はてなキーワード: デイサービスとは
2000年: DSM-Ⅳで診断基準が緩くなり発達障害ブームが起きる。ADDの概念によって見過ごされやすい目立たないタイプもいると理解されるようになる
2004年: 発達障害支援法が出来て発達障害支援職ブームが起きる。補助金詐欺、過剰診断が指摘されるようになる
2007年: 乱用が問題視されていた医療用覚せい剤(リタリン)の新型(コンサータ)が日本で認可されるも、診断と処方を求める者の増加は続く
自殺した彼は2000年生まれで、ADHD診断が降りたのは18歳(2018年)。
すなわち発達障害ブームの真っ只中、スクールカウンセラー・発達障害児の支援職・放課後デイサービスの担当者・大人の当事者らが血眼にして「発達障害の疑い」をかけまくっていた時代に子供時代を過ごしている。
かつての診断基準は幼児期から症状が出ていることが発達障害(=先天性で治らない)の条件だった
しかし2013年に思春期以降から症状が出始めることに基準が変わったので
養育環境/生活習慣の問題、思春期の情緒不安定など後天的で治りうるものも発達障害と呼ぶ。
彼の脳には自殺に値する先天性で治らない障害があったのだろうか??
滝川一廣「診断とは何かということです。医師が風邪と診断するのは、自然科学です。疾患が起きている体の場所、起きる仕組み、病気の原因が共通しているとき、同じ種類の病気だと診断できる。しかし精神障害は、外から見たその子の行動の特徴を分類し、引き出しに入れることにすぎません。自閉症の引き出しに入る、あるいは知的障害の引き出しに入ると。精神障害の診断は医学的診断ではありません。社会的判断です。」
https://h-navi.jp/column/article/35028531
息子を産んで2年間が過ぎたころ、ほかの子とはあきらかに違う行動をとる息子に言い知れぬ不安を感じ、専門医を受診しました。自閉症(※当時の診断名。現在は自閉スペクトラム症)と診断されました。
息子は自傷行為、パニックが激しく「一生これが続くのではないか」と絶望的な気持ちになりました。
放課後等デイサービスで出会ったダウン症候群の子どもたちの中には言葉が出ていない子もいましたが、たとえ言葉がなくても「他人とコミュニケーションがとれていてうらやましい」とも思いました。
夏休み保育の手伝いとして、親が何日かスタッフとして入る機会があったのですが、息子は私が部屋に一歩足を踏み入れた途端、「ここは自分の母親がいるべき場所ではない!何故だ!何故だ!おかしな構図ではないか!」と思ったのか、自傷しパニックを起こし、服を脱いで全裸になって暴れました。
それに対して、ダウン症候群の子どもたちは親の姿を見ると、嬉しそうにすり寄っていました。この様子を見て「出生前診断を受けたことはつくづく意味がなかった」と思いました。
https://anond.hatelabo.jp/20220713095757
■やっぱりアベガーのせいじゃね?
https://news.yahoo.co.jp/articles/57ddc39041688a913772ff293aa609fa8ce51941
岸信介元首相も敵視か「宗教団体を日本に招いた」 安倍氏銃撃容疑者
これを読んでの話です。
※ごめんねn=1の話です。
最高偏差値75
妻子あり
持ち家建築中
座右の銘「人事を尽くして天命を待つ」「誰かが困っていたら 助けるのは当たり前!」
ちなみに母親からは、毎回自民党の誰それに入れてくれと連絡が来る。
最近(2018年くらいかな?)の教会と我が家のトラブルは前に増田に書いたところ250?300?くらいブクマしていただいた記憶。
あのときはテンションが高かったですけども。だってあてにしてた1000万円が消えてたんだから。
思い出したら腹たってきた。クソ。
まぁそんなこんなで、個人的にも教会への憎しみはそれなりにある。
そんなところを恨んでも仕方ない。
むしろ母親の世話をよろしく頼むというくらいなもんである。そのために教会の人ともしばしば話はする。
※母はまだまだ自活してます。仕事もしてるし。色々ガタがきはじめたけど。
そんな俺からすると、統一教会と安倍元総理の関係性なんて全くどうでもいい。
もちろん仲がいい?のは随分前から知っていた。
母親にも教会と安倍元総理の関係については聞いたことはある。世間話の一貫で。あんまり覚えてないけど。
だけど、岸信介氏が教会を日本にどうのとかなんて今回はじめて知った(以前も見たかもしれないけど記憶には残らない程度ということ)。
教会への恨みももちろんだが、本人がアベガーに近い属性だったからではないか。
教会幹部から安倍元総理に標的を同志諸君が喜ぶと思ったからではなかろうか。
なぜなら、山上容疑者ほどひどくは無いとはいえ、似た境遇で育ち、同じく教会ふざけんなと思っている俺が、教会への復讐に安倍元総理を標的にするとか、一ミリも理解できないからである。
ごめんねn=1の話です。(二回目
仮に俺が教会へ復讐するとしたら、何をどう考えても、母親を脱会させたあとで裁判という普通の流れ。
ただまぁ高齢者から信念とデイサービスを奪い取るのは得策ではないと思う(ので放置)。
もちろん、俺は家族に恵まれているということもあり、復讐にとらわれるなんてことはない。
まぁ俺的には、サバイブに失敗した酒鬼薔薇世代のアベガーによる暴走という風に見える。
恥ずかしい。
なお俺らくらいだともう氷河期も終わりかけなので、あんまり氷河期世代ヅラはしない。というかそう言われることに違和感。
余談というか個人的な感想だけど、自衛隊入ったのはいつかこうなる日が来ることを想定してたんじゃないかなと思う。
偏差値65以上で就職先に自衛隊がちらつくことってあるんかな?っていう単純な疑問。
少なくとも元同志社というだけで働き口なんていくらでもある中で、敢えて銃が撃てる場所を選んだっていうのは、まぁそういうことじゃないかな。
=== 追記 ===
ブコメより
「そんな俺からすると、統一教会と安倍元総理の関係性なんて全くどうでもいい。」お前はな。奴はそうじゃなかったんだわ。
→ うんまぁだから、そうなったのはアベガーの影響でしょっていう話なので。少なくともアベガーが発信し続けた情報を鵜呑みにしたんでしょってことです。
俺は右も左も極端なやつは嫌いだし、口が悪いのも嫌いなので、教会だからといってもアベガーの発信する情報は追いかけていなかったかな。
=== 再度追記 ===
類似点のある育ちだけど、その後が違うからか俺には理解できない。
他に似た境遇の人はしらんけど、少なくとも俺とはこんな感じで違うよ。
くらいな意味です。
n=1とか書かないほうがよかったかな。個人の見解ですと置き換えていただけると。
復讐っていうか献金したお金が戻ってきたらいいなーくらいなもんですよ。そもそも復讐したいとも思ってないし。それなりに恨んではいるけどね。ただ、今となっては、日常的な献金はデイサービス料くらいなもんだし。
https://news.yahoo.co.jp/articles/57ddc39041688a913772ff293aa609fa8ce51941
岸信介元首相も敵視か「宗教団体を日本に招いた」 安倍氏銃撃容疑者
これを読んでの話です。
※ごめんねn=1の話です。
最近(2018年くらいかな?)の教会と我が家のトラブルは前に増田に書いたところ250?300?くらいブクマしていただいた記憶。
あのときはテンションが高かったですけども。だってあてにしてた1000万円が消えてたんだから。
思い出したら腹たってきた。クソ。
まぁそんなこんなで、個人的にも教会への憎しみはそれなりにある。
そんなところを恨んでも仕方ない。
むしろ母親の世話をよろしく頼むというくらいなもんである。そのために教会の人ともしばしば話はする。
※母はまだまだ自活してます。仕事もしてるし。色々ガタがきはじめたけど。
そんな俺からすると、統一教会と安倍元総理の関係性なんて全くどうでもいい。
もちろん仲がいい?のは随分前から知っていた。
母親にも教会と安倍元総理の関係については聞いたことはある。世間話の一貫で。あんまり覚えてないけど。
だけど、岸信介氏が教会を日本にどうのとかなんて今回はじめて知った(以前も見たかもしれないけど記憶には残らない程度ということ)。
教会への恨みももちろんだが、本人がアベガーに近い属性だったからではないか。
教会幹部から安倍元総理に標的を同志諸君が喜ぶと思ったからではなかろうか。
なぜなら、山上容疑者ほどひどくは無いとはいえ、似た境遇で育ち、同じく教会ふざけんなと思っている俺が、教会への復讐に安倍元総理を標的にするとか、一ミリも理解できないからである。
ごめんねn=1の話です。(二回目
仮に俺が教会へ復讐するとしたら、何をどう考えても、母親を脱会させたあとで裁判という普通の流れ。
ただまぁ高齢者から信念とデイサービスを奪い取るのは得策ではないと思う(ので放置)。
もちろん、俺は家族に恵まれているということもあり、復讐にとらわれるなんてことはない。
まぁ俺的には、サバイブに失敗した酒鬼薔薇世代のアベガーによる暴走という風に見える。
恥ずかしい。
なお俺らくらいだともう氷河期も終わりかけなので、あんまり氷河期世代ヅラはしない。というかそう言われることに違和感。
余談というか個人的な感想だけど、自衛隊入ったのはいつかこうなる日が来ることを想定してたんじゃないかなと思う。
偏差値65以上で就職先に自衛隊がちらつくことってあるんかな?っていう単純な疑問。
少なくとも元同志社というだけで働き口なんていくらでもある中で、敢えて銃が撃てる場所を選んだっていうのは、まぁそういうことじゃないかな。
=== 追記 ===
ブコメより
「そんな俺からすると、統一教会と安倍元総理の関係性なんて全くどうでもいい。」お前はな。奴はそうじゃなかったんだわ。
→ うんまぁだから、そうなったのはアベガーの影響でしょっていう話なので。少なくともアベガーが発信し続けた情報を鵜呑みにしたんでしょってことです。
俺は右も左も極端なやつは嫌いだし、口が悪いのも嫌いなので、教会だからといってもアベガーの発信する情報は追いかけていなかったかな。
=== 再度追記 ===
久しぶりに変な客がご来店。その人はスマホか何かで物凄い大音量でアニメを観ながら長時間店内をぶらぶらしていた。
わざわざ「スマホか何か」と書いたのは、スマホの音量にしてはだいぶデカい音をたてていたからだ。コンビニは案外騒音に充たされている。各種冷蔵庫やカフェマシン等の什器や空調の稼働音、有線放送、レジ袋を開く音、外からの車の走行音等々で、コンビニの中は常時とてもうるさい。そんな環境の中で一際うるさく耳が痛くなるほどの何かアニメの音とは。スマホで鳴らしているにはデカイ……もしかするとNintendo Switchのボリュームを最大にしてアニメを流していたのかな? という気もする。
店内に長いことずーっと、あらゆる騒音をかき消すような大音量で流れ続けるセミの声。シャァシャァ鳴くのって何蝉だったっけ? そしてセミの声をバックにやたらがなりたてるCV.小山力也……小山力也か? 小山力也だよなあたぶん……ちょっと自信ないけど、小山力也だと思う……おそらく。一体何のアニメなのだろうか。名探偵コナン? しかしセミの声のBGMがやたら長々と続くのは一体。こんな場面の切り替わらないアニメってあるだろうか?
一体何なのと思いつつも、人迷惑を考えもせずに信じらんない事をやってのける人間がまともであるはずもないし、丁度客の入りも疎らな時間だったので、知らないふりをした。
時々セミの声と小山力也? のがなり声がぴたりと止み、止んだと思ったらまた再開される。もしかするとずっと同じシーンをリピートしているのかもしれない。どうやら、その人の脇を男性客が通り過ぎる時にだけ、スマホかSwitchか何かをOFFにしているようだが、そんな時に限ってレジからは見えない位置にその人はいる。
数人立て続けに会計に来て、対応している間にセミと小山力也の人はレトルト食品の棚の前に来ていた。そこはレジにいる私からよく見える場所だ。騒音の源の人は保育士かデイサービスで働く介護士のようなエプロンを着ている若者だった。一見ごくごく普通にみえる。それが、爆音のセミと小山力也を流しながらこっちを見て爽やかな微笑を浮かべる。別にガッツリ目が合った訳でもないコンビニ店員に用もないのに微笑んで来るという人など普通はいない。何がしたいのかわからない。
いつの間にかその客はいなくなっていた。私が他のお客様の会計をしている間に、オーナーのレジに行ったのかもしれないが、よく覚えていない。
デイサービスとかで偉そうに振る舞って嫌われるのに使う。
もうすぐ90になる、一人暮らしの高齢の祖母が、最近自宅電話もかけるのが難しくなってきた。
簡単に連絡できるツールを探している。できればワンタッチでテレビ電話できるようなもの。
祖母は1人でできることが減ってきて、精神的にも不安定になることが多い。
私の母親(祖母の娘)が、車で一時間かけて手伝いに行くこともしばしば。(ちなみに私はさらに遠くに住んでいてなかなか会いに行けない。たまに帰ってます。)
母の負担もすごく大きいし、祖母も1人で不安。デイサービス通っているけど、なかなか人間関係がうまくいかないことが多いみたいで、そのたび母が出かけていくことが多いようだ。
あと、同居も検討中だが、母の負担が増大しすぎるので住居は今のままで進める前提。
家にいながら、テレビ電話のようなコミュニケーション手段があるとお互い楽になるとのことで、調べているんだけども、なかなかいいものがない。
祖母宅にはwi-fiなし。タブレット使用経験なし。たぶん余計な通知が出たりボタンが多かったりすると使えない。
調べて出てくるのは、ある程度タブレット使える人向けの記事ばかり。
セットアップは私が母親でやる。基本メンテナンスフリーで、簡単操作で母と通話できるような何かが欲しい。何かいい知恵ありませんでしょうか。
お寺の境内で花見。子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある。山桜は葉が出始めで、花はまだたった。
去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。
お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。
境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。
ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。
両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。
ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街に引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。
あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉が路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者が下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社に押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初で最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わず、しかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭りは廃止になった。
運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元の少年野球チームやサッカーチームが練習試合をしにやって来るからだ。
広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場と野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。
ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場がしっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。
コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンドを団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球やサッカーチームの侵入を禁止します。練習やウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。
桜の木の下を通ると、ヒヨドリが金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。
公園の事務所とラウンジから死角となる場所の桜の木の下で、お爺さん達のグループが酒盛りをしていた。
毎年花見に来るスポット。子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。
昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームやデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りがいるかどうかは知らない。
家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。
満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅を手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島桜なのだ。つまり、挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。
たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園の植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。
前提として自分は父親が建てた注文住宅に祖母と父と妹と暮らしている30代サラリーマン。また祖母の娘である母が早くに死んでいる。フネをマスオとカツオとワカメで介護している状態だ。自宅は3階建、3階に祖母、2階に父と自分、1階が風呂と妹の部屋となっている。この人員配置の理由については後述する。家に戻ると築20年ほどでローン完済済。祖父は在宅介護のち最後は要介護3で数年前に逝去。
・おむつではなく紙パンツだが排泄コントロールはできていない。ただトイレに入れれば自力で用は足せる
・入浴は週3回のデイサービスで済ませている
以下思いついた順に次に自宅を建て替える際に介護から逆算して設置を検討するものを書く。
平屋でない限り必須と言ってもいい。
人間は歩けなくなると車椅子移動になるが車椅子は階段を下りられない。また認知症の人間に「階段を下りろ」と言っても実現はしない。なので老人(になる予定の人)が1階に住む場合を除いてエレベーターは必須だ。だが老人が1階に住むと脱走に気付けない。徘徊老人が警察の世話になってから徘徊に気付くのでは遅すぎる。老人(になる予定の人)にはなるべく上の階に住んでもらい、杖か手押し車が必要になった段階でエレベーターを常用するよう癖をつけてもらう。エレベーターは多少うるさいと感じてもボタンを押したときに「ぴっ」なり音がするものがよい。認知症になると老人は四六時中エレベーターに乗りまくるのでとてもうるさくなるが、音で感知できるため居場所がわかる。
我が家のエレベーターは20年物なので動作音がやや大きく車椅子を乗せると介護者は1人しか乗れないが、最近のはもう少し便利かつ安価らしい。
老人はトイレが長い。認知症が始まっていると延々トイレットペーパーを出すなどするため長くなる。また祖母は歩くことが減ったせいか便秘気味になったため余計に長くなる。そのためトイレは各フロアにあることが望ましい。老人が老人になる前にもノロウイルスなど感染症対策もできる。
さて介護が始まると便座に座った、あるいは便座の前に立った老人の世話をすることになるがトイレ自体が狭い、あるいは面した廊下または部屋が狭い場合非常に窮屈な作業となる。そのためトイレはある程度広いか、人がしゃがめる程度のスペースに面しているとよい。床材は多少濡れてもリカバリできるものがよい。
またトイレのドアはなるべく180度開くものがよい。トイレのドアを開けっぱなしで老人の世話をすることになるため、開かないドアだとトイレ前が通行不能になる恐れがある。朝のクソ忙しい時間にこれが発生するとQOLを著しく下げるためドアは180度開くほうがよい。
複数世帯同居の場合異論はあると思うが最終的に認知症の老人と住む場合玄関は一つがよい。なぜなら脱走を防げるからだ。この1点だけでも警察の負担が減るし勤務中に脱走の報せを聞いて早退しなくてよい。副次的には靴箱を一元管理することで溜め込みなどの認知症の初期段階に気付けるという利点もある。
介護が始まると人間の排泄物がついた紙パンツまたはおむつが量産される。これらは燃えるゴミになるがとにかく量が半端でない上異臭がすぐ発生する。育児を経験している家庭は大人の排泄物の量をナメてはいけない。週2回のゴミ収集で45リットルの袋を平均3袋ずつ出している。我が家では夏は涼しい1階に置いたゴミ箱、冬は内庭に向いたベランダ(屋外)にゴミを置いている。なおこういったゴミは新聞紙で包むと異臭がやや軽減されるがそのために新聞をとる必要はない。またゴミ箱自体を大きくする必要もなくこまめにゴミ袋に入れて冷暗所に移すほうがよい。
・手すりを付けるスペースのある壁
認知症が始まった段階やふらつきなど足腰に不安が出た段階で家に大量の手すりを取り付けることになる。恒久的に設置するものは1人につき一度限りだが補助金が出るため計画的につけるべきだ。重点的に配置するのはトイレと風呂、脱衣所、階段、玄関など転倒した際のリスクが高い場所になる。特に立ち上がる必要があるトイレ、風呂は座った高さと立った高さの両方に手すりがあるとよい。また廊下など捕まるものがない場所にも腰の高さほどの手すりをつける。体を四分の一以上回転させる場所にはコーナー用の手すりがあるのでそれをつける。見た目は最悪になり金はかかるが転倒して入院手術になる、そこまでいかずとも救急車で救急外来に行く場合もっと金がかかるためとにかく手すりは必要だ。新築時から「将来的にここに手すりを付ける」場所は確保しておきたい。
我が家では祖父の時にミッシリ手すりをつけたため祖母の補助金は未使用。老人(になる予定の人)が多い場合、一度の工事でより進歩した補助具につけかえることもできるはずなので重ねて言うが計画的に。
・床と平行な天井
オシャレな傾斜のついた天井は不要。介護が始まるとあちらこちらに手すりを付けることになるがリビングなど壁からの距離がある部屋については突っ張り棒を使い手すりとする。床と平行な天井があれば無限に手すりを生やせるため最低限老人の居住区域と風呂場の天井は床と平行である必要がある。どうしても傾斜のついた天井が欲しい場合トイレなど壁が近い場所で行うほうがよい。
車椅子生活が始まるとデイサービスなどを利用することが増える。たいていは送迎車に車椅子が積まれており室内用の車椅子から送迎用車椅子に乗り移って移動する。よって玄関は三和土の部分に車椅子が1台、それと向かい合う、あるいは90度で接する形で車椅子が1台入るスペースを確保したい。玄関は前述の手すりでガチガチに固めるため、スペースさえあれば介助者が動いて適切な介助を行える。
また車椅子は基本介護保険を利用してレンタルすることになるが、屋内用と外出用の2台あると消毒などの手間が省けて大変便利だ。屋外用車椅子は普段は日の当たらない室内に置いておくため、玄関付近に畳んだ車椅子1台分(幅30cm、奥行き1m弱)を置ける大きさの遊びスペースがあるとよい。これは生協など宅配サービスを利用するときもに便利だし、急な雨で濡れて着替えたいときなどにも有用だ。
玄関の話が続くが道路から三和土まではゆるい傾斜をつけるなどして水難を排除しつつもスムーズに移動できることが望ましい。一戸建ての介護の場合デイサービスなどの送迎は玄関まで来てくれるがそこまでが整備されていないとスタッフがつらい。よって門はあってもよいが段差は除くべきである。どうしても段差が発生する場合は1段の高さおよび奥行きを市販の傾斜ブロックと合わせ、小さな坂として運用できるようにすると後が楽だ。もちろん傾斜ブロックは廃盤にならないうちに買っておく。
自宅を新築した際は2世帯同居だったがすでに祖父母は60代に入っていたため20年内に介護が必要になることはわかっていた。すでに認知症症状は既知であったためあえて祖父母を最上階に起居させ2階および1階に若年(でもない)夫婦と子供の居室を設け外出やエレベーターの駆動音の感知、また生活音の変化などを察知する体制をとった。またマスオである父はマスオ状態に抵抗がなかったため風呂も共通のものとした。生理的に抵抗があるという気持ちはわかるので強要はできないが自分が使っている風呂は老人が使うときにヤバイということが想像しやすいため祖父母とも早めに入浴サービスを外注することができた。玄関についても同様だ。台所については祖母が長らく料理をしていたため2つあるが脳梗塞発症を機にコンロ他発火可能性があるもの全てを撤去済だ。
どうにか預けられる施設が見つかったそう。
認知症かつ元気で歩き回るし、場合によっては加害的な発言をする祖母を預かってくれるところは老人ホームなどのよくある介護施設ではなく、精神病院が引き取ってくれたようだ。
週のうち半分近くデイサービスとして活用し、祖父の心も落ち着いた。安心、安心。
と、思いきや。
「あんなところに預けてばかりで祖母が可哀想だ」と祖父自らボヤいてたとのこと。
祖父よ、祖父が主体的に祖母を日々世話をしつつ、それに加えて家族親戚の手助けがあってもみんなの精神が削られる状況だったんだからそれは言っちゃあかんよ。共依存みたいな精神状況になってるんだろうか。
結局は「男性の立派なお医者様」の説明を聞いて納得できたようでよかった。先生、本当にありがとうございます。
教訓:
後期高齢者にもなると、本人が認めた相手の説明しか腹落ちさせることができない傾向があるのかも。使える機会があるなら権威はドンドン使ってガシガシ納得させよう!
就活に失敗しニートになったタイミングで、祖父の認知症が進行し介護が必要になってしまった。
施設は拒否、デイサービスも拒否、病院も拒否、訪問ヘルパーも拒否という苦難の介護。
まあこれは祖父のひん曲がった最悪の人格のせいであって、認知症のせいではない。
俺はもう死にたいから病院はいやだ、他人は嫌いだから介護サービスはいやだ、オムツや手すりの設置は馬鹿にされてるみたいでいやだ。
でもこちらとしてはほったらかしてすぐにぽっくりいくわけではないまだ体力のある年寄りを放置しておくわけにもいかない。
疲れた。
四六時中会話がなりたたない人間とひたすら意思疎通しようと試みるのも、少しでも意に反することをしてキレられるのも、介護サービスに頼れないことを親戚や行政に祖父ではなく私のせいにされるのも、終わりがないことも、早く死んでほしいと思ってしまう自分にも、全部に疲れた。
キレて手がつけられないところを、介護していない人間は見たことがない。案外元気じゃない、聞き分けもいいし、なんてことになる。だから拒否されても宥めすかして説得さえすればいけるはず、なんて言えるんだ。
対して、毎日接するこちらはいくら機嫌が悪くなられても本人が嫌な爪切りも、入浴も、着替えも、こなさなきゃならない。それで嫌われて嫌味言われて、そんなに嫌われてるなんてあなたどんな風に介護してるの?なんて。
騙して施設に入れようにも、意思がはっきりしてて暴れたり、施設の食事やおむつを拒否するような奴はむしろ施設から入居拒否されるんだって。
仕事してる同年代の子たちは、仕事がつらい大変だと言いながらお給料をもらい、大したことがなくても就労キャリアを積んでいる。それなのに、私の努力の向かう先は、死だ。
得られるものは、本人の望まないはずの延命だけ。早く死にたいという気持ちと今日この日を快適に過ごしたいという気持ちは同居するから、そのためだけに私は尽くしている。
もう疲れた。どうしようかな。