はてなキーワード: 中学校とは
反省してない。賭けてもいい
幸せそうに子どもの動画をアップロードしてる、お咎めなしでスルーされた、かつての小中学校のクラスメイトは、私にしたいじめを少しは反省したのかな って。
してないと思う。
はてなで「小中学校時代に受けたいじめをいつまでも根に持つ」って笑われたんだけど。
以前にも誰かに「いじめは子供のしたことなんだから、気にするなよ」って言われた。
むかし小学生男子はスカートめくりだって躊躇わなかったし、のぞきを画策した・打診されたことあるし、いじめだってやってしまう生き物だから仕方ない………… そう言われると反論できない。
被害者が涙を飲んで「向き合って」「成長して」「乗り越え」なければならない——…こんな現代日本にモヤモヤする………………。
幸せそうに子どもの動画をアップロードしてる、お咎めなしでスルーされた、かつての小中学校のクラスメイトは、私にしたいじめを少しは反省したのかな って。
してないよね?
9割の生徒が4年制大学目指すような感じだったけど皆、倫理感覚や思考様式がどっちかっていうと獣に近かった。
友達に誘われたら「ウェ~イw」くらいの軽いノリでオレオレ詐欺や宅飲みレイプの手伝いしかねないくらいの危うさと低能さがあった。
高卒ストレート就職で公務員(消防)になった運動部の奴は1年目で飲酒運転やらかしてパトカーと追っかけっこした挙句に逮捕されてたし。
国公立10人くらい受かるような高校なのにこんな同級生出るとかもう……。
って理由で特に疑問も持たずにタトゥー入りまくりのやつとかと未だに友達付き合いしてる奴とかいたし。
以前5chのなんかのスレで
「地元じゃそこそこエリート扱いだろうけど高校受験で偏差値60はなかなか頭ヤバい」
タイミングと運次第じゃ反社になっても全然おかしくない感あるもん、うちの高校の奴ら。特に高卒就職で警察や消防や役所行った連中。
知性のせいで。
今アラフォーで地方公立だったけど、小学校はほぼ毎日殴り合いがあったよ。イジメでの暴力もケンカでの暴力もあった。
ケンカの仕方を知らないといじめられっ子になるのに、うちの母親が左翼で頭花畑だったからいっさい武道やケンカの仕方を教えられずに学校に放り込まれて苦労したよ。
小学校の頃は突然殴られてどうすればいいか分からず「やめて」と言うだけで何もできなかったな。しかも親のアドバイスがマジでクソで「話せば分かってくれるから暴力はダメ」と言われて、当然効果なくてイジメのターゲットになるだけで殴られ続けてた。
中学校に上がってからやっとやり返さないとやられると気づいて相手が倒れるまでやってやっとイジメが終わった。
小学校は特に大きなイベントはなかったけど、中学校の時は隣の中学校のやつらが20~30人やってきて近くの空き地で乱闘になってた。あとは原チャリ盗んで乗ってる不良とかはいたけど、一般生徒だったので遠くで見てる程度だった。
ちなみに反抗期の頃は母親をボコボコにしながら「話せばなんとかなんだろ?話でこれ止めてみろよ」と言ってた覚えがあるわ。何回か繰り返したら母親もやっと理解してバカなことを言わなくなった。
イジメを回避する方法は『その時その場で相手が後悔するほどやり返す』。これしかない。
子どもには武道やケンカの仕方を絶対に教えろ。身を守るために絶対に必要だ。
高校で進学校行って、旧帝大行ってからはあまりそういうこともなくなったけど、世の中の半分くらいはそういう殺伐とした奴らで構成されてると思って生きてる。
小学校は特に荒れてはいなかったと思うが、暴力的な喧嘩は普通に起きていた
特別そういうのを受容する空気があったわけじゃなくて、人間が大勢いる中で血の気の多い奴が二人顔合わせればそういうことも起きるよね、くらい
年末年始に妹と小学校の頃の話をしてたら小学校の荒れ具合にかなり差があってびっくりした。
自分が中学生の時に県内で引越しをしたので、引越し後に妹が通っていた小学校のことは殆ど知らなかった。近隣の中学校が荒れているという話は聞いていたが。
妹の小学校では、男児同士の喧嘩で頭を掴んで机に打ちつける、みたいなことが日常的にあったらしい。それも荒れてる子ではなく、中学受験とかやるような普通の子同士で普段は仲良いのに週一くらいでそんな喧嘩が勃発していたらしい。
自分の小学校では6年間いて他の学年も含めてそんな喧嘩は聞いたことがなく、一部非行少年達の中でリンチがあったとかそのレベル。つまり暴力はあっても隔絶されていた。
妹のところは普通の子が突然暴力を受けるわけで、暴力が隔絶されてる状況とはかなり世界が違う。
少し前に有名ブロガーが男の子供が暴力から身を守るために空手とか習わせた方がいいとか言って炎上してたが、これも日常に暴力がある学校で育ったらそう思うのかもなと思った。
多分、授業か何かで書いたんだと思うハガキが家に届いていた。
「成人した私へ
成人おめでとう。
15の私は、まあまあ元気です。
今の猫は2歳です。
7歳くらいになるんだっけ?まだまだ元気だと思うけど、もし地元から離れてるんだったら、そばにはいないんだね。
私のことだから、多分色々悩んでるだろうけど、生きていたら、なんとかなるので、生きて、本読んで、写真撮って、好きなことを好きって言えるのなら、それでよいです。それが全部です。
15の私からしたら、それが全部です。
15の私より」
中3の半ばくらいまで、ほぼ記憶が(多分ストレスか何かで)吹っ飛んでいるので、自分のことなのに又聞きのような状態になっている。
だから、このハガキが来たときに「その時生きてたんだ。」と思った。
過去に自分がいた証拠が、家の外からもたらされたことが、なんだか新鮮だった。
し、嬉しかった。
手紙やメールなどを、意思疎通のためのものという認識しかしていなかったけれど、「自分がそこにいた記録」として手元に来ると、感慨深いものがあった。