はてなキーワード: 長距離走とは
今のスポーツってあまりにもスポーツ化されすぎてると思うんだよな。
精神性重視
高額賞金
ありとあらゆる要素によってスポーツそのものが持つゲームとしての楽しさが阻害されきっている。
小学校の休み時間ですら「俺はサッカーがお前らよりめっちゃ上手いのでこの場では一番正しい。その俺に合わせてオフサイドについて厳しいルールを制定して皆でそれを守るべきだし、お前ら下手すぎるからもっとうまくなれ」といった暴論がまかり通る現代のスポーツ界隈は完全に何かを見失っている。
戦争代わりにやる名誉争奪戦としてのスポーツの存在はたしかに合ってもいい……しかしそれがスポーツ全体に広がっている状態はおかしいとは思わないだろうか?
長距離走は偉大な殉死者と自分を同化するための儀式ではないよな?
駅伝のバトンを這ってでも繋ぐ行為を英雄視するのを健全だなんて思っているのは少数派だよな?
じゃあなんでこんなにも現代スポーツは競技者を殉教者に仕立てあげたがるのだろうか。
eスポーツがゲームかスポーツかを語るより前に、我々はまずはスポーツをゲームへと戻すための戦いをいい加減始めるべきじゃないだろうか?
集団行動:集団から外れたものを罰したいのか、ミスすると腕立て伏せをさせられた記憶。
短距離走:ただ走るだけなので楽っちゃ楽。しかしどのように走れば速くなるのかなど、テクニカルなことを教わった記憶がない。
長距離走:ただ走るだけだがげんなりする。例によってどのように走れば長く走れるのかなど、テクニカルなことを教わった記憶がない。
サッカー:手を使ってはいけないくらいしかルールを教わった記憶がない。
テニス:テニス部だったから良かったものの、ルールを教わった記憶がない。
バレー:サーブで詰んでた。あんな重いボールをどうやったら飛ばせるのか。ルールを(ry。
何が言いたいかって、体育教師から学んだことが一切無いということ(その理不尽をカウントするなら別だが)。
動画と動画が繋がってないからリテンションが切れてしまう(アニメ、ドラマ、実況プレイなんかは繋がってるので継続しやすい。Youtuberは映画に似てる)
基本ライバーばかり見てたが
一気に食傷気味になったというのはあるかもしれない
それにしても一気にいった
1クール持ってないやんけ!と思ったが毎日のように見てたから量としては3クール分くらいあるかもしれない
永遠にハマれるコンテンツというのはあり得るんだろうか、人によるか
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追
冷静になっちゃう
長距離走してる時に、一回休むと一気に疲れが来るようなイメージ
動画作ったりMMDいじったりUnityに手を出すくらいには活動的だったんだが
Twitterもそればっかりのフォローになったし、メッセージも何度も読まれたのに
単に年か
長距離走の授業の時の話。
2人1組になって校庭を5周する。
私が走っている時、友人は何周走ったか計測していてくれた。
5周目も終盤に差し掛かった時、先にゴールした人達がペアの人とタイムを確認しているのが見えた。
しかしゴールをした瞬間、
まだ4周しかしていないのかもしれない、私は足が遅いから周回遅れなのかもしれない、という思いが強くなり、私は1人校庭を走り続けた。
6周目を走り終えたあと、友人が「どうして6周目を走ってたの?笑」と言ってきた。
気づいていたのなら声をかけてくれればいいのに…。
その友人とは中学校以来連絡を取っていない。
1人で校庭を走っていた時の眺めをたまに思いだす。
どうして言ってくれなかったんだろう…。
私嫌われてたのかな…。
一番は、
・シナリオ短いし薄い
・キャラ薄い
ってとこかな。2つあるけど
やっぱヨコオ節を一番期待してた(ドラッグオンドラグーン1が好き)から、それがほとんど楽しめなかったのが個人的には痛かった
他にはamazonの★1、2、余裕があれば3のレビューにある内容みてもらえればわかるけど、あえてあげるなら、
・オープンワールドというより箱庭で狭いし、建物も入れないのが多い
・マップがみづらくて移動がストレス(どこが通れるかわからん)
・ファストトラベルが不便で使いづらい
・移動も長距離走らされてかったるい
・シナリオ短いし薄い
・キャラ薄い
・同じ話を別キャラで2週させられる
・シューティングがクソ(特にファミコンレベルのシューティングがクソ)
・敵のバリエーション少なくて退屈
・クエストが単なるおつかいでやる気でない(これは別にオートマタ以外のゲームでも自分が思ってることだけど
評価高いレビューの数が多いからって低評価レビューをまったく見てなかった自分が悪かったと反省した
プレイ動画見て面白そうだと思えば買ったらいいと思うけど、短時間のプレイ動画じゃわからないストレスも結構あるかもよ、という感じ
そんな暇あるならさっさと仕事片付けて帰ろうぜ?
残業することに美学を持つなんて昭和までにしてくれよ。頭悪すぎ。
日本社会が衰退していくのって、無益なヒエラルキーによって年寄りが権限を持つことが原因だと思う。
あの老害ども考えが古臭いわ、思考が止まっていて頭は回らないけど、権限だけ持っているんだよね。どんだけ害悪だよ。
50歳くらいで定年迎えられる社会のほうが日本には合理的だけど、老人ワールドを構築することを目的とした安倍政権が年金制度を崩壊させて国民の洗脳真っ只中だからなあ。公務員とか定年時期を伸ばしたらその金銭を税金で負担するだけでなく、組織全体の生産性がさらに下がる。もう負の連鎖。
企業は企業でこれから更に生産性は低下して、東南アジアにすら劣る国になるんだろうなあ。
固定観念だけで思考が停止しているから脳が使われず、どんどんバカになる。
外から見ていると日本ってパプアニューギニアみたいな精霊信じる未開民族みたいになっているよ。
だって知能低い人ほど固定観念に固執し、さらに精神論が好きだったり、そういう無形なものに頼る人多いよね。
時代は変化している。常に考えろ。
弟の夏はもう終わった。
例年より早い終わりだった。
弟は普通だった。
背は低いし積極性はないし人望がある訳でもないし、
かといって問題がある訳でもなく、毎日を滞りなくこなす、ごく普通の少年だった。
弟のこと、どうせ個人競技だろうと思っていたのだが、
彼が選んだのは団体競技、しかもこの学校が強豪と名高いスポーツだった。
家族総出で驚いたのを、よく覚えている。
そのスポーツは、競技人口は少ないのに、この地域ではなぜか盛んだった。
しかもその学校は、公立なのに全国常連という、歴史ある名門だった。
実際、先代は地方大会を難なく勝ち進み、全国大会でも活躍したし、
けれど、弟の学年は、とても弱かった。
少なくて、小さくて、下手くそで。
それが弟のチームだった。
強豪なのに、今年は弱い。
貼られたレッテルも、違わない現実も、相当に重たかっただろう。
父は弟を「谷間の世代」だと言った。
経験者ばかりの後輩たちは、自分たちのほうが強いのに、と思っていたに違いない。
代替わりしてから、弟のチームは公式戦で一度も勝つことがなかった。
夏の選手権を全敗で終えて、弟は初めて泣いた。
多分、たとえ頑張らなくても、試合に負ければ悔しいし、泣きたくなるんだろうと思う。
結局、頑張ったかどうかなんて、結果以上のことは、本人にしか分からないのだ。
でも。
炎天下で真っ黒になって。息苦しい室内で全身汗だくにして。
靴下を体操服を泥だらけにして。練習着もシューズも擦り切れて。
彼の頑張りは、目に見える形で、そこにあったはずだ。
誰よりも頭を回し、誰よりも相手から圧力を受け、誰よりも点の取りにくいポジション。
そこで彼は、速攻を決め、リバウンドを取り、先制点を3も奪ってみせた。
大差がついても最後まで諦めずに、走って走って、一点でも多く取ろうとしていた。
けれど、先生の熱心な指導に、当たり前のように着いて行こうとする子だったのだろう。
「疲れた」としょっちゅう愚痴をこぼしても、「嫌だ」とは一度も言わなかった。
彼なりに、このスポーツが好きだったのだろう。
団体戦というのは、当たり前だろうけれど、一人だけの力ではどうにもならない。
偶然に集った仲間にもよるし、巡り合わせた相手にもよる。運だって人にはどうしようもない。
他のチームが強くて、弟のチームが弱かった。
この結果は、ただそれだけなのだろうけれど。
あの、淡白でこだわらない弟が、「悔しい」と涙をこぼしたから。
一度、たった一度でいいから、誰もが分かる形で報われてほしかったと。
今でも願ってやまない。
進学しても、このスポーツを続けるかどうか分からないと、弟は言う。
ただ、きみはたしかに頑張っていたよと。
戦績からは見えない、記録にも残らない、きみの懸命な二年間がそこにあったよと。
小学生の頃の話だけど、今で言うサヨクぽい先生(日の丸や君が代は義務ではないんです的なことをやたら授業中に吹き込んでくる)が担任になった。
その学校では数ヶ月に一回「弁論大会」みたいなのがあって、クラスで一人ずつ代表者が作文を全校生徒の前で発表することになってた。
その担任になるまでは代表になるのはクラスでも成績が良くて目立つ存在だったのだけど、担任が変わった途端に弁論大会の代表者はスクカ下層のちょっと鈍い感じの子供が選ばれるようになった。
最初の代表者になったAちゃんは食が細くていつも給食が最後になっていたのだけど、担任の先生が最後まで食べるまでは5時間目が始まってもまだ待ち続けるくらいのことをしていた。
そんなAちゃんが弁論大会で発表したのは「先生から食事の大切さを教えられました。厳しく残されたことで今は好き嫌いがありません」という内容の作文だった。
次の代表者になったのはB君とちょっと運動が苦手な男の子で、体育で長距離走をするときには遅くてクラス全員がよく待たされた。
そんなB君が弁論大会で発表したのは「苦手なマラソンを通じて素晴らしい発見がありました。疲れたあとみんなが出迎えてくれた笑顔が忘れられません」という内容の作文だった。
小学生ながらAちゃんもB君も勉強が得意とは言い難いし、よくもまあこんなきちんとした文章がかけるんだなと思ったが、弁論大会の原稿は当然のことながら担任の校正が入るようになっている。