はてなキーワード: おかんとは
性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松本人志の笑いがいじめを肯定する笑いだという意見だ。
正直、理解ができない。自分の知っている松本人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。
まったく逆だろう。
ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である。
個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦」から「いじめられる側の反撃」に変えたのが松本人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。
おそらく、ダウンタウンをいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウンは物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。
私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめる人間・人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダウンタウンのそれは「いじめられる人間・世界に居場所のない人間」の笑いだったからだ。
ダウンタウンの笑いを構成する元素は「根暗、貧乏、田舎者、友達がいない、喧嘩が弱い、勉強ができない、ブランド品を知らない、ダサい、舌馬鹿」等である。これはとんねるずとは真逆の属性であった。
ダウンタウンの笑いは、虐げられた人、世間に馴染めない人間が世間を下から見ることによって生じる笑いである。
これは言い換えればオタクの笑いである。今でこそオタク系の笑いは珍しくないが、当時は画期的だったのである(それこそダウンタウンの影響で普通になった)。
ダウンタウンがあっという間に天下を取ったのはいじめ系の笑いに対するアンチテーゼとして世間を馴染めない人間に圧倒的な支持を受けたからだった。これは若い人には信じられないかもしれないが、当時の空気感を知っている人、特にダウンタウンが東京進出してきたころに学生だった人であれば首肯いただけるかと思う。
(「笑っていいとも」レギュラーだったころの松本は、東京に馴染めず、友達がいなくて、髪はズラ、というキャラだったのを不意に思い出した)
当時はとんねるずに限らず、「おれたちひょうきん族」や山田邦子、森脇健児など陽キャの笑い、いじめの笑いが普通だった。
「明るくノリのいい奴こそ偉い、正しい。いじめる側に回れる奴が成功者」という風潮への反抗の旗手がダウンタウンであった。
松本は「俺は根暗」「根暗のほうがお笑いに向いている」と言い続けた。
松本だけではない。浜田の傍若無人もただの暴力キャラではなく、あくまで「何も持っていない若者が権威に噛みつく」キャラだった。
甲本ヒロトのように「ダウンタウンに救われた」という人がいるのは、こういう背景によるものである。
甲本に限らず、現在40代~50代ぐらいの人の中には、ダウンタウンのおかげで勇気づけられた、元気が出たと言っている人間は多い。
ここらへんのことは若い世代にも、もうちょっと知られていいことだと思う。
実際、当時のダウンタウンの影響というのはすごいもんで、全国の男子学生が松本や浜田のノリを真似していた。
もちろん、そいつらのほとんどはただの劣化品で、ダウンタウンのエレジーは理解していなかったため、ダウンタウンへの誤解が生じる原因にもなっているのであるが、なにはともあれ凄いブームであった。
今や陰キャ系の笑いは芸能界に限らずエンタメ全般に進出している。M-1などを見ても間漫才コンビのネタ作り担当は根暗そうな人間が多い。こういった一連の流れに大きな影響を与えたのがダウンタウンであることは間違いない。
もし、ダウンタウンがいなかったら、今のお笑い界の形も、エンタメもまったく違ったものになっていただろう。
いじめ・いじり、内輪受け、体育会系の部活ノリ、のひょうきん族、とんねるず系統の笑いからの脱却は、むしろダウンタウンよってもたらされたものである。
そして、「世間を下から見る」松本のスタンスは年取ってからも、そんなに大きくは変わっていないと私は思う。
ただ、ダウンタウンというネームは大きくなりすぎた。松本も『遺書』で書いているが、権威を笑う側が権威になってしまった。正直、こうなってしまってはダウンタウンが何をやってもいじめに見えるという人が出てくるのも仕方ないところである。
松本も芸能界に長く居すぎたのかもしれない。彼自身が若いころに言っていたとおり、老いる前に引退すべきだったのかもしれない。そうすれば、「ダウンタウンの笑いはいじめの笑い」などという真逆の受け取り方をされることもなかっただろう。退き時というものは難しい。
さて、長々と松本人志の笑いについて書いてきたが、私の文章を読んでも若い人にはいまいち伝わらないと思うので、実際にダウンタウンの笑いを見てみてほしい。
違法視聴なので大っぴらには言えないけれど、Youtubeで「ごっつええ感じ」「松本人志 コント」などで検索してみるといろいろ出てくる。
お見舞い、思春期、ストリッパー物語、トムとマイク、おかんとマー君、ガタンゴトン、西日本番長地図、記者会見、挑戦者、豆、日本の匠を訪ねて、悪魔、あざみ、くさや団子虫、しょうた、いかがです、ザ・バイオハンター、サラリーマンツアーズなどがおすすめだ。
これらを見ているとうすた京介をはじめとする00年代に出てきたギャグ漫画家がダウンタウンから非常に大きな影響を受けていることがわかる。
また、ピー助というコントは島袋光年がもっともお気に入りのコントだと述べているものなので、見てほしい。
Youtubeにはないもので一例をあげると「荒城の月」というコントがある。
便所の底に住む夫婦の話である。便所の底から上にある便器の穴を見上げると、便器の形に切り取られて蛍光灯の光が月のように見えるという話。「世間を下から見る」松本の世界観がよく表れている。
これらを見れば、ダウンタウンの笑いがいじめの笑いというの違うというのはわかるだろう。ここにあるのは弱者のペーソスである。
1人で散歩行ってた時に誰かに言いたかったことここで言わせて。
うちの子賢いからな。もっと歩きたいから目あわさんと下向いてしれーっと散歩道もう一周させんねん。
道が分かれててな、右行ったら散歩延長確定やねん。その確定の道入った瞬間、顔上げて嬉しそうにシャキシャキ歩くねんで。
年取ったら引っ張るの楽やねん。若い時は動かん時はどれだけ引っ張っても意地でも動かへんかったからな。
でも最近はちょっと引っ張ったらすぐ言うこと聞くねん。なんか虚しいでそれも。
なんでやろな、散歩行けるのなんてほんまあと数えるぐらいしかないって分かってても散歩中ははよ帰りたくなるねんな。ごめんなそんな飼い主でな。だから道が分かれててな、右行くとさらに散歩が延長されるところがあるねん。そこ右行こうとしたがるやろ、引っ張ってまうねんな、帰り道のほうに。
最後死んだらどないするんやろうな。あの世行って急に紐持つ人おらんくなって、ナナはどうするんやろうな。
あの子賢いから、紐つけてても、持ってる人おらへんかったら1人でよう歩かへんねんで。紐の持ち手のところ咥えて、こっちくるねん。持ってもらわな何処もいかれへんって分かってるからやな。
ずーっと飼い主都合で紐引っ張られて生きてたのに、あの世行ったら「はい自由ですよ」「どこなと行って」やったらナナも困るやろうな。たまに雲の上で紐咥えてキョロキョロしてるところ想像して泣いてまうで。
でもあの子結構薄情なところあるからな。ユーカヌバとかクッキーとか持ってる人いたらばーっとついて行ってしまうんかな。それぐらいの方が、こっちは気持ち楽やけどな。
でも動物病院に外泊とかさせたら、あの子夜はよく鳴くんやって。別の病院は出禁なったことあるしな。カルテにおっきい字で「ホテルNG」って書かれてて、それ見ておかんえらい怒ってたわ。寂しがりなんかな、少なくともあの子記憶の中にうちらがおるんやわ。
それはあの世でも変わらん気する。
あの子はええ子やからな。天国行くんやろ。あそこええ人ばっかりやと思うから、誰かに紐持ってもらうか、紐なくても過ごせるように教えてもらってな。なんやったら手紙書くで、一筆添えとくから、お願いしますって。
その人のとこついて行ってもええし、そこで幸せにしてもらうんやったらありがたいんやで。でもたまに思い出してほしいな。あいつらおらんな〜って程度でええから。
大きなかぶという昔話を知ってる?
あれ、不思議やん?
そしてねずみが加わったくらいでどうして抜けたのか。
そのあたりの謎を、参加者の戦闘力という観点で順番に考えてみた。
まずじじい。
メンツを一通り眺めてみると、もっとも戦力になってるように見える……、が、それが大きな間違い。
というか歳をとってるからじじいや。
じじいになるほど歳を重ねていればな、必ず人生で一度くらいは腰をいわしとる。
腰をグキィッといわせて悶絶し、数日寝込んだことがあり、その経験がトラウマになっとる。
ついでに肩の柔軟性も低下しとるやろね。
四十肩や。
こりゃ腕を使う作業には致命的や。
たしかにじじいはリーダーとしてがんばっとる、そこは認めなあかん。
が、心の底には、また腰をいわせてまうんやないやろかというビビリがある。
そうなると無意識のうちに手を抜く。
へっぴり腰になる。
そんな腰の入っていない手抜き仕事ではかぶを抜けるわけが無い。
次はばばあ。
じじいと同じ加齢による戦闘力低下の要因がもちろんあるやろね。
たとえ本気を出したところでせいぜい劣化じじいといった程度のパワーやろ。
せやけど他の問題もあるんや。
普通はそう思うやろ?
これが落とし穴よ。
ばばあっつうのはな、男に頼りっきりの人生を重ねとる。
どうせ最後はじじいが力仕事や汚れ仕事を引き受けるんや、という甘えがある。
ばばあという生き物は、男が一緒におると甘えが出て一人前の仕事をせんのや。
じじいをヌクのは得意でも、かぶを抜くのにはまったく役に立たん。
形だけ適当に参加したふりして力仕事をじじいに押し付け、かぶだけうまうまといただくハラや。
ばばあはだいたいそう、目の前の仕事に責任をもって真剣に取り組まず、かぶをどう食うかだけ考えとる。
一人前の戦力にはならんのや。
ねこは論外。
はっきりいって、このメンツでは最も役に立たん。
ネッコ=ザッコ。
じゃあなんでこいつがやってきたかっつうとな。
他の奴らが楽しそうに遊んでると思って、交じりたくて来ただけや。
チャラい参加や。
わっしょいわっしょい言ってるけど、お祭り気分で引っ張っとるふりしとるだけや。
やつはな、適当にちょろっとやって、そのうち飽きて疲れてやらなくなるに決まっとる。
みんなががんばっとるのをニヤニヤ眺めながら、屋台で焼き鳥喰ってビール飲んどる、そういうタイプや。
それがねこや。
戦力になるうちは、じじい、ばばあがケツモチになるから、ねこもおいそれとは手が出せん。
下手に手を出せば、うちの舎弟になにしてくれとんじゃい、ということになる。
そうなると晩飯はねこ汁うどんになるやろね、もちろんかぶの入ったやつな。
せやけどな、ねずみが戦力外通告を受けて一家から破門されればもうじじいやばばあは守らん。
督戦隊であるねこがいる以上、ねずみには死がかかっとるから、本気で戦うんや。
火事場のクソ力や。
まあ、ねずみ単体では小さいからさほど大きな戦力とはならなかったやろ。
自然界の常識は、でかい=強い、であり、小さいねずみは必然的に弱いんや。
だが、いぬがすでに全力で引っ張っとって、かぶとパワーの均衡を形成しとる。
弱小勢力が綱引きのパワーバランスの要になってなぜかキャスティングボードを握ってまう、そういうことあるやろ。
他は頭数だけ。
日本のIT屋は、こうやって無駄に頭数を増やして請求する人月を水増ししとる。
そうやって、その売り上げで実勢よりも株価を膨らませとる。
まさに、大きなかぶ、ちゅうわけやな。
整形外科はじじとばばあで混雑しまくってひたすら待ち時間、要は作文したくなるくらい暇なんや。
増田のみんなも、腰は大切にな。
ボケ&ツッコミ「お願いしますー ありがとうございますー」
ボケ「いきなりですけどね うちのオカンがね 好きな思想があるらしいんやけど」
ボケ「その名前をちょっと忘れたらしくてね、色々聞くんやけどな 全然分からへんねんな」
ツッコミ「分からへんの? いや ほな俺がね おかんの好きな思想 ちょっと一緒に考えてあげるから どんな特徴ゆうてたかってのを教えてみてよ」
ツッコミ「おー 男女平等やないかい その特徴はもう完全に男女平等やがな」
ツッコミ「いやそうやろ?」
ツッコミ「あー ほな男女平等と違うかぁ 男女平等なら奢りじゃなくて割り勘やもんね」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「あれほなもう一度詳しく教えてくれる?」
ツッコミ「男女平等やないかい 共働きで仕事してるんやからあれ でも俺はね あれは家電の発達で楽になってるからたいした量じゃないと思ってんのよ 俺も食洗機使ってるんし大したもんや」
ツッコミ「そうやろ」
ボケ「オカンが言うには 子育ては女がやるのが良いって言うねんな」
ツッコミ「ほな男女平等ちゃうやないかい 子育ては女がやるいったら 専業主婦で家父長制度やもんね 男女平等はねー 男も子供の急病で保育園に迎えにいくんやで」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「男女平等ちゃうがな ほな もうちょっとなんか言ってなかった?」
ツッコミ「男女平等やないかい 男女平等でアファーマティブアクションよそんなもん」
ツッコミ「そうやろ」
ツッコミ「ほな男女平等ちゃうやないかい 労災のある危険な現場で女は働かへんのよ」
青のすみか(音楽)
最近熱いサッカー漫画って何だっけ? ブルー……イレヴン? ←間違い
ブルアカって学園ものらしいから正式名称はブルーアカデミアか ←間違い
「やればわかる!! やらなければ一生わからん!! 」って確か美大漫画だからアオイ……ブルーピリオドだな ←間違い
おかんが音楽漫画の名前を思い出せんのやけど、おかんが言うには青いらしいねん ←青のオーケストラやないかい。その特徴は完全に青のオーケストラや
けどおかんが言うにはな、木管楽器が活躍するらしいねん ←ほな青のオーケストラと違うか。青のオーケストラにも木管楽器はあるけど活躍というほど出番あらへん
こんな間違いを防ぐためにまとめただけ