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はてなキーワード: キリスト教とは

2024-06-16

anond:20240616103539

歴史を見ると資本主義っていうのは利潤の最大化を目的とするから拝金主義に陥りやすい、

植民地支配とかも根本はみんなそういうことで

現代においては倫理観とかろくに教育されてない人間が金っていう支配力を持った時に

倫理とか他人尊厳とかそういうものを疎かにしがちってことかな。

コロンブスが今わあわあ言われてるのも根本はそこだよねっていうのはなんかあってる気がする。

もっともそれはマルクスおぢさんも言ってた気がするし昔からよく言われてることだとは思うけど。

強欲な人が悔い改めるキリスト教ストーリー欧米圏で年末によく放映されるのも、そういうのを戒めてるんだろうかなって思う。

儒教とか東洋思想にヒントがあんのかな?っていうと…まあ東洋西洋関わらず宗教とかって大体みんなそこ言ってるんじゃね?とは思う。

金持ちもっと金を増やせ貧乏人を蹴落とせって教えてる宗教とか見たことない。

まあ人は都合のいい時とか余裕のある時はそういうの思い出せるんだけど、自分やばい時とか余裕がない時とかはなかなか思い出せなくてやらかしちゃったりするんだと思うけど。

んで今の資本主義っていうのは、そういうズルとか倫理的にまずいことをできないように厳格にルール作りしていきましょうよっていうのも含めて資本主義なわけだよね?

修正資本主義っていうのかなそういうの。

んでそこに必要なのはマネジメントすよね!って言ったのがドラッカーおぢさんだったりとかするわけすよね。

なんかまあそこまでは承前のこととしてわかってなきゃだし、みんなこれから資本主義を続けるにあたって

盲信したりとかしないでその取り扱いとかデメリット理解したりとか、もっと倫理面とかもお勉強しなきゃねっていうのはわかるー

まあコロンブス問題点を話すのにそこまで大回りする必要あんのかな…っては思うけど。

日本戦前植民地支配やってていまだにそれで恨まれてるやで、肯定するにしても否定するにしても微妙やろー?でいい気はする。

2024-06-15

はてな民の9割が「反知性主義」を誤用している

反知性主義は「反・知識人」「反・エリート」のような意味であって、「反・科学」「反・学問」という意味ではない

後者意味誤用されることが多いけど

国際基督教大学教授神学者松本あんり氏によれば、反知性主義とは知性的もの侮蔑する態度や科学的な根拠に基づかない政策思想でなく、権威ある知性的エリート権力と結びつく「知性主義」、即ち知的特権階級に対する反発だという。「反知性主義」という言葉名付け親米国歴史家、R.Hofstadterだが、米国反知性主義は「反・知性」主義ではなく、「反・知性主義」を意味する。リベラリズム根底にある意思力崇拝や設計主義理想完璧に実現することを求める完全主義に対する疑念ともいえる。この考えの根っこにはどんなに偉く知性のある人に対しても、神の下に同じ人間として平等だという宗教的価値観がある。キリスト教が育んだ反知性主義だが、当然だと思われていた古い権威を問い直し、解体していく期待や可能性も包含する。

https://www.niigatashi-ishikai.or.jp/newsletter/contribution/202104014568.html

2024-06-14

anond:20240614171000

個人レベル悪事って教科書で取り扱うものじゃないからなあ

スペインレコンキスタ完了してキリスト教布教のため色んなところに向かったみたいな話はしても奴隷とか虐殺かにコロンブスがどう関わったなんてやらんと思うわ

なんか映画でも見せるなら別だけど

2024-06-13

コロンブス行為正当化できるのはキリスト教カトリックの考え方なんだよな

フランシスコ・ザビエルだってそうだけど、布教鉄砲が交換条件でセットなんだよな

野蛮人日本人鉄砲をあげる、ザルドスかよ?って感じだけど、その代わりにキリスト教広めさせてよね、というのがセット

新大陸の蛮族があがめてる神は偽物の神で、自分たちの神が本当の神だから邪教を捨てさせて改宗させてやったぜ!という考え方なんだよね

同じカトリックでもフランシスコ会コロンブス非難してるみたいだけど

根っこは十字軍とかと同じで、今でもそういう考えのキリスト教徒がアメリカに多くいたりトランプ応援してる現実はあるわけだけど

カントの想定する道徳的直観って結局ただの内面化されたキリスト教規範じゃね?そもそも、ある程度は普遍的ものを想定しているであろう直観と、元々バラつきがあるけど社会に刷り込まれ価値観によってある程度剪定された個人的感覚とをどう区別すんの?

と思ってた。

でもそういった宗教規範であったり社会的に共有される価値規範だってからポップしたはずもなくて、やっぱある程度人類共通する道徳規範感覚的なものはあるのかもって思った。

2024-06-08

anond:20240608143009

ワイは面白い文化の違いやと思うわ。

ヨーロッパ王室では、歴史的貴族間の結婚政治的同盟財産の確保のためやったんやろうなあ。

対してアジアイスラム文化では、王が多数の妻を持つことがステータスや力の象徴やったりしたんと違うか。

まあ、キリスト教の影響もあるかもしれんけど、他にもいろんな要因が絡んでると思うで。知らんけど。

anond:20240608142150

おっ

アジアイスラムではハーレムがあって

王子母親奴隷上がりとか身分低くても構わないけど

ヨーロッパ場合ハーレムは不可、持っても非公式愛人という形で

王子母親貴族王族身分が高くないといけない

っていう文化の違い面白いよね

なぜだろうキリスト教のせいか

2024-06-05

anond:20240605092507

性欲を悪とみなすのはどっちかというとキリスト教カルトですね

そして同じグループ漫画表現規制しようとしてる

後はわかるな

anond:20240605072731

何が言いたいかと言うと、インド宗教儒教キリスト教的に感謝気持ち笑顔で生きることを説くようなものと捉えていると実は結構違うぞということ

2024-06-03

カント定言命法ってなんかそれっぽい用語を使ってるから何らかの原理みたいに思えるけど、要するに仮言命法とは違って論理性という錦の御旗のないただの主義・主張でしかないんじゃないか?って思った。

他人に最低限の敬意を持ちましょう。って言われてまあそうかもねっていう素朴な共感はあるけど、それは感覚問題であってそこに論理はない。もっと言えばその感覚すらも社会的形成されたもの、というかキリスト教倫理規範のものなんじゃないか?って思う。

じゃあカントによる道徳の再定義正当化も、論理性・合理性という現代(?)風な科学ツールで飾り立てつつ、結局は聖書価値規範リブートしただけなんじゃないか?って思った。

もっと遡れば、じゃあその他敬を良しとする社会はどう構築されたののか?無から湧いてきたのか?って問題が出てきそうだけど。

神様がそうしたからです、という答えなら簡単に済む。人にそういう機能プリインストールされてるからです、だとそれも道徳正当化に使えそうだけど、事実規範すり替えないといけない。

道徳根拠として定言命法を持ち出すのは、少なくとも論理で語れる面については色々と新しい発見をしているすごいカント先生の言う事だから説得力があろうっていう権威主義的な要素もあるんだろうか。

実際に人間尊厳という概念社会に影響を与えているというのは事実にしても、それは別に論理必然性との関係はないよね?って思う。

そんなに徹底して厳格に理詰めで考えてたら、そもそも規範なんてありませんというニヒリズムに辿り着かざるを得ない。

じゃあある程度は感覚的なもの依拠する規範公理として置いて、そこから道徳の話を始めようって事なのかもしれない。それがキリスト教人権思想かは知らんけど。

そういう話ならまあ分からんでもないけど、それだとかなり重大な前提条件あっての議論な訳だし、それをさも論理的に話をしてるんですけど?みたいなスタンスで行くのは欺瞞じゃねえか?

って倫理学の講義聞きながら思った。

anond:20240602153026

本質論を言えば「人として接する」は具体的な行動指針に還元できるものではないよ。教会に行くことが神を信じることとイコールではないように。神を信じるとは、神の存在を前提した世界に生きることだ。何故とつぜん神の話をしたかといえば、「人として接する」は実際にひとつ宗教からだ。「個人」や「人権」の概念キリスト教に由来するところが大きい。坂口ふみ『〈個〉の誕生』は良い本なのでおすすめしたい。

からこの信仰について言葉で語ることは本当はできないのだけど、あえてその教義表現するなら

あたりになると思うけど、そう言われて分からない人は分からないだろうし、こんなふうに書いてもあまり意味はない。

断っておくけど、わたしはこれが分からない人を〈悪い〉とは考えない。たんにこの神の教えに入信していないというだけだ。もちろんこの教義に照らせば「悪」なんだけども。

とはいえ、「入信しているフリ」ができないわけではない。その方法をお教えしよう。これはわたしもやっていることなのだけど、その方法というのは、「人間を徹底的に、本当に徹底的に馬鹿にすること」だ。軽蔑にしすぎて愛おしく思えてくるくらい徹底的にね。愚かで、矮小で、醜悪で、しか自分がそうであることに全く気付かすに自信満々に生きているおかしな生き物たち。ただの自然現象に過ぎない、川の流れの中に生じた淀みみたいな存在なのに、自分自由意志を持つと信じる憐れな自己複製パターン。そんなふうに人々を見てみよう。言うまでもなくこれは先に挙げた教義のうち上2つの完全な否定だ。しかしここで重要なのは、3つ目の教義は維持すること。つまり自分もそういう憐れな淀みに過ぎないと思うこと。これがいちばん重要なことだ。「すべてを軽蔑せよ。だがこの軽蔑によって窮屈にならないように。軽蔑によって他人に勝るなどと信じるな。軽蔑の高貴な術のすべてはそこにある。」ある詩人がこんな事を言っていたけど、これは真理だとわたしは思う。

わたしも以前は「人を人と思っていない」と他人から嫌われたものだが、このような態度を取るようになってから、そういう批判はもらわなくなった。それどころか、いっぱしの人格者だとみなされているフシがある。「人として接する」がどういうことなのか、根っこのところではまだ良くわかっていないのにね。あるいは案外、みんなそうなのかもしれない。まあとにかく、徹底的に人を軽蔑するというこの指針を試してみてほしい。「徹底的に」やるのが大事だ。「人として接する」という抽象的な表現よりはだいぶわかりやすいのではなかろうか。

2024-06-01

anond:20240601233835

配られたカードでよく頑張ってる

キリスト教教会とか行ってみ

俺はまだ無宗教から押し付けてるわけではないけど

イエスとか父なる神って単なる推し概念から

ピンとこなくても少し人生の角度を変える学びはある気がする

2024-05-29

anond:20240505100647

https://anond.hatelabo.jp/20240505030127

ユダヤ教キリスト教イスラム教、この区別もできないガチバカがいるのに驚愕したのでいちおう書いておく

この程度は分かっているよ馬鹿ッ、と言いたげな増田多数派の智者には申し訳ない。 一番最初に書いておくが、この区別がつかない奴はさすがにバカすぎるので反省したほうがいいぞ。 まず最初に出てきたのがユダヤ教で、これは旧約聖書聖典としています。 主役はノアの箱舟で有名なノアノア神様から十戒の石板として戒律を与えられ、それを元にユダヤ人を導き、約束の地エルサレムに到達するお話。 これは民族主教としての色合いが濃く、ユダヤ人以外はだいたいクズとして扱っています神様が愛したのは敬虔ノアとそれに繋がるユダヤ人だけ。 それ以外は異教徒なんで適当地獄ぶち込みコースです。 基本的には、ノアが授かった戒律を重視する宗教なんですね。 アダムとイブから始まる「原罪」を人間は背負っているから、その罪の意識と共に戒律を守って生きましょう、という宗教。 当然、いろいろ制限が多い。 それに対するカウンター

2024-05-27

西暦でなくて良いので連続した暦を使え

元号ほどバカバカしいものはない。天皇が変わる度にリセットするなんて狂気の沙汰でしかない。西暦キリスト教迎合しすぎだというのであれば適当に皇歴なるものを作れば良いじゃろう。天皇が変わる度に変えるなっつってんの。

2024-05-26

anond:20240526211846

教義を真面目に守ってるから本物でありやばいっていうならキリスト教リベラリズムに反しちゃうんじゃない?

2024-05-25

anond:20240525204357

ユダヤ人どもは他の人種を見下してるのが悪い

からめったうちにあう

キリスト教はそれを優しくしたが復活復活うるさくなった

イスラムはムハマドが暴力装置を産んだのでダメ

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