http://anond.hatelabo.jp/20150618023548
早稲田や慶応、東大が叩かれるとなぜかその大学だけの問題になるが
地方国立の大学がやらかすと、なぜかその地域全体を悪く言う民度と教養をもつはてなー達。
自転車だけに矛先を向けて、更に他者に対して危険である自動車の交通犯罪には何故か矛先を向けないという
そういった偏った考えもなかなか正されない。一家4人が自動車に惨殺されても尚。
他人に助けてもらおうと思っている限り、助けられることは無いと思う。
性格には「ゲームが何で俺を気持ちよくしてくれるのかに気付いてはいたけどいつまでもその事実を完全に受け入れるのに蓋をしていたのがもう限界に来てしまったのでもうゲームを楽しめない」になる。
さっさと話しちゃうけど俺が気づいたゲームが気持よくしてくれる理由、それは「俺が有能だと勘違いさせてくれるから」だ。
よくゲーム作りの基本にユーザーを数秒おきに褒めろ、リアクションを返せってあることから分かるようにゲームの基本は「ユーザーの努力を肯定的に受け入れること」だ。
これはクソゲーと呼ばれるゲームが「ユーザーの努力を踏みにじる要素にあふれている」事からも逆算できる。
たとえばコンボイの謎。
必死に避けようとした努力はどこに行ってしまったのか?虚空に消えたのだ。
シナリオの続きを早く見たいと徹夜したユーザーの努力はどこに消えたのか?虚無へと呑まれたのだ。
そうだ。今更確認するまでもなく俺達がゲームに期待しているのは「努力を認めて褒めてくれること」だ。
こんなことはもうわかっていたし飲み込んでいた。
だがそこから一歩進めた部分が俺にはたまらなく耐えられなかった。
そして少なく見積もって10年以上心のなかで閉じ込め続けていた。
それは俺自信が「相手がたとえゲームでもいいから、俺を褒めまくって、有能だと勘違いさせて欲しい」と考えていることだ。
ゲームごときにひたすら褒められたがっている。機械相手に承認を求めている。惨めとしか言い様がない。
風俗で赤ちゃんプレイしてマンママンマ言っておっぱい吸いながら頭撫でられて射精してる絵に書いたような救えないオッサンと根っこの部分は一緒だ。
現実で満たすための努力をするための時間、エネルギーをゲームに注ぎこむことで即物的に満たされようとして、結局現実での満たされなさを悪化させ続けている。
馬鹿もいい所だ。
現実から逃避するのも少しならいい、だけど俺はあまりにも長い時間現実から離れすぎていた。
学校で虐められたり、体育のチーム分けで鼻つまみ者にされたり、何故か九九が頭に入らず池沼みたいな奴と居残りさせられたり、そういった辛い記憶の大部分を捨て去った結果残ったのはゲームをしていたことだけ。
何をやっていたんだろうか俺は。
現実で認められるように努力していれば、気持よく慣れて辛い目にも合わずに済んだのに。一石二鳥のベストな選択肢を何故選ばなかったのか。
その相手に人間を選ばなかったことは精神的な歪みだ。だが人様に晒す無様さが少しは減ったのだからマシだったのかも知れない。
それでも機械相手に褒めてくだちゃ―いし続けてきた人生のクソったれさは今更ごまかしようもない。
今はもうゲームを楽しめなくなっている。
全てがバカバカしいのだ。
ただそれを受け取る側の自分が変わりすぎた。
心のアンテナがゲーム面白いという電波を受診するたびに苦痛が走るのだ。
何故俺はゲームに逃げているのだと。
苦しい。
助けてくれ・
おまえは横なの?元増田なの?
喫煙所ってたばこ吸いながら雑談するとこだからねえ。最近は喫煙者の風当たりが辛いだけに妙な連帯感があるのは事実だと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150617214117
日本がバブルで浮かれる時代はまだ遠い先の話で、当時の小さい出版社は、まさに爪に火をともすようなギリギリの状態でなんとか生き残ってるような有様だったように思う。
その時代ならば、原稿持込はまずは週刊誌だ。そして、「殺人を犯した元未成年」〔原文ママ:「未成年者」だろう?〕の代理人が編集部にコンタクトを取ってきたとして、その編集部が「本人の名前も顔もわからないし、ただ彼が犯した罪だけは知っていた」などという有様である上に、「そこから約一ヶ月」の間、悠長に「社内を二分して大激論が交わされ」ている間に、その代理人氏がどこか別の出版社に原稿を持っていかなかったなどということが、あり得るであろうか?
そして、その時代ならば、「小さい出版社」はかなり元気だった。こういう時代だろう?
会社にスモーカーが多く、会議の後は皆して喫煙ルームに殺到してスパスパやっている。会議の続きがそこで行われていつの間にか重要な事が決まってしまったりもする。
タバコは吸わないといっていた新人も、会話目当てに喫煙するようになった。抜け目無いなーと思いつつも、こういうのって不健全じゃないかという気がする。
頭の中で願望を思い浮かべるときでさえ、一つ一つの単語の定義や指し示す範囲を確認した揚句、
常識的に省略しても良い部分は省略しないと分かり易さが失われる…とか考え始めた
何か精神疾患的な症状だろうか
わたしたちって誰だよ?お前だ。お前個人の話だ。なんでわたしたちなんて言うの?
私は刀剣乱舞が嫌いだ。
家族が芝ゲーに嵌ってガンオケ語りしたり、スレに入り浸ったり、大絢爛舞踏祭ROMしてた頃から芝村嫌いだったけど、どっちかというと芝臭は薄いし、ある種のプレーヤーのハートを掴む術は心得てるよねと思う。どいつもこいつも量産型八葉みたいなデザインだなとは思うけど、それもまあ別にどうでもいい。
明らかに安い釣りに来てる公式台詞が気持ち悪い。審神者って言葉の使い方も、いかにも芝村らしくて気持ち悪い。サービス開始二日目位から、アンチ発言したどこかの人を寄って集って炎上させて吊るし上げて叩いてたファンが気持ち悪い。自称創作厨が一気にあのジャンルに流れて行ったはいいけど、それ本当に元ネタあるのかみたいな突然のあるあるネタが気持ち悪い。TLにしょっちゅう流れてくる絡み漫画も、申し訳ないけど高確率で気持ち悪い。
ブラウザゲー興味ないしモバマス艦これ他に食指が動く事も反感を覚える事もなかったから、自分でもなんでこんなに嫌いなのか理解出来ない。少なくとも自分にとっては創作的な人を悪い意味で刺激する芝村世界観が悪い方向に作用してるのかもしれない。
システムパクだの絵師トレパクだのネットから素材流用だの本体がキナ臭いことになっててある種ああ…って思った。それでも、あの界隈の雰囲気が元に戻ることはないだろうなと思う。それ自体が単純に好きな人に悪意はないの分かってるけど、全く興味ない、自重しない腐ネタがガンガン飛んで来る状況にはそろそろ耐えられない。自分の立ち位置だと思ってた場所が、実は全くそうじゃなかったってだけのことで、特にこれ以上悪く言いたいわけではないけど、合わないものは合わない。
>どうして俺が苦しんでる間も普通に恋愛とかしてて大して苦しんでなさそうな女に哀れに思われないといけねーんだよ
>いい加減にしろって冷静思うようになり哀れむ女が嫌になるよ
ここがわからん
だって、俺自身、友達も彼女もいないし、産まれてからロクに他人と付き合って良い思いしたこともない俺は哀れだなぁと思うのだから、
たまたま近寄ってきた女が俺のことを哀れだと思うならそりゃ正しいだろ。
だから、哀れに思われないといけねーんだよ。とか思わないんじゃないかな。
増田ぴょん、何を怒ってるんだぴょん?
増田村では「下駄」とか「仕込み」とかいう言葉は表立っては使えない。
人気エントリに上がっても、真面目に書いたものが完全スルーで似た内容のものが爆発的人気なことも度々あるので、正直あまり嬉しくない。
そんなわけで仕込みしてる人、もう放っておいてくれまいか。
だらしがなさすぎるよ。
有能な働き者は役に立つ。有能な怠け者はうまくやる。無能な怠け者は役に立たないが放っておけばいい。しかし、無能な働き者は役に立たない癖にしゃしゃり出てきて他の人の足を引っ張るので、一番タチが悪い、ということらしい。
いま「無能な働き者」でググってみたところ22万件ヒットしたのだが、最初の数十件を見てみると、ほとんどすべて、「無能な働き者に対してどう対応すればいいのか」という趣旨のようだ。つまり、他人が「無能な働き者」である場合について書かれている。
自分が「無能な働き者」である場合は、どうしたらいいのだろうか。
なんでそんなことが気になるかというと、私自身がまさに「無能な働き者」だからだ。
ろくに仕事ができない。成果物の質はよくないし、時間がもかかる。判断したことはたいてい正しくない。みんなで議論しているところに悲観的な意見(のような何か)を出して話を袋小路に追い込む。やる気はないし、向上心もない。
他にも、ネットで「無能な働き者」の特徴とされていることがだいたいあてはまる。自分ではわからないが、きっとこの文章からも無能さが読み取って頂けることと思う。
さすがに自覚して、せめて「無能な怠け者」を目指そうと思ったのだが、自分よりも他の人の方が仕事を抱えているので、割り当てられた作業を放り出しても迷惑がかかる。
無能なので、他のプロジェクトに呼ばれることもなく、大きく昇進することもなく(会社が年功序列なのでちょっとだけ昇進して残業代は出なくなったが)、同じところに居続けた結果、「他の有能な人たちが管理職になった後、現場に昔からいる人」ポジションになり、新しい案件があると呼ばれて意見を求められたりするようになった。
しかし、結局のところ無能なので、何かしら役に立つような提案ができるわけでもなく、「いいんじゃないでしょうか」とか「ここがちょっと気になりますね」とか言ってお茶を濁し、それで後から冷静に振り返ると相手の足を引っ張っていただけで、何も言わない方がマシだったのでは、ということがよくある。
こういう場合、どうしたらいいんでしょうか。
「無能な働き者」でググって出てくるページを見ると、周りにいる人たちとしては、死んでほしいとか、辞めてほしいとか、他の部署に飛ばされてほしいとかなんですが。
自分が「無能な働き者」の場合、死ぬか辞めるか異動希望を出すくらしかないんでしょうか。
個人的な妄想としては、国が国立の姥捨山みたいなのを作って、「無能な働き者」認定された人間を収容するとかしてほしい。そしたらそこで死ぬまで静かにしているんだけど。税金をそんなことに使われるのは腹立つと言われそうだけど、普段の生活の中で他人の足を引っ張ることがなくなるので、それで許してもらえないかと思ったりする。
追記: はてブやトラックバックでコメントをくださった方、ありがとうございました。
せっかくコメントして頂いた内容に対して、何か書くべきかとも思ったのですが、自分の中で咀嚼するのに時間がかかりそうです。申し訳ありません。
いずれにしても、あちこち間違っている・認識が偏っていることは認識できました。繰り返しになりますが、いろいろな観点からコメントを頂きありがとうございました。
相手のことを○○ぴょんとか変な愛称で呼ぶのってきっと相手をバカにしてマウンティングしたいってだけなんだろうな
日頃はてなーが日本のゲーム社会を破壊し、粉々にした全ての元凶と憎んでいるはちまとかに生息している人種と同じタイプの思考の人だわ
ほんとバカ
イジメで自殺した学生の家族が「子供は学校に殺された!」等といってるのを見るとモヤモヤする。
確かに学校には問題がある。生徒を自殺させるような学校は100%悪だし、叩かれるべきだと思う。
でも、学校に問題があるからといって、家族の問題は見過ごされて良いのかな?
日本において家族が精神的に学校生活を支える責任を放棄していることはよく知られていることだけど、
家族が「辛い事があってもちゃんと学校には通うべき」という既成概念に囚われ学生にプレッシャーをかけていることが、
自殺に一役買っていると思う。
自殺を学校と本人だけの問題だと捉えてると、いつまでたってもイジメ問題は解決しないんじゃないかな。
そろそろ私たちは家族の責任についても考えるべきときに来ていると思う。
尋常ならざる顔で「学校行きたくない……。」とこぼす子供に対して、親はどんな風に対応したんだろうか?
「何があったの?」、「無理に行かなくていいよ」、「学校なんて行かなくても死にはしない」とちゃんと言えたのか?
「もっとがんばれ」、「勉強するのが学生の仕事でしょ」、「ドロップアウトしたら将来困るよ」と言わなかっただろうか?
家庭が心の底から安心でき本音を出せる場所であったなら、子供は果たしてイジメを苦にして自殺しただろうか?