はてなキーワード: 柳下毅一郎とは
「人間性には問題が有ったかもしれないが、彼ら(町山智浩・柳下毅一郎・高橋ヨシキ・てらさわホーク)の本業である映画について書かれた記事や本をこれまで読んで楽しませてもらった」と言う人も散見されます。そこで今回は「そもそも、彼らの本業の部分である『映画について書く/語る能力』も、本当は怪しいものではないのか?」と云う点について、てらさわホークを事例として書きたいと思います。
雑誌『映画秘宝』では近年、クリストファー・ノーランをディスる傾向が見られました。おそらく、柳下毅一郎がクリストファー・ノーランを嫌うようになった事が原因なのだと思います。雑誌『映画秘宝』のホモソーシャルな環境の下、柳下毅一郎オジキのご機嫌を損ねないように、子分たちは必死でクリストファー・ノーランを腐すことで忠誠心を示していたのです。それも『映画秘宝』内部だけに留めておけば、馬脚をあらわさずに済んだのかも知れませんが、今となっては完全に後の祭りです。
発端は、映画『マン・オブ・スティール』が公開された当時、てらさわホークがクリストファー・ノーランを叩く記事を『映画秘宝』以外の場で執筆したことでした。ちなみに、本作におけるクリストファー・ノーランは原案・製作であり、監督や脚本ではありません。監督はザック・スナイダー、脚本・原案はデヴィッド・S・ゴイヤーです。
てらさわホークが執筆した記事は、大まかに言えば「原作や過去のスーパーマン作品には無かった要素や描写を、クリストファー・ノーランが付け加えた事によって映画『マン・オブ・スティール』は出来が悪くなった」と、ノーランを糾弾するといった内容のものでした。ところが、てらさわホークよりもアメコミ事情や映画に詳しい(だけでなく、作品との向き合い方についても遥かに誠実な姿勢の)人がはてなユーザーの中に存在した為に、てらさわホークの怪しい点が明るみに出ることになりました。この人が「てらさわホークが『原作や過去のスーパーマン作品には無い』として挙げた事柄は、実際は、いずれも原作や過去作品の中で描かれている。てらさわホークは、原作であるアメコミをきちんと読んでいないのではないか?」と、てらさわホークの『事実誤認』を指摘する記事をはてなブログにアップしました。
この指摘について、てらさわホークは反論文を自身のはてなブログにアップしたのですが、この時、てらさわホークは『致命的と言ってもよいミス』を犯しました。何と、てらさわホークは「それらが原作のアメコミで描かれている事実について、自分も知っている」と反論したのです。その結果「知っていたのならば、ノーランのイメージを悪くする事を意図して『ノーランが原作や過去作品には無かった要素を付け加えた』と云う嘘を故意に書いたのではないか?」と、てらさわホークには新たな批判が向けられる事態になりました。この新たな批判には答える事が出来なかったため、てらさわホークはブログのコメント欄を閉鎖して現在に至ります。
実際にどのような遣り取りがされたのかに関して興味がある人は、はてなブックマークなどで検索してみましょう。今でも読めると思います。
現在のてらさわホークは、アメコミ原作映画に関連する仕事を幾つも手掛けているようですが、彼が本当は「アメコミ事情に暗くて知識に乏しい」のか、それとも「知識は有るが何らかの理由が有れば平気で嘘を書き散らかす」のか、プロフェッショナルのライターとしての自身の能力と姿勢を、てらさわホークは明らかにするべきではないでしょうか。個人的には後者だと推測していますが、このように能力に疑念を抱かれるようなライターが「アメコミの有識者」であるかのように居座り続ける事を許している現状を見ると、本邦の映画ライター業界は余程の人材不足なのでしょうね。
ところで、パワハラ問題の発覚後の3月1日に柳下毅一郎がTwitterで出した謝罪文には「ヨシキくん」の文字は有れど、てらさわホークの「て」の字も見当たりませんでした。もしかして「高橋ヨシキ『ら』」と書いてある『ら』の字が「て『ら』さわ」の『ら』の字なのでしょうか?あれだけクリストファー・ノーラン叩きを頑張ったのに、てらさわホークに対して柳下毅一郎は少し冷たいと思います。『事実誤認』の指摘に対する反論文をブログにアップした時も、てらさわホークは「どうしてクリストファー・ノーランに対して(自分は)カリカリしてしまうのか」と白を切って、ノーランを叩く理由について口を割らなかったんですよ。子分の鑑じゃないですか。
はてなブックマーク - 統計の不備と、各種統計の「相関」の話 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cruel.hatenablog.com/entry/2019/01/26/074557
https://cruel.hatenablog.com/entry/2019/01/26/074557
やれやれ。まるで柳下がするどく不正を見抜いていた、それを一方的に切り捨てた山形は愚か者だ、と言いたい人が多いみたいだ。
だけど、柳下が発言した時期をもう一度よく見直してごらんよ。これは2018年6月に投稿されたものだ。
つまり、これは公文書の改ざんとかがニュースになっている時期につぶやかれたものだ。今回の政府統計の不備の発覚とはまるで文脈的に繋がっていない。山形を批判している連中は、ここを錯誤している(あるいは意図的かもしれないね)。
仮に柳下が政府統計を調査して、こことここがおかしい、何か間違っているんじゃないか、と言っていたんだとしたら、それは山形の目が節穴でした、見抜いた柳下はえらい、となるだろう。
しかし、現実はそうじゃない。柳下はモリカケ問題のニュースでも見ながら、安倍政権って信用できないし、アベノミクスもなんか不正しているんじゃないの、とただの思いつきを口にしたにすぎない。エアコンの効いた部屋で安楽椅子に身を沈めながら、脊髄反射的にスマートフォンをいじって、嫌みを言ってやったと悦にいっているだけだ。そんな思いつきは検討に値するものじゃない。
それを「柳下は不正を見抜いていた」とありがたがっているなんて、ただのお笑いぐさでしかない。
これは例えるなら「アインシュタインって舌だしてふざけているし、相対性理論もいい加減なんじゃないの」と言っているようなものだ。これに対して、「たしかにふざけているから、何かおかしいのかも」なんて思うやつはいない。
柳下の発言をよく読んでごらんよ。印象論で嫌いな人間を腐す姿を見せて憚らない、ただの恥知らずじゃないか。
ネットの住民たちはそんなこともわからないのだろうか。かわいそうに。これは単に不正があった、なかったという話ではなくて、知的誠実さの話なんだ。
しかし、どうやら伝わらないようだ。ぼくは天を仰いでしまったよ。これは今のネットで起こっているサイバーカスケードやエコーチェンバーとも通じるもっと大きな話なんだけどね。
アベノミクスで経済がよくなってるとおっしゃるリフレ派の方々は、なぜ財務省の出す経済指標は捏造されてないと信じられるのだろうか。— Kiichiro Yanashita (@kiichiro) June 13, 2018
ぼくもそう思います。ぜひ山形浩生氏と対決してください。— あびこ(牛) (@abiko_ushi) June 13, 2018
呆れたよ、柳下。どの統計が捏造だと思ってるか知らないが、統計は多くの場合類似のものが複数あって、しかも相関するはずのものも多く、一部を操作したらつじつまあわなくなることが多いからだよ。自分の実感だの目の届く範囲がいかに小さくあてにならないかも忘れた、夜郎自大な全能感に陥るとはね。— Hiroo Yamagata (@hiyori13) June 13, 2018
かつての相棒が真っ当な忠告をしてもダンマリ。それどころか他のリプライには揶揄混じりで返す有様。
こんなにあからさまに「安倍政権を批判したいだけ」という姿勢を隠さないとは。
これで町山が安倍政権批判をしたら嬉々としてリツイートするんだろうね。
親玉は海外のニュースで得た情報を得意げに横流しして小銭稼ぎ。
■「童貞。をプロデュース」ついに最終ロケ。
ハマジムに集合し、カンパニー松尾さんの現場を取材。童貞Kが。どうなったのかは一週間後(!)の上映を待つべし。
とりあえず計15時間分の素材とモザイクの箇所の多さを思うと愕然とする。
C松尾さん、浜田社長、Fカップ女優さん、本当にありがとうございました。これでKも男への一歩を歩めた…と思います。
クランクアップ直後の晴れ晴れとした表情。何が起こったのかはまだ秘密だけど、役柄としては彼が孫悟空で、僕が三蔵法師。C松尾さんがお釈迦様。そんな感じ。
■「童貞」の編集作業。うーん。このペースのままだと絶対に30分は超えてしまう。
構成をもう一度考え直さないとまずいかも。けどねぇ、ハッキリ言ってねぇ、面白いよ。真剣な人間って凄いねぇ、笑えるねぇ、本人がマジなだけに。
負ける気がしないね、誰にも(断言)。
■加賀を呼び出して「童貞」最終確認。これで上映して良いか、を。いかんせん「松江さんを訴えたとしても、民事でなら勝てる」なんて言われたらね。
けど「カミュ」を見た後だと、先日まで本気で憎んでいたこの男がかわいく見えた。彼の方がよっぽど自分自身と向き合ってるわ。かなり歪んでるけど。
■昨夜のイベントでの「童貞。をプロデュース」の印象的な感想を思い出す。
山下君は「加賀君がバッティングセンターで打つシーンって『GONIN 監督:石井隆』の佐藤浩市みたい(追いつめられた人間はバットを振りたくなるのだ)」と言い、
柳下毅一郎さんは「童貞をレイプしといて、なぜか感謝されてる」と言い、童貞Kは「哲明、殺す」と言っていた。人それぞれの感想は面白い。
同世代(年齢±5歳程度)に、日常のどうでもいい話を面白く書く男性エッセイストがいない。
「いない」というか、「知らない」。
だから誰か教えてください。
ジェーン・スー
本業は小説家だけど、津村記久子のエッセイも力が抜けていて好きだ。
LGBT(このくくりでいいのかは知らんが)もいる。
少年アヤ
あたり。
あと忘れちゃいけない。本当に大好きだったな。
がっぷ獅子丸。
原田宗徳
小説よりも好きかもしれない。
映画でも音楽でも、特定のジャンルに特化した評論家は男性にもいる。
けどおれは、日常のどうでもいい話が読みたい。
今ちょっと真面目に考えて、出てきたのがオモコロのヨッピーだった。
どんだけテキストサイト好きなんだおれは。
久しぶりにみたら、桃色核実験消えてるし。
松風の人って今、何してるんですかね。
何の話だ。
とにかく、いいひといたら教えてください(切実)
ああそうか。あなたたちは自分が愛されるってことがわかってないんだ。知識としては知っているだろう。でも、それを自分に起きることとして真面目に考えたことがないだろう。受精・着床したときのことを覚えていないように、だから知識が何をどういおうと、自分がこの世の始まりからずっといたように思いこんでまったく疑問を感じないでいられるように、愛の始まりもまたなくて、愛ってことがなにか現実味のまったくない絵空事で、「愛」という抽象的な観念のことならおしゃべりできるのに、自分が愛しあうっていう具体的な事実については何も考えることができない。
だからあなたたちは、他人が愛されるとあんなにうれしそうなんだ。BL同人で何十人総受けを書いた。ノベルスをコミックスを、BLCDを何百集めて読み聴いた。誰それがさらわれ、りょうじょくされ、裏切りを受け、それでもラブラブでした。そんなことを知ってどうする。関係ないあなたには何の関係もないのに。でもあなたはそれをうれしそうに描写し、読む。他人は愛で傷つき、自分は無傷に生きている。それはあなたたちにとって、まさに自分が裏切られない、自分が「別れ」とは関係ないことの証明なんだろう。ほらごらん、こんなに人が失恋しても、わたしだけはこうして(傷つかず生きて)いるよ。あなたたちは日々そう自分に言い聞かせる。そうなんだろう。情死や悲劇的な愛が嬉々として描かれるのに、毎日それなりに起こっているはずの普通の愛 (:多分あなたがたがそう思ってるであろう異性愛) がこのジャンルで「特に」描かれないのは、失恋とつらい恋は運の悪い他人 (殊更男子が好きな男子) にだけ起こるもので、自分 (というヘテロ女子) に起こるものじゃないと思ってるからだ。
そしてだからこそ、あなたたちは愛ってことを何も考えずにいられる。時間が限られ、残された時間はわずかで、できることもわずかだと考えたこともない。自分が恋愛による何かを受け取り、誰かを愛し返すってことも考えたことがない。今が永遠に続き、自分は永遠にいると思っている。愛されると思わないから、愛したいという欲望もうまれない。いるだけ。そんなやつが神妙な顔で言う。「愛は尊い」「愛のためならなんでも許される」
「尊い」! あんたは尊いってのがどんなことか知りやしない。決まり文句をコミックスとノベルスと同人とネットで覚えただけ。その愛とペアの「愛すること」や (たまさか同性が好きな人々のことや、愛されてないと思い込んでるあなたと同じようなでも性別は逆の誰かのこと) なんかまるで考えてない。ましてや「愛のため」に受けがどんなことをされるのか?そのバリエたるや。それも「自分は(ずっと変わらずに)いる」ということを受けを身代わりに差し出して悦にいっているだけなんだ。だから「なぜ?」ときかれて答えられない。「( スウィング ) しなけりゃ意味がない」とはよく言ったものよ。これは比喩でもなければいやみでもないんだ。それをわからなきゃいけない。あなたたちは、わたしは、バカだ。だから愛してみなきゃいけないのだ。愛ってのがどいうことか、切実に知らなきゃいけない。そして愛を自分で踊ったとき、わたしたちは「愛されること」についても知っている、かもしれない。やっとそこになにか知恵があるかもしれない。
じゃあまた。
ああそうか。あなたたちは自分がSEXするってことがわかってないんだ。知識としては知っているだろう。でも、それを自分に起きることとして真面目に考えたことがないだろう。生物学的父親と母親が致したその時のことを覚えていないように、だから知識が何をどういおうと、自分がこの世の始まりからずっといたように思いこんでまったく疑問を感じないでいられるように、SEXのきっかけもまたなくて、SEXするってことがなにか現実味のまったくない絵空事で、「SEX」という抽象的な観念のことならおしゃべりできるのに、自分がSEXするっていう具体的な事実については何も考えることができない。
だからあなたたちは、他人がSEXしてるとあんなにうれしそうなんだ。AVで男優が何十人こました。HDDの中の女優、攻略済みギャルゲキャラが何百人超えた。美女がやられ、泣かされ、気絶し、撮影事故で亡くなった。そんなことを知ってどうする。関係ないあなたには何の関係もないのに。でもあなたはそれをうれしそうに集め、表現する。他人はSEXで破滅し、自分はこうして生きている。それはあなたたちにとって、まさに自分が傷つかなない、自分が寝取られとは関係ないことの証明なんだろう。ほらごらん、こんなに人が浮気されても、わたしだけはこうして(裏切られず生きて)いるよ。あなたたちは日々そう自分に言い聞かせる。そうなんだろう。心中や不倫事故死が嬉々として報道されるのに、毎日それなりに起こっているはずの恋人同士の日常の愛があまり描写されないのは、浮気は (殊更) 運の悪い他人にだけ起こるもので、「賢いので愛する他者を持たなかった」自分がされるものじゃないと思いたいからだ。
そしてだからこそ、あなたたちはSEXの根本の愛ってことを何も考えずにいられる。時間が限られ、残された時間はわずかで、できることもわずかだと考えたこともない。自分が恋愛による何かを受け取り、誰かを愛し返すってことも考えたことがない。今が永遠に続き、自分は永遠にいると思っている。SEXできると思わないから、本当に愛したいという欲望もうまれない。いるだけ。そんなやつが神妙な顔で言う。「SEXは尊い」「好きだからこそ」
「尊い」! あんたは尊いってのがどんなことか知りやしない。決まり文句を18禁コミックスとラノベと同人とネットで覚えただけ。そのSEXとペアの愛のこと (行為自体が相手に負担をかけること、そして愛されてないと思い込んでるあなたと同じようなでも性別は逆の誰かのこと) なんかまるで考えてない。「好きだからこそ」があの汁多めですか?それでもまだ相手に処女を望むのですか?きっと「自分は(裏切られたくないからリアルのたった一人を決めずに)いる」ということを言い換えて悦にいっているだけなんだ。だから「なぜ?」ときかれて答えられない。「そばに居る人をただ愛すればいい」とはよく言ったものよ。これは比喩でもなければいやみでもないんだ。それをわからなきゃいけない。あなたたちは、ぼくは、バカだ。だからまずは愛あるSEXをしてみなきゃいけないのだ。愛ってのがどいうことか、切実に知らなきゃいけない。そしてそこから帰ってきたとき、ぼくたちは少しばかり愛とSEXについて知っている、かもしれない。やっとそこになにか知恵があるかもしれない。
じゃあまた。
ああそうか。あなたたちは自分が死ぬってことがわかってないんだ。知識としては知っているだろう。でも、それを自分に起きることとして真面目に考えたことがないだろう。生まれてきたときのことを覚えていないように、だから知識が何をどういおうと、自分がこの世の始まりからずっといたように思いこんでまったく疑問を感じないでいられるように、終わりもまたなくて、死ぬってことがなにか現実味のまったくない絵空事で、「死」という抽象的な観念のことならおしゃべりできるのに、自分が死ぬっていう具体的な事実については何も考えることができない。 だからあなたたちは、他人が死ぬとあんなにうれしそうなんだ。毒薬で人が何十人死んだ。地震で、何百人死んだ。だれが殺され、焼け死に、圧死し、事故死した。そんなことを知ってどうする。関係ないあなたには何の関係もないのに。でもあなたはそれをうれしそうに報道し、読む。他人は死んで、自分はこうして生きている。それはあなたたちにとって、まさに自分が死なない、自分が死とは関係ないことの証明なんだろう。ほらごらん、こんなに人が死んでも、わたしだけはこうして(生きて)いるよ。あなたたちは日々そう自分に言い聞かせる。そうなんだろう。事故死や事件死が嬉々として報道されるのに、毎日それなりに起こっているはずの自然死が特に報道されないのは、死は運の悪い他人にだけ起こるもので、自然に起こるものじゃないと思ってるからだ。 そしてだからこそ、あなたたちは生きるってことを何も考えずにいられる。時間が限られ、残された時間はわずかで、できることもわずかだと考えたこともない。自分が何かを受け取り、遺すってことも考えたことがない。今が永遠に続き、自分は永遠にいると思っている。死ぬと思わないから、生きたいという欲望もうまれない。いるだけ。そんなやつが神妙な顔で言う。「生命は尊い」 「尊い」! あんたは尊いってのがどんなことか知りやしない。決まり文句をテレビで覚えただけ。その命とペアの死のことなんかまるで考えてない。 「自分は(ずっと)いる」ということを言い換えて悦にいっているだけなんだ。だから「なぜ?」ときかれて答えられない。「バカは死ななきゃなおらない」とはよく言ったものよ。これは比喩でもなければいやみでもないんだ。それをわからなきゃいけない。あなたたちは、ぼくは、バカだ。だから死んでみなきゃいけないのだ。死ぬってのがどいうことか、切実に知らなきゃいけない。そしてそこから帰ってきたとき、ぼくたちは少しばかりなおっている、かもしれない。やっとそこになにか知恵があるかもしれない。 じゃあまた。
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら