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はてなキーワード: 力点とは

2012-02-05

Re: 落日パナソニック

先日パナソニック決算報告があり、2012年3月期の利益予想が7,800億円の赤字になったという発表がありました。 http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20120203_509787.html

また、1月28日週刊東洋経済では、「落日パナソニック」という特集が組まれていました。この特集が組まれた段階では、赤字額がまだ 4,000億円の段階でしたが、それでも絶望的だという論調で書かれていました。

実際社内ではどうなっているのか、またどう受け止められているのかについて書いてみます

社長レースについて

社内ではほとんど話題になりません。社長が交代する、しないについても全く興味がない様子です。タブー視されているのではなく、単に関心がないだけのように見えます

雑誌に書かれているとおり、確かに津賀専務の評価は高いです。大鉈を振るう改革を進めるので、反発も強いですが、きちんと数字を出しています。ただし、本社で「年齢が若すぎる」という声が出ているかどうかはわかりません。否定できないほどには、パナソニック年功序列です。

余談ですが、 p27 に掲載されている「津賀が新工場を閉じるべきと発言したら、取締役会修羅場になり、席を立つ取締役まで現れた」というのはかなりリアリティがあります。普段の社内会議も、机を叩いたり叫んでみたりで、相手に威圧感を与えて意見を通そうとする人がいますから...

テレビ事業の失策について

プラズマテレビへの傾注が今の事態を招いたとしていますが、これは疑わしいと思っています。少なくとも、液晶メーカーが軒並み赤字になっている中、パナソニックプラズマを早期に撤退して液晶に注力していたらよかったかというと、それはわかりません。ただし、2010年尼崎第三工場は、減損処理をしていることからもわかるように、失策だったのでしょう。

「まるごと事業」の空虚について

32ページからはまるごと事業に関して、事業部間の対立などが書かれています。これはパナソニック社内ではとても有りそうな話です。

まず、予算や人員が事業部単位で割り当てられますから自分の事業部の利益を最大化しないといけません。そして、事業部感で連携する際に「どちらがやるかはっきりしない仕事」は、拾ってしまうだけ損になります。極端に言えば、事業が失敗したときに、いかに相手に責任を取らせるかを考えて仕事をしている向きもあります

それから、紙面では「部門間の身分差」について書かれています。私の実感では、まず大阪が本流で、それ以外は傍流扱いです。事務職はわかりませんが、技術職では「ハード屋」と呼ばれる、電気回路などのエンジニアが偉く、次に「機構屋」、最後に「ソフト屋」が来ます工場生産技術者の地位もハード屋より低いでしょう。それぞれがお互いに責任をなすりつけあっている風景はよく目にします。また、重要な決定はほぼハード屋だけで行われ、その決定にソフト屋が従うことになります

このような状況でいくら「まるごとソリューション」と叫んでみても、うまくいかないのではないかな、と思います

水道哲学について

33ページに「水道哲学」について軽く触れられています。そこには「松下幸之助によって提唱されたが、今や乗り越えるべき過去であるはず」と書かれています

しかし、社内ではまったく逆で「松下幸之助が言ったことは、時代が変わっても常に正しい」と繰り返し叫ばれています水道哲学も、かなり強調されるテーマです。ですから最近でも「ボリュームゾーン戦略」や「中所得者向け商品」と名前を変え、いかに数を売って利益を出すかに力点が置かれてきました。もっと言えば、09年度の不振高所得者層に注力しすぎたからで、水道哲学無視した結果であり、松下幸之助精神に立ち返らなければならないといったムードさえ漂います

ですから、高度成長の価値観から抜け出せていないのは確かですが、社内ではそれで上手くいかないのは「やり方が悪い」からであり、「水道哲学そのものが悪い」という考えには決してなりません。

中村邦夫という聖域について

役員の人事がどう決定されているのかは全くわかりませんので、社内で中村会長がどう扱われているかだけ説明します。

端的に言うと、「松下幸之助が亡くなったあと傾いていた松下電器を立てなおした救世主」という扱いです。研修でも歴代社長の中では、松下幸之助の次に長い時間をかけて説明されます中村会長大坪社長の業績も、やはり比べられます。そのような中で、求心力を発揮するのは難しいのかもしれません。

この会社もうだめかもわからんね

その他、雑誌に書かれている中長期的な将来の話はわかりません。ただ、最近大坪社長の象徴的だった一言があります。それは、サムスンとLGに有機ELテレビ商品化を先行されたことについて、「サムスン、LGが2012年中に有機ELテレビを発売すれば、我々は出遅れることになる。遅れて出す以上、商品のスペックで負けるということがあってはならない」と答えたことです。 http://av.watch.impress.co.jp/docs/series/ce/20120117_505035.html

日本企業の負けた原因は、スペック技術力ではないと思っています戦略の誤り、組織的な非効率を見なおさず、「商品力で負けないようにする」とだけ答えるのは滑稽です。

かつては平均年齢35歳だった会社も、今では45歳です。自己資本比率は30%を割り込みましたが、今なお社内に危機感は感じられません。サムスンアップルを例に出し、赤字会社ばかりではないことを述べると、「彼らだっていつまでも儲かるとは限らない」「円高だから」「雇用を守るという社会的責任がある」となります。今回の赤字決算のことを話したら、「それでも営業黒字で、会計上の赤字でしょ」という返答が周りの社員から返ってきます年功序列ですので、課長になれるのはだいたい40歳を過ぎてからです。

どうしましょうね。

2012-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20120121231527

あ、「ナンパ師」のほうに力点があるのか。つまらない。

匿名ナンパ師なのかと思った。増田メンバーナンパにいったら面白いのにな。

2012-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20120116175651

横だが。

こんなこと言い出すんだからな。


民主党マニフェスト重要性に力点おおいていたことと、一般市民がそれをさほど信じていないことは何も矛盾しないのだが。

2011-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20110928142311

その場合は、「リーダーシップそのもの」を求めてるんだよね?

でも、本文は「だけじゃない」方に力点があるよね?

2010-08-09

ドラエモンロボット漫画アニメ)か?

んー、なんかこの話色々論じられてそうだけど

面白そうなんで絡んでみる。

まず、ロボットアニメではない派の言い分はこういうことだ。

ドラエモンは「愉快な人外」であるということ。これはオバQやハットリ君といった

同じ構造を持つ作品、「ケロロ軍曹」に留まらず「ラブやん」なんかも系譜に入ってくると思う。

つか、この系譜はあり過ぎて最早収集がつかない。人間以外のなにかがポンと現れて

現実と非現実との橋渡しになる作品は山ほどある。つか、これの始祖はドラえもんじゃないよね。

俺がふと考えた限りでは代表作はおそらく「ファウスト」だ。

要するに「愉快な人外」というのは、メフィストフェレス的なものなんだろう。

これが重要なのは、「通常の世界に住む主人公」を「非現実世界」へ橋渡すこと。

この物語構造上の形式は「ロボットである」という事実よりずっと重みがあるだろうなぁ。

ドラエモンは「愉快な人外」であれば話が成立するけれど、「ロボット」である必然性には乏しい。

鉄腕アトム」は最初から「未来」の話であり、「アトム」が現実未来を橋渡しているわけじゃない。

物語構造的には、ほとんど類似点は無いと言える。

ロボットである、というのはキャラクターにつけられた属性であり、「オバケである」とか「忍者である」と一緒で

物語の形式上の大きな意味を持ってはいない。だから、あくまで形式の話をすると

ドラえもんは「ロボットまんがではない」って結論になるんじゃなかろーか。

もちろん「ロボットである」ことに力点を置いて論議することも可能だろうし

ドラエモンロボットであることから始まる系譜、あるいはそこにいたる系譜ってのも

頑張れば作って作れないこともないけれど。

あともう一つ。ドラエモンが「ジュブナイル」であるとか「ビルディングス・ロマン」であるって議論も可能だけど

残念ながら、ドラエモンサザエさん時空で終始した物語である以上、これは構造的には確定出来ない。

大長編一つに区切れば、あれはビルディングスロマンだと思うけど。

2010-06-19

徹夜で頭がおかしくなった人が告白模擬演習 ケース3 教室で二人きりのとき、あたかもそこにもう一人いるかのごとく

僕は君の力点となって、君を作用させるよ!!

2010-02-19

オタクの人の文章

はてなブックマークニュース鉄道オタクの人のことが取り上げられていたので、関連記事をいろいろたどって読んでいた。ちなみに自分は全く関心がない門外漢です。

コメント欄の「京阪100年号事故」というのが気になったので検索したらwikipediaの項目があったので読んでみる。

……概要が知りたいだけなのだが、やたら文章が長い。要するに「記念列車を走らせていたら死亡事故が起きた」という事件らしいのだが、それより鉄道の方に力点が置かれすぎてぐったりきた。鉄道趣味界への影響が大きかったのかもしれないが、以後安全対策はどうなったとか人間世界のことも知りたかったんだがな。

2009-07-14

新彊ウィグル自治区路地裏の真実

宮崎正弘トンデモ中国真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)

 

(拙著からウィグルの紀行部分のダイジェストです)

モスクに祈りの音楽が聞こえない

ウィグル自治区で殆どのモスクイスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。

新彊ウィグル自治区地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。

大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区カザフスタンキルギスアフガニスタンパキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。

国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派ゲリラ武器中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。

極めて厳しい自然環境乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメット信仰している。

漢族回教徒を目の敵としたのには歴史因縁がある。

中世から近世にかけて現在中国北西部を収めていた元は原住民イスラム信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民漢族に立ち向かうようになった。

新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。

あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。

 

ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安チチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスク信者がちかつかないのだ。

冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタンウズベキスタンタジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラーアクバール」とコーランが流れているのを聴いた。

ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪

イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。

しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。


▲ウルムチは「砂漠チャイナタウン

一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。

寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区トルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。

北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。

イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国拙速にも北京と妥協したのだ。

 (中略)

村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランテープCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。

あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス茶髪ショートパンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。

ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ市民公園遊園地漢族家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルチャイナタウン」ではないか。

街の看板漢字アラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル大通りに溢れるのはトヨタ日産ホンダの車である。

服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラー民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。

最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。

都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。

中国沿岸部の人たちは競って英語日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。

~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~

仏教遺跡はすべて破壊された

「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。

南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。

交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教イスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。

嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャン石仏イスラム原理主義過激派らはミサイル破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。

南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカルモスク中国イスラム教徒メッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。 

現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒怨念はなまなかなものではなかろう。

血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。

イスラム歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランホメイニ師のごとく強靱な精神指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。

 

拙著トンデモ中国 真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2%E4%B8%AD%E5%9B%BD-%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AF%E8%B7%AF%E5%9C%B0%E8%A3%8F%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8A-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484082187

2009-03-04

「嫁」はイエ視点での表現だから,個人対個人の関係で用いるのは違和感あるなあ。ウチに嫁いでくるのがヨメだろう(ムコも同様)。だから舅姑から見てもヨメはヨメなんだ。だれだれの,と人的結合に力点を置くなら,「俺の妻」じゃないかなあ。

2009-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20090213115839

結婚国家陰謀にして男社会搾取の枠組みであり

名前の上がってる先生の派は実際にそういうことを言っている)

その妨害を小目標とするフェミニストの闘争は十分に成った。

ただし女が一人で生きる収入思想確立するのではなく

男が妻子を養うことを嫌がりだしたという形で。



呼応して決起する女はいなくても面倒そうなものを避けだす男はいた。

男も女も人間って楽な方に流れるからね。

女に決起を呼びかけると見せかけて作戦力点は男だった。

鮮やかな偽撃転殺の計

上野先生はやっぱり一代の戦上手だよ。

2009-02-04

オバマタリバン征伐のための米軍増派は確定的

 オバマタリバン征伐のための米軍増派は確定的、夏までに二万から三万

  アフガニスタン南西部、ヘルマンド河渓谷攻撃に兵力を集中か

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 ウォールストリートジャーナルが、オバマ政権の新アフガニスタン攻略計画の概要を伝えた(2月4日付け)。

 2001年にアフガニスタン空爆に踏み切って以来、米軍は二倍の戦力を投じることになり、しかも兵力はカブール防衛ではなく、南西地方のヘルマンド河渓谷攻撃が目的である。

 タリバンが勢力をぶり返したのは、このヘルマンド河周辺で栽培されているアヘン。この軍資金で兵器を購入し、さらに若者を新兵としてリクルートできる資金と化けており、この元凶と絶つ作戦である。

 アフガン南西部のヘルマンド河周辺と隣のカンダハル地方がタリバンの巣窟となっており、テロ攻撃が盛ん。

 むしろ都市部でのテロ攻撃は減ってきている。 

 これまで米国傀儡カルザイ政権を守るための首都カブール防衛に死力を尽くしてきた。しかしオバマ大統領の新戦略ではカブールインフラ整備のための投資教育の整備、カブールの安定と同時並行的にタリバンの急所をつく作戦を展開することに切り替えるのだ。

 北西部とパキスタンをつなぐルートは食料、ガス、消費物資を運搬する生命線だった。

 オバマは、この従来的なカブール維持作戦から、大きく敵兵力の殲滅を戦略目標として選択した。

 またオバマ民主党リベラル派でありながら戦争の縮小ではなく、拡大に力点を移行しつつあるのは、大不況から抜け出す定石でもあり、同時に倒産間近のビッグスリー立て直しのための軍事産業テコ入れという深謀遠慮があるのではないか、一部の軍事評論家がそんな分析もしている。

2008-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20081120012758

読む限りこの増田の論点は「女の子なのに誰からも男だと間違われちゃうあたしorz(叙述トリック自虐)」で、女性専用車両と言う背景にはさほど力点は置いていないのに

ここぞとばかりに利用して女性専用車両の是非を説いちゃうトラバブクマコメを見るとなんだかなぁ。。

重ね重ね元増田には同情する。大変ですね本当に。

2008-11-17

へこたれなければスキルは身につく。へこたれさせない目標設定と評価をしようぜ!

すごい物を見てもへこたれない人

なぜ、へこたれたのかを分析しよう

精神論だったり、「才能」や「努力する才能」だよ、という言葉で片づけるのは簡単だけど、それでは何もプラスがないし、つまらない。ここはもう少し細かく考えてみよう。

すなわち、君はなぜ「できない」「もう無理」と思ったんだい?


一つには環境要因があるだろう。お金時間、周囲との人間関係…。これらはすぐに改善するのはなかなか難しそうだ。

だけどもう一つ、「何をすればいいのか分からず途方に暮れた」「あんなこと、今の自分には難しすぎる」…努力しなきゃと思っていても、一体どこでどう努力すればいいのか分からない。そういう理由なら、それは何とかなるかもしれない。


発達には最近接領域がある

まず最初に知っておいて欲しいことがある。人間は1歩先の足場にしか届かない。

これを教育専門用語で「発達の最近接領域」という。最近接領域とは「自分一人でできる」以上「誰かの助けがないとできない」未満の領域のこと。

その人の学習段階(レディネス)にあわせて、ちょうどぴったりの「発達の最近接領域」範囲内に次の足場を用意する。実はこれこそが教育の正体だ。


「発達の最近接領域」となる範囲の幅は広い人もいれば狭い人もいる。歩幅と同じで個人差があるのだ。体調にも左右される。一足飛びで上達しているように見える人は、この幅が広いに過ぎない。その人も自分の歩幅で一歩ずつ発達段階をのぼっている点ではあなたと同じだ。

歩幅の違いはあるいは才能といえるのかもしれない。しかし裏を返せばスピードの違いこそあれど、歩ききることさえできれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。

むしろ注意したいのは、自分の最近接領域内に足場を設定できないと発達できないという点。発達できないと疲れだけがたまる。自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことにも繋がる。


「最終目的地」と「次の一歩」、2つの目標が必要

さて、これを踏まえた上で、どこに努力力点を置くか、である。ポイントは2つある。


まず努力ポイント1つ目。「最終目的地」を持つことだ。

登山でいうならどの頂上に向かうか。当然といえば当然だが、目的地が分からなければルートが割り出せない。適当に動いたのでは遭難してしまう。マクロな視点、俯瞰的な視点で最終目標さえ捉えていれば、そこに至るまでのルートはわりと自由が利く。自分の行けそうなルートを選ぶことができる。

目的地が遠すぎる…と思ったら、もうすこし近めに設定しても良い。目標は途中で変えても良いからだ。


次、努力ポイント2つ目。「次の一歩」を見つける。ここ重要ですよ、テストに出ます。

今度はミクロな視点、さっきの「最近接領域」というやつだ。

学校教育では教師がきみの歩幅に合わせた足場を用意してくれる。趣味仕事ではそれができる人に師事するか、自分で足場を見つける必要がある。目標が達成できるか否かは最近接領域内にうまく足場を設定できるかどうかが肝だ。

自分より少しだけ上手い人を探して、マネをする。というのも良い手立てだ。


ポイントは自分に学習状況にあわせて、こまめに足場を設定すること。最近接領域は刻一刻と変化する。繰り返しになるが、歩ききれば目標には到達できる。だからこそ自分に適切な足場を設定すること、途中で疲れはてないように注意することが最重要だ。

「何をどうすれば上達できるか分かんないよ!」となってしまったときは足場が遠すぎる可能性が高い。もっと「一歩」を小さくしたり、より基礎部分に戻ればいい。

逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったな、と思ったら少し(ほんの少し!)レベルを上げる。


普段の運用は2つ目「次の一歩」に注力すればいい。1つ目「最終目的地」はそうコロコロとは変わらないからね。逆に「次の一歩」は毎回ていねいに確かめる必要がある。そうして時々ルートがずれてないか、最終目的地を確認すればいい。

もしも、1つ目「最終目的地」が変わったら、そのとき自分の位置と新しい目的地から、次のルートを割り出しなおそう。

カーナビを使うときのイメージだ。


「次の一歩」ごとに評価する

さて、歩ききるため(または歩ききらせるため)に重要なことがもう一つある。

評価だ。

どのタイミングで評価をするかについて、多くの場合、大目標に到達したときが頭に浮かぶだろう。学校ならテストだったり、仕事なら一つこなしたとき。趣味なら発表会とかかもしれない。


だが、それだけではない。実は「次の一歩」で動いたときに評価をするのだ。

一歩がうまく行った時は、全力で褒めていい。そして、そのまま行けばいい。

うまく行かなかった時は、「次の一歩」の足場の見直しをする。


ポイントは、評価とは点数付けに意味があるのではなく、むしろ最近接領域の状態を見極め、次の足場の設定へのフィードバックを行うことこそが真骨頂という点だ。

これは先ほどの、こまめに足場を設定する、という話に繋がる。こまめな設定には、こまめな評価が必要だ。

しかも、こまめに褒めればモチベーションも維持しやすいという特典付き。完璧な作戦だ。


こんなの無理\(^o^)/

おま…だから、いきなり全部やろうとすんなとあれほど…

はい復習ー。むりぽと思ったときは?…そうだね、「一歩」をもっと小さめに設定するのがコツだったね。

「できない」「もう無理」「やっぱ才能ないわ自分」って思ったときほど、設定を見直せー。


それでも「出来る」なんて思えない?

大丈夫、みんな義務教育はしっかりこなしただろ?国語も算数も苦手なりにも一応は出来るようになっただろ?

…出来てるじゃん。あれと本質は同じだ。だから、できるよ。慣れは必要だけどな。


補足

ま、なんにせよ時間は必要だから、この10000時間ってのを一つのめやすに長期計画立てると良いかもしれんね。

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則


あと、へこたれそうになってる人には、周囲の励ましがよく効きます。特効薬です。

無理とか言ってる人も、おだてれば木に登ります。だからみんな俺に優しくしてくれメソッド発動。


追記:このエントリ、ほとんど元増田の言い換えだったり、ちょっと元増田の文脈からずれてしまったりしてるのが申し訳ないが、誰かのお役に立てれば幸い。

あとちょっとタイトル変えた。

2008-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20081108170922

なるほど。数日の議論を読んでみて、水村本の目次を確認してみると、否定派および肯定派がそれぞれの立場に別れた理由が少しわかっってきた。

目次・水村美苗日本語が亡びるとき』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32157995/

1章 アイオワの青い空の下で「自分たちの言葉」で書く人々

2章 パリでの話

3章 地球のあちこちで「外の言葉」で書いていた人々

4章 日本語という「国語」の誕生

5章 日本近代文学奇跡

6章 インターネット時代の英語と「国語

7章 英語教育日本語教育

なるほど。本で第4章以降を読んだ人からは、もう知ってるよという反応や具体的提案についての否定的コメントが出てくるのも頷ける。日本語とか英語とかあるいは語学教育とかについて何か語りたくなる人も現れるだろうし、反対に、多文化主義的な観点からのコメントも出てくるだろう。

わたしなどは、8月に読んだからでもあるが、むしろ第1章がとてもおもしく感じられた(そりゃあだって、理論的な解決がこの本にあると思って読む人なんているだろうか。水村さん作品に親しんでいる人はもちろんそんなこと思わないだろうし、煽った人たちの力点もそこにないだろう)。

おそらく、

柄谷周辺の論者の問題意識に沿って書いた議論の向かう先・解決策を期待してこの本を手に取るか、あるいは、「アイオワの青い空の下で「自分たちの言葉」で書く人々」と交流しながら問題の所在を発見するというその出発点に着目するか、これにより、この本の評価はかなり分かれるのではないか。

多分、梅田さんがこの本について語りたくなったのも、水村さんがアイオワで様々な国からやってきた文学者と触れあう内に、日本日本語についての問題に近づいていったというプロセスを、梅田さんの場合であればシリコンバレーでの経験になるかと思うが、この本を読みながら追体験し共感したからのではないか、とわたしは思った。

第1章のところだが、アイオワに各国の作家とともに招かれて出会った内の一人が、若いころロシア娘と恋に落ちたりもしたことがありその頃学んだロシア語を用いて盆栽に詳しいリトアニア青年と会話のできるモンゴルの老詩人で、何かの時に水村が老詩人に向かって“You are an important person”といったときに、英語が苦手なのでたどたどしいながらもゆっくりと静かに“Everbody is important”と答える場面やそのほかの場面は、外のものに触れることでいくつかのばらばらの点が繋がり問題が自分のものとして感じられるプロセスとして見ることができ、さすがにマドル・スルーというようなものではないが、問題を自分のものとして受け止める過程はそれなりに緊張し疲れるのだが充実した読書だった。

そういうことが問題となってるのはずっと昔から知っているよ、何この話、古くさい、というのは十分あり得る反応だろう。ただ、問題の所在を個々人がそれぞれ理解するというのはそれとは独立重要なことだろう。もちろん、この本とは別の入り口でも全然かまわないのだが。

そういう意味では、今回の騒ぎをきっかけに、こういう問題があるんだあ、と思った人にとっては水村さんの本は一つの入り口として悪いものではないと思う。

別の話。

http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081109/p2

話は少しそれるが、これを読んで、まず、「あたし彼女」読もうと思った。

もうひとつ思ったのは、

新潮9月号に載った前半部読んだ感想としちゃ、読めたもんじゃないよ。

何の説明もなく日本文学は一人で幼稚なものになっていっていたと断じている作家が、この『ひとり』をひらがなに開く言語センスすら持ち合わせない作家が、<叡智を求める人>は今の日本文学など読まないなどとぬかしているのだよ。

という記述について。この方の水村本の理解からはそのように読めるし、きっと正しいだろうと思う。

ただ、もうひとつの可能性もあるのではないかとわたしは考えた。(いま新潮および本が手元にないので原文を確認することができない。「一人で」あるいは「ひとりで」が本のどのような箇所でどれくらい用いられれているか確認しないままではあるが、Thscさんの指摘にインスピレーションを受けてわたしの理解を書いてみることにする。)

Thscさんの主張はおそらくこうだろう。

日本文学は一人で幼稚なものになっていっていた」

という文の「一人で」は、「おのずから(自ずから)」あるいは「ひとりで勝手に」というニュアンスで用いられていると理解できる。そうであれば、「ひとりで」とひらがなで表記するべきであろう、と。

しかし、もしかすると別の考え方もあるのではないか。

「一人で」と漢字で表記するという点に固有の意味を見ようとするならば、日本語が「ひとりで勝手に」幼稚なものとなっていった、という理解とは別の理解でこの文を読まなければならない。その理解とはこうだ。

水村の議論全体をふまえると、水村は「言語というものは孤立すると衰退する」と考えているのではないだろうか。言語は「一人」になると衰退する。

このようなニュアンスを込めて、ひらがなにせず、あえて漢字を用いて「一人で」と表記したと考えることはできないだろうか。ここではそのような理解の可能性を指摘してみよう(もちろんこれはまだ単なる思いつきの段階であり、実際には、本文で語が使用されている箇所を逐一チェックしていく必要がある)。

ただし、このように考えたとしても、それならば違った書き方をするはずだ、等の疑問は当然に出てくるだろうし、結局のところは、Thscさんの理解が穏当なところだろうとわたしも思う。

別の可能性を指摘しただけでは水村さんが確信犯で「一人で」を用いたことの立証にはならないし、ひらがなか漢字かの選択だけでこのような微細な部分をオミットするのは文章家として正しい態度ではないのだから、いずれにせよ批判されても仕方のないところだろう。

2008-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20081006104525

その辺に対する、世の中の力点は少し違っていて。

ストリートビューには悪い点がある、それを改善してくれ

なんだと思うんだよね。

ストリートビュー絶対反対!!」「断固拒否!!」って旗を掲げているところをほとんど見ないし。

だからこそ、こうして悪い点が黙々と積み上げられてる。

それらを解決するかどうかはグーグル次第だけど、結果としていろいろと動き出すのは、こうした働きかけが何も変えなかったそのときではなかろうか?

2008-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20080602214913

愚痴」にならなければ、自分を信頼してくれていると受け取ってくれると思う。

その悩みを克服したいってとこに力点おけばいいんじゃね?

2008-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20080601142232

私女だけど(以下略

アドバイスするなら

告白と言うより「これまでの友達関係を壊さないような恋愛関係を作ってみない?」と提案してみるのはどう?

もしかしたら彼女は告白されるのを待ってるのかも知れないけど、それまでの関係が崩れてしまうのが怖い(けど多分嫌じゃない←ここがみそ)のかも

基本は友達だけど徐々に…という所に力点を置いて説得してみると効果はあるかもね

2008-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20080325135758

ああ、そうか。やっとわかった。シャフト(だったっけ)は「さよなら絶望先生」を原作漫画じゃなくてインディーズバンドと見ていたのか。それでそれっぽいサブカル臭さをつまみ食いしたりいじったりして遊んでたんだな。飲み屋で「あのバンドはさー」とか語るのと同じ視点だったか。やっともやもや感が晴れたよ。どうりで本編よりOP/EDに力が入っているはずだ。

対象より「語っている自分」のほうに力点があるわけね。

2007-12-15

まあそこは

まあプライド力点は人それぞれだから、「他人の足の裏なめるくらいならクビくくるわ」って人もいれば、「有名になるためなら他人の足の裏くらい100回でも1000回でもなめてやるわ」って人もいる。それだけじゃね?



http://anond.hatelabo.jp/20071215122514

2007-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20071009173808

そういうのって傍から見たら自己弁護と区別つかない場合があるじゃない?

自分は、おぞましいって言われなくなる世の中の方が怖い。

ガチレイプしたい人間にとっては、レイプなんておぞましいなんて言われなくなる世の中の方がやりやすいわけで。

自分がこう思うのは合意なしに他人に危害を加えることに力点を置かれているジャンル限定だけどね。

合意の上のSMみたいなジャンルについては「おぞましい」っていうのは偏見だと思うから声を上げるし、スプラッタみたいな猟奇表現が売りのやつでも合意の上での殺し合いとかなら別だと思うよ。

だけど、レイプものっていうのは合意がないことが売りなジャンルな訳でしょ。

意思に反して危害を加えられる側になるかもって警戒する人が出てくるのは仕方がないんじゃない?

昔から学生は教師の質の悪さを見抜く能力が必要だった

地球温暖化で何か問題でも?

http://blog.tatsuru.com/2007/10/09_0951.php


こういう記事を書く人物が、事もあろうに将来の日本を支える若い学生を指導しているという現実は恐ろしいものである。


とは言っても、自分が若いころにもこういう大学先生はいた。

冷ややかな目で、「こういう人物にはならないでおこう」と思ったものだ。


バタフライ効果」の話のもとになっている非線形微分方程式そのものを自分は見たことはないが(こんな感じか?)、この先生は気象が本当に非線形微分方程式のようなもので記述されるいわゆる「複雑系」だと思っているんだろうか。「気象は複雑系である」ということに関しての"証明"はもうお済みなのか?

無数の蝶が羽ばたいている現実世界天気予報が実用化されていることをどう説明されるつもりか。


複雑系」という古い流行語思考停止しているのはこの先生のほうに見えてしょうがない。

それよりも、現実的には温暖化の原因として最も疑わしいと考えれられる二酸化炭素排出量に問題の力点を設定している学生のほうがよほど有益な存在だろう。


まあ、もしもだが、こういう記事をブログに書く事で、日頃学生にまともに相手をしてもらえないうっぷんを晴らすことができているという状況であったとすれば、(←あくまでも仮定ね、脊髄反射しないでね)こういう記事にもそれなりの価値はあるんだろうが。

2007-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20070904135129

どっちかというと「浮気」が「治療可能」な可能性があるという話に力点を置きたい。

おいらだってなおせるものならなおしたいよ。

浮気したってお金かかるし、時間かかるし、たまに泥沼にはまるし、大変なんだから!

でも、やめられないってのが「病気」なところだね。

2007-04-30

その切り込み方はおかしい

これからどうやって生きていこうとか、自分という人間が優れているとか優れていないてことを言いたいんじゃなくて、「教科書の内容に沿って生きていくことができないってことがわかった」ってほうに力点があるんだと思う。教科書が虚構であって適切じゃなかったってことでしょう。

んー、ただもっと前の段階として教科書ストレートに信じてしまった時点で、実は罠にかかっている。現実世界というのは倫理を単純に行動に反映させることができるような世界ではない。

2007-03-07

どこかでみたことがある

テクニックがあってテーマのない人間は哀れだ。彼らにできるのは対象物を微妙に損ねたかたちで表現することだけ。それは実に精密、そして意外な仕掛けが施されていて、見るものすべてがひと目でその力量に惚れこむだろう。これは素晴らしいと感嘆し、陶然としたひとびとは我先にと商品に売約済の札を貼りつけ熱狂の渦に叩き落とされる。


そうして彼らは瞬く間に幾許かの名声と、それなりの現金を得て懐があたたまる。だが、それで終わりだ。何も変えられはしない。聞こえてくるのは賞賛の声と、いくらかの妬み嫉み。彼らが血反吐に塗れてつくりあげた精巧なレプリカを誰もが正しく理解し、受容しているのだ。彼らに実現可能な高みとは完璧な世界の表現でしかない。正確にいえば「わずかに欠けた現状」である。そんなありふれたものを誰もが買い求めた。苦渋や、浮き立つようなしあわせが掬い上げられているかに見えるそれを欲した。そして陳腐な空想に浸るのだ。もしかしたら存在したのかもしれないかわいそうな自分を幻視し、涙した。そうしたひとびとから圧倒的な支持を受けていた彼らは、その事実に慢心することはなく、むしろ常に脅えていた。彼らは自身を他人事のように見つめるのに長けていた。これこそが唯一にして絶対の力点だった。彼らは自分の存在意義と限界をしっかりと弁えていて、立ちまわり方を誤った際の自分の末期を見とおしていた。自分の地位を脅かす存在を想定していた。


それは散漫な人間だった。自分を制御する術を持たず、学のない、道理を知らない愚か者だった。己の境遇を恨んでは憎悪腐海に沈み、海底から虎視眈々と世界への復讐を果たそうと構想を膨らませていたがしかし、その奇想を実装する能力を持たない人間だった。零れる言葉は誰からも理解されず、あきらかに奇異。おそろしく、不気味な、妄想の片鱗を垂れ流すことしかできない異常者。ようするに逃げ場のない人間だった。殺されるか、殺すか、二つの選択肢しか持たない。だから、そういうものが死なないのであれば、確実に自分たちのもとに到達して、かならずや復讐を果たす。彼らはそう考えていた。いや、仮に志し半ばで野垂れ死んだとしても、結果は変わらないのだ。今世紀中には無理でも数百年をかけて間違いなく殺される。歴史の隙間に葬り去られる。この世に蒔かれた憎悪の種は水を遣らずとも芽をだし、突如としてシステムに痛手を負わせる純粋な悪意の表象となる。それはやがて黒々とした花をすべての人間こころの中に咲かせるだろう。今、もしもそれを目にすることができたところで、誰ひとりとして正当に評価できないのはわかりきっている。彼らですらあれは花ではないと酷評するのが関の山だ。あの花は決して枯れないのだから。花は枯れてこそ花である。だとしたらあれは花ではなく……。


彼らは行き過ぎた妄想を止めた。完全に未来予測するのが不可能であると知っていた。失望に足をとられて転ぶのをよしとはしない。すぐさま構想を練り始めた。愚か者には枠を与えるべきだ。今すぐにでも教育を受けさせなければならない。きちんと枷をはめ、思考は決まった円環上で堂々めぐりするように仕向けるのが最善だろう。生活に困って妙なことを考えないように、みな同じだけの富を持てる社会にすればいい。すべての人間を同じ高さに引き上げコントロールする。それができればこともなし、だ。さぁ、選挙に出る準備を。


すっかり夢中になっていた、いや、恐怖で混乱したのかもしれないが、彼らは重大なことを失念していた。彼らにはテクニックはあった。しかしそれだけだ。

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