はてなキーワード: 絶対君主制とは
疲れたのでこの辺にしておく
日本人であれば、天皇制というのは「絶対君主制」じゃなく、「権威はあるが、政治的権力は無い」存在である、と肌感覚で知っている。
戦後の象徴天皇制では勿論のこと、戦前の「現人神」である天皇制の時代ですら、政治の実権を天皇じゃなく内閣とか軍部が握ってた、ということを知っている。
が、「戦前でも、日本の政治体制は、絶対君主制じゃなかった」という「日本人の常識」は、果たして、海外の人にも「常識」なのか?
具体的には、「戦前日本は、絶対君主制じゃ、なかった」と理解している韓国人は、どれだけいるのか?
韓国人が「戦前日本が、絶対君主制じゃなかった」と理解してもらうには、つまり、韓国の義務教育において「日帝支配時代の、日本の政治システム」をどう教育されてるか?がポイントになる。
果たして、韓国の小学校中学校で、「戦前の大日本帝国では、天皇はお飾りで、内閣や軍部が実権を握ってた」とキチンと教育しているだろうか?
自分の憶測だが、韓国の小学校中学校では、「意図的に」、「天皇は絶対君主で、日本の政治の実権を握ってた」と教育されてるのでは?と思う。
そのように「絶対君主としての天皇」という存在を教育することで、「悪の日帝」という教育がしやすくなる。
ファジーな「内閣」とか「軍部」を教えても、「悪の親玉」としての迫力が無いのである。
だから「天皇が韓国に土下座すべし」発言は、韓国人から見たら「当然の帰結」なんじゃないかと。何てったって「悪の親玉」だから。
タイがクーデター政変が起こったが、その背景には「現国王の高齢化」(いつ崩御してもおかしくない)と、「王位継承の争い」がある。
また、スペイン王室も代替わりし、国内に王政廃止論が高まっているらしい。
ということで、立憲君主制の2国が、状況次第では「立憲君主制の危機」「共和制移行の可能性」という事態になっている。
このように眺めてみると、実は「立憲君主制」というのは、政治学が想定しているような安定的な制度ではなく、
実は「極めてイレギュラーな、極めてローカルな政治形態」なんじゃないか、という気がする。
共和制移行過程の過渡期の政体で、最終的には共和制に移行してしまうんじゃないか、と。
言い方を変えれば、立憲君主制の君主の存在意義が、以前と今では変わっている、だから立憲君主制が不安定になっているのかもしれない。
かつては「立憲君主制の国と絶対君主制の国」で国際社会が成り立っていたから、外交儀礼上君主の存在意義があったが、
人権というものを語るとき、必ずといっていいほどまで言われることがいくつかある。
たとえば、「人権というものは近代国家を満たす要件のひとつだ」というぐあいだ。
ホッブズは社会契約説として自然権を考えたが、彼の見据えた先は絶対君主制であり、巷で言われるような近代国家とはまた異なる。
ロックは間接民主制を見据えていたので、これはさらに民主主義を推し進めたという意味でより近代的である。すなわち、近代国家というのは民主的であるというのも大事なのだ。
他に言われることとしては、「障害者に人権がなかったら、虐殺される」というものや「お前みたいなクズが生きていられるのも人権のおかげだ」というたぐいのものだ。
常識的に考えてみて欲しいのだが、人権の有無と虐殺の有無は異なる。人権がなかろうと人を殺せば刑法に触れるのであり、ふつう虐殺など起こらない。人権がない、すなわち無法地帯というわけではないのだ。後者に至っては発言者のゲス具合が遺憾なく発揮されており、恫喝以外の何物でもないと考える。
さて、憲法改正議論にあたって基本的人権の尊重などというのが槍玉に上がっている。これを廃することは、近代国家の否定だという人が思ったよりいる。
少しシミュレートして欲しいのだが、この国から人権を廃して、何か変わるだろうか?
警察の対応が杜撰になる?そんなことはない、もとから人権など顧みない杜撰な組織だ。
国家が国民や他国の人間を守らなくなる?そんなことはない、人権等より実質的な国家的相互監視によって、そんなことは許されないし、軽微なものならこれまでも無視されている。
自由が奪われて息苦しい時代になる?そんなことはない、それはある程度は景気の問題であって、人権があるかどうかと自由があるかどうかは関係ない。人権があろうとなかろうとわれわれはこれまでも「公益及び福祉のため」にこれを実践してきたし、人権の有無にかかわらず公共の福祉のために衝突があれば調停してきた。
ここまできてわかっただろう。この国に人権などいらないのだ。人権などいらないと言いのけても矛盾ないほどまでに杜撰な国家に杜撰な国民、杜撰な社会だと言うのもいいし、人権などいらないと言うまでに自律的かつ他律的な国家国民社会なのだ、と言うのもいい。
いずれにしても、民主的手続きで人権を放擲するならそれは最大限尊重されてしかるべきだし、今回の改憲が実現したとして人権がきれいさっぱり憲法からなくなるというわけでもないのだから、反対派にしても良かったじゃあないか。