はてなキーワード: マーズとは
年末年始に向けて実家に家族が集まった。だらだらとみかんを食べたり、ゲームをやったり、ずっと楽しくやっていたのに、今朝家族喧嘩が勃発した。原因は伏せるが、とにかく当事者たちが最悪な選択肢を選び続け、どんどん悪い方に進んだ結果心を抉るような口汚い罵りが発生した。本当にクソみたいな展開だった。
でも、止める間がなかった。
雰囲気が怪しくなってきた段階から少しお腹が痛いような気がしていたが、負の感情が部屋に充満するとともに心拍数が上がっていき、心拍数と連動するように腹痛の波が襲ってきた。元々うんこがしたかったのに、そこにストレスとプレッシャーが加わって本格的な便意へと進化したのだ。家族の怒りのボルテージが上がっていくのを傍観しながら、肛門をノックしてくるヤツをなんとか鎮めようと無意味にラマーズ呼吸法を取り入れてみる。だめだ、全く効かない。今すぐトイレに行きたいのに、口論をしている家族を目の前にしてその場を去ることなどできなかった。
そこで口汚い罵声が飛ぶ。聞くに堪えなかったので「ちょっと、その言い方はないでしょ」と言いたいのに、ちょ、で息を呑んだ。声を出すと尻へと向けていた集中力が切れてしまうのだ。家庭の崩壊と水門の崩壊、どちらを優先するべきか一瞬迷ったが私は後者を選んだ。どうせ今更私がうんこを垂れ流しながら止めたところでだ。一度口から出てしまった言葉はもう戻せない。家族は自分の発言に責任を持つべきだ。そして、私も一度尻から出てしまったうんこは戻せない。責任を取りたくないので、私はうんこにフォーカスする。
比較的平和な我が家でこんな家族喧嘩が起きるなんて…という気持ちと、なぜそんな一大事でうんこチャンスが…という気持ちがせめぎ合う。家族がとんでもなくクソみたいな喧嘩をしている、という事実があまりにもショックだったが、クソを漏らす方がショックなので耐える。
そうこうしているうちに一人が部屋に戻り、もう一人が無言で片付けを始めた。喧嘩が終わったのだ。いや、正確にはそれ以来家族は顔を合わせず今この瞬間も冷戦が続いているが、とにかく私の体がフリーになった。フリーになれば、後はトイレに直行するだけである。であるのに、体が動かないのだ。脳内にけたたましいサイレンが鳴り響いているようだった。動いたら、だめだ。今動いたら、出る。
色々と覚悟をして目を閉じて深く深呼吸をしたら、その場に残っていた家族が「何?」と刺々しい声で訪ねてきた。私が二人の喧嘩に不満を抱いて溜息を吐いたのだと勘違いされたらしい。射殺さんばかりの眼力にビビって肛門がキュッと閉まる。不幸中の幸いだ!いいぞ!
「い、イヤ・・・なんでもない・・・」と絞り出し、肛門に力を入れ、右手で必死に左手のひらの親指の下あたりを押しながら(なにかツボがあるらしい)、体がなるべく揺れないようにスススーとトイレに向かう。喧嘩を目の当たりにした恐怖と、お腹と肛門に押し寄せる波で心臓が爆発しそうになっていた。気道に大きな梅干しが詰まったかのように喉が窮屈だ。
トイレの前に辿り着く。不思議なことに、ゴールが見えると途端に痛みが増すのだ。フライングでアップを始めるうんこをなだめることはできない。ここまでくると吐き気と勘違いしそうになる。口の中にサラサラとした液体が集まり、下からではなく上から出したくなる。大慌てでドアを引き、体を中に滑らせ、ドアを閉める。鍵を閉める余裕はなかった。ズボンとパンツを同時に掴んで一気に下ろす。尻が便座にふれる0.5秒前に肛門が崩壊した。でも、間に合った!
そこからはとにかく流れに身を任せる。お腹のドクドクとした痛みは続くが、痛みの波に合わせてちゃんと出てくる。水面に着地する音が妙に心地よい。この瞬間だけは緊迫した家のことを忘れることができた。何も気にせず、心配することなく、自分のことに集中ができた。
そうして、肛門のひりついた痛みと引き換えにお腹の痛みを解消した私は入念に尻を拭き、パンツをあげ・・・ようとしたところで、見てしまった。パンツに残るシミ。
そう、私は間に合ってなどいなかったのだ。
いつ?どのタイミングで?一度はキュッと閉じたはずの肛門。あの直前か?それともその後トイレに向かう時に力が抜けたのか?それともトイレに到着してパンツを下ろす瞬間、もう出ていたのか?わからない、何もわからないが、幸いシミは小さく、おそらくスタンバっていた第一号(水っぽい)がちょっと出てしまったのだろう。なぜ気づかなかった?漏れた液体に気づけないほど余裕がなかった?
とにかく私は人生初のクソ漏らしをしてしまったのである。ある意味人生の経験値を獲得したので、どこかに残しておこうと思ってここに書いた。
Q.
歌詞は以下です。
(ここに歌詞)
1回目
「2D OR NOT 2D」は、平沢進が歌った楽曲です。この楽曲の歌詞は、2Dの世界と3Dの世界を比較しています。歌詞では、2Dの世界を壁画と表現し、3Dの世界をCGと表現しています。また、2Dの世界では、ラブリーというものが存在し、これは座標のバグを意味しているようです。歌詞の中では、2Dの世界と3Dの世界を比較しながら、それぞれの世界の魅力を歌っています。
2回目
平沢進の「2D OR NOT 2D」の歌詞を見る限り、この曲は2Dと3Dのあいまいさについて歌っているようです。2Dと3Dとは、コンピュータグラフィックスの分野で用いられる用語で、2Dは二次元、3Dは三次元を表します。
歌詞では、エデンや天井、サンシャインの形や壁画、さらにはイブとアダムの存在が登場します。これらの要素は、神話や宗教的なイメージを想起させるものであり、2Dと3Dの概念をより抽象的な層面で捉えることができるようです。
また、歌詞では「ラブリーとは座標のバグらしく」というフレーズが登場します。これは、2Dと3Dのあいまいさを具体的な例として挙げているように思われます。座標とは、空間内のある点を表すために用いられる数値です。座標のバグとは、これらの数値が正しくない場合に起こる問題を指します。このようなバグは、2Dと3Dの概念を超えたものであり、そのあいまいさを表していると解釈することができます。
結論として、平沢進の「2D OR NOT 2D」は、2Dと3Dの概念について歌ったものと考えられます。その中で、2Dと3Dの間に存在するあいまいさを示し、その抽象的な意味を探求しているように思われます。
3回目
「2D OR NOT 2D」は、平沢進さんの作品であり、その歌詞は、2Dと3Dの表現方法の違いを探りながら、どちらが自然なものかを問う歌となっています。
歌詞の冒頭では、エデンやカンブリア、ムーンやマーズなど、自然界に見られる現象を通して、2Dと3Dの表現方法の違いを探っています。
例えば、「天井にムーンなお上にはマーズ」という歌詞は、3D表現ならば、実際に天空を見上げるような感覚で、ムーンやマーズがどこにあるかを知ることができます。しかし、2D表現だと、天空が背景として描かれているだけで、ムーンやマーズがどこにあるかは知ることができません。
また、「壁画じゃどんなか?」という歌詞は、壁画で表現されたものは、2D表現の世界に限られることを指しています。壁画で表現されたものは、立体的な世界を再現することはできません。
さらに、「胸はヒエラルキー」「髪はフラクタル」という歌詞は、3D表現の世界を指しています。3D表現では、人物や物体の毛髪や衣服などの細部まで再現することができます。
そして、「CG OR NOT CG」という歌詞は、3Dのコンピュータグラフィックスの表現方法を指しています。3Dのコンピュータグラフィックスでは、実際に存在しない世界を作り出すことができます。
途中で止まらないで😭
経口避妊薬に関して
1984年生まれの自分は、小学生の時性犯罪被害に遭って妊娠・中絶に関心を持つことになってその時緊急避妊という措置、経口避妊薬というものを知った。
時代なのかただ周りがそうだったのかわからないけれど(そもそも私がそう思い込んでいるだけな可能性もある)
『ピルを飲む女は性に奔放』というイメージを大なり小なり持っている人もいたように思う。
そもそも母親ですらも産婦人科へ出入りするのを見られること、ただそれだけでも恥ずかしいことであると考えていた。
自分は「ススんでる、古いジェンダーの縛りから解放された女!」とか考えていたなー
15年位前のmixiコミュティでは低用量ピル普及委員会とかあってそれなりにオープンに語られるようになったのかと思っていたけれど、現状でもやっぱり偏見というかタブー視されがちだったりするのかな。
月経周期が不安定ということ以外大した悩みがなく、オーソMでもトリキュラーでもマーズレンでもあまり副作用がなかった自分だから
・・・・、
人に勧めてしまいそうだけど、本当薬の作用は千差万別なんだなと思いなおす
月経周期をコントロールできるようになって出血量期間ともに減って短くなったからありがたかった
偏見減らすためにもピルを飲んでいようがいまいが妊娠目的以外の性交時には性病予防のためにコンドームを使うし他の女性・男性にも使って欲しい
ともあれとにかくこの記事を書いてくれて、増田に感謝を伝えたい。ありがとう。
ところで性の話ってし難いよね
女性だと川澄綾子(ゾイド新世紀/0のころ)、村田秋乃(ターンAガンダムでびっくりしたが、後年みたザ・マーズデイブレイクでまるで変わってなくてさらにびっくりした)、花澤香菜(ゼーガペイン。でもこれは子役みたいなものかなと思ったし実際そんな感じだったそうで)
でもなんといってもレジェンド入りは矢尾一樹かな。アムロも演技できてるかというとどうかと思いつつまあいまでもアムロだし、カミーユはほかでいろいろやりつつ今でもカミーユできてるけど、ジュドーはちょっと、って気はするし、じゃあグレイ・ストークになれてるかというとそういう貫禄や重みがあるわけでもない。ただこの人がビーストウォーズで一話限り演じたスタースクリームは素晴らしかった(もともとスタースクリームは鈴置洋孝)
日本の文化は「マジ」と「なんちゃって」に分けられると思ってるんだけど
80年代はなんちゃってが優勢だった時代なんだよ。バブルで調子乗っててチャンネーシースーギロッポンとかふざけた時代。
テレビだったら秋元康ととんねるずの時代だよね。真面目が馬鹿にされる時代。
それが90年代はマジ優勢の時代になっていくのよ。正確にいうと91年にバブルがはじけてその残り香がなくなった94年くらいからかな。
そして00年代はまたなんちゃってに戻るみたいに繰り返してるとおもってる。秋葉系の時代と言っていいから「てへぺろ」でもいいかもしれないw
10年代はけっこう「マジ」が復活してる感あったよね。震災の影響あるのかもなぁ。
90年代は「マジ」の時代だから自分で作詞作曲しないと音楽で飯食えなくて、不遇だったのがアイドルのSMAP。
アイドルというジャンル自体が「なんちゃって」になってしまったので、活躍の場がなくアイドル冬の時代なんて言われていた。
だから開き直ってなんちゃってを始めたのがSMAPxSMAPで、なんちゃってが得意なフジテレビでコントのコーナーを取り入れたアイドル番組を始めたのが戦略的だよね。
でも音楽はマジの中心だったから、彼らは従来のジャニーズがやってた王子様的な少女漫画の世界から、リアルな青年をイメージさせたマジに寄せた青いイナズマとかSHAKEで勝負したんだよね
光ゲンジのだれかがSMAPの歌の路線をうらやましがってた話をしてたのを覚えてるよ
とはいえ中居の超絶的歌唱力でやっぱりSMAPはなんちゃって扱いだったけどねw
モーニング娘。もそのマジの時代に生まれたアイドルって感じだよね
ASAYANがそもそも「マジ」なんだけど、でも平家みちよに決まったオーディションの負け組で組まれたっていう流れがなんちゃってだし、いかにもアイドルな売り方だよね
とはいえ00年代みたいに黒髪にしろなんてこともなく、金髪の後藤真希がそうだけどマジ時代に対応したアイドルではあった
だからそのあと出てくる00年代の歌が下手で口パク上等でダンスがゴミなで、握手だのじゃんけんだので優劣を決めるAKBなんかと比べて歌とダンスは抜群にうまかったから、ハロプロオタクはそこが心のよりどころだったよね。
アイドルなのに「アイドルっぽくない」が誉め言葉という変な時代
アイドル不遇だから、芸能事務所が新人の女の子売りづらくなった。それで発明したのが女優の卵という謎のジャンル。
広末涼子が代表例で、そういう人材はしれーっと音楽も出してアイドル的な売り方もする。この手法は今でも続いてるよね。
アイドルが好きだと言ったら馬鹿にされたマジの時代に、思春期男子に「アイドルじゃねーから」といいやすく消費しやすくしたのが女優の卵だったり女子アナなんだよね。
音楽は「マジ」の中心地みたいな感じだったから作曲はできないけどせめて作詞はやらせろみたいなかんじでマジ売りを事務所におしつけられて
マジ時代に対応したよくわからんエセアーティスト売りのアーティスト増えて、歌姫なんていうジャンルが生まれたり、裸足で歌いだしたり、あの時代のマジ対応はよくわからんこと多いw
だから椎名林檎みたいなガチな人材が業界人からも勘違いされて「きみもそうなんでしょ?」みたいな扱い受けてたの笑うよね
松本人志はテレビのお笑いに「マジ」を持ち込んだ人だよね(談志とか上岡龍太郎とかもいるんだけど)
90年代はお笑い芸人が芸能界のヒエラルキーでトップになった時代といえるんだけど、間違いなくダウンタウンの影響だよね
ビートたけしは映画業界ではマジをやってたけど、テレビじゃ「なんちゃって」のキャラでコマネチコマネチってやってたからその辺が微妙だった
(余談だけど、彼がプロデュースした伝説の糞ゲーたけしの挑戦状は「こんなげーむにまじになってどうするの」なのが偶然とはいえおもしろい)
お笑い芸人は「なんちゃって」を生業にする職業で、昔はいろもんなんて言われてたが、松本人志はそれをひっくり返しマジをお笑いで商売にした人といえる
それでお笑いとアーティストの芸能界マジヒエラルキー競争が始まったんだけど
HEYHEYHEYとか、うたばんとかお笑い芸人がMCやり始めて
浜ちゃんに叩かれた!うれしい!浜ちゃんにたたかれると売れるってジンクスがあるんです~なんて言って
お笑い芸人に媚びるアーティストみたいな構図が普通になって、あれでアーティストがお笑いの下になったのを感じたよね
M-1がウケてるのは「マジ」だからだよね。あの時だけ、日本の笑いはかっこいい「マジ」が許される。
ただ初期のM-1はテツトモみたいなのも交じってたことね。それで談志に漫才じゃないとか言われてwあれってマジじゃないってことよね。
そんでM-1終わってフジテレビで始まったTHE MANZAIで審査員に秋元康がいてずっこけたねw
さすがなんちゃってのフジテレビですね。そしてTHE MANZAIが失敗するのも当然よな。
それでサブカル野郎はAKIRAとか攻殻機動隊は別腹とかいう扱いをしてたよね
メイドをコンテンツにする秋葉原はなんちゃって文化の中心と言っていいんじゃないかな
「ご主人様~、萌え萌えキュン!」なんてなんちゃってにもほどがある
そこに秋元康のようななんちゃってでメシ食ってた人間が注目してAKB48始めたのは当然だよね
セガってだせーよなとかいって自虐させたり湯川専務のように実際の専務をCMに使うなんて典型的なんちゃって戦略だけど
秋元って90年代のマジに対応できなくてさ、いつまでたっても80年代のなんちゃってな空気でスゲーダサかったイメージ
それが秋葉と00年代のネット文化で復活してしまったのは俺の中で苦々しく思うことの一つ
宝塚歌劇団がマジを提供し続けているなって思ったことあって、コナンと宝塚って結構似てるんだよね。
ジャンルは全く違うけど、マジというトーンが似てる気がするんだよね
「マジ」は「スタイリッシュ」「キザ」「見栄」「キメる」「気取る」「媚びない」でもいいよね
スーツびしっと着て、テンションがパリッと張って、キザで気取ってるのが好きなんだなって思ったよね
アニメコンテンツのなかでコナン、AKIRA、攻殻機動隊、カウボーイビバップはマジの立ち位置だったけど
秋葉系オタクはカウボーイビバップをオサレアニメって嫌ってたよね
あとブリーチに至っては、作者の久保さんまでネタにしてオサレオサレって馬鹿にしてた
00年代の秋葉のオタクたちはネットで冷笑でひろゆきみたいなキャラあこがれて、マジなものをなんでも馬鹿にしてた
秋葉がそうだったから2ちゃんねるみたいになったのか、2ちゃんねるがそうだから秋葉がそうなったのかしらないけど
とにかくマジをきらってなんちゃってでミニひろゆきみたいな他人を馬鹿にするような、中二病や黒歴史という言葉をやたら好んで他人を攻撃するやつらばかりだった
そのころアメリカはテンション張ってるものが好きだからオサレなもの、キザなものが好きでまっとうに評価してたよね、さすがハードボイルドの母国って感じ
最近アメリカで日本のシティポップが評価されてるらしいけど、あれもテンション張ってるキザでオシャレなコンテンツだからアメリカ人が好きなのは納得
アメリカ人はエルビスプレスリー、マイケルジャクソンとかブルーノマーズがそうだけど、伝統でも今でもずっとマジを真面目にやる国なんだよね。
日本人みたいに恥ずかしがってなんちゃってに逃げないし、他人をオサレとかいって馬鹿にしない。
ソニーがこの方向でそれ以前までの小学生に向けていたゲーム業界をファミ通などと組んでイメージの変革を起こそうとしていたよね
ソニー参入までは、ゲームを作る人は今でいう歌のお兄さんみたいな特集のされ方だった。「みんな新作まっててね~」みたいな感じだったけど
暗い部屋で間接照明をあてて「ゲームクリエイター」って肩書で、中高学生のあこがれの職業みたいにしていったのはソニーだよね
ソニーのゲーム事業は母体がソニーミュージックだからアーティスト的プロデュースのノウハウがあったんだろうね
マジをつかったゲームクリエイターのブランディングは見事にはまったよね。
それに対抗しようとしたセガはなぜか秋元に頼ってなんちゃってやってセガってだせーよなとかなんちゃってをやりはじめた
秋元のチェキっ子とかいうアイドル番組のスポンサーになってそらセガつぶれるわって当時思ったよ
セガって渋谷の兄ちゃんたちに愛されてたのよ。秋葉っていうよりかは渋谷系だったよね
そんなセガが秋元のなんちゃってに取り込まれ、そしてアイドルのスポンサーするとか終わってたよね
あのころのセガは方向性を見失ってて、サクラ大戦なんかもそうだけど、セガってこんなゲーム作る会社だっけ?っておもったよね
そのあとの話だけど、10年代のセガは初音ミクとか、バーチャロンととある魔術の禁書目録のコラボみたいに誰が得するんだみたいなことやり始めたり、とにかく秋葉系にすり寄っていくよね
90年代のマジなセガを知ってるから、セガサターンを白くしたり、ドリームキャストは最初から本体カラー白だし
あとゲーム業界のマジの代表格だったFFがFF10になって秋葉系オタクのなんちゃって文化に毒された結果が10-2
あれでまじでスクエニは死んだなって思ったし実際ゲームオタクからは相手にされなくなったよね。
『天冥の標』が好きならこれもどうでしょう
気候変動後の地球を舞台に、陸上民と、遺伝子改造された海上民との確執などを描くシリーズ。
それから短編がいくつかあるけれど、短編は同じ世界を舞台にしたスピンオフ作品なので、どれから読んでも大丈夫。
長編の方を読んで気に入ったなら、短編の方にも手を出す感じになるかと思います。
表題作の1篇が、オーシャンクロニクル・シリーズ。ほかの収録作は、ややホラー・怪奇系の作品が多い
表題作の1篇が、オーシャンクロニクル・シリーズ。ほかの収録作も、ハードSFとまでは言わんかもしれないけど、しっかり目のSF
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を挙げていたけれど、日本SFでアンディ・ウィアーに近いのは藤井太洋とかなのではないかなあ、と
実は自分も藤崎作品をあまり多く読んでいないので、これ! というのを出せないのだけれど、現実の科学に近い感じのSFという意味で
2010年以降にデビューしているSF作家による書き下ろし宇宙SFアンソロジー
アンソロジーなので、収録作の方向はそれぞれ違っていて、増田の好みではない作品もあるかなと思うのだけれど、
宇宙SFが好きなのであれば、全般的にクオリティの高い作品がそろっているアンソロジーだと思います。
既に多数推薦の声が挙がっているけれど、改めて。
イーガンは、初期は「アイデンティティ」ものと言われたりする、自己同一性とか意識とかがテーマになっているような作品が多く、この時期の作品の人気が高い。また、読みやすいので、とりあえず初期短編集からという薦め方がされやすい。
ある時期から、物理学分かってないと分からんみたいな、かなりハードめなSF長編を書くようになっている。でも、分からんなりに楽しめたりするし、ハードSF・宇宙SFが好きなら、最近の作品から読んでいくのも悪くないのかもと思う。
また、わりと一貫して、科学的探求に価値を置く主人公が出てくる作品が多い気がする。
長編。宇宙ものとアイデンティティものの両方をもった作品。データ化された人類が宇宙進出していく話
超ハードSF長編。そもそも主人公が地球人類じゃない。とある天体の知的生命体が作りあげていく物理学をみていく作品
我々の宇宙とは異なる物理法則が支配する宇宙が舞台。なので、当然登場人物たちはみな地球人類ではない。
自分たちの住んでいる星に危機が訪れることがわかったので、それを回避するために世代間宇宙船を作って飛ばして、また戻ってくるという話
これまた、地球人ではない彼らの物理学の進歩を見ていく話だけれど、一方で、ジェンダーSFにもなっていて、地球人とは全然異なる生態の彼らの社会問題を扱った作品でもある。
イーガンは、この作品に限らず、結構社会派なテーマも扱っている。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだみたいなので、わざわざ改めて挙げる必要はないのだけど、『火星の人』『アルテミス』も面白いと思う。
『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』の三部作
2026年から2225年までの200年間にわたる火星植民の歴史を描く物語。
なお、90年代に書かれた作品なのだけど、当時あった火星探査計画をベースにしていると思われるところがあったり、かなりリアリティを追及している作品
登場人物たちにクセが強いので、最初読み始めた時はそれに慣れるまできついかもしれない。
長編『へびつかい座ホットライン』、短編集『汝、コンピュータの夢』『さようなら、ロビンソン・クルーソー』
ハードSFというわけでは必ずしもないのかもしれないけれど、太陽系の各惑星に人類が拡がった世界を舞台にした諸作品
性転換などの身体改造が自在にできるようになっている世界で、そうしたことをテーマにした作品が多いが、
とにかく色々な惑星などを舞台にしていて、それらの風景が印象に残る
https://anond.hatelabo.jp/20220304184302
shields-pikes 過去の読み切りから追ってるけど、ずーっと「コンプレックス」をテーマに話を書いてる作者だよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4716259749275314210/comment/shields-pikes
これも、「そうかぁ?」と思ったので、タイザン5名義で読める読み切り作品を再読してきた。
『讃歌』(DAYS NEO)、『同人政治』(となりのヤングジャンプ)、『ヒーローコンプレックス』『キスしたい男』(ジャンプ+)
で、再読して、やっぱりそうだよな……となったのだが、自分は、タイザン5の一貫したテーマは「救済」だと思う。
いかにして人は救われうるか。どうしたらその瞬間を、説得力やカタルシスをもって描けるのか、という部分が焦点になっている。
より突き詰めて言えば「どんな状態で発せられる、どんな言葉なら、『嘘』でなくなるのか」が、読み切り4作品で見える、タイザン5の「テーマ」だ。
ハッピー星人は、説得力のない、しずかやまりなや東くんにとって「嘘」である、綺麗事しか言えない(理解できない)状態から始まる。
なので、テーマは1話で描かれている通り(もちろん、テーマというのは必ず1話に描かれているものだ)。
「たくさんお話して、もっと君を知って、いつか、いつかきっと、しずかちゃんをものすごい笑顔にしてみせるっピ!」
【公式】タコピーの原罪【上巻発売記念PV】 - https://youtu.be/vsPbfdv41-w