はてなキーワード: 勝ち組・負け組とは
このエヴァ騒動によって一時、オタクは「萌え」と「サブカル」に大分裂した。「萌え」系オタクは、エヴァでいえば綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーなどの萌えキャラにハァハァしていた純粋オタクの系統であり、「サブカル」系は、オタクよりも恋愛資本主義の側に擦り寄ってオサレ系を目指した連中だ。
だが、あれから数年、どうなっただろうか?
そう、サブカルは市場として成立せず、萌え市場だけが拡大したのだ。サブカルは短期間で事実上滅び、講談社のノベル雑誌『ファウスト』のような「半萌え・半サブカル」形態によってかろうじて命脈を保っているばかりとなった。
これは当然の帰結といえる。
オタク文化そのものが「二次元>>>>>>>>>>三次元」という前提によって威力を持てる妄想の文化である以上、サブカルが「三次元>>>>>>>>>>二次元」とやらかしたら、オタクの大勢がサブカルから離脱するのは時間の問題だった。
この「サブカル」ってのを「一部の批評系」にしたらしっくり来る。
萌えオタ罵倒してフニャフニャ主義だとか言ってた本人が、いざ容姿を出すと初音ミクの痛車よりも映像映えしないリア充ならぬリアル三十(さんじゅう)だったり、映像だと(字幕の向こうの群衆におびえて)大人しくなりキャラ崩壊してたりとゼロ年代批評はいろいろありました。
『電波男』は要するに「萌えには階級格差を無化する力があるんだ!」という本です。現在は『はがない』『IS』『けいおん!』など、良かれ悪しかれそうした表現が主流になりつつある。いかにも小泉構造改革以後の空気感みたいなのと関連付けやすい『カイジ』や『ウシジマ君』は有名になったけれど、なぜ彼らはアイドル(=偶像)になれなかったのだろう。
代わりにネットオタクの偶像となったのは『初音ミク』や『アイドルマスター』や『ラブプラス』それに『けいおん!』だった。
そして社会に出て自らの文化的アイデンティティを主張できたのは、『スクールカースト』ではなく痛車と聖地とローソンだった。そこにある想いは「余暇の時間まで勝ち組・負け組を意識させられ自己啓発されるのはキツい」というあたりまえのものだろう。
それすら許せん、となにかと理由をつけて萌えオタ罵倒してた件の人物は映像に出たらしょぼしょぼで(以下略。
映像やまとめサイトが「差異化ゲーム厨」への抑止力になるならば、少なくとも差異化ゲーム厨が野放しな環境よりは良いと思う。まあともかく萌えからフニャフニャ主義への流れなんてなくて、フニャフニャ主義こそむしろサブジャンルに過ぎないっつうか、萌えだけで刺激が足りない時に触れる程度。
ようするにゼロ年代は「差異化ゲームの思想」ではなく「無関連化する思想」が勝利した。2005年の段階でこのことを説明し得た『電波男』は、フニャフニャ主義本よりもよっぽどゼロ年代の「正史」を正しく語っている。
小泉政権以後、このはてなダイアリーでも勝ち組・負け組、格差論、努力論がわいわいと議論されてきた。
議論の出始めの頃は、抽象的な概念を戦わせてた覚えがあるけど、
2008年以降は非常に具体的な例となって世の中に顕れてきた。
負け組の代表的な例は、秋葉原通り魔事件の加藤くんで、自動車製造業での派遣を転々として
つなぎを隠されて、世の中に絶望して、白昼日曜の秋葉原でサバイバルナイフを使って通り魔殺人をするという
なんとも酷い事件だった。
ほかにも正月に派遣村に大量の失業者があふれるなんて事態もあった。
勝ち組の例は、先日の衆院選で世襲を武器にして対抗馬の東大卒の弁護士に勝った小泉進次郎や
押尾学事件の延長上に浮かび上がってきた六本木ヒルズでアイドルやモデルと豪遊する森元首相の息子が
あげられる。
こういう現実の例を前にしてみると、「ちょっとこれはないんじゃない?」と感じる。
いい加減に「正社員」を雇用形態や人生のキャリアプランの最上位にあるという前提で語るのはよさないか。
そもそも「既婚、正社員」組と「独身、非正規雇用」組が勝ち組・負け組みに分かれているように見えているのも本人の思い込みのような気が。
多分、独身者は良い意味でも悪い意味でも独善的で、そういう人間は家庭を持つことをうざがるし、さらに会社に帰属意識を持つこともうざがることがあっても不思議じゃない。
「なんとなく家庭を持って結局独りよがりに生きて、かつての父の様に嫁や子供を不幸にするぐらいなら最初から結婚しない」という人間は居る。
てなことをこの間従姉妹が話していた。
20代後半にさしかかって来たので、そろそろ真面目な相手を探さなければとのこと。
今付き合っている相手は、外見が整っていて遊び相手としては十分だけど、性格面や
よくある話題だし、その時は気にも留めなかったのだけれど、はてなで恋愛関係の
ブクマ等を見たりすると何故かこの事が思い起こされ、その度に形容し難い気分の
悪さに襲われた。
「恋愛と結婚は別」とは、価値判断の基準を変えることだと思っていた。
外見偏重から、収入面偏重へ、性格面では刺激性重視から安定性重視へ
結婚を考えて評価されるものが置き換わることだと。
推測でしかないが、彼女が言っている「恋愛と結婚は別」というのは価値判断の基準を
変えず、行動だけを変える事だと思う。
自分は恋愛勝ち組、しかしながら同じ恋愛勝ち組の中での結婚条件を満たした相手との
結婚には到らなかったから、恋愛負け組で妥協してやらないこともないよ、と。
「婚活」とやらは、こういう事で上手くいかないのではないか。男女双方が「結婚市場」
で評価されるなら、男性側の収入や社会的地位に比して女性側にも相応の年齢や容姿
生々しい話だけど実際そうだろ?
しかし今「婚活」しているのは20代後半から30代半ばくらいの女性。若さを失いつつあり
収入も男性に比べれば平均的に低い。どうやったって相手に求めるリソースに見合うモノが少ない。
だから「恋愛市場」でそこそこ評価されてきた自分が「結婚市場」でそれなりに評価できる
貴方にアプローチする、という歪んだ構図にせざるを得ないのだ。
そりゃ男性側は引くよな。
生きていればそれで幸せ教は「はてな匿名ダイアリ」から発生した多神教である。
はてな匿名ダイアリでの下記の書き込みが直接の起源であるといわれている。
http://anond.hatelabo.jp/20081019202806
自分で「生きていればそれで幸せ教」を設立する勢いで行け。
この時期、多くの生きていればそれで幸せ教徒は、宗派に属したという意識をもたなかったとする学説が、現在の主流を占める。
21世紀初頭のアメリカから始まった金融危機以降、「生きていればそれで幸せ教」が「勝ち組・負け組み教」から独立して「生きていればそれで幸せ教」としての自覚を持つに至ったとされる。
好景気以下での「生きていればそれで幸せ教」は「勝ち組・負け組み教」「恋愛すぃーと教」と相容れず、また、過度な努力を拒んだため、社会の異分子としてしばしば注目された。
ニートだの、ワープアだの蔑まれ、信徒は何度かのいわゆる大迫害を経験した。
しかし、時の総理大臣、杉村太蔵により公認され、その後、日本の国教とされた。
生きていればそれで幸せ教の教義をもっとも簡潔に述べているのが信条である。以下に重要な信条をあげる。
・社会にも他人にも自分にも期待しない。
・恋愛はイケメン・美女という動物が行うもので人間が行ってはいけない。
・労働を行うことは、敗北である。
・我々は負け組みではなく、あらゆる欲望から解放された新人類である。
信者には、平信者と聖職者に分かれる。聖職者は、魔法使い、ニート、ホームレス、即身仏に分けられる。
魔法使いとは性欲から開放されたもので、30歳になるまで性行為を行わないことで昇格する。
ニート、ホームレスの区別は共に働かないことであるが、ホームレスは家からも自由になっているため、「生きていればそれで幸せ教」においては階級が高くなっている。
即身仏とは、瞑想状態のまま、断食をおこない、そのまま仏になったものである。食という概念から開放され仏となり、永遠の生命を取得するこの職種が最高位とされている。
一部、異教徒の手先であるマスゴミからは都会の孤独死だの、無職の男性が食事もとれずに餓死だのとネガティブな報道がなされているが、これは、自ら食を立ち永遠の命を手に入れるという荒行を冒涜するものである。
即物的なものから解放されない、未熟な信者のために以下の特典が用意されている。
・ニコニコ動画にて時報OFFが行える。