はてなキーワード: 焼酎とは
もう駄目だ。
この組織に対する愛着が底をついたから大丈夫だと思っていたら、憎しみに対する許容値が今度は限界に来た。
もうやだ。
無理。
なんでなの?毎日5時間ぐらい残業してる中でどうして「他所の部署が宴会開きたいと言ってるからさ、ちょっと手伝ってきてくれる」なんて言われなきゃならんの?
それをやった分遅れる仕事はどうなるの?
もうやらなくていい?
人が必死に残業してるときに「宴会開きたいんだけどさ?手伝って?」とか抜かす連中がいるような組織のために頑張るのもうやめていい?
信じられねえ。
俺が何とかかんとかやりくりしてきたお金は、その焼酎に化けたの?
ねえ?
もう無理だ。
愛想が尽きた。
もう辞めていいよね?
とオットが泣きついてきたんですがどうすればいいですか?
ちなみに私は夫の妻で夫の職業は公僕です。
Rよ。
変な夢だったけれど、気になって連絡して良かったよ。
お節介ながら、伝えたいことがあったんだよ。鬱陶しい文章になってしまったけれど。
以前に、「人生のストレスランキング」で離婚は配偶者の死に次いで2位だという記事をみた事がある。
そんなの全く信じていなかったけれど、経験してみて感じた。すごくつらかった。
いいなと思う人ができて、気持ちが確かなものになって、愛を確かめ合って、あらゆることを共に生きようと決意をして、準備をして、祝福されて、幸せを噛み締めて。離婚の決意はそうやって辿ってきたものをひっくり返していく作業だった。
もしかしてまたあの幸せな状態に戻れるんじゃないか、と問う日々がたくさんあった。でも、もう二度とそんな日が来ない事も分かっていた。ただ、それを受け入れるのがすごく難しくて悲しかった。どこかに一縷の望みを探している自分が悲しかった。ないのは分かっていたのにね。
わたしが決意をしたときは、誰1人として話せる人がいなかった。職場でもウワサになりたくなくて、離婚したこともずっと隠していた。再婚するまで知らなかった人もいた。スのことを訊かれることもあった。「旦那さん元気?」って。住んでいるところはもちろん、生きているか死んでいるかすらさえ知らない人の事を、さも一緒に暮らしているかのように話すのは面倒くさかったよ。
Rよ。
随分会っていないし、同級生や幼馴染のように、長く時間を共にしたとは言えないけれど、それでも大切な友人の1人だと言わせて欲しい。出すぎていたらごめん。
Rが覚えているか分からないけれど、わたしの身にしんどい事があったとき「なぜかRの顔が浮かんだ」とRにメールしたら、その足でうちまで来てくれた日のことをわたしは覚えているよ。すごく嬉しかったし救われたよ。ありがとう。
わたしが入院したときも、お見舞いに来てくれたのも覚えているよ。今言おう。あれは痔だったんだよ。気付いていたかい。内痔核というものを切除したらしいよ。
nujabesを教えてくれたのもRだった。
わたしが東京を離れるときに、黒糖だったか、焼酎を瓶でくれたのも覚えているよ。
就職が決まって、かっこいいお手紙を送ってくれたのも、なんだか誇らしかったよ。いまも保管してあるよ。
つまり何が言いたいかというと、Rには幸せでいて欲しいし、R自身が納得のいく選択をして欲しい。そしてそれに後悔をして欲しくない。これはわたしの勝手な願いです。
Rのこれまでに至った経緯は分からない。それぞれの決意にはそれぞれの事情がある。他人には分かり得ない温度感だってある。だからわたしは無責任なことは言ってはならないなあって強く思っている。
ただね。
Rには、わたしが経験したような悲しみや虚無に対峙して欲しくないんだよね。だってすごく悲しかったから。お腹の中に穴があいたような。ぽっかりとした気持ちだった。今までの、スを大好きだった時間が全部ゼロ、というかマイナスの記憶になった。励ましてくれる人はいなかった。親でさえ。だから竹内まりやの「元気を出して」とハナレグミの「サヨナラcolor」を何回も聴いていた。サヨナラから始まることがたくさんあるんだよ、と歌う永積タカシを心の支えにしていた。
あのような悲しみには、出来ればわたしの大切な友人には遭遇して欲しくない。
だからRにどうしろこうしろっていう事ではない。離婚した方がいいとかしない方がいいとかそういうことでもない。要は、抱え込まない方がいいみたいよ、ということ。
うんうん、って話を聞いてくれる人がいるだけで違う。全然違う。わたしに話して、って言っているのではないよ。素直な気持ちを吐露できる信頼できる友人がきっとRにはいると思う。経験者だとより一層Rの状況を理解してくれるんじゃないかな。誰も思い当たらなかったら増田にでも書けばいい。
わたしは離婚に至るまでにからだじゅうに蕁麻疹が出ていて、ステロイドを飲んで塗って会社に行っていた。離婚した後も数年引きずっていた。昇華できたかもしれない、と感じられたのは人に話せるようになってから。Rの場合はこれまた事情が違うと思うけどね。
だらだらと書き綴ってしまったけれど、とにかくわたしはRに悲しい思いをして欲しくないのです。中長期的に出来るだけ悲しくならない選択をして欲しいなということを強く願っています。どのような選択であってもRにとって総合的に勘案した結果それが最善だと思えるものであって欲しい。そしてそのためにわたしに何かできそうな事があれば喜んで引き受けようではないか。
いつでも味方であろうと思っているよ。
久しぶりだねこういうポエムみたいな。感じ。ね。じゃあね。また。
ちなみにだけれど、昇華させることができてからはさらっと普通に話せるようになった。あれはあの状況下で最善の選択と判断だったと思っているし、過ぎてしまえばどうという事はない、と言える。よ。
ではまたね。
駅から少し歩くと駄菓子屋があったので、フラッと入ってみたら懐かしさで胸が破裂した。
仕事の用事は別に大したことはなく、なんならメールで済ませられる内容だったが、旅行がてら来てみた。
前置きが長くなったが、私はその駄菓子屋で駄菓子を買い込み、宿泊先のホテルでハイボールを飲みながら今食べても美味しいか検証してみた。
また見あたらなかったものは後日近所、ネットで探して購入し食べた。
【今食べても美味しい駄菓子】
→非常に美味い。科学的に美味い。これは今も全然食べれる。かばやき太郎は30個入りを買ってしまった……。
→プラスチックの容器に入っている棒に刺さっているイカ。コレは他にもカツとかノシイカとか色々あって実に美味い。
→ハイボールのつまみに最適。10円という最強のコスパを誇る。
・BIGカツ
→久しぶりに食べたが、こんなに美味しかったとは。
→よっちゃんイカは一年に数回食べている。駄菓子のマスターピース(息子に教えてもらった言葉)。
→正直現時点でお菓子第一位。このサクサク感と塩味!ハイボールのお友達である。
→こんなに美味しかったっけ?
→これは子供の頃大嫌いだったけど、今食べたらもうただのおつまみ。味がケミカルなのは気にしない。
・すもも漬け
→これも子供の頃大嫌いだったけど、今食べると美味しい。
などなど美味しかったものばかりでキリが無いのでここらへんで。
医者に「肝臓あかんくなってるで。酒やめやな。」と言われてやめて1年と3ヶ月ぐらいだった。
無気力になった。
正直、酒依存してたんじゃないかってぐらい酒(焼酎)が大好きで、毎晩毎晩飲んでたので、仕事を早く終わらせる目的が仕事終わりの一杯だった。
ただ、依存症なのかな?と思ったけど、普通に酒を見えない所に置いておくことでやめられたのでそこはよかったし、別に「酒飲みたい」と焦がれたこともない。というより、普段ニコニコしてフランクな感じの医者に真剣な顔で多少怒りを含んだ言い方で言われたのがかなりショックで「酒飲みたい」とその医者の表情や言葉を天秤にかけた時、医者の言葉のほうが重かったのかもしれない。
食欲が減った。
肉が食べにくくなった。魚もそこまで食べない。
よく食べるようになったのはじゃがいもやれんこん、大根などの根菜と、トマトやナスなどのナス科の野菜と、卵になった。
それに食欲があれば肉なり、魚なり。どうやら自分は鯖が好きらしい。食べる魚は大体が鯖。
夜寝にくくなった。
というのも、酒をのむのはいつも寝る前だったので、ウトウトして寝落ちってこともなくなったし、寝る前に酒を飲みつつ飯も食うような生活だったので、夜に腹が鳴って仕方ない。
仕方がないからと腹の中になにか入れようと豆腐なんかを食べようとするが、あまり受け付けない。
なので、夕ご飯を8時ぐらいにして9時ぐらいになるようになった。
今日、医者に行ったら「だいぶ良くなってる。薬に頼らなくてよかったやん。」と言われた。
もちろん今後は程々にする予定だ。