ジンケンのくびきからいい加減21世紀の人間は脱しないといけないだろ
そういう「夢」みたいなのを早くあきらめられるような社会にならないといけない いちいち生まれてくる全ての人間にジンケンとやらがバンドルされてなくてもいい
皮肉で言ってるわけじゃなくて ナマポもらってるような人達見てるとああやって生ける屍のようにされて社会にも白眼視されて、とても幸せには見えないんだよね
そうだね。
貧乏だったり、学歴が無かったり、それでも幸せで気高いまま生きていってほしいと思う
間違ってもナマポにすがったりせずにね。
間違っても自分の無能さを社会問題にすりかえ、原発ガー レイシズムガー ヘイトスピーチガーなどのおためごかしに逃げエゴを押し通して醜く生きてほしくはない。
気高く、死んでほしい。誰にも顧みられることもなく。気高く。
リアルにもネットにも吐き出す場所がなく、いい加減気がおかしくなりそうだったので、チラシの裏代わりにさせてほしい。
たぶんADHDも併発している。
人の顔や名前が覚えられない(すぐ忘れる)ってのは学生の頃から気づいてはいたんだけれど、
この度、4度目の転職先で、そういった能力の欠如っぷりから職を失って、
ものの見事に高い数値が出たらしい。
診断を受けたいと主治医に頼んだときは、障害と認められたら少しは楽になれるだろうかという気持ちがあった。
でも今は、ただただ不安で、死にたくて仕方ない。
いや、死にたいというのは正確じゃない。
「なんで自分なんか生まれたのか」とこの世の全てを呪っている、と言った方が正しいか。
死ぬという行動は、今の自分には要するエネルギーが大きすぎる。
そんな元気は、ない。
主治医から「就職もできているのだから障害ではなく"傾向"だろう」と言われたのも精神的に参っている理由のひとつだろう。
コネで入った最初の会社からはじまり、転職する先々で三ヶ月もすれば必ず抑うつ状態になって、薬飲まないと会社に行けなくなるのを、果たして「就職ができた」と言っていいんだろうか。
少し判断に困る。
でも、これまでの転職先はみんな自分にあっていると思って選んだ仕事だった。
そして結局は(最後の職場を除き)仕事に関係ない部分でつまづいて退職してる。
たぶんこれからも、状況はそう変わらないだろう。
就職活動中に抑うつになって帰ってきてから、ずっとここで生活している。
中小企業だったら使ってるAdobeソフトが全部違法コピーなんてもザラだ。
そういう会社内の人間関係というのは、推して知るべしというか。
まあ、案の定自分は脱落者となった。
それですっかり一般企業が恐くなってしまって、つい最近までは大学で非常勤の実験助手をしていた。
金を儲けることは悪ではないけれど、やっぱり金に頓着しない組織というのは窮屈でなくて居心地がよかった。
売上成績は上がっているのに、個人的嫌悪感から「おまえの評価を下げて正社員じゃなくしてやる」と三ヶ月ごとに脅される心配もないし。
ただ、そこで判明したのが、自分がどうもアスペルガー症候群でADHDらしいという事だった。
これまではデスクワークばかりで、自分の障害がそこまでダイレクトに不都合を起こしたことがなかった。
だから、電話の言葉が聞き取れない(声でなく言葉が入ってこない)だとか、パソコンに向き合っていると呼び鈴の音に気づけないとか、特に理由がないのに朝礼というだけで気持ちが悪くなるとか…それまでの職場でもあったけれど、そこまで深刻に考えてなかった。
それが、実験助手という仕事についてからは、惨憺たるものだった。
忘れたということ自体を忘れてしまっている。
耳から入った言葉を短時間でも頭にとどめておくのが難しいから、メモを取りながら説明を受けても、必ずいくつか忘れてしまう。
そして、無事に覚えられたとしても、研究室という場所は物の位置が頻繁に変わる。
試薬を持ってきてと言われる度に、「あの試薬はちゃんと前と同じ位置にあるだろうか」と緊張感で冷や汗が出そうだった。
実験動物のケージなんて、ヘタをすれば日替わりで動くので、もう動物舎に入る事自体が恐くて嫌で仕方なかった。
そして、状況判断ができない。
これは指摘されるまで全く自覚がなかったので、多分いまも意識することさえ出来ていないと思う。
危ない行動を危ない事として意識できないらしい。
実験室にこんな人間がいると思ったらゾッとしない。他人事として考えればすごくわかる。
くわえて優先順位をつけるということが出来ないから、目に付いた作業から片付けようとしてしまう。
これも言われれば分かるのだけど、詳しく説明されないと「優先順位」というのがどの程度優先すべきものなのか具体的に理解できてないからなんだろう。
ここまでを読んで、文字だけでもイライラしてくると思うけれど、極めつけがまだある。
そして視界に入っているはずのもの、耳に入っているはずの音が全く認識できない。
流しの排水管が水漏れを起こしたことがあったが、自分は流し台の中にしまわれていた実験器具が濡れないように避難させるのに必死で、その間に別の人が洗い物を始めてしまっている事に全然気がつけなかった。
あとで「なんで先に言ってくれないのか」と責められても、何を責められているのか本気でわからなくて(そのあと詳しくどういう状況だったのかを説明してもらうまで)理不尽に叱責されたと苛立つばかりだった。
これは、あとから説明されたから「自分が見えていなかったのだ」と理解できた希少な例で、たぶん、本当はもっといっぱいこういう事があったんだろう。
アスペルガーのお約束として、雑談が苦手なのも人間関係を冷え込ませるのに実に効果的だ。
他人と共感が本当にできない。
びっくりするくらい出来ない。
だから言わないでいい事を言う。
…と、ここまでは何となく自覚があるので、社会人二年目あたりからは極力しゃべらない事で他人から不快がられないようにしようと出来る限りの努力はしていた。
大して面識のないの相手には天気の話でもしておけば、それなりに定型発達っぽく会話が成り立つし。
子供のころに「人の鼻の頭を見て喋ればいいんだ」と教えられたおかげで、目線が合わせられなくてキョドるなんていう典型的アスペみたいな動きもしない。
おかげで初対面の人間相手だと、実にまともな人間らしく振る舞える。
でも、これが逆によくない。
同類がいたらアドバイスするが、付き合いが長くなるであろう相手に対して、マニュアル通りのまともっぽい振りをするのは絶対にやめた方がいい。
三ヶ月もすると、逆に不自然さが際立って薄気味悪がられ、自然と会話が無くなっていく。
実例が言うんだから間違いない。
何より苦痛なのは、直接話をされていない職場内の人間の冠婚葬祭の話題を、周りの空気から読み取らないとならない場面に数回でくわしたことだ。
健常な人は周りが話してる雑談からそんな情報まで正確に聞き取れるものなのか?ほんとうか?だましてないか?
…まあ、そんなこんなで、好意というか敬意さえ抱いてるような相手にまで嫌われる。
仲良くしたいからと何かするたび、嫌な顔をされた。
けれど、いまだに何故いやがられたのかが理解できてないので、多分これからも好きな相手には嫌われ続けるんだろう。
アスペルガー症候群は鈍感で空気が読めないから、お気楽だろうと思ってる人もいるかもしれない。
でも実際のところ、物凄く気を遣う。
前の晩から「どうやったら喜んでもらえるのか、どうやったら役に立てるのか」を考えて、朝おきてはそれを復唱して、それで現場では何一つうまくいかない。出来の悪いコントみたいだ。
気を使っても使っても、全然気が利かない。
気を遣うのと気が利くのは別の意味なんだって、大人になって身をもって理解した。
気が利かない人間なんて、そりゃ嫌われるよな。書き出して振り返ってみれば、すごく当たり前のことだった。
耳から入った情報が覚えられなくて、状況判断が下手で、危険察知もできない人間が、まともに実験なんてできるわけもなく。
精度はボロボロ。
それでまあ、今回は人間関係とはかかわりない理由で退職することになった。
昔から「おまえは規格外だ」「なんで普通にできないのか」と何度も何度も怒られてきた事の延長線みたいな感じ。
実験助手の仕事をしていて、自分がアスペルガー症候群でADHDだろうというのは確信に近かったから、障害の話も説明したかったけど
全く聞いてもらえなかった。
すぐにでも仕事を見つけてこいと突っぱねられて、
でも自分がもうどうしようもなく仕事ができない事は理解してるから途方に暮れて、
それで逃げ込むように掛かり付けの精神科に行った。
母親は結局だれから間接的に私のことを説明されたのだろう。わからない。
ただ「障害年金がもらえるんなら良いじゃない」とだけ言われた。
診断結果がでるまでは、とても再就職する気になれなかったが、
自分の持ってる技能を活かせそうな会社の中途採用にも申し込んでみた。
たぶん、また「自分が見えてなかった」んだと思う。
急に殴られた。
殴りながら「おまえなんか、そのうち誰かに殺される」と言われた。
そんなの知ってる。わかってる。
きっとそのうち、一番好きだった人に殺されるんだろう。
「だったら、生まれたその日に殺せば良かったのに」
と、殴り返した。
本当に、なんで、自分なんかを生まれさせたのか。
目がついていても見えない、耳があっても聞こえない、口があっても喋れない。
こんな使えないものなら、はじめから持たずに生まれてきた方がどれだけ幸せだったか。
きっと自分は上から生皮をかぶってはいても、本当の姿は大昔の特撮ヒーローに出てきた、いびつで醜悪な機械人間みたいなものなんだろう。
片目だけギョロギョロとでかいレンズがついて、開閉することのないジャバラの口、耳の代わりに電線の出来損ないみたいなモンがくっついてる。
それに人間のどろどろとした黒い髪が生えてるんだ。
可愛げなんてない。ただただ気味が悪いだけの化物。
そんな化けもんでも、人の役に立てるもんなら立って見たいと、思ったのがそもそも間違いだったんだろう。
やっぱり、まともな会社は化物になんて興味を持たない。
違法コピーや密輸やパワハラで溢れかえったような会社しか、気味の悪いおばけを拾っちゃくれない。
きっと死んだら化物として墓も用意してはもらえないんだろうけど、それでも生きてるかぎりは人間たちのヒーローでいられる。
いい歳をしてみっともないんだけれど、今でも仮面ライダーになりたいと思っている。
虫なんて大嫌いなのにな。
きっと本当に変身できたら、自分の顔の気持ち悪さで死にたくなるだろう。
それでも、きっと、今の自分の顔を見るよりはずっとずっといい。
仮面ライダーのことを思いながら死んだら、生まれかわれないもんだろうか。
生まれ変われるならば仮面ライダーになりたい。
人以外が作り出す価値はたくさんあるんだ。
だからそういうモノを持っている企業は人なんて最低限しかいらない。
し、内心、社員に対しての重要度が低い。だって利益の源泉の方が重要だもん。
それから、そもそも正社員とか派遣とかそういう切り分け自体が無意味。
大体、普通の経営者の感覚だと、粗利の3分の1は本人に渡してもいい。
1500万円粗利を創り出す力がある人には、500万円くらい渡してもいい。
だから、利益をバシバシ作る人は、当然居て欲しいし、採用したいわけだ。
ただ、それが出来ないヤツは、それこそ即刻いらない。
企業は資本主義のルールで勝負してるのに、労働者はココが社会主義だと思ってる。
(正確にいうと資本主義も社会主義も理解せず、エゴを主張してるだけなんだけど。)
社会主義的発想は国のシステムでも、それから教育機関でも後押しされてるから、
極めて歪んでるんだ。
でも、今の処これ以上ベターなシステムは無いんだ。企業も生き残るの必死。わかって。
勝ち組と負け組が常にいて、国の再分配システムが負け組をサポートするってのが、
有るべき姿なんだけど、国家システムがまだそこに追いついてなくて、資本主義と
社会主義が混在してるんだよ日本は。だから、その歪を、企業も労働者も担ってるんだ。
でもね、皆で不幸になる必要はないよ。
日本は社会主義教育が重度だから、社員になるのが普通だと思いこまされるけど、
それこそ、その辺の発展途上国にいけば、仕事がないから自分でレストラン始めました。
ビジネスってのはね、人の役にたって、その対価を受け取る事だ。
肩もみでもいいし、パンを焼いてもいいだろう。人の役に立って金を受け取るんだ。
でね、そのうち上手くいき出したら人を雇ってみればいい。
そうやって世界はまわってるんだ。
そうなんだ……。
しかしこの人って、どの程度パーソナルな情報を出しているんだろ?
この人の場合、やっぱりいち消費者としてのカテゴリに属してるから、自分を切り売りして出せる情報って断片的な気がするんだよね。
ネット歴が古いんであれば古いなりに、限定的なチャンネルに絞った上で素を晒してるんだろうなって思う。
イケハヤ氏の場合は、よそ行きの姿をちゃんと装ってます、というスタイルで晒してる。
海燕氏の場合は、よそ行きじゃない素をお仲間だけに晒しますよってことで、これをどうこう叩いたり他人に語ると格好悪いことになってしまう。
そういう違いがあるのかなと思ったよ。
この記事に対する反論を書いてみる。
この記事が、「日本人は挨拶ができない」という根拠にするのが、日経新聞の記事のこの記述。
ところが、挨拶と笑顔を出し惜しみする人は多いのです。仕事柄、飛行機の国際便を利用することが多いのですが、朝の便だと乗員が気持ちよく「おはようございます」と迎えてくれます。この時、挨拶を返す日本人は少ないのです。
この記述を根拠に、「日本人は挨拶ができない」、したがって「挨拶ができないイケダハヤト氏は日本人的である」と結論付ける。
しかし、前出の例が示すのは、「日本人は自分より目下の相手には挨拶しない」ということだけである。そして、それは「目下の相手には自分に対する挨拶を求める」ということの裏返しでもある。
この飛行機の例の場合、乗員が挨拶しなかったらクレームの嵐だろう。
前に書いた記事(http://anond.hatelabo.jp/20130415083313)の反論でも、「店員が挨拶しなかったら店が潰れる」という類のものが多かった。
しかし、「店員が挨拶をする/しない」の話はするのに、「自分が店員に挨拶するかどうか」の話はしないのはなぜだろうか。
それは自分が店員に挨拶する必要を感じていないからである。それは店員が自分より目下の存在だからだ。
日本において挨拶をする、されるというのはこういう上下関係の確認、という側面がある。
これは、「店員は挨拶をするが、客は挨拶をしない」場合と「客は挨拶をするが、店員は挨拶をしない」場合を考えてみたとき、後者に非難が集中することからも明らかである。
挨拶が本当に「対等なコミュニケーションの第一歩」であるなら、このような非対称性が存在するのは、奇妙なことだ。(後者の場合なんてありえん、と言っている人は日本から出たことがないんだと思う)
同じように「社員が挨拶するのに、社長は挨拶しない」状況は責められないのに、「社長が挨拶するのに、社員は挨拶しない」は「社会人として非常識」と非難される。
日本人が「自分が挨拶するかどうか」よりも、「自分が挨拶されるかどうか」に対して敏感なのは、それが、「相手が自分を上に見ているか、下に見ているか」という点を顕にすると考えるからである。とりわけ「対等だと思っていた相手に挨拶したのに、相手は挨拶をしなかった」という場合に、自らの社会的ポジションを揺るがす危機的状況をもたらし、多くの人はパニックに陥るのである。
したがって「挨拶の強要は上から目線である」というテーゼは正しい。
「挨拶もできないなんて」という物言いに自分が引っかかりを感じた理由もこれだったんだと思う。対談の場で、ある種の一部の観衆がイケダハヤトにたいして、最後の礼を期待したとき、それはコミュニケーションの入り口うんぬんの話ではなく、「ちゃんと俺たちが目上であることを、態度で示せ」という事だったんだと思う。そしてそういうある種の観客(いわゆる「おぢさん」©メイロマ的ななにか)の態度に対して、自分は違和感を感じた。
その問題と、チャリティ対談を見に来てくれた人に対して、感謝の意を表明しない、ということは、もちろん全く別の問題であるし、その場合彼の評価が著しく低下することも自明だが、ただ、それも彼の選択なのでほっとくべき、ということも言いたかった。
「俺に挨拶をしろ」っていう空気はやっぱりどこか異常だと思う。
もちろん日本の文化は複雑な敬語システムなどに見られるように、その社会的なコミュニケーションの基盤をつねに「上下関係」においてきた。「上下関係」でない人間関係などほとんど存在しないかもしれない。その中で生きのびようとするなら、上下関係を意識して行動することは重要だ。でもそれは、きわめて「日本的」なんだよという視点も、常に必要だと思う。(まあ、「儒教的」と言ってもいいけど)
おわり。
「w」や「kwsk」はチャットで素早く文字入力するための省略表現なんだから、ニコ動でよく使われるのは当然と言えば当然。
それはともかく今は草不可避だろ。
ん?
いや俺煽ってるほうじゃねーからそんなテンション高くこないでくれ。
受け止められない。
ざっと見たとこ
A「〇〇〇」
B「////」
ってだけでしょ?
こっから延々ムキになって頑張ってる。
そうじゃなくて
でふつーに話続けられるんじゃね?
そこまで恥ずかしい間違いには見えないんだが。(相手に煽られてるのかしらんけど)
そんなこと人に聞かなきゃわかんないとかバカかてめーは。
いやいや。ちがうよ。そもそも問題の無い会社なんてない。
そもそも高次元の産業の中でも最先端のネットやソシャゲ業界なんて、
価値の遷移が世界で一番早い。今は信じられないだろうがmixiが最強だった
時代があったんだよ。地球上No.1のバリューを付けたAppleは、既にヤバいと
ささやかれている。
あとは上場がらみだから、基本的に投資家ダマして、おいしい思いしたんだよ。
ドリコムみたいなもんさ。
良いよね、こういう手にすっぽり収まるのカワイイし、あれ?もう...みたいなことしながら……。ちくしょう、最高じゃないか。
まあもちろん、好みはあるので、大きいのも体験すると良い。埋もれると良い。
これは間違いない。同じ女の子でも明日のおっぱいは今日のおっぱいとは、ちょっと違ったりする。一期一会だ。
柔らかさも全然違って若い子に多いハリがあるのも、あれはあれでたまらないし、この世のものとは思えない柔らかくて揉んでいるというよりは、手に吸い付いてもう、ああたまりません!みたいなのもやっぱり、良い。
その辺はこれからわかると思う。いや、わかって欲しい。出会って欲しい。乳繰り合って欲しい。
性的快感ということで言えば、確かにずっと揉んでて自分が射精してしまうことは、なかなかないだろう。そういう強者もいないとは限らないが。
だが、しかし、男なら夢があるだろう。
それが、おっぱい。