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2022-01-21

「ただのサイコパスもいた」 中国の元警察官ウイグル族への拷問


中国の元警察官ウイグル族への拷問告白

(CNN) 新疆ウイグル自治区で夜中に急襲が始まった。

ライフル銃で武装した数百人の警官ウイグル族の住む町で家々を回り、数百人を家から引きずり出し、手錠をはめ、フードをかぶせた。もし抵抗したら撃つと脅した。これらは中国の元警察官がCNNに語った内容だ。

この人物は「我々は夜中に全員を強制的に捕まえた」「もしその地域の一つの郡に数百人がいるのなら、数百人を拘束しなければいけなかった」と話す。

刑事であるこの内部告発者は中国に残る家族を守るため、「ジャン」との名前だけで自分特定するように希望した。

ジャン氏は亡命先の欧州で行われたCNNとの3時間に及ぶインタビューで、新疆ウイグル自治区収容所ウイグル族拷問する組織的作戦と同氏が位置付けるものについて詳しく説明した。このような詳細が明かされるのはまれ中国はこうした拷問存在を何年も否定してきている。

ジャン氏は警察留置場自分や同僚が尋問したときを思い出しながら、「あざができて腫れ上がるまで、彼らを蹴り、なぐる」「彼らが床にひざまずき、泣き出すまでだ」と述べた。

ジャン氏が新疆にいたとき、新たに拘束された人は全員が尋問で殴られていたと語る。男女を問わず、最年少で14歳の子どもまでいたという。

拷問方法はさまざまだ。被疑者の動きを封じる金属製や木製の「タイガーチェア」と呼ばれるいすに拘束したり、天井からつるしたりしたほか、性的暴行電気ショック水責めもあった。数日間寝ることを許さなかったり、食事や水を与えなかったりしたこともあったという。

ジャン氏は「全員が違う方法を使う。バールや鍵付きの鉄の鎖を使う者もいる」「警察容疑者の顔を踏みつけ、自白しろと迫った」と語る。

ジャン氏によると、容疑者テロ犯罪の疑いで摘発された。だが、ジャン氏が逮捕に関与した数百人の中で、犯罪を犯したものは「誰もいない」と感じているという。「彼らは普通の人々だ」ともジャン氏は付け加えた。

ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣された/Courtesy Jiang

ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣された/Courtesy Jiang

ジャン氏によれば、警察留置場での拷問自白するまで続けられた。その後、容疑者守衛が配置された刑務所収容所などの施設移送されるのが通例だった。

自分証言裏付け目的で、ジャン氏は中国いたころの警察制服公的書類写真動画身分証をCNNに提示した。ジャン氏の身元を守るためにCNNはこれらを掲載することはできない。CNNは中国政府に今回の告発内容について詳細な質問を送ったが、返答はない。

CNNはジャン氏の主張する内容について独自確認出来ていない。ただ、ジャン氏が語った詳細な記憶の多くが、CNNが本記事インタビューした2人のウイグル族被害者経験と一致する。国際人権団体アムネスティ・インターナショナル」が6月に出した160ページに及ぶ報告書でも、収容所にいた50人以上の人々が証言をしている。

米国務省は2017年以降に最大200万人のウイグル族や他の少数民族新疆収容所に拘束されたと推定している。中国はこれらは職業訓練施設であり、テロリズムや分離主義の撲滅を目的としたものだと主張。新疆人権侵害が起きているとの批判に対し否定を続けている。

中国外務省の趙立堅報道官は今年6月の記者会見で「新疆でのジェノサイド集団殺害)と呼ばれるものは、隠れた動機に基づくうわさでしかなく、真っ赤なうそだと改めて強調したい」と述べた。

先月29日には、新疆政府当局者が記者会見で、以前収容所にいた人物として1人の男性を紹介した。この男性収容所拷問存在せず、拷問があるとの主張は「全くのうそ」と述べた。男性発言強要されていたのかは不明だ。

「全員が目標を達成する必要があった」

ジャン氏が初めて新疆派遣されたときテロの脅威に打ち勝つ助けになりたいと願っていた。そうした脅威は中国を脅かす可能性があると聞かされていた。また、警察に入って10年がたち、昇進したい気持ちもあった。

上司からこの任務に就くように求められた際、上司は「分離主義勢力母国を分断したがっている。我々は彼らを全員殺さなければいけない」と語ったという。

ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣され、新疆複数地域で働いた。中国で「猛撃」と呼ばれる対テロ作戦が佳境に入ったときだ。

ウルムチ市の達坂城区にある第3収容所/Mark Schiefelbein/AP

ウルムチ市の達坂城区にある第3収容所/Mark Schiefelbein/AP

14年から始まった「猛撃」は、新疆少数民族を大量に拘束するプログラムを推進した。こうした民族の人々は、単にベールかぶっていた、または長いあごひげを生やしていたといった理由刑務所収容所に送られた。子どもが多すぎるとの理由で送られた人もいた。

ジャン氏はCNNに対し、15年に北京から出された公的な指示を記載する1通の文書を示した。それは中国の他の省に対して、国内でのテロへの戦いに参加するよう呼び掛けるもので、「習近平(シーチンピン)総書記重要な指示の精神を届けるように」との記載があった。

新疆支援」と呼ばれる仕組みの下、中国各地の省から15万人の警察官が集められたとの話をジャン氏は聞いたという。この仕組みは、新疆の各地域治安関連資源を含む支援提供するように、各省に促すものだった。ジャン氏によると、一時的な赴任には報酬面で恩恵があった。派遣中は通常の給与が倍になり、他にも特典があったという。

ただ、ジャン氏は新しい仕事弾圧という目的にすぐ幻滅を感じたという。

あらゆる所に検問所があり、多くのレストラン広場が閉鎖されている状況を目の当たりにして、「初めて行ったときは驚いた」とジャン氏は語る。

慣例となっていた夜中の作戦では、摘発する対象者の名簿が渡された。拘束するウイグル族正式な割り当て人数を達成するための命令の一部だったという。

ジャン氏は「これは全てが計画され、システムがあるものだった」「全員が目標を達成する必要があった」と語る。

もし逮捕抵抗する者がいたら、警官らは銃を頭に突きつけて「動くな。動けば死ぬ」と警告したという。

ジャン氏によれば、警察のチームは家宅捜索も行い、コンピューター電話からデータダウンロードした。

地区委員会を利用して村落の長との会合があると言って住民を呼び集め、集団で拘束することもあったという。

ジャン氏は当時を「戦闘期間」と呼び、当局者が新疆戦争地域として扱っていたと語る。警官ウイグル族国家の敵だとの訓示を受けていたという。

もしこのプロセス抵抗していたら、自分逮捕されていただろうとジャン氏は語る。

「ただのサイコパスもいた」

ジャン氏によれば、警察留置場での主な目標は、性的拷問などの手段を用いながら、拘束した人々から自白を引き出すことだった。

「もし自白させたいなら、先に2つのとがった部分がある電気ショックを与える警棒を使った」「そのとがった部分に電線2本を縛りつけて、縛られている人々の性器にあてがった」とジャン氏は語る。

自分尋問中「悪い警察」を演じるしかなかったと語るジャン氏だが、一部の同僚とは違い、最悪の暴力は避けたという。

ジャン氏は「これを仕事と見る人はいたが、ただのサイコパス精神病質)の人もいた」と語る。

拷問の「よくありふれた手段」の一つは、守衛受刑者に対し、新入りの男性受刑者レイプ虐待するように命じることだったという。

新疆出身ウイグル族学者、アブドゥウェリ・アユプさん(48)は13年8月19日、警察に拘束されたと語る。ライフル銃を持った警察が、アユプさんが開園したウイグル語を教える幼稚園を取り囲んだという。

アユプさんによると、カシュガル市の留置場での最初の夜、アユプ氏は十数人以上の中国収監者に集団レイプされた。守衛3、4人が命じて、その様子を見ていたという。

守衛アユプさんに下着を脱ぐように言って、体を折り曲げるように命令したという。「こんなことをするなと私は叫んだ。お願いだからしないでくれと」とアユプさんは語る。

守衛命令を受けた収監者十数人以上に集団レイプされたというアユプさん/Rebecca Wright/CNN

守衛命令を受けた収監者十数人以上に集団レイプされたというアユプさん/Rebecca Wright/CNN

虐待を受ける中でアユプさんは気を失い、意識が戻ると自分嘔吐(おうと)物や尿が周囲にあったという。

ハエがいて、私の周りを飛んでいるようだった」「ハエは私よりましだと思った。誰もハエ拷問しないし、レイプしないから」とアユプさんは語る。

「男たちが私を笑い、私をとても弱っていると言っているのが見えた。そうした言葉が聞こえた」。アユプさんへの陵辱は翌日も続き、守衛の一人は「楽しかたか」と聞いてきたという。

アユプさんによると、その後留置場から収容所へと移され、14年11月20日に解放されたという。「不正資金集め」の罪を自白させられた後だった。

アユプさんが拘束された時期は新疆での大規模な取り締まりが始まる前だが、その証言ウイグル族の人々が何年も主張してきた少数民族抑圧で使われた手段の一部を反映するものだ。

CNNはアユプさんの証言について、中国政府からの回答を待っている。

アユプさんは今ノルウェーに住み、ウイグル族文化を絶やさないように教育をしたり、子ども向けのウイグル語の本を書いたりしている。だが、拷問で受けた傷は永遠に残ると語る。

「私の心に残った傷だ。私は決して忘れない」(アユプさん)

「彼らは私を動けなくして殴った」

オランダに住むオミル・ベカリさん(45)は、収容所での経験から来る影響に長く苦しんできた。

「(収容所で)私が受けた苦悩と苦痛は決して消えない。私の心から離れない」とベカリさんは語る。

収容所の釈放証明書提示するオミル・ベカリさん/Ivan Watson/CNN

収容所の釈放証明書提示するオミル・ベカリさん/Ivan Watson/CNN

カリさんは新疆で生まれウイグル族の母とカザフ族の父を持つ。06年にカザフスタンで国籍を取得し移住新疆出張した17年3月26日に拘束され、その1週間後にはカラマイ市の警察署の地下で、4日間昼夜を問わず尋問拷問を受けたという。

カリさんは「彼らは私をタイガーチェアに押し込んだ」「私を動けなくして、太ももや腰を木のたいまつや鉄のむちで打った」と語る。

警察はベカリさんにテロ支援自白をさせようとし、ベカリさんはその後8カ月間を複数収容所で過ごしたという。

「彼らが初めて私に足かせをはめたとき地獄に来たのだとすぐ理解した」とベカリさんは話す。重い鎖が手と足に取り付けられ、就寝時でさえ体を曲げる姿勢をとらざるえなかったという。

収容所にいる間に体重は半分ほどに落ち、出所時には「骸骨のよう」だったという。

「私は信仰を持った人間から心理的拷問を耐え抜いた。信仰がなかったら耐えられなかっただろう。生涯の信仰自由への渇望が私を生きながらえさせた」とベカリさんは語る。

収容所にいる間に知人2人がそこで死んだという。さら母親きょうだい収容所に入り、父のバクリ・イブライムさんは18年9月18日、新疆で拘束中に死亡したとの話を聞いたという。

新疆政府は先月29日、ベカリさんに関するCNNの質問に答え、ベカリさんがテロ犯罪の容疑で8カ月間拘束されたことを確認した。ただ、拷問家族の拘束に関するベカリさんの主張は完全なデマ中傷だと述べた。ベカリさんの父親肝がんで死亡し、家族は「現在普通生活を送っている」とも話した。

カリさんは父が新疆で拘束中に死亡したと知らされた。中国当局肝がんが死因だったとしている/Rebecca Wright/CNN

カリさんは父が新疆で拘束中に死亡したと知らされた。中国当局肝がんが死因だったとしている/Rebecca Wright/CNN

「私は罪を犯した」

欧州の新しい家で暮らすジャン氏だが、2~3時間続けて眠ることは難しいという。収容所の人々に続いた苦しみが頭によぎり、崩れ落ちそうな気持ちになるという。

「私は感覚がまひしている。あまりに多くの人々を逮捕していた」とジャン氏は語る。

収容所にいたアユプさんも夜寝付けずに苦しんでいる。収容されていたとき悪夢にさいなまれ常時監視されているような感覚から逃れられない。それでも、アユプさんは自分拷問した収容所守衛らを許すと口にした。

「私は(彼らを)憎んではいない。なぜなら彼ら全員があのシステム犠牲者から」「彼らはそこで自分自身に宣告した。自分たちは罪人で、犯罪システムの一部なのだと」(アユプさん)

アユプさんは今ノルウェーに住み、子ども向けのウイグル語の本などを制作している/Ivan Watson/CNN

アユプさんは今ノルウェーに住み、子ども向けのウイグル語の本などを制作している/Ivan Watson/CNN

ジャン氏は新疆に入る前から、腐敗のレベルが高まっていることが原因で、中国共産党には失望を感じていたという。

「彼らは人々に奉仕するようなふりをしているが、独裁を達成したい人々の集まりだ」とジャン氏は語る。中国脱出して自分体験暴露したのは、「国民の側に立っていたい」との思いからだという。

ジャン氏は二度と中国には戻れないと悟っている。

ジャン氏は「彼らは私を半殺しにするだろう」「私は逮捕され、多くの問題が提起されるだろう。逃亡、反逆、国家秘密漏洩(ろうえい)、国家転覆、それら全ての罪名を受けるだろう」と語る。

ウイグル族のために発言をするということは、テロリスト集団への参加で訴追が可能になるということだ。想像のつくあらゆる罪状で訴追されうる」(ジャン氏)

もし自分が関与した被害者の1人に対面したらどうするかと聞くと、ジャン氏は恐ろしくてすぐにその場を離れたくなるだろうと語った。

「私は罪を犯した。このような状況が二度と彼らに起きないことを願う」「彼らの許しをもらえたらと思うが、あのような拷問を受けた人々にとってそれはあまりに難しいだろう」(ジャン氏)

ジャン氏は「こうした人々とどうやって対面すればいいのだろうか」「一人の兵士でも起きたことには責任がある。命令実施する必要はあったが、あまりに多くの人々が一緒にこれを行った。我々にはその責任がある」とも語った。

2020-06-21

写真整理をしていたら思い出がよみがえってきたので3年間で10回以上中国に行った話を書く

コロナ休日の予定がなく、撮りためた写真を整理していたら思い出がよみがえってきたので備忘録的に書く。

今じゃ考えられないが、ここ数年中国LCC春秋航空が片道\1,980とか異常に安い値段でセールを連発していたので土日+有給1日つけて中国旅行に行きまくっていた。

訪れた都市上海合肥蘇州南京広州深圳西安敦煌ウルムチカシュガル成都・東チベット天津青島大連丹東ハルビン瀋陽香港マカオ

その中でも印象的だった4つのエリアについて、思い出話を書きたいと思う。

丹東

国境の町。大河鴨緑江を渡るとそこは北朝鮮中朝貿易拠点として知られていて北朝鮮とのヒト・モノ・カネの連結点になっていると聞いていたのだが...

2019年訪問した時には経済制裁の影響かほとんど人の往来が見られなかった。2つの国を結ぶ道路を歩いているのは巡回兵士のみ、鉄道全然動いていなかった。

北朝鮮レストランはまだ営業していたが、客足はまばら。冷やかしで入り口まで入ったが店員さんは塩対応英語は話せるっぽい。

結局、中国経営と思われる店で冷麺を食べて北朝鮮ビール大同江ビールを飲んでみた。冷麺の味は可もなく不可もなくというところで、ビール普通にまずかった。

大同江ビール北朝鮮の主要な輸出品目らしいが、東南アジアビールのように暑くて湿気の高い日に合いそうといったこともなく、無個性でただひたすらにまずいという印象だった。

ウルムチカシュガル

ウイグル自治区少数民族弾圧報道されている昨今だが、外国人の俺でも普通に自由旅行ができた。ただし、公安の警備の目は他の町よりも厳しい。

中国では地下鉄に乗るときセキュリティチェックがあるのが普通だが、ウルムチではこれに加えてホテルショッピングセンター入り口でもセキュリティチェックがあった。

地元住民中国の他の町と比べて彫の深い顔立ちで、ウイグル表記看板と合わせて異国情緒が強い。

町の中心部中国語の建物が立ち並んでいるが、バス郊外に向かうと昔ながらのバザール家畜市場も残っており、意外に少数民族文化が温存されているように思われた。中国政府としても(国内向けの)観光資源として金になると踏んでいるのかもしれない。

余談だが、ウイグル人のタクシードライバー普通にぼったくってきた。この3年間、中国旅行でぼられたのはこの一度だけ。抑圧されているマイノリティといえど、常に善良というわけではないのだ。

■ 東チベット(康定、甘孜、色達、ラルンガルゴンパ)

ウイグルと違って、チベットエリアガチ少数民族の抑圧が強い。最大都市ラサ一人旅で入ることができないため(政府公認ツアー参加必須)、成都からバス10時間以上かかるという東チベットエリアに潜入した。

時期によって外国人入境が出来たりできなかったりするので、ネット旅行記を見て行けたという報告の上がった翌週に1週間休みを確保して飛んだ。多分今はもう行けない。

チベットは山がちで人口も少ないため発展著しい都市部に比べるとインフラ整備は遅れているのだが、ここにも開発の手が及んでいるようで、日本首都圏で言うと圏央道くらいの規模の立派な道路建設中だった。

果たして採算は取れるのだろうか? それとも採算無視で鉄鋼の過剰生産解消のためにオーバースペックインフラ整備をしているのだろうか?

現地の町ではヤクが放し飼いにされており、そのバターを使ったチベット料理を堪能した。いたるところでマ二車が回され、宗教生活根付いているような地域だった。

途中タクシー修行僧と乗り合わせたが、日本人とわかるとフレンドリーになった。ネットで調べておいた簡単チベット語のあいさつをすると上機嫌になり飲み物をごちそうしてくれた。

同じタクシーには家族連れも乗っており、小学生くらいの子供が、おもちゃガラガラのようなマニ車を回していたのがとても新鮮だった。面白そうなのでお土産に1つ買って帰った。

いつか政治的抑圧がなくなって、自由旅行に行けるようになると嬉しい。

香港

デモの渦中の2019年訪問公安デモ隊の衝突に巻き込まれいか不安だったが、twitterデモ情報を見ながら移動したので幸か不幸かデモに巻き込まれることはなかった。

主要道路沿いにはデモ隊の落書きが残っており生々しさを感じた。こんな情勢でも地下鉄や船等の公共交通セキュリティチェックは無く、ネット接続制限体験した限りでは見られなかった。

Google, Twitter, Facebook, Line, Fanza。すべて問題ない。アメリカ日本Webサービス自由に使える。なんて開放的なんだ。素敵!最高。今後もどうか香港自由が保たれますように。

2019-06-07

映画空母いぶき と 敵の似姿

映画空母いぶきの敵は 東亜連邦 島嶼国家カレドルフを中心とした海軍である

東亜連邦・カレドルフ国とはいったい何だろうか。

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ネット情報から引用すると

"島嶼国家・カレドルフは

大国干渉を嫌う周辺地域の国々と結束し東亜連邦と名乗る国家共同体設立した。

東亜連邦過激民族主義燃え上がらせ 領土回復を主張して公海上に軍事力を展開。"

"カレドル王朝"時代復興をめざしている。"

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原作(まんが版)空母いぶきの敵は中華人民共和国中国人民解放軍である

素直に考えれば諸事情にて名称が使えないことから創作され、中華人民共和国モデルにしていると考えるのが妥当だ。

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なるほど新疆 カシュガル ラサ ホータン を含む清の歴史上の最大版図を自国領土とみなしチベットに侵攻し

南沙諸島西沙諸島などで軍事的な威嚇を繰り返している中華人民共和国モデルであると見えるのは間違いないだろう。

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だが我々は宇宙戦艦ヤマト(1974-1977)の敵ガミラスを通じて、短絡的な判断が必ずしも正しくないことを知っている。

ガミラスは、軍服姿からナチスドイツ軍モデルであるように見える一方、太平洋戦争米軍モデルでもある。

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結論から言おう。

カレドルフのモデル日本である

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"大国干渉を良しとせず周辺地域の国々と結束し"  = 八紘一宇 五族協和 

                           第二次世界大戦日本のおかげでアジア諸国欧米植民地支配から脱することができた史観  

"カレドルフ朝時代領土回復を求める"=パラオマリアナ諸島トラック諸島 旧委任信託統治領日本領土とみなす

"やつらには国際常識通用しない(外務大臣セリフ)"=欧米社会からみた大日本帝国時代日本イメージ(何考えているかからない)

   ”わが代表堂々退場す” 

  (また”米軍が恐れた「卑怯日本軍”& ”日本軍と日本米軍報告書は語る” ともに 一ノ瀬俊也 著)

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中華人民共和国敵役として映画に出せなくなった時点で、どんな敵を出せばよいかと考え抜いた結果、もっとも身近なものが形になった。

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宇宙戦艦ヤマトに ガミラスドイツをやっつけるということで自らを戦勝国アメリカに擬すと同時に 遊星爆弾(=原爆/本土空襲)による攻撃を仕掛けたガミラスアメリカを倒す

という意識が潜在しているように

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映画空母いぶき日本Aが日本Bと戦う話なのだ

2018-05-09

anond:20180509074240

まあ、日本人は高温多湿の温帯の日本列島に住んでいるからね。

昔ほどは言われなくなったけど、「水と安全はタダ」みたいなもの

降水量がほとんどない中央アジアカザフスタンとか、中国内陸部のカシュガルとか、東シベリアツンドラ地帯大陸気候場所だったら死活問題だよね。

2009-07-14

新彊ウィグル自治区路地裏の真実

宮崎正弘トンデモ中国真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)

 

(拙著からウィグルの紀行部分のダイジェストです)

モスクに祈りの音楽が聞こえない

ウィグル自治区で殆どのモスクイスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。

新彊ウィグル自治区地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。

大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区カザフスタンキルギスアフガニスタンパキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。

国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派ゲリラ武器中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。

極めて厳しい自然環境乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメット信仰している。

漢族回教徒を目の敵としたのには歴史因縁がある。

中世から近世にかけて現在中国北西部を収めていた元は原住民イスラム信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民漢族に立ち向かうようになった。

新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。

あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。

 

ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安チチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスク信者がちかつかないのだ。

冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタンウズベキスタンタジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラーアクバール」とコーランが流れているのを聴いた。

ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪

イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。

しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。

▲ウルムチは「砂漠チャイナタウン

一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。

寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区トルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。

北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。

イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国拙速にも北京と妥協したのだ。

 (中略)

村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランテープCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。

あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス茶髪ショートパンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。

ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ市民公園遊園地漢族家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルチャイナタウン」ではないか。

街の看板漢字アラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル大通りに溢れるのはトヨタ日産ホンダの車である。

服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラー民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。

最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。

都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。

中国沿岸部の人たちは競って英語日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。

~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~

仏教遺跡はすべて破壊された

「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。

南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。

交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教イスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。

嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャン石仏イスラム原理主義過激派らはミサイル破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。

南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカルモスク中国イスラム教徒メッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。 

現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒怨念はなまなかなものではなかろう。

血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。

イスラム歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランホメイニ師のごとく強靱な精神指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。

 

拙著トンデモ中国 真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)

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2009-07-13

新彊ウィグル自治区の南方(南彊)に警備重点を移行

新彊ウィグル自治区の南方(南彊)に警備重点を移行

カシュガル、ホータン、イリを周永康(公安ボス)が緊急視察

カシュガル、ホータン、イリはイスラム教聖地をかかえ、多くの敬虔なウィグル人が住まう。北部ウィグルと異なり、工業化、近代化が進んでいない。

北部(北彊)はガス、原油などの生産基地があって石油化学金属冶金などの産業が発達したが、南彊は核実験場とされたり、砂漠地帯が北彊とを地形的に分けているためだ。

イリでは1997年「イリ暴動」が起こった。ホータンでも昨年は数百のデモがおこり、またカシュガル中世からのイスラム城が取り壊され、世界遺産の指定を自らはずし、住民を近郊のアパートに強制移住させた。

カシュガル城旧市内の破壊は文化と歴史破壊であり、「あれはまさにバーミャン石仏ミサイル破壊したタリバンの暴挙に匹敵する」と批判が強い。

さてウルムチでは騒擾から一週間を閲し、モスクの一部が再開され、街は平穏を回復した、かに見える。

モスクの再開を当局が許可したのは犠牲者の葬送をウィグル人が行うためであり、しかしモスクや周辺の壁には「密告奨励」のビラが貼られている。

ウルムチには6月に広東の玩具工場でおきた漢族との武力衝突以後、同工場で働いていた600名のウィグル労働者が帰っている。

在米華字紙の論調は「上は国家安全部から下は武装警察まで総力をあげて『テロ』に挑んだと言いながら、大規模な騒乱を防げず、これは政府無策による虐殺であり、政府責任がある」とするものが目立つ(たとえば博訊新聞網、7月12日)。同紙はつづけてこういう。

工業化で恩恵を受けたのは入植した漢族が殆どであり、石油企業金融、輸出企業などにウィグル人が雇用されておらず、教員北京語強要されて以来、30万人のウィグル教職員が追放され、貧富の差はますます拡大した。とくに王楽泉・書記とその家族は比べる者がないほどの富を得た。

中央政府は実態をみずして、胡錦涛は「『宗教指導者』『民族分裂主義』『テロリスト』の“三股勢力”が騒擾の原因である」などと言いつのり、団結を叫んだものの、『中華民族』の標語は虚ろであり、このあまりの少数民族への虐待に、かれらウィグル人が民族記憶を呼び覚まし、国際社会における汎トルコ主義に目覚め、独立を目ざすのは自然の流れと言える」。

7月11日には中央政治常務委員の周永康(政法委書記)は国務院ならびに軍の高官を引き連れて、急遽、ホータン、カシュガル、イリを視察し、「ウルムチはおさまったものの、これら三地域では暴動再発の危機は高まっている」とした。

カシュガルは嘗て短命に終わったとはいえ分離政権が存在した地域でもあり、『三股勢力』が猖獗している。ホータンもイスラム原理主義過激派が強いカシミール国境と近く、テロリスト密輸ルートである」などとして、特別警戒に入った(多維新聞、7月13日)

2009-07-09

中国政府、ウルムチなど五都市戒厳令、軍を大規模に動員し血の弾圧を再開

死者は500人以上に達した模様・・・しかし新華社筋は156名死亡と情報操作

「7.5ウルムチ事変」と後世の史家は名付けるかも知れない。

暴動に発展したウィグル人の怒りは文革以後最悪の被害をもたらした。

世界ウィグル会議(議長=カディール女史)が呼びかけた平和裡の抗議集会は、混入した過激派公安スパイなどの策動によって暴動となった。日頃の漢族に対する鬱積、不満、憎悪が一気に爆発し、多くの一般ウィグル人も加わったためだ。

新彊ウィグル自治区省都=ウルムチは人口230万人、漢族が七割をしめ、経済の90%を支配する。

新彊ウィグル自治区そのものは原油、ガス、レアメタルの宝庫。砂漠核実験場として無造作実験を繰り返し砂漠の民、およそ十九万人が被爆して死亡している。

ガス、原油漢族によって「盗掘」され、これもウィグル人から見れば、自分たちの財産が不当に収奪され、利益漢族が独占している構造となる。侵略者としての漢族宗教弾圧者としての漢族、支配者としての漢族

したがって父祖の地を自分たちの手にもどそうとする独立運動が起きるのは当然であり、「東トルキスタン」としての独立を求める主流派と「ウィグルスタン」としての独立を求める派、さらにはアルカィーダに走る若者グループがある。

中国はこれらを「分離主義」として、あたかも犯罪者のごとく扱ってきた。

7月5日夕方から発生したウルムチ暴動は、官製情報によっても、死者156名、負傷800名、パトカー二台、タクシー10台、公共バス190台などが焼かれ、106軒の商店や民家が放火、損壊被害にあった、という(日本マスコミ大手は新華社発表の140名死亡という数字を使っているが、BBC、フィナンシャルタイムズ、NYタイムズなどは156名としている)。

中国政府外国人特派員のウルムチ入りを禁止せず、いやむしろプレスセンターを設置して情報の一元管理、官製情報だけをあたえ、インターネットは切断されている。

中国は「ウィグル独立過激派による暴力」というイメージ外国プレス宣伝しているが、ワシントンのカディール女史は暴力根底から否定、ミュンヘンに本部のある「世界ウィグル会議」も、暴動の原因を否定し、あくまで平和な行進を呼びかけたに過ぎない、としている。

暴動は伊寧、ホータン、カシュガル、アクスなどにも飛び火した模様だが、軍四万が動員されたという以外の情報はいまのところない(7日午前五時現在)。

ウルムチでは王楽泉・党書記が「企業の三日間の休業」を命じ、ただちに戒厳令を敷いた。以後、情報管理されるため、正確な数字の把握は不可能。血の弾圧が開始される。

世界ウィグル会議」は「死亡者は五、六百名に達している」としている。

日本ウィグル協会のサイト

http://www.turkistanim.org/japan/news.htm

2009-05-28

中国政府チベットに次ぐ文化破壊の愚挙進行中。

ウィグル人の居住区とイスラム文化遺産破壊しつつ辺境「開発」。

景気刺激策のばらまきで少数民族の習俗をついでに破滅させる一石二鳥

アルタイ山脈モンゴル露西亜カザフスタン中国を東西に貫く。

その頂点とみられる、ベルーハ山は標高4506メートル、カザフと露西亜国境を分ける。中国側の「アルタイ市」は、地理的にウルムチの北方およそ600キロ、「阿弥泰」の漢語を当てるが、原住民はもともと漢族ではない。

ちょうどアルタイ市の位置は中国モンゴル露西亜、カザフ国境であり、北のロシア側はアルタイ共和国

明らかにウラル・アルタイ系の民族が住んでいた。

周辺は金、水銀ウランなどレアメタルの宝庫である。

アルタイ山脈の雪解け水は中国領内で「ウルンクル河」と呼称される河川カザフスタン側へ注がれ、ザイサン湖にたまり、そこからカザフ語の「イルティシ河」となって、カザフ北方を東から西へのび、ロシアへ流れ込むと西シベリアのオムスク市あたりまで達し、他の河川に合流する。

山岳地帯だが、水資源には恵まれる。

さて当該地域は山岳地帯、地震が多い。

アルタイ市の北側は北屯鎮をいわれ、河の北岸を新都心「北屯新区」とする計画が決まった。景気刺激策の57兆円プロジェクトに便乗し、三年間で四億元を投資する。

くわえて民間企業への貸し出しを十億元以上と見込むそうな。

2010年にはアルタイに繋がる鉄道高速道路開通も予定されている。巨大な開発は新都心つくり、新空港整備などに置かれ、アルタイ樹氷でも有名なので、冬の観光客が見込めると「取らぬ狸の皮算用」もやっているが、真の狙いはレアメタル確保である。

そしておそらくは過激派の温床となるのを防ぐために新都心を築くのだ。

中国共産党善意政治目的だけで辺境開発をするわけがない。

すでに新彊ウィグル自治区には14の空港がある。予算の分捕り合戦、あげくに地元デベロッパー賄賂、手抜き工事。危なっかしい工事予測される空港を、新彊ウィグル自治区では三つ、新たに増やし、合計17の空港を構築する。イーニン、アクス、ウルムチなどの空港は大規模な改修工事、クチャは移転工事が進んでいる。

砂漠オアシスカシュガルでは?

新彊ウィグルの西端、カシュガルという砂漠オアシス都市世界的にも有名だろう。キルギス国境を接する街、イスラム教聖地エディカル・モスクがあることでも知られる。

このカシュガル周辺がM6・8の地震の襲われたのは08年10月5日だった。同地区では1902年にもマグニチュード8・0の大地震があり800名前後の死者がでたという記憶がある。

夏は摂氏30度、真冬は零下十五度という寒暖差がはげしいカシュガルシルクロードの要衝として古くから栄え、駱駝が闊歩して胡人の隊商が行き交い、むしろ漢族の入植が遅れた。

殆どがイスラム教徒だった。

中国イスラム教徒にとって、カシュガルのエティカルモスク参拝は、メッカ巡礼のごとく聖地への憧れ、1422年の建立。正門12メートルミナレットは18メートルの高見櫓として左右に立ち、壁面にはイスラム文化の文様が彫り込まれている。

カシュガル市は、このエティカルモスクを中心にユスフ・ハズ・ジャジャブ(カラハン朝の大侍従)の墓、シルクロード博物館バザールが拡がって「カシュガル旧市街」を形成した。

近郊にはアバク・ホージャ(新彊イスラム白壇派指導者)の墓、30キロ北東には千年以上前の莫爾仏塔が砂漠のなかに蜃気楼のごとく残る。

このカシュガル旧市街という文化遺産を「地震対策」を名目に建て替え、住民を近郊に「新市街」を建設し、高層アパート移転させるという無謀なプロジェクトが展開され始めた(ヘラルドトリビューン、5月27日付け)。

すでに900世帯が立ち退き、残り13000世帯も「地震がくるから移転を急ぎなさい」と市当局から煽られて、強制的な引っ越し準備に明け暮れている。

「これはイスラムの文化遺跡破壊ではないか」と前掲ヘラルド紙が批判を繰り出した。

カシュガル市当局は対象住民と何回も話し合いを持ったと言い張るが、住民側は立ち退き日程と保証金を聞かされただけ、プロジェクト全体の費用はとりあえず4億4000万ドル、これに57兆円の景気刺激予算から追加の配分がある、という。

イスラム教徒を分散居住させ、治安対策にする?

 

二十日以内に立ち退けば、保証金の他に30ドルの報奨金、一ヶ月以内なら15ドルの報奨金が貰える、と即物的なカネの宣伝を繰り返し、ウィグル人の住居という習俗、文化風習を無視してプロジェクトを急ぐ。

この結果は、さらに漢族支配への敵愾心を増幅させたようだ。

どうやら中央政府治安対策上、イスラム教徒過激派の集合場所を分散できると踏み、省政府カシュガル政府の高官はプロジェクトでカネが転がり込むと踏み、土建屋的発想が文化遺産保存という考え方もついでに破壊した。

北京の文化関係者のあいだにも不評で「愚かな政策」と吐き捨てる者がいるが、国連ユネスコ世界遺産」登録リストから北京政府意図的にカシュガルをはずした。「これは政府高官の命令と思える」と文化遺産関係者が憶測しているという。

チベットに次ぐ文化破壊の愚挙、ますます深刻化している。

 
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