な少子高齢化に陥る日本で将来の利益が細っていくのは目に見えている中で、
わざわざ日本人の新卒をたくさんとるメリットがあるとは思えない。
(日本人は一人もとらないって程極端なことやるのも問題あるから、ゼロってことはないだろうけど)
まともな経営者ならそのくらいのことはわかるはずだ。
日本では「企業性善説」みたいなのが当たり前の認識としてあって、
昔海に水銀たれながして周囲の住民の脳を麻痺させた某社とか、煙出しまくって喘息にさせた某社だとか、
ITビジネスの若き旗手としてテレビにも出まくって派手に売名した裏でこすい粉飾決算を行ってた某社だとか、
そういう会社は忘却の彼方へ流して、「日本企業はあらゆる面で素晴らしい!」っていう信仰を抱いているようだ。
けど実際はアメリカ程露骨ではないにせよ、日本の企業だってホントの目的は「金儲け」にある、という前提を再確認しましょう。
この大前提が飲み込んでもらえると、ネットテレビで語られている「就職難批判」がいかに的外れで、非生産的かがわかると思います。
http://potemkin.jp/archives/50442691.html
経営者の目的は「お金儲け」であって、別に日本という国の利益を考えたり、若者の雇用を守ったりする義務はない。
だから日本の年功序列・終身雇用を改革して、もっとクビにしやすくしろっていう話なんですが、
転職市場があまり機能していない日本で、雇用制度だけアメリカ並にしたら、すさまじい社会になるとおもうんですが。
しかも使えない正社員切っていったら困るのは中年だけじゃなくて、そのバブル世代の子供で、彼らはどうやって学費を捻出するんでしょうか。
更に苦しむ若者が出てくることになるんじゃないでしょうか。
そもそもこの話は実現性ゼロの話で、多分主張してる人達も本気で実現するとは思ってないんじゃないかな。
この手の主張をする人って言うのは、
って相談されたら、
「とにかく数多くの女性に告白しなさい。10万人に告白すれば一人ぐらい付き合ってくれる人がいるはずです^^」
そりゃ正論なんだけど、お前本気で出来ると思ってんのかっていう。
・「ゆとり世代はゲームとネットでコミュ力がないからダメなんだよwwwwww」
ネット上では教育制度が変わると、それを受けた世代の人格は甚大な影響を受けるという信仰があるようです
一つ言えることは、若者の就職難は欧米など、先進国の大体の国で起こってる共通した現象であって、
スペインだと若年失業率が50%だったりして、それはじゃあスペインの若者がゆとりなのかというと甚だ疑問です
この手の主張をする方々は何か自信満々に主張するから、何か根拠があんのかと思ったら、
実はただの思いこみとか偏見とか、最悪の場合自分の願望が現実だと思って語ってたりするから、
真面目にとりあうだけムダなんでしょうね。。。
補足とか反論とかあったら答えるよ。
事実、地震直後や水道水汚染の時などは、今にして思うと軽くパニックになってたぐらい心配でしょうがなかった。
でも、ほんのわずかの危険から子供を守るために悲壮な顔して「キケンダキケンダ」と慌てふためく姿を子供に見せるよりは、冷静に落ち着いて、仮に根拠が無くても「大丈夫だ」と落ち着いて見せる事の方が、子供の心にはいいんじゃないか、身体的危険を考えすぎるあまり、心のケアをおろそかにしちゃいけないと思った。
なので、自分では実際できるかは分からないけど次のような事を心がけようと思ってる。
1. 情報は広く集め、そしてそれを自分で考え判断する。他人に意見を求め、同じ意見だからと安心したりすずに、あくまで自分の責任において物事を決定する。
2. 他の心配している人たちに向かって「リテラシーが低い」等とは言わない。なんでも理屈で割り切れる程、人間は単純じゃないし、他人の価値観を尊重しないと自分の意見も聞いてもらえなくなるから。
3. 性善説に立つ。みんなよかれと思って行動しているはずという前提を疑うと、誰も何も信用できなくて、全く何も行動ができなくなる。何していいのか分からないからパニックになる。
4. 子供の目から見て立派な人間に「見える」ように行動する。実際は心凍る程怖かったとしても安心させたいし、人をいたわる人間に育って欲しいから、自分もそう行動したい。
5. 自分のわがままを通すために子供を利用しない。どんなにうまくやったつもりでも子供は結構敏感に感じ取って道具扱いされた事に傷ついたりする。
子供ができる前だったら、おそらく「他の人だってやっているから」と買い占めに走ったり、疎開した人を見て「心配し過ぎだよ、バカなやつだ」と言葉にして言ったりするような人間だったと思うけど、そういう親の姿を見た子供はどう思うんだろう、という方が怖かった。
俺の父親は割と情けなくて、責任からすぐ逃げちゃう癖にそれを人のせいにして悪口言ったり、他人を辱めるような事を言って自分を大きく見せようとするような人だったので、そうはなりたくないなって思いがある。
http://anond.hatelabo.jp/20110310003321
Twitterの反応で記事タイトルを「twitterが議論に向かない理由」とか違うタイトルに変えてる人がいる。
悪気ないんだろうけど、自分の記事読んだ上で「なるほど」とか言ったその口で何をやってはるんですか。
確かに長ったらしいタイトルで申し訳ないと思う。タイトル削って自分のコメント少しでも長くしたい気持ちはわかる。
でも、この記事に言及する時くらい自重してくらさいよ。
本題ではないけど一応言っとくけど、私がそういうタイトルにしたのはちゃんと意味があるのです。
自分が言いたいことが「twitterが議論に向かない理由」でもないし「非公式RTそれ自体がクソだという主張」ではないからですよ。
あくまで炎上状態とはどういうものか、その経験が人の認識をこんな風に変えちゃうこともあるよってことが言いたいわけで、別のタイトルで要約されるのはちょいと困るんです。
もちろん文章読んだ上で誤読というか、私の思ったのと違う解釈をするのは全然構わない。そこを責めたいわけじゃないよ。
自分の文章が下手くそなのはよおく分かってるし、意見も偏ってますからな。
「冷静なときの自分」を前提にして原則論語ってるような方がいるのは一向にかまわない。バカだとは思うけど。
でも、タイトルの改変を無意識にやってる人は、意識的にその習慣を直したほうがいいと思うよ。・・・字面で考えると不可能っぽいけど。
タイトルの話はここまでにしてこっからは余談。この記事自体が余談だけど余談のまた余談。こっからは「非公式RTが残念かどうか」は全然関係なし。
自分の中では、誤読する人とか罵詈雑言投げつける人より、こういう悪気なく改変しちゃう人のほうが問題なんだよ。
新しくルールを設けたり、既存のあいまいなルールを明文化・システム化してとりしまる必要が出てくるのは、
悪気のある人間とか凶悪犯罪が出てきた時ではなくて(悪気がある人間は既存のルールで十分取り締まれる)
悪気なくルール破っちゃう人とか、無意識に残念なことをしちゃう人が出てきた時だと思うんよね。
前述したように自分はまなめウォッチャーしてるから、非公式RT問題とかはちょくちょく目にしてたけど、
そういう時ってだいたい大体凶悪犯罪(笑)が話のきっかけになったりして、
そうなると「僕たちは人の善意を信じよう」「人間やネットには自浄化作用がある」みたいな性善説になって終わっちゃうわけよ。
それなんて少年少女向けRPGだよ。テイルズシリーズいい加減進歩しろよ、って話だよね。
いちいちTwitter存亡の危機とかにならないとルールとかシステムって直せんのかい、と。それで現実の猪瀬は納得してくれたのかい、と。
ホットココア@えがみ氏の収益源が断たれようとしているというお話です。
http://anond.hatelabo.jp/20110306221615
「株式会社ジーニー」http://geniee.co.jp/
の代表者様のツイッターによると本件にかなり憤慨されておられるご様子
http://twitter.com/#!/Geniee_inc
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Geniee_inc Geniee
そろそろ1人~2人でやってた頃とは違うのを認識した方がいい。1回ミスをすると、
信頼を回復するのにその何倍も頑張らなければいけないのも理解した方がいい、
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Geniee_inc Geniee
解任もあるけど、迷惑かけた人には会社として公式にきちんと謝った方がいいのでは。
あと、本質的に問題には解決してない。組織運営の問題だと思うから、
じゃないと今後も取引先や人生賭けて参加する社員にも迷惑かけ続けるだろう。
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Geniee_inc Geniee
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ご承知のとおり、ジーニー社様は、ホットココアの主な収益源であり、
炎上マーケティングで集めた非道なPVを換金するために欠かせない
「非モテアドネットワーク」のシステムを提供されておられる企業様です。
えがみ氏はそもそもプログラミングが出来ないですし、現状のホットココアの技術力では
単体でアドネットワークのシステム構築は出来ない訳でございます。
そんなジーニー社様の信用を裏切った訳で、ホットココアはついに存続の危機にあると言えます。
ネット界隈でのブーイングが当事者の周囲にも届いた結果ですね。
それにしても、「惚れ込んでる」盲目的な家入某と違い、ジーニー社の経営者様は
まともな感覚をお持ちのようで。
非モテアドネットワークが潰れれば、ホットココア一味が誹謗中傷、
炎上マーケティングで集めたPVを換金する方法は消え失せます。
良かったですね。
togetterは下記
元となった記事のキャッシュ
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:7nCyDAVwiwkJ:netallica.yahoo.co.jp/news/163534+http://netallica.yahoo.co.jp/news/163534&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
なんだか、西川さんがどのあたりに対して怒りをあらわにしているのかが汲み取れないんだよね
元記事がどれほどに裏をとっての記事かはわからいけれど、少なくともミュージシャンが「もがかず苦しんでいない」とは書いていない
もがいて苦しんだ末に講師を選択している人もいるでしょうよ
「ホスト化」って言葉が悪く思っているように捉えている人も多いようですが、アーティスト(芸術家)ってペイトロンがいて成り立つのが本来のかたちでは?
そもそも、「ホスト」ってのも結構に、もがき苦しみそうな職業に感じるけどなぁ。。。
浜崎あゆみさんにディスりをいれて炎上した際にも発生した、ファンというか、とりまきのキモさはあいも変わらずでTwitterのRT拡散によって
仮にそうだとしても、その「口実」の理屈が正しければ反論できないし。認めるしかないよね。
「そういうとこに目をつける役人が悪い!」に至っては、単なる責任転嫁。
で、僕の言う「原因は…でした」「再発させないために…します」が「根本的な問題」の解決策だと思うんだけど。
対症療法に見えちゃうってのはちょっと理解できない。
まあある程度当たってるけど
ここは少し役人性善説だなあ。実際は役人にしたら「規制の口実発見! うれしい!」なんだよね。なぜかというと規制が増えれば増えるほど彼らの権力(裁量=便宜の見返り)が増えるからね。だからマスコミだなんだ使って企業の汚職を煽る煽る!
で、当然そんなのは悪なんだから、「仲間のうち一人が失敗すると規制が増えて迷惑だ」の答えは「だから失敗する(ズルする)奴が悪い!」ではなく「そういうとこに目をつける役人が悪い!」とならなきゃ。
もちろん、そんなこと言ったって役人が改めるわけじゃなし、そんなすべもなく、結局自衛の策としては「仲間からへまする奴を出さない」という対症療法しかないわけだが、理想的な体質改善としては役人が正しくなる方がいいわけで、だとすれば対症療法で現実に対処しながらも心のどこかでは根本的な問題について思いをはせていた方がいいと思う。
更生の可能性は誰にでもあるだと?
問題は、その人を無罪や執行猶予や懲役にした場合、将来、隣人として迎え入れなければならないという点である。
民間人による裁判員制度において重要なのは、前例に従う事や更生の可能性を判断する事や、更生の為の努力を国や保護観察官に求める事ではない。
罪が無い、あるいは、罪を償ったと判断された人と、隣人として付き合っていけるかという点からの判断が、民間人裁判員に求められているのである。
この観点から考えれば、被害者と加害者、どちらが隣人として付き合っていけるかという事以外に、考える事は無い。
隣人として付き合っていける人であれば、情状酌量を認め、そうでない人ならば、求刑を越えてでも死刑を求めるべきであるとなる。
裁判官は、法廷と官舎を往復する生活で、前科者が隣人や職場の同僚や後輩になる可能性がまるっきり無い。それゆえに、性善説で浮世離れした判決を平気で書いてしまう事がある。
民間人裁判員制度は、始まったばかりである。素人の判断には問題があると主張している人がいるようだが、犯罪者の更正において最大の問題は、社会が受け入れるかどうかであり、これは、法曹専門家には判断できない事だから、素人の、市井の人々の、実際に隣人として受け入れる事になる人々の、判断が求められるのである。
無罪や仮出所有りの懲役刑を選択する場合、被告を隣人として受け入れられるかどうかを、改めて問うべきであろう。死刑廃止論者だから死刑にするべきではないが、仮出所されて近所に越してこられるのは困るから、仮出所無しの無期懲役が望ましいなどというのは、刑務所で人間を健康に老衰で死ぬまで生かしておくのにかかるコストを税として負担する覚悟が求められる。
更生の可能性を具体的に考えたければ、自分が同じ犯罪を起こす可能性と、同じと考える事である。この程度の事は、自分でもやってしまうと考えるのであれば、更生の可能性は高くなり、逆に、ここまでひどい事はしないと考えるのであれば、更生の可能性は無いとなる。裁判員には、弁護人の忌避枠によって、女性や若者といった、更生の可能性のような根拠の無い主張に流されやすい人が採用されやすい傾向にあるが、そういう人々にこそ、出所してきた人と隣人として付き合えるのか、健康なままで天寿を全うするまで税金で無駄飯を食わせるのか、といった、本音の議論を与えてみる事である。
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督に尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督はリアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。
つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。
CASSHERNは、人間の感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)
CASSHERNのクリティカルさというのは、そう、ブライのセリフに集約されている。
「つまり、憎しみとは、人間也!」
さらに、キャシャーンはキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味のモノローグを語っている。
・人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)
これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説がベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。
しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間に
「憎しみとは、人間也!」
というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画のテーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。
このテーマを容認できない人にとっては、監督の独善、ということになるのだろう。
伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼の儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士や三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。
しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。
しかもキャシャーンは抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこの映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。
が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。
では、鉄也の懺悔は無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画のテーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズの「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。
さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエス・キリストの物語を髣髴とさせる。
だから、キリスト教圏では、この映画は日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。
過去に、日本のアニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジが救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジは人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造の映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。
もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオの誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械の触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。
ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。
80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹の逮捕とホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清や三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画のシステムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画をとりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。
無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というその姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズでカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的なプロレスファンは旧来のプロレスのシステムを破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。
従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターがカリスマ化していく作品としては、「最強伝説・黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。
すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。
僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督の製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERNが賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。
そしてこの映画のテーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。
このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的な能力が皆無なので……。
(04/5/1 本田)
入れてみたけど、なんだか「関連リンク」の発想が根本的に間違ってる。
あれだけPVじゃない、とかいっておきながら未だにPVを流してあげるという発想。
しかも「してあげる」という上から目線だし。
噂では1割アップするという話だけど、データはないから信憑性はない。
どうせ仲間内でテストして「1割くらい増えた気がする〜」ってことでしょ。
だいたいブラックリストに登録されたら流れてこない、でも流れ出ていく。
よーし、あいつを仲間はずれにしちゃうぞーってなったらさ、もはや流出するばかり。
試しにブラックリストにアルファブログを順番に登録していったらどうなったと思う?
アフィ厨サイトばっかりになったよ。そりゃそうだよね、PV欲しいもんね、彼らは。
結局さあ、zenbackのzenが「善」という性善説に基づいた設計になってるけど、
実際にはトラックバックスパムと一緒で悪い奴らの温床にしかならないよ。
しかもその関連リンクは広告だっていうし。規約10条は見た方がいいよ。
http://zenback.typepad.jp/blog/terms.html
関連記事やTwitter、はてブ、リファラーの表示は選択制。
しかし関連リンクは表示義務がある。
どうやらその関連リンクの中に広告を紛れ込ませようという魂胆らしい。
もしかしたらアフィ厨サイトから金とってるかもしれないね。
もちろんその金はシックスアパートが巻き上げて、zenback貼った人におこぼれはないよ。
まさにカモがネギしょってやってきた、ってもんだ。
人並みに仕事はできるし、それ以外の人間とは普通にやっていけるので(苛めるような人間とも大人としてつきあっている)特に問題はない。
分かっているけれど、嫌がらせをされるのは、そういう隙が自分にあるからだ。
性善説が染み付いているのか「普通、そんな非常識なことしない」って考えが先にたってしまっていて
いざ嫌がらせをされて、一瞬後にそういえばコイツはそういう奴だった…!と思い出す。
思い出して、ものすごく悔しい思いをする。
一ヶ月くらいは覚えていて、ガードできる。
けれど、それを過ぎるとすぽーんと忘れて、無防備に接して痛い目に遭う。
そういう根っからの陰険な人間は信用しないで、
ちゃんと覚えていれば被害に遭わない。
あるいは、全部忘れてしまえば嫌がらせや、騙されてからも「こいつからは前もあんな酷い目にあった。またか」と悔しい思いをしなくて済む。
忘れてさえいれば、どんだけ不愉快でもそれは偶発的で、不幸な単発事故だったと笑っていられる。
どちらかといえば、後者が望ましい。
陰険な相手の挙動を注意しているのはとても疲れる。
その鈍さをフル回転させてガードしていれば疲れるのは当たり前だ。
嫌なこと、全部忘れられる方法、ありませんかね。