はてなキーワード: 団塊世代とは
なんかこないだ「氷河期世代はバブルの恩恵を受けてないなんて嘘つくなお前らだって学生の時はバブルだろいい加減にしろ!Z世代はもっともっとひどいぞ!」みたいなのをついったーで見て
うーん俺ってバブルの恩恵受けたことあったっけ?ってよく思い出してみた
まず食事において飢えることはなかった。団塊と団塊ジュニアの最もでかい違いは団塊は結構な割合で「幼児から少年時代にかけての深刻な飢え」を体験していること。団塊のさらに親世代は戦争で戦ってる世代なので、田舎の地主でもやってないかぎりひもじい思いは体験してる。都会で不動産結構持ってる程度では本人も家族も金があっても食い物がないなあなんてことはあったようだ。氷河期世代の俺はその点ひもじくて泣くようなことはなかった。小学校の友人だと「家に誰もいないので火を使うのを禁止されている関係上食い物はあるが食えないおなかすいた悲しいお前の家のみかん食わせろ」なんてことはあったが俺は鍵っ子未経験なので。俺が飢えたのは就職後手取り15万で親に5万仕送りしてたときで人生で一番やばかった。2001年ぐらいである。そのタイミングで親無職になってんだもんなあ。俺の稼ぎがあと1万2万少なかったら親が立ち直るまで金が持たなくて本当に死んでた可能性がある。
バブルっぽいたくさん食べ物にお金を使えたなという記憶はない。マクドナルドのハンバーガーが60円台で購入できて大量購入して差し入れに使ったり、牛丼の並が安かったりというような思い出の方が強いな。あ、でも中学生高校生の時にフレンチとかイタリアンの厨房で皿洗いするバイトはなかなか高給がもらえたぞ。大学生になったときの家庭教師ほどではなかったけど。
親世代に金があったから旅行に行ったり留学にいったりしてたんだろう贅沢ものめとかいう話も出てたな。旅行、数えるぐらいしか行ったことない。いわゆる修学旅行を除き、泊りの旅行は高校生の時にスキーがたぶん3回ぐらい。親の知人に景気良い人がいてそこの家庭が別荘借りるから便乗とかいう感じなので安くあげた感じであって贅沢旅行という感じは当時もなかった。あとは大学の時にバイトして部活の合宿という名前の旅行3回。そんなもんだ。小学校低学年までは日帰りで遊園地や動物園は年4~5回行ってたと思う。遊興に潤沢にお金を使えたという範囲に下の世代から見ると見えるんだろうか?
団塊世代の親が団塊ジュニアの俺たちに何を重点的に金を使っていたかというと受験対策である。受験戦争と呼ばれた。努力して同世代を蹴落とし、よい大学に入りさえすればバブル期にぶいぶい言わせた奴らのような素晴らしい未来が開けていると思われていたのである。バブル崩壊してもしばらくしたらまた戦後復興みたいな好景気がすぐ来るとみんなが思っていた。団塊の庶民が持ってた金銭の余裕は団塊ジュニアに軍拡競争のごとき教養を身につけさせるために浪費されるかバブル崩壊で低下した資産に吸い込まれ、贅沢をした者はそんなに多くはなかったのだ。
これは全くそのとおり。団塊の世代は戦後の混乱期に生まれ育ったので中身も結構ヤバい世代だと言われている。上の世代からも下の世代からも。
だけど彼らは逃げ切れる。それは、彼らが意外と政治に関心があったりして投票率が高く、下の世代は何故か政治に関心が薄く投票率が低い。で、民主政体においては政治家は選挙民の意向を気にするので、あまり投票しない世代の声は届きにくい。しかも「投票なんかしても無駄」とまで公言する人が下の世代には何故か多い。これで勝負あり。それに加えて団塊世代は人数も多い。
多分この状況は今後とも変わらない。ご愁傷さま
いやいやお前らも十分異常な世代だろ。
まず、自分らがされて嫌だったことを下の世代に平気でやるのがスタンダートっていうのがヤバイ。
セクハラ・パワハラをされて嫌な思いしたことに対して、「じゃあ次は俺の番だからやるね。やられっぱなしとか損じゃん」ってなるようなモラルの無さのどこが中立・中庸・中道なんだよ。悪・混沌・利己主義も良い所だろ。
あと団塊の世代ってすぐにゆとり世代・Z世代を個人主義的と言うけど、昭和初期世代と比べるとお前らも十分個人主義だよ。
核家族という概念はあっても大きな親戚づきあいの概念や、国家や地元に貢献するという気持ちがかなり薄まってる。
でもそこからの反動でかなり覚めてるというか「結局さ、個人は個人なんだよ。いざとなったら皆敵同士なんだ」みたいな方向性にかなり振り切れちゃってるところがあるよね。
口では「俺も若い頃色んな人にお世話になったから後輩には……」みたいなカッコイイこと言っておいて、いざ自分がピンチになったらバンバン下の世代を蹴落とし始めたじゃん。
ああいう時に口にする「皆で助け合おうじゃないか」の「皆」の範囲がいざとなったときかな~~り狭くなるのが団塊の特徴。
「自分の友達」「自分の家族」という極めて小さな「最小単位のムラ」までで助け合おうとする。
せいぜい多くて20人ぐらいまでしか「皆」に含めようとしない感じ。
昭和はもうちょい広かったと言うか、たとえばトトロでメイを創作するために村総出で動いたけど、ああいう「いざとなったら視界に入る地域の全員で協力する」みたいなノリが団塊の一つ前だとあるんだよ。
その癖して「ゆとり世代」「Z世代」に対してステレオタイプ論をふりかざすときは「コイツらは個人主義で」と言う。
いやいや自分らを棚上げにしすぎやろって。
こういう「自分が±0だと思っているから、自分より少しズレたら異常だと騒ぎ出すけど、自分たちがそれより以前と比べたらまた異常であるってことに対して無関心」な所が本当に気持ち悪いんだよね団塊の世代の世代論は。
天皇の写真を飾りもしないし、「Q.日本が攻められたらどうしますか?」「A.アメリカに亡命します」って考えが多そうだし、100年前の日本人がみたらビビるぐらい日本という国に対しての関心度が薄い所とかさ、今はもう当たり前になってきてるけど一つ前の世代からしたらマジで異常なんだって。
お前らは別に中立でも中庸でもスタンダードでもなんでもないって事だけはいい加減自覚してくれよ。
お前らの世代の常識が全人類の常識になることなんてないんだって。
自分たちもまた過去から比べて変化した世代であるってことを忘れてるから「俺が子供の頃はスカートめくりぐらい普通だった。職場の偉い人はお茶くみ係の尻触ってた。なんで俺が怒られるのかわからない」とか言っちゃうんだって。
まあ、結局のところ、これが団塊の特徴なのかもな。
「なまじっか人数が多いせいで自分たちの世代こそがスタンダードであると思い込みがち」っていうのが。
この辺掘り下げるブームとか今後出てくるのかな。
自由恋愛と未婚率を紐付けるのは擬似相関的な関係ではないかなぁと思う。
1970年初期に第二次ベビーブームが発生して人口自体は増加したんだけど、この増加した人々は一般に団塊世代と言われる世代で経済の高度成長期に育ったんだよね。
経済の高度成長に伴う文化の変化、ここで発生した娯楽の多様化があったと思っていて、それが恋愛に相当する楽しさを持っていたというのが原因なんじゃないかなと思う。
娯楽が増えて結婚しようと思わなくなったから自由恋愛なら恋愛しない自由を選択してしまう人が増えたのであって自由恋愛自体に問題があったわけではないはず。
よくバブルから未婚率が上がったって言われるけれど真相はこうなんよ
https://president.jp/articles/-/59714?page=2
その皆婚社会が崩れ始めたのは今から30年前の1990年以降であり、2000年以降に本格化した。これをバブル期に未婚化が進んだ、と理解してはいけない。1990年に「50歳の未婚率」が上がったのは、1940年代生まれ、戦中から戦後の団塊世代の人たちが皆婚社会を終わらせたと読むべきである。そして2000年以降の未婚率の急上昇も、1950年代生まれ、60年代生まれの未婚者が増加した結果であり、けっして最近の若者の傾向ではない。人生100年時代とうたうように、結婚も長い人生のなかのひとつのプロジェクトである。結婚するかしないか、それが私たちに可視化されるには時間がかかる。<<