はてなキーワード: 擬似科学とは
「農作物にクラシック音楽を聴かせると発育が良くなる」というのは有名な擬似科学の一つだが、ついにSEO分野にも擬似科学が進出した事例に遭遇してしまったので皆さんと共有しておきたい。
実際にはうちの隣の部署に来た営業さんだったので自分は直接話していないんだけどもパーティション越しに衝撃的な会話が聞こえてきた。
SEO業者:HTMLに語りかけてください 君はもっと評価されるべき存在だと そうすればGoogle検索順位も上昇します
会社の人B:語りかけるって…どうやって?
SEO業者:最も有効なのはモニタに話しかけることです HTMLソースに『頑張れ!もっとやれる!』と書いても効果があります
SEO業者:そうですね、普通の人にはまだHTMLと会話することは難しいでしょう そこで私たちのノウハウが生きるわけです 料金はプランAが月額…
ここで残念ながら電話がかかってきたのでそれ以降は何を話してるのか聞き取れなかった。
今度隣の部署の人たちと飲む機会があれば突っ込んだ話を聞いてみようと思う。
そのうち「プログラムに話しかけると処理速度が向上」とか「CPUに落ち着きなさいと諭すと発熱が収まる」とか「HDDを鼓舞すると回転数が上がってI/O待ちが減る」とか、そんな事を言い出す業者が現れるかもしれない。擬似科学恐るべし。
疑似科学を衰退させなきゃ」という思いが根強い。
しかし、「科学リテラシーが低くても、社会生活上支障ないじゃん?」という
投稿がはてなブックマークを集めている。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090921/1253543117
>世間一般の科学知識って、実は絶望的にレベルが低いんじゃないか、とは、私も過去何度か感じたことがあり。
>でも、逆に考えると、その程度の知識しかなくても、多くの人は幸せに人生を送ることができてるわけですよね?
>それも、そういう人がとりたてて低学歴で社会的地位が低いとかそういうことではなくて。
>……ウチの奥さんだって、明らかに科学リテラシーは私より低いけど、社会人としての適性は私より高いし。
そうそう、ウチの妻も科学リテラシーめちゃ低いケド、世渡りは小生より「上手」だ。
これをもっと直球で言えば、
「理系人間(科学リテラシーを有している人間)は、確かに論理的思考力や知識には
秀でているが、うまいこと世渡りをする術、以前の流行語で言えば「EQ」が低い」
と言えないか?
例えば、科学リテラシーが高い人は、血液型占いについて、基本的に否定的である。
しかし、例えば職場での茶飲み話で、血液型占いの話題になったときに、
真顔で「あれって科学的根拠ないんですよ、皆さん騙されていませんか?」と
言ってしまうと、「場の雰囲気」がぶち壊しになる。
一方で、科学的リテラシーが低い人は、場の雰囲気を壊すことがなく、
会話も弾み人脈も維持する。
どちらがEQが高いか、は明白である。
あるいは女性とのデートの際に、ついつい理系的な受け答えをしてしまうと、
「場の雰囲気を壊してしまい」、女性に逃げられてしまう。
異性獲得という側面においては、なまじ科学リテラシーが高いと
「足を引っ張ってしまう」面がある。
(勿論、「理系的な頭のいい人がいい」という女性もいるだろうから、
科学リテラシーが100%ダメ、ということはないのかもしれないが)
まあ、一番「賢い」のは、
TPOをわきまえて、科学リテラシーを『封印』する」理系人なんだろうが、
その『封印』のタイミングが難しい。
小生も「TPOを察知して封印」という「大人の態度」を取れるのだが、
ビミョーに疑似科学だと、うっかり『封印』し忘れることがある。
以前、職場の話題で「フロッピーディスクはドクター中松が発明したんだってね」
という話題になったときに、「いやいやあれはドクター中松じゃないんですよ」と
うっかり言ってしまって、「場が白けた」という失敗を個人的に経験している。
この場合、変にドクター中松やフロッピーディスクについて「予備知識」を
持たなかった方が、「EQ的には高い」のである。
今さっきググったら、東大の駒場の学生向けに、生命科学の入門的教科書が出版されていることに気がついた。
東京大学より初の文系向けテキストが登場!「食」「健康」などの身近な話題から「生命倫理」まで,社会的関心の高いテーマを軸に生命科学の基本を解説.一般教養を身に付けるために最適!日本図書館協会選定図書.
東京大学発の必修教科書第2弾!今回も強力な執筆陣が,分子から細胞,個体,種への連なる生命現象の全体像を基礎から解説.理・医・農・薬・歯学部など生物系を専攻するなら,必ず読んでおきたい一冊!
教授から、上記のような生命科学の教科書をつくる動きがあると聞いたときに、開口一番
「是非、科学史の人たちに作ってもらってください」
と言ったことを思い出した。
本自体は総合文化研究科の生命系の人たちがオムニバス形式で作成したようだ。
擬似科学やニセ科学、進化論論争といった話が盛り上がるのを聞くたびに、
科学史が決定的に足りていないよな、と思う。
理由は、「あまりに科学が進みすぎた」こと。
「」付きにしたのは、「普通に生きている人が共通常識として共有するには進みすぎた」程度の意味。
もちろん、「普通の人」だけではなくて、医師国家試験でも、そういった進歩の弊害は指摘されているようだ。
現代において正しいとされている科学的知識を得たところで、
多くの人は空中分解しちゃうんじゃないかな。
だからヒストリーとしての科学が必要だろうと思う。(ヒストリーと書いたのは「ゲシヒテではなくて」程度の意味)
もちろん学問としての科学史が科学者研究的な面や公共政策学的な面があるのは、
(デカルト研究とか、ダム建設の科学的根拠を住民がどのように受け入れたかとか、そういうテーマ)
寡聞ながらも承知しているのだけど、
「大きな科学の物語」が必要なんじゃないのか、と思うのですよ。
今の教授たちが学生だった頃に比べると、修士といえども桁違いの知識が要求されるわけでしょ?
しかも、ネットを使って、そういった知識に簡単にアクセスできるから、
「知りませんでした」とは言えない。
Analysis Paralysis になっている大学院生も多いんじゃないかな。
Analysis Paralysis なのは、大学院生だけではなくて、
普通の人も同じでしょう。
普通の人にとって「科学的であるためのコストが大きすぎること」が問題の本質なのではないですか。
今更、科学の量は減るわけではないので、
触媒が化学反応に必要とされる活性化エネルギーを下げるように、
工学出身の東大現総長の小宮山先生が、「知の構造化」を掲げている。
確かに、マインドマップ的な構造化・可視化も、科学理解の手助けになると思うけど、
物語が一番理解しやすいと思うんだよなあ。
アタシ
黒曜石
割るとガラスみたいに尖りやすい
昔から
ナイフに使われてた
みたいな
だからさ
ねぇ
磨いてよ
投稿ミスったら変な事になった(汗
http://anond.hatelabo.jp/20090121235603
に対して。
疑似科学批判者が二言目には「疑似科学擁護者や疑似科学批判批判者はおそらく無知」というのはどうなんだろうね。確かに確率的にはその方が多数だろうから、そう思うのも無理はない(実は俺も内心そう思ってるし)。しかしそれを公然とおおっぴらに認めてしまったら、「こいつらとは話し合う価値もない」で終わってしまうわけで、それならその通りなにも話す必要はない。
そもそもニセ科学批判批判者がニセ科学批判を批判しなければ話し合いが発生する余地は無い。
なぜならニセ科学批判の目的はニセ科学批判であってニセ科学批判批判への応答では無いから。
1.ニセ科学を批判したら
2.擁護or批判批判をして来たので
3.話し合ってみたら
5.話を終える
最終的に無知と判断されるニセ科学擁護者やニセ科学批判批判者と、ニセ科学批判者とのやりとりって大体こんな順番。
で、tittonさんが言ってるのは『4、5をやるならなら、そもそも3をやるなよ』って事なんだが、3をやってみないと相手が無知かどうか何て判断出来る訳が無い。
今までの経験から2をやる人間は大体無知である可能性が高いよなあという話はすれども、2の段階で相手を切り捨てるニセ科学批判者は今後も出てこないだろう。
何故ならそれは科学者の態度ではないから。
疑似科学批判はある意味「馬鹿を相手にする作業」だ(学校の教師とか新米社員を指導する上司とかも同じ)。逆に言えばそれに耐えきれず「こんな馬鹿とはまともに話したくない」とサジを投げてしまうような人には疑似科学批判は向かないと思うよ。
ここで突然に疑似科学批判者が相手にしている物が『疑似科学擁護者・擬似科学批判批判者』から『疑似科学』と入れ替わった話になっているのは何故だろうか。
また「科学を根拠に水伝をダメだとは批判していない」については、「適切な根拠を用意できていないまま批判している」から問題だと言っている。
『馬鹿は騙されるぐらいが良い』って詐欺を容認するような事を言ってのける人間が判断する『適切』は、一体誰が許容する『適切』なんだろうか。
疑似科学批判のパターンはだいたい次のようなものが多い。○○が批判される立場の疑似科学だとすると、
1)○○の科学的な誤りを列挙。それゆえ○○は科学的に誤っていると結論。
2)にもかかわらず○○は科学と自称していると主張。
2)で『にもかかわらず』を使いたいならば、1)に『○○は科学を自称していない』が必須。日本語と論理的に言って。
つまりは日本語が破綻しているか、論理が破綻しているかのどちらか。すなわち『駄目』って事。
疑似科学批判の中にはほとんど言いがかりやこじつけのような安易なものが少なくない。これはいわば魔女裁判と同じで「魔女だ!」と言われてしまえば、疑似科学側から反証することは難しい。またそのような「暴走」に疑似科学批判者側が自主的に歯止めをもうけようという動きもない。
破綻した物を前提に話を進めているので、それだけでも意味が無い話だと結論できる部分。
ついでに現実に存在する疑似科学批判は『実証されていないものを実証されたと強弁している物』を対象にしている物ばかり(水伝とかゲーム脳とか血液型性格判断とか)なので、
というのは事実に反する言いがかりやこじつけに類する物だと言える。
破綻に言いがかりを重ねた上で発せられる『暴走の懸念』は、徴候さえ存在しない事実も踏まえれば、ほとんど考慮に値しない。
3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。
法的にも犯罪だという判断が行われてるが、犯罪は社会から排除されるべきではないとでも?
現実に被害者が出ているというのに『一方的な判断』とは、無知もここに極まれり。
かつて科学が神を冒涜する気などないのに神への冒涜だと一方的に断罪されたことの裏返し。どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのか。
実証されていないものを実証されたとするニセ科学は、その意図が有ろうと無かろうと科学を否定するものだ。
かつて、神の存在を確かめようとしていたのに神への冒涜だとされた科学とは明確に違う。
それについて疑似科学批判側は説得力のある説明を用意していない。そういう点が問題であり、疑似科学批判側が何らかの自浄作用を見せないと、疑似科学批判そのものが世間から信頼を失うだろう、と警鐘を鳴らしている。
色々な場所で、幾度も、ニセ科学批判の批判対象に『将来科学になり得る物は入らない』と説明されている。
これに説得力を認めないのは『科学が何を対象としているかを理解できない人間』の個人的資質に帰結する問題だ。
警鐘を鳴らすのは勝手だが、それが考慮に値する者として受け入れられないのは、疑似科学批判批判の場合は往々にして警鐘を鳴らされた側の問題ではない。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4ad1.html
から始まった
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119
あたりでのもめ事に横から口出し。
・横やりとしてコメント欄に書くには長すぎる
・かといってこのためだけにブログを立ち上げる気力は無い
からで、特に意味はないです。
で、結論としては、そろいもそろって「トンデモが言うことはトンデモだからちゃんと聞く必要は無い」という考え方に取り憑かれている様で。
NATROMさんとかもっと理性的に相手の言うことを聞けると思ってたんだけど。
tittonさんは結構まともなこと言ってるのに相手がそんな状況だから理解されずに孤立無援になっちゃってるという。
以下、各論。
tittonさんが言ってるのは、『水伝批判に疑似科学批判メソッドを用いても無意味』ってことだと私は読み取りました。
tittonさんがはじめに水伝に言及したのは
これって水伝批判の構図と同じだよね。水伝自身は「これは科学ではない」とはっきり言ってるのに、「いや、科学と言っている。科学でないものを科学というのはけしからん」と批判しているわけだ。
これじゃ魔女裁判と同じで、いったん嫌疑をかけられた側は反論しようがないじゃん。こういう浅はかな人たちが疑似科学批判ブームのって、社会正義に酔いしれている事の方がよほど危険。
この文をTAKESANさんが変に読んで
って言い出した。これはTAKESANさんの読解ミス。
まあ、tittonさんもそのミスを指摘せずに
だから水伝は(少なくとも最近の水伝は)科学を自称していない。科学でないと明言さえしている。科学を自称していないものを疑似科学と呼ぶなら宗教だって疑似科学になってしまう。疑似科学も宗教も人心を惑わすという似たような面を持っているが、同じ方法では対抗できない。科学は科学でないものを批判できない。(有害な)思想は思想として批判すべきこと。
って返事しちゃったから、疑似科学批判側が誤解したのも無理はない。
でも、この文にしても、へんなフィルターがかかってなきゃ、
水伝は科学を自称してない→だから水伝批判に疑似科学批判メソッドを使っても意味はない
とも読み取れるはず。まあ、正直伝わりづらい書き方だとは思うけど。
で、この読解ミスと返事から議論が始まってるから、そもそも噛み合うはずがない。
ということは「科学を使って」言える。
しかし、
ということは「科学を使って」言うことはできない。
昨今の疑似科学批判者は科学の名を騙って思想を批判することが多い。それは科学を科学以外の目的に使っているわけで、疑似科学論者がやっていることと同じ。科学が批判できるのは提示された事柄が科学として見た場合妥当か否かだけであり、思想までは判断できない。
また「科学を装っている」という人もいるが、装っているかどうかは多分に主観的なものであり、文章をどう解釈するかとか社会通念に照らしてどうか等は科学が扱う問題ではない。もちろん科学とは別個に、有害思想や詐欺行為として批判するならそれは自由だ。しかしそれを科学の名の下に行うのは科学を逸脱した行為。
で言ってるのは多分そういうこと。
疑似科学批判は『水伝の実験はダメダメなんだぜ』までで留めるべきで、『だから水伝の思想はダメダメなんだぜ』までは、「科学を使って」言うべきではない。
これは至極真っ当な主張だと思うんだけど、疑似科学批判批判っていうレッテル貼っちゃうとちゃんと読み取れないんだろうなぁ。
水伝の思想が正しいとも間違っているとも言っていないことにも注意。
titton 俺はあなたのサイトの愛読者なのだがね。聖杯とかを騙ったグッズを売っている会社があればキリスト教信者も疑似科学信者になるの?会社が疑似科学なだけだろうに。rev-9人はそういう安易さに逃げたくなるものだw
がtittonさんの考え方の説明になってるっていうのはその通りだと思うけどなあ。この辺もみんなちゃんと読む気がないんだろうなあ。
sunagimo2 バチカン(江本)が聖杯工業(株)を設立して、そこのサイトに「主と聖杯を科学する」と書いていて、なおかつ信者がこぞって聖杯グッズ(なんか適当な科学っぽい説明つきの)を買い求めればそうなる
そうなりますかね?
聖杯工業が疑似科学になるのはtittonさんも同意してますよ。(だからNATROMさんの『tittonさんがどうお考えになるかは自由ですが、だいたい読者のみなさま方は納得されたようです。tittonさん以外で、どなたか「バチカンが聖杯を科学的だと自称して売り始めたら疑似科学とみなされる」点について疑問の方はいらっしゃいますか?』は的はずれ)
聖杯グッズの科学的な効用を信じて買った人は疑似科学信者になるでしょう。
しかし、科学的な効用とは関係なく「信仰心から」聖杯グッズを買った人も居れば、聖杯グッズに関係なくキリスト教を信仰してる人も居るわけで、そういう人たちに『聖杯グッズの科学的効用の批判をしても信者には効果無い』っていう事は容易に想像出来るじゃないですか。
つまり、
の三種類の人が居る状況で、aにしか通用しない『水伝の実験は科学的じゃない』っていう主張に意味は有るのか?ってことですよ。(ましてやその主張が再三されてaはほぼ絶滅してる状況で)
tittonさんの疑似科学批判批判の根本はここかなあ。bやcに対して、したり顔で「水伝の実験は科学的じゃないんだぜぇ」って言ってどうすんの?ってことかな。
(個人的には社会全体に対して発信する事は意味があると思うけど)
で、TAKESANさんに↑みたいなヤツだなあって言ったのが今回の根本かな。
でも、少なくとも今回に関してはTAKESANさんが悪いのは確定的に明らか。
そもそも「確定的に明らか」でググれば「巨乳と貧乳では巨乳の方が優れているのは確定的に明らか」が三番目に出てくるんだから、どういう使い方をされるかくらいは想像できるはず。
それに対して
っていう言い方をして(しかも他人のページに対するブクマコメに対して)「バカにした」んだから、召還したtittonさんに煽られてもTAKESANさんはしょうがない。
で、私の個人的まとめとしては、
・「疑似科学ではない」と「疑似科学批判メソッドで批判しても意味はない」を混同している。疑似科学批判側もしてるし、tittonさん自身も多分混同してる。
・tittonさんは孤立無援になるほどトンデモさんじゃない。
・NATROMさんやTAKESANさんはフィルターを介さずtittonさんの文を読むべき。
てとこでしょうか。みんなもっとちゃんと読もうね!
当然ですけど、tittonさんの考え方を私はこう読み取ったっていうだけの話なので、ご本人の考え方とは違う可能性があります。
で、tittonさんの考え方に対して個人的に異論はあるけど、その辺はNATROMさんたちがやってるんで、今回は遠慮します。
実際にそうなのかは知らないけど、もしそういう批判があるとするなら、
現実から乖離した難解なだけの言葉遊びに終始してる研究者とか、
サブカルチャーについてクソの役にも立たない自分の主観を嬉々として語るオタクとか、
偏った政治的信条を合理化するための擬似科学を展開する人とか、
そういう人らを十把ひとからげにして批判されてるんじゃね?
カルチュラルスタディーズの人の中でも、
きちんと文化人類学とか社会学とか心理学とか経済学とかのバックグランドがあって、無駄に難解な言葉も使わず、
統計やエスノグラフィで現実の世界の仕組みを明らかにしようとしてる人たちも当然いるわけだから、
そういう人たちに対しては当てはまらない批判だけどね。
諸君 私はサイエンスが 好きだ
諸君 私はサイエンスが 大好きだ
帰納法が好きだ 演繹法が好きだ 思考実験が好きだ 実証実験が好きだ
代数学が好きだ 関数解析学が好きだ 集合論が好きだ 統計学が好きだ 情報理論が好きだ
Unixで Linuxで MatLabで Mathematicaで C++で Javaで 紙と鉛筆で 口頭で
全てのプラットフォームで行われる ありとあらゆる論証行為が 大好きだ
数列をならべた 並行スレッドの一斉実行が ファン音と共に他のプロセスを reniceるのが好きだ
ふと思いついて計算してみたモデルが 想定していた通りの結果をはじき出した時など 心がおどる
Athlonの64bit(フィア・ウンド・ゼヒツィヒ)でフェドラ7を使うのが好きだ
某M木先生さー、何でもかんでも「脳科学で説明出来ます」って擬似科学入ってるよねー、と言われた時は 我が意を得た様な気持ちだった
ラグランジュの未定乗数で ハミルトンの原理の拘束が表現されるのを知るのは 楽しい
リゾラッティの ミラーニューロンに関する基調講演を聞いた時など 感動すら覚えた
還元主義のfMRI万能論者達の発表が 質問攻めと共に叩きのめされる様などはもう たまらない
居並ぶフックス型微分方程式が 私の押したEnterキーとともに
金切り声を上げるCPUに あっという間に計算されるのも最高だ
哀れなM$オフィスユーザー達が 雑な数式エディタで 健気にもフィッツヒュー・南雲モデルの方程式を書こうとしている時に
PCがフリーズして ドキュメントが過去5時間分のテキストごと木端微塵にされるのを見ると TeX使いは ちょっと優越感を覚える
露助の教授に「あなたの理論は間違ってる事が(ロシアで)20年以上前に証明されていてねぇ」と指摘されるのが好きだ(ラボ内だったからな)
必死に守るはずだった仮説が反証され 実験の不備が指摘され 論文がリジェクトされるのは とてもとても 悲しいものだ
米国の物量(研究資金的な意味で)にものを言わせた研究所に 自分と同じ研究内容を先にPLoSに発表されるのだけは 勘弁だ
締切り(近々だと1月に1こ)に追いかけられ 太平洋標準時だからこっちの朝4時まで大丈夫!と徹夜するのは 体力的にそろそろ無理だ
君達は 一体 何を 望んでいる?
情け容赦のない 鬼の様なピアレビューを 望むか?
並列処理の限りを尽くし 三千世界のCPUを焼き尽くす 嵐の様なシミュレーションを 望むか?
「D論(クリーク)!! D論(カフェイン)!! D論(メンタルヘルス)!!」
よろしい
我々は満身の 力をこめて 今まさに スライドを指し示さんとする レーザーポインタだ
だが この暗い研究室の中で 3年もの間 堪え続けて来た 我々に
大論争を!!
一心不乱の大論争を!!
。。。。えー、
「男が出来る気がしない」と、 http://anond.hatelabo.jp/20081127063438 を書いた増田ですが、
どーせ釣りだろと言われた/予想以上にHELLSINGに反応してくれた人がいた/NIPSに持ってかなきゃ行けないスライドがいつまでたっても終わんない/ので、ついカッとなってやった。反省はしている。
色々白熱して盛り上がってるみたいだけど。
このエントリ主と、それを批判する人、両者の差って実はすげーシンプルだよね。
「擬似科学を妄信的に信じてる人に、嫌悪感があるか無いか」だよね。
嫌悪感が無い人は、
「信じるのは人の勝手じゃん、別に説得するのはいいけど頭ごなしに否定すんなよ」となるし、
嫌悪感がある人は
「こいつらは悪い宗教にハマっているんだ、
厳しい言葉をかけてでも早く現世に引き戻してやらないと!」となる。
結局、宗教論議と同じ。
「宗教にハマってる人を、説教して無神論者にするのが是か非か?」って話と同じで、
そんなの議論したってどうしようもない。
とりあえず、おまえら落ち着け。
元の増田は「わかりやすい(≠正しい)論理に騙される人が多い」ということを言ってるんだと思うんだけど。
動かない石云々に納得しちゃう人=擬似科学に騙される人、でしょ。