外から見た感じが知りたい。
親がエホバの証人で、大人になるまで信じていたけれど、色々あって辞めた。
理由は複合的だから「これ」とはっきり言えるものではないけれど、大まかに上げるとすると
・人間関係が重い
の二つ。
今となってはエホバの証人なんてどうでもいいんだけれど、他の新興宗教と一緒に「危険宗教」みたいに名前を挙げられているのを見ると、そう見られているのかな?と思ってしまう。
(私も経験から危険な宗教……というか有害な宗教だと思っているけれど、一般人がどうしてエホバの証人を危険視するのかピンと来ない。輸血のせい?それとも特に理由なんてなく新興宗教だから?信者の訪問がウザいから?)
追記 02/06
はてなブックマーク見てたらこれがあったからちょっとびっくりした
タイトルの付け方ミスったけれど、個人的にはもちろんヤバイ宗教だと思ってる。
ずっと親がエホバの証人でなければ、と思いながら生きてきた。
信教の自由ってこんな場合にまで認められなければいけないものなのだろうか。
けれどわたしがエホバの証人がヤバイ宗教だと思ってる理由って中にいたからこそ分かることというか、外からはたぶん分かりにくい部分。
それに体育の時間に武道するのも禁止されてるくらいだし、テロとか絶対にしない・できない人たちだと思うから、なぜ外部から危険視されてるのかよく分からなかった。
危険宗教というのは周囲に害を与えるから、という意味ではなく「入るな危険」という意味なのかな?それなら納得できる。
頂いたコメントなど一通り目を通したけれど
・輸血拒否
・終末思想
・制約の多さ
・体罰
・寄付
まとめるとこういうのが理由なのかな
輸血拒否について書いておられる方が一番多かったけれど、これに関しては確かに危険だと思う。危険というか実際これで死んだ信者、結構多いと思う。日本では確か16歳未満の子どもが事故などで病院に搬送された場合、親の同意なしに医者が輸血できる法律ができてた記憶があるけれど、信者は悪魔の仕業だとか言ってたし。亡くなった子どものことを考えると本当に可哀想。
わたしはゆとり世代なので体罰はほとんどなかった。今の30代40代の二世信者はホース、定規、ベルトとかで叩かれまくってたらしい。怖
エホバの証人の組織は「愛の懲らしめ、愛のムチ」とかよく分からんことを言って体罰推奨してたらしいけれど、なかったことのようになっている。
「愛」「感謝」みたいなきれいごとよく言ってるけれど、結局終末思想とか体罰とかで恐怖心を煽って信仰させてるだけなのが最悪。
けれどあの勧誘活動に費やした時間は報告が義務付けられていて、その時間が少なかったらもっと布教に行くように言われたりするし、毎月70時間布教活動に費やすことが勧められてたりする。
お金取られる方がある意味ましかもと思う部分もあるけれど、そもそも布教活動ちゃんとしていなかったのでなんとも言えない。
なんだかまとまりなく冗長に書いてしまったけれど、最後に迷惑な勧誘を断る方法を書いておく。
インターフォンのところに「宗教勧誘お断り」とかステッカー貼ったら来る確率は低くなる。
それでも迷惑な信者が謎理論に基づいて(「宗教勧誘じゃなくて生活に役立つ雑誌を渡すだけ」とか)ピンポンしてくることがあるかもしれない。
もうそういう人とは会話をせずに
とだけ言ってインターフォンを切る。終わり。
ヤリマンヤリチンは嫌われがちだけど、俺はむしろ尊敬してる。皮肉なんかじゃない。知らない人によく触れるなって思うからね。
知らない人に触れる人たちが社会を回していくんだろうな。
いやいやいやその全肯定脳死信者っぷりがマジで気持ちが悪いんだよ
オタクが信じるのは作品じゃなくて己のセンスと知識なんだよわかるか?
作品に依存してるのは萌え豚とか信者とかそういった存在であり、考察と評論で作品を立てるのがオタクのあるべき姿
俺が好きなのは動画や配信で彼ら自身のセンスを輝かせているVtuberであって、それを企画と構成で毀損した本作品はこき下ろすべき存在でしか無い
そして「次がある」とか生ぬるいこと言ってるんじゃないよ!
芸なんて一発勝負なんだよわかるか?
視聴者が見るという意思決定をし、クリックして辿り着いた先で残念な作品を見て帰ったとしよう
大半はもう二度と戻ってこないぞ。それが信頼を失うということなんだよ。
そこでVtuberを好きなやつのやることが「応援し続ける」「離れるやつは元からファンでもない」だあ?
なんだその傷の舐めあい。俺が言ってやろうか?「スゴーイデスネ!」って
違うだろ?違うだろ?
ファン代表面するんなら「変な作品見せてしまってゴメンナサイ」だろ
「彼ら本来の魅力は本作品には出てないんです」「僕がまとめ動画作ったんで、頼みますから見てください後悔させませんよ」くらい言ってみろオラ!
ワイは200円以上がええやで
なんだか最近趣味と呼べるものが、風俗に行くことになってきた。昔は本を読んだり、何かを創ったりそういうものを楽しめていた気がする。思春期より今のほうが性欲に流されている気がする、どうして。
お金を知的なことや創造的な趣味に向けられたら、人生はもっと豊かになるだろうに、ついつい刹那的な快楽に流れてしまう。
さて、風俗に行ったらここにメモを残しておくことにしている。戒めだ。
今回は3連休の旅行のついでに、地方の風俗でマッサージを受けてきた。もちろん、性的なやつ。
これまでマッサージ系は受けたことがなかったので、どんな感じかと思って試してみた。しかしながら結局ソープなんかと同じくらいの値段を払うことになり、そんなに大したものかと思うはめになった。受け身な男性にぴったりとかなんとか、そんな広告に反応した。
風俗のお姉様を選ぶときには、ネット上の情報から最大限用心深く絞り込んでいく。第一に髪型はストレートで黒髪がいい。第二に身長は低くて貧乳がいい。第三に女性は責め系がいい。そんなふうに条件をつけていくと、当然そんなお姉様は存在しない。どれかを妥協しなければならない。妥協し、決断を迫られるこの瞬間が一番嫌いだ。限られた予算で新しいPCを買うときのような気持ち。泣く泣くグラボのランクを落としたり、ケースは再利用しようかと悩んでみたり。嫌いだけれど楽しいからやめられない。
今回のお姉さんは条件は全部忘れて、限られた情報の中で一番写真から容姿が推定できそうなのを選ぶことにした。
会ってみれば、推定40歳くらいの美熟女であった。あえて例えるなら熟女と化した新田美波で、もう少し現実的には庶民的な加藤綾子という感じ。たぶん、客観的には綺麗なのだろうが、結局緊張していてうまく理解できなかった。茶髪でまとめられた髪質は歳相応で、ホテルの証明に照らされてほうれい線やら目のシワをみつけては、最近熟女モノAVもイケるようになった自分が誇らしく感じられた。身体はよる年波に全力で対抗するがごとく、引き締まっていた。胸はもめる程度であり、腰はくびれていた、その下に据えられた尻は大きすぎない程度にどっしりしていた。しかし、上からの強いライトが作る細かな陰影が、肉の質感を強調させ、もう若くないのだと教えてくれた。なるほど、このデティールに気づけるのはAV鑑賞では得られない恩恵だった。
地方の風俗店は情報が少ない気がする。みんなそんなに容姿にこだわりなくご指名してるんか?
お姉さんはプロフェッショナルであった。淡々と仕事を進めつつ、気遣いして話しかけたりしながら作業を進めた。ベットに横たわると身体のウラ面からマッサージが始まり、全身優しく揉んでくれた。ああきもちい。裏返されたらもうマッサージは終わり。乳首を舐めなめされた。ヌメッとした舌が乳首を絡めとっている。いま乳首が凄く敏感なのだと気付かされる。睾丸をわさわさする、それはとてつもなく気持ちいい。でも最後には射精へと収斂してしまう。お姉さんは自分でアレをしごいてみろといい、私が手を動かすと、「いつもこんな感じでオナニーしてるんだ」と耳元で囁いてくれて興奮した。耳元で囁かれて、最旬的には射精した。
なんか耳舐められながら射精することがノルマみたいになってる。前回のお姉さんと今回のお姉様は年齢的にはいい勝負かもしれない。前回のお姉さんはウエストはだらしない感じでそれがそれで興奮要素だったし、おっぱい揉んだらシリコン感を感じてしまうサプライズがあった。そして即即でぼくの犯されたい願望をほんのチョットだけ叶えてくれた。そういう意味では、今回は美熟女が淡々とお相手頂いたということになる。よろこんでいいはず、もっとよろこんでいいはずなのに、何かが足りない気がする。なぜ?いやいやコレ以上な何もないよ
マッサージは少し身体が楽になった気がする。全身をくまなく触られるのは気持ちいいけど、払ったお金を考えると割に合わない。広告にウソはなかったわけで過度な期待をしていた自分を攻めている。
お姉さんは努めて丁寧に接してくれたのだろう。いつも通り何を話したら良いのか分からなかったのは自分の責任だ。毎度のことながら、お姉さんにはありがとうの気持ちしかない。
何が嬉しいかって、これからはマッサージものAVを見て実体験と重ね合わせて興奮できるんだよ!
あーやっぱ
100円の回転寿司好き!
あら、どうやら冷戦中のようね
結婚してても女は女よ。
大学について見下されてつらいですぅって奴よお、馬鹿な友達との縁は切るに限るぞ。
そいつらは頑張ったのかもしれねえし、努力した分だけ誰かを見下すことができると思ってるのかもしれねえが、
結局そいつらは狭い狭い視野の中で馬鹿にできる獲物を探しているに過ぎねえ。
マウンティングが趣味の奴と付き合ってもろくなことがない。そいつらと一緒にいるときは、いつ見下されるかと怯えながらお前よりも低いところにいる奴を一緒に笑うしかねえ。
なんて惨めなんだろう。俺は誰かを褒めたくて仕方がないから、そういう奴らとは肌が合わない。
友達に何人か努力の結果勝ち組になったやつがいるけど、そいつらはマウンティングなんてしないね。誰に対してもフラットに接することができる。まあ、愚痴くらいはこぼすけどもよ。
信頼できる人と付き合っていくのが大事だ。誰かのマウンティングで心身をすり減らすのは馬鹿らしい。
わざわざ獲物になる必要はない。
久々にあった友達に「今何している?」は尋ねないって心に決めている。
それを聞いてどうするんだ?友達が遠くなるだけだ。
共有できない情報を聞いても、「こいつも変わったな」「そんなことやってるなんて思いもしなかった」
遠くなるだけだ。
そうして分かる。暴かれる。
それならと、思い出話。それもいいけどね。いずれ終わりがくるからね。
過去の思い出は有限だから、思い出話が終ったら、夢から覚めて、結局はサヨナラだ。
思い出はこれからも作れるって、無邪気に信じよう。
死ぬことはないけど日常生活に支障をきたす持病を子供の頃から抱えてる
とはいえ死ぬことはないっていうのは余命宣告とかはされないって事で
ちょっとした無理ですぐ倒れて、ある程度成長するまでは何度も入退院をくり返してきた
成長して入院の回数は減ったけど
それは無理をしないようにする術を覚えただけで病気が改善したわけでもなく
いまだに少し無理すると倒れてしまう
殊更に特別な無理をしたわけではない
医者が季節柄もあるだろうといっていた
同じような状況でも頑張ってる人は五万といて
自分を好きになりたい
だけどどうしても好きになれない
こんなこと絶対に言いたくないし、あまりにも失礼で考えなしで自己中心的な発言になるけど