はてなキーワード: ボトルネックとは
Bで10日で動くものを作れるとするならば11日目からは客が受け入れテストをできるわけだ。
そして客として本当に欲しかった要件を動かしながらすり合わせができるわけで、さらに質の観点では11日目以降でリファクタしたらいいのだからBがコードもキレイで要件も客の満足の行くものに近づいていくと思う。ワイは実際この仕事の仕方をしている。作らないと正確な見積もりなんてできないし予想外のボトルネックを特定ができない。
Dも似たような形に持っていけるかもだが、BとDで前提が違うのがよくわからない。仕様を全部キレイにまとまっているならばDの回答にはならないだろう。Aの作ってみなきゃってのはどこまで作ったうえでのことかもよくわからない。
いや、
誰も「AI」によるサービスが初めて登場したのはなんでだろってのは聞いてないんだよ。
DALL.EとかMidjorneyみたいなサービスが現れたのはどういうわけ?
って書いてあるよね。
Crypkoの機能として背景までの絵ってのはできるのか?
技術的に可能ならDALL.EとかMidjorney likeなやつが
今までなかったのはなんでだろって聞いてんだよ。(もしくは既にある。けど、それはそれで何で流行らなかったってのは思う)
いつでもできるなら、需要ありそうだしlikeなやつがあっておもかしくないよな?
同じような技術を利用したサービスって意味じゃなくて、同じようなレベルで、同じようなサービスって意味な。
だから、付け足すと
「ボトルネックはなかった、企業では利用されていた」なら転じて、一般にも需要ありそうに思えるけど
「ボトルネックはなかった、あまり有名じゃなかったが〇〇とかがある」
とかかなあ
もしかしてだけど、有料のサービスだったり、Stable Diffusionの初期のころは「まともじゃない」って考えてる?
こっちは、有料のサービス、Stable Diffusionの初期でもまともだと思っているから、
そもそもとして、何で「まともなサービス」がなかったんだろって単純に疑問に思ったわけで。
聞きたいのはそこじゃなくて、「ボトルネックはなかったが、〇〇がなかった」の〇〇の部分なわけ。
一旦Stable Diffusionが公開される前と仮定してほしいんだけど
DALL.EとかMidjorneyみたいなサービスが現れたのはどういうわけ?
有料にするってことは需要が見込めるってことでペイできるとはイコールじゃないけど、技術的に可能かつ需要があるなら早期に参入したほうが有利にならない?
それらしい穴埋めすると
「ボトルネックはなかった、企業では利用されていた」なら転じて、一般にも需要ありそうに思えるけど
とかかなあ。
参戦遅れたわ、悔しい。
元増田の主張にフォローする形に話を持っていくなら、一定数のブクマカたちの言っている「明石花火大会歩道橋事故」が、元増田の言う
元増田の主張全体を通して読むと、引用文の「こんな事」が「雑踏事故自体」に係るか「催涙弾の使用」のみに係るかが不明瞭ではあるけども、いずれにせよ1本事故の原因をちゃんと検証して反証たりうるか調べて、ブクマカたちに反論するなり補足するなりってのが建設的議論ってやつだと思うんだけど、そうやって煽り合ってなにが解決するんだ。
そこは「そうしないと読んでくれない」って思いがあったかもしれないにせよ、タイトルを煽り気味にした元増田も良くない。
当然それに乗っかった一部のブクマカも良くない。
あと、
よく言われることだけど、「分かりやすさ」はすなわち「事実」じゃないから気をつけた方がいい。
当然これから俺が主張することも、出典が出典だけに事実じゃない可能性がある。元増田の主張を支持して俺の主張の穴を突きたいなら自分で徹底して調べて俺に教えてくれ。単なる煽りには絶対に乗ってやらないんだからね。
本題に移る。
2001年7月21日に起きた「明石花火大会歩道橋事故」についてはWikipediaに記事があったので、以下これを元に話を進める。
原因については、以下の様になっている。太字は俺が強調した。
会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つであった。この歩道橋以外のアクセス経路としては、朝霧駅東側の踏切や西側の跨線橋があったが遠回りになり、山陽電気鉄道本線の大蔵谷駅や西舞子駅があるものの会場から遠いという難点があった。加えて暴走族との衝突が発生しても警備がしやすいという理由から、歩道橋から続く市道に180店の夜店を配置していた。
この結果、事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れが衝突して滞留が発生した。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、さらに当日は蒸し暑く、歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっている。
とある。
と言っている。
そして周知の通り、元増田は本事故を「日本の雑踏警備に影響を与えたいくつかの事故」として挙げなかった。
これらのことから読み手側には、いくつかの事故を教訓に「一方通行」と「ボトルネックを無くす」という雑踏警備の鉄則に則り警備が行われたはずだったが、にもかかわらずそのどちらもが機能せず、結果として本事故は起きてしまった。少なくともそれが何故なのかを説明しないと、元増田の言う「日本の警察であればこんな事はまず起きない」は信用できないと解釈する余地が生じる。
なので、繰り返しにはなるけれども、元増田を「批判を気にしなくていい」と擁護する立場であるこの増田がやるべきことは、元増田に対するそんな慰めとか、煽りに対する煽り返しに対する煽り返し返しではない。そんなことしても煽り返し返し返しが来るだけでなんの解決にもならない。
この増田は、支持者としてただただ努めて冷静に、元増田の主張の不足している部分を補えば良いのである。
というわけで、やさしいこの俺が、この増田の代わりに当事故の起こった根本原因は何かをWikipediaから引用しながら説明してみる。
事故後、兵庫県警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。
この花火大会にあたり、明石市と兵庫県警察本部(明石警察署)、警備会社のニシカン(現ジェイ・エス・エス)との間で事前の警備計画の協議が不十分だったことや、7か月前の2000年12月31日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をほとんど丸写しにしていたことが判明した。さらにその計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用しており、「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた。約15万人から20万人の参加者が予想されていた本大会には、この問題点が生かされていなかった。
また兵庫県警察が暴走族対策を重視して夜店の配置を集中させ、暴走族対策の警備要員を292名配備していた一方で、雑踏警備対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されていた。
太字に注目するに、本事故が起こった根本原因は、警察の警備計画策定業務に対する怠慢である。
実際に、Wikipediaには複数の民事・刑事訴訟について書かれていて、うち2件は最高裁まで行って、1件が有罪となっている。以下裁判要旨。
花火大会が実施された公園と最寄り駅とを結ぶ歩道橋で多数の参集者が折り重なって転倒して死傷者が発生した事故について、雑踏警備に関し現場で警察官を指揮する立場にあった警察署地域官及び現場で警備員を統括する立場にあった警備会社支社長の両名において、いずれも上記のような事故の発生を容易に予見でき、かつ、機動隊による流入規制等を実現して本件事故を回避することが可能であった本件事実関係の下では,両名には上記事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠った過失があり、それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。
他にも色々と裁判になってめっちゃ尾を引いてるので気になる人は各々調べてね。
元増田の主張には重要なことが説明されていない、と俺は感じる。
警備対象を人間扱いするのは重要だ。流体扱いするのも重要なんだろう。
でもそう標榜するだけじゃ事故は防げないことは、本事故が証明している。
人間が警備をする限り、本事故のようなことは今後も起こり得る2。
このような、人間が人間であるがゆえに起こす事故を「人災」と呼ぶ人もいるかもしれない。
その観点では、少なくとも俺にとっては本事故もインドネシアの事故も等しく「人災」であり、人間の失敗であり、未来のために学ぶ意義があるものだ。
この時点で俺的には満足したんで、以下細々と。
2005年(平成17年)11月、この死亡事故を教訓として警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務検定に従来の常駐警備、交通誘導警備等に加え、雑踏警備が新設された。
元増田がこの記述以降の体制について話しているのであれば、余計に「本事故に触れないのはなんでだろう?」とは思う。
これ、「誰が」「どこに」提出するかが分からんかった。
本事故の時点では警察自らが策定してたみたいだけど、今は違うの?それとも警察のものとは別に策定されるの?
おわり。
書きました↓
https://anond.hatelabo.jp/20221004181228
https://anond.hatelabo.jp/20221005143828
https://anond.hatelabo.jp/20221006154025
https://anond.hatelabo.jp/20221006200623
本筋に関わる変更に関しては、記事最下部参照。
てかトラバ元消されてるやん。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221003210803
porquetevas これだけ力説して明石歩道橋事故に頑なに触れないのがちょっと怖いんだけど
augsUK 明石の花火大会歩道橋は、集団密集での転倒の怖さを伝えるのにこの上ない事例。何かに逃げ惑うとかでもなく、ただ花火大会で異常に混んでただけのボトルネックで20人近くが死亡したわけで。
ブコメの多くが、明石大橋に言及していないことを訝しげているか、それについてのツッコミばかりだ
どう考えても元記事に対する感想や言及より、とりあえず明石大橋の事件に結びつけることにしか頭がいっていない
ブコメが悪いというより日常はこういう話が普通にされていて誰も気づいていないだけかもしれない
これくらいの長文に対してわざわざコメントをしたがる人っていうのは、存外文章全体を読まずに自分が指摘しやすい箇所だけに注力しているということだろう
仕様書全体から見える工程の難しさや人員配置のおかしさではなく、単なるテニヲハだけを指摘して「俺は読んでいる」とアピールしたい人っているからね
そしてこんなことを堂々と指摘されている
ttps://anond.hatelabo.jp/20221004013502
これ言ってる人たちが唯一知っていて、この会話に参加できそうな唯一のネタが明石雑踏事故だからだろう。そしてそこにもし何らかの間違いがあれば、指摘することで優位に立てるとでも思ってるんだろうか。
もちろんコメントの内容を抑制することはないんだが、自分もブコメと同じ罠にはまらないとは限らず、何が罠でなぜかかったのかを明文化された一連の流れは自分の教訓となりそうだ
そもそもを言うなら「満員のスタジアムで催涙弾を撃ったインドネシアの警察がアホすぎる」だけでよくて他の解説はぜんぶ蛇足だよ。
催涙弾は(当たり前だが)FIFAも禁止していて、普通はそんなものを打ち込むようなルールにはなってないよ。
日本だって満員のスタジアムで催涙弾を撃てばそりゃ事故になるよ。
「一方通行」とか「ボトルネック」とか今回の事故には関係ないよ。
というか記事でも「逃げようとした観客が折り重なるように倒れるなどして死亡した」と書かれてるのに
・生産台数やら納車台数やらが予想に届かなかったらしい。物流がボトルネックになっているとも。
・テスラが中国車に対して価格競争力で劣っているのでは(テスラが高級志向なことやドル高なことが要因)との指摘も聞かれた。高額商品であるテスラ車は世界的な景気悪化で買い控えも起きそうだ。
・週末にマスクが発表したロボットは、お世辞にも実用段階にあるものとは言えない動き。ロボット事業がすぐに収益に結び付くことは無さそうだ。
こうして急落の理由はいくつか挙げることができるが、より根本的な理由としてはアメリカの利上げがある。急激な利上げの環境下で、なお高止まりしていたテスラ株を手仕舞いしたかった機関投資家に、最終的な売りを決断させる上述のようなきっかけが与えられたということだろう。
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
感染者の情報登録がボトルネックとなってそこかしこが破綻するのは全くもって好ましくなく、全感染者の詳細な情報登録を取りやめるのは妥当だろう。一方で、感染者数の把握を引き続き行うことにしたことは評価できる。陽性率が異常に高くなっている現在、捕捉感染者数が実感染者数から相当乖離していると推測されるが、それでもなお、感染者数は感染状況の把握や統計学的検証に有用であると考えている。特に波の真っ只中で数の基準を変えることは、そのような検証を無為にしかねず、数の把握を維持したのは妥当だ。
今回の全数把握の緩和は妥当であると考えているものの、これはやむを得ずそうせざるを得なくなったという前提での妥当であって、そこに至った経緯は全く評価できない。まず、この変更が、状況がいよいよまずくなってきてから議論され実行されていることだ。こういうのは落ち着いているときに話をすべきであって、逼迫してから急いで変えると無駄な過ちを犯しかねない。現に、都道府県への「丸投げ」が問題とされているが、これは結局、何のために情報登録をしていたのか、そして何故今やめることができるのか、そこが曖昧なまま、ただ逼迫しているからやめたという短絡的な対応をしていることの現れだろう。
また、同じように全数把握を行っている韓国は、日本よりもはるかに多くの感染者数を出しながら破綻していない。マイナンバーや医療機関のデジタル化など広範に渡る政治的問題だが、なぜ韓国のようにできなかったかは省みられるべきだろう。
リスク低減の観点からは水際対策を続行するのが好ましいが、諸外国とのバランスや、日本国内で感染拡大している現状を考えれば、この施策の合理性を見出すのがいよいよ難しくなってきており、やむを得ないだろう。ただし、今後も変異株の可能性は消えず、どういった条件でどのように水際対策を復活させるかはあらかじめ決めておくべきだろう。
ウイルスの流入を防ぐという目的に立てば、検査免除の対象をワクチン3回目(以上)接種者に限定しているのは意味不明である。オミクロン株に対して、現在使用されているワクチンの感染予防効果は数か月で急速に低減する。2回目以降のワクチン接種後の期間を指定するのであればまだしも、3回目以上とするのは合理的ではない。一気に緩和したくないので、クッションを設けたかったのかもしれないが、理由が立たない規制はすべきではない。これもまた全数把握と同じく、施策の目的が曖昧になってしまっている。
これはまだ決まった話ではないが、感染者の隔離期間短縮が検討されている。現在の10日間という期間は感染者の感染性(発症後ウイルス量)の検証結果から決められた値で、これを短縮するのは明確にリスクを増加させるものである。またもや同じような話になるが、「社会が成り立たないので、短くします」という短絡的な判断があってはならない。短縮するのであれば、リスクを評価した上で国民に提示し、明確な目的を持った上で実行すべきだ。
私はなんでも遅い。
朝起きてからベッドを出るまで1時間かかるし、出社してデスクに座ってもpcをつけるのに10分はかかる。暴力を振るわれたことに対して怒りの感情を覚えるのも何年かかかる。大学の頃の教科書の意味不明だった箇所が、最近通勤中にやっと意味がわかったりする。今持ってる情報を整理して、論理的に繋げて考えないと、行動や認知に移せない。
そんなだから、いつも協力してやる作業のボトルネックになってしまう。
思えば、小学生の頃もゲームが下手すぎて一緒にやってもらえず、中高の部活でも控えにもなれず6年間掃除をしていて、学部の頃の軽音サークルでも下手すぎて誰もバンドを組んでくれないままソロギターばかりやって卒業してしまった。いずれのコミュニティでも、集まればそれなりに話せるが、コミュニティ外で話すような友達はできなかった。
今の仕事のチームで、資格の関係で自分しかできない作業が自分のせいでボトルネックになっている。周りの目が辛い。
前任者だった私の後輩は私の半分の時間でやっていたそうだ。時間をかける代わりに、他の人のミスにも気付けるし、自分も決してミスしたことはないのだが、指摘されるのも気に触るらしい(しかし仕事なので指摘せざるを得ない)。
私ばかり残業していたので、私を除いたメンバーでよく飲みに行っていたようなのだが、休日にも私抜きで飲みをやっていることを知ってしまった。かなりのショックがあった。ってか、わたしは隣のデスクの先輩が結婚したことも知らなかった。人格的な原因もあるだろうが、こう何度も同じことが続くと本当に嫌になる。
発達障害なのだろうか?遅いといっても他部署に迷惑がかかるほどではない。困っていなければ障害とは言えないと医者に言われた。たしかに、仕事上ギリギリだが問題は生じていないのか…?プライベートな話をする人がいないのは困っているといっていいのだろうか?わからない
そして、最近仕事をして得たお金の使い道がないことに気づいてしまった。1人でどこに行っても何を食べても楽しくない。昔は楽しくなくても知識欲が勝っていたが、大体の娯楽を使い潰してしまった。人間はやはり社会性動物で、感情を共有しないと生きていけないのかもしれない。