はてなキーワード: レミングスとは
デッドマウント・デスプレイに文字数取られて他の作品がほとんど収まらず抜いちゃった。
https://shonenjumpplus.com/episode/3270296674409499092
もう言い飽きたけど読みきり新人でも絵のレベルの高さがヤバいよね。むしろ読みきりだから描き込めるのか。ゆきりのこの面倒そうな髪の毛をずっと見れるのきもt幸せすぎだろ!
ラストはそっちか~!
読み癖で安易に予想する好きなオチは立ち位置は(路上シンガーに)戻ったけど心持が変わったビターエンドなんだけどすっきりこのラストになったのは明暗で言うと明のほうが強いこの漫画には合うんだろうね。ただソロデビュー大人気まではすこしやりすぎだと思った。
けど高嶋さんが本物を見つけるなら大成功しとかないといけないか?んーじゃあ差し引きでゆきりがあの曲にどハマりするほど心酔するのは少しトーンダウンしたほうが…?仮にも替え玉"やられた"立場だし、ツンぎみでデレ隠しで目をそらしつつなかなかよかったわよ…なら収支があう?でもみずきも"本物"でゆきりも"本物"で高嶋も"本物"なら安易に絶賛で正解なのかー。
ゆきりの最後の反応、ギター練習から歌わせて欲しいにちょっと不満が残るのは、ゆきりのアイドルとしての舞台裏での矜持はパフェシーンで描けたけど表舞台に立ってるときの矜持の描写が無かったからかな~。そこにトップアイドルとしてのプロフェッショナル性が出たはずなんだけど、それがなくて「引退して逃げた」~から無名なみずきの曲を歌わせて欲しい~だからちょっと芯が弱い、こだわりが少なそうな印象を受けた。かな。
あと「ううう100(千)曲作りますううう~」が最高に女性がにじみ出てて最の高。
一番好きなキャラは高嶋さん。引退ネタケロリン♪で一瞬闇に寄せてからご本人と彼が出てグッとコメディ側に寄る。ふきだしが刺さる表現であ、そういうのもOKな作風なのねと幅が広がって「一般人は電車に乗りなさい」ではいこれ面白い確定と思い込めた。そこからみずきのFXで有り金全部溶かす人の顔で絵も演出も話もすごいふれ幅があって先がわからない面白い作品だと感じた。
本筋とは関係ないちょっと違和感があるシーンがあって。この作品の前半はメイン3人以外顔を描かないようにしてる作品だと思ってたんだけど中盤から例外が出てきて、ひとつはライブの観客の声援という細いコマ。もうひとつはみずきがギターを借りるときのスタッフの男性。ギターを手に持つ自然な流れに必要だったかもしれないけれど、それまで喋るモブでも後姿や横顔で顔を隠してたのに急に2コマも顔アリで喋ったから彼はなんだ!?と異物感を覚えた。
その後も大きなライブの観客を除けば二人がゆずきをたずねる地下のライブのマスター?と帽子の客。特に帽子の客は無言で2コマ出てくる上にどちらも真正面をやけにきれいな目で見てくるので少し怖い。
この作者ならこの二人も顔なしで漫画を作れたと思うのだが、それゆえになぜ彼らを置いたのかが気になる。
最初にみずきの配信を見ていた21人は何もないまま消え去り(自分なら変質に失望して去る)、バイトと配信と路上で歌っていたみずきは死んで、数奇な偶然から才能を発掘された無名の新人シンガーソングライター兼作曲家として新生した。
漫画のドラマとして面白い話も、今、視聴者20人前後の配信者が腐るほどいる現実と、彼らがそこからの夢の成就を願っているのかもしれないなどと思いをはせると、そこからのシンデレラガール・ボーイもごく少数いるだろうけどほとんどの「みずき」にはチャンスが無いんだろうなと悲しくなった。芸能は昔からそうでなにが変わったわけでもないだろうけど。
流行らない配信者もバズって承認欲求の奴隷になった配信者もあるあるすぎてその先のファンタジーが訪れずそこにとどまり続ける人を想起させられると辛いものがあるよね。まあ漫画を読んでるだけの自分よりかはまっとうなんやけどなブヘヘヘ。
最後に、知ってる中ではちょっとコトヤマ先生のような情念やフェチを感じる作品でしたが…あるような無いような共通点として…?
この作品は手がキモ!!!指!別に力を入れている部分なわけじゃないだろうけれどなんか好きな部分ってある。これは最初のゆきりんピースからペットボトルを落とす絵で手に目がいくな~ってなった。そこから髪やべー衣装やべーなんだがやっぱ場面は少ないけど高嶋さんの男の指も細い男だけど男だからややゴツくてこれもいいよなーと。
自分は指フェチじゃないけど、なのに指に目が行くところとか三白眼ぎみの目とかがコトヤマ作品を読んでるときと似た気分でした。さらにコメディ部分のノリ易さはこっちの方がかなり良いと思う。
最後の最後に、感想書くために読み直したら高嶋さんのSNSのアイコンがパフェだった。ゆきりがお菓子禁止に憤ってるのにこのアイコンで連絡とってたとしたらそういうとこやぞってことかしらん。どう解釈したかな?
前回のコメントでもう少し読んだほうがいいというのと悪人に疑問を呈すコメントがいくつかあったので1巻の続きと2巻まで読んだ。
結論から言うと、個人的にものすごく主人公が嫌いです。客観視すると面白い漫画に入れてもいいけど自分は主人公が嫌いなのでこちらに入れておきます。
主人公に対する自分と作者との解釈違いが発生しているものと考えられます(自分が誤読の可能性大だろうけど)。ので読まないでおきます。
なお自分は坊主が憎けりゃ錦の袈裟もガンジーも嫌いになるような人間です。確証バイアスがひどいとも言います。
また上手く書きまとめることは出来ない。乱文的になる。
前回「極端な」と修飾してしまったのは誇張しすぎな気もしているが改めて、嫌っている・悪人と思う原因を書いていく。
まず、初期にネクロマンサーとして戦争していた部分はノーカンとします。軍人なり兵士の立場だからね。
その後、ネクロマンサーが迫害され大切な人が失われるわけですが、彼は復讐するわけですね。「百年程の時間をかけて」。
物事には限度があります。前回同列かのように書いたはめつのおうこうの主人公も「師匠を殺され10年監禁された」とはいえ「その国の全国民を殺す」と言ってます。
自分が悪いわけでもない一方的な被害者であるとはいえ、無辜を多く含むであろう全国民を殺すのも、百年かけて人を苦しめるのもやりすぎです。同情の余地がなくなります。悪人という表現が正しくなければ狂人と言い換えてもいいです。
次に彼は「平穏」を望むわけですが、その方法が「転生」すること。え?彼がするべきことは意図せず迷宮になって人に害を与えるものが集まってしまったからそれを制御してひっそりと逃げ隠れることでしょ(魂の気配で存在はバレるっぽいけど)。何百年も討伐隊を送られてきたのなら彼らを生かして自衛以外害意はないと説き伏せ返し平穏を得る努力をするところでしょ。
平穏を望んでいながら迷宮を放置して広がらせ外にあふれて最終的に「世界は終わりさ」と言われるぐらいの脅威になっていた。
彼の目的が死んで転生することなら死ねるほど強い存在を作ることが目標でしょう。ネクロマンサーででも人を説得して鍛えるでもいい。しかし彼は自作せずに(実はしてたかもしれないけどさ)討伐する者を「待った」。何百年も。
じゃあそんな強い者が自分を殺すように仕向けるにはどうすればいいか?単純に考えれば恐怖や憎悪を煽ればいいんじゃないかな。
つまり自分の影響で溢れる化け物は「意図的に」放置しておそらく過去の討伐隊も自分まで到達したら殺してきたんでしょ?仮に生かして目的(平穏に暮らしたいor殺してほしい)を説いて返してたら何百年も続いてこの現状は不自然。ってこれも前回一緒に挙げた勇者ミーリは58歳の不自然さにつながる。
つまり彼には、はじまりはどうであれ相手の邪悪さはどうであれ長い年月をかけて行われてきた「罪」とそれを行える「悪」がある。と自分は捉える。(繰り返しになるが長命種ゆえの時間間隔の齟齬を考慮しても数百年行えるメンタルがやばい)
圧政を敷いてる独裁国家の独裁者が実は影武者で本人は晴耕雨読をしていたらその人を平穏を望む温和な人だと言えるだろうか。
何人も女を殺し手首を奪うような人間が他人に成り代わりその妻にも好かれるようになって仮にその後犯罪を犯さなかったとして、静かに暮らしたい望みがかなったんだね。よかったねとなるだろうか。
「平穏な生活」がほしいなら過去は清算されなければならない。と自分は考える。完全ではなくとも己の罪を悔いたり、何かケジメをつけたり制約を科したりしてほしい。ときどきでも向き合ってほしい。
何かを差し出し何かを得る。等価交換で鋼な錬金術の原則だ。彼のしてきたことを考えるとどうしても平穏のための禊を求めてしまう。
それがあればたとえ過去が悪人でも罪人でもいいのだ。でも彼は逆刃刀を握ったり殺し合いの螺旋から降りるために指を失ったりはしない。奪われたモノを悔いはするが行ったことは悔いない。
彼は転生しても平穏を得られない原因の一部となった死霊術は捨てないし、「平穏」のためには「誰よりも誰よりも」な、お金を欲している。それは裏世界を舞台とする漫画のお話のためには必然ではあるのだけれど…。
結局彼の言う「平穏」とは特異な能力が無く抜きん出た地位や財力がなくても得られる人並みな一般市民としての一生ではなく、少年に転生したから学校に通うではなく、人以上の力と財力を持ってそれをもって迫害されない成功者・富裕層・権力者・上位階級などの強者の余裕という意味での「平穏」である。それは貧乏だけど家族と笑いあえる幸せではなくタワマンからバスローブ姿でワインを転がしながらほくそ笑む幸せである。(その財力や権能で大切な人たちと笑いあっていたとしても)
しかもそれはおそらく結末であって、過程の今においては平穏と程遠い荒事も辞さない。「仲介屋」とつるむし、火事や12話とか人を助けたいと思ったら自発的に絡んでいく。
流石に悪く書きすぎた。無理やりすぎた。でも転生先が元の世界でも異世界でもそこの一般人として振舞おうとしないということはかなりひっかかる部分。
つまるところ、転生に対する解釈が違うのだ。自分は転生を「第二の人生」と考えて読んでいたけれど、どうやらデッドマウント・デスプレイでは違う。
彼のそれはいわば過去と現在から、世界から「屍神殿」と自分の存在を切り離すことを目的にしてる。追われる立場からの脱却。
GTAにたとえると罪が溜まって追っ手がうざいから手配度を0することである。
映画のダークナイト ライジングで言うとキャットウーマンが「クリーン・スレート」で犯罪歴を消そうとしたのと同じだ。
こう読んでみれば彼は温和な平和主義ではなく、非常に利己的な人物に映ってくる。
「平穏を邪魔されない力と居場所が僕は欲しい」は言葉どおりだ。「次は失敗しません。ご期待ください」のロックスミスだ。
「一緒に笑ってくれた子を見捨てて得る平穏なんて僕はゴメンだ」
大変結構!でも多面性がある人間の悪い部分だけをなぜか極力描写せず振り返らずうっかりするとこういうのでついつい彼が善人に思えてしまうさまはやっぱり悪人がだめなら狂人の類。そういうのはせめてサブキャラでしてほしい。その平穏のための転生までに何人被害者が居たんですかね。
増田は悪人が主人公=嫌いではない。犯罪者でもダークヒーローでも好きなら読む。
ウシジマくんだって読める。(気分はかなり落ち込む)
デッドマウント・デスプレイとそれらが明確に違う点はコレとは挙げられないが…。
そうだな、せめて自分の行為には自覚的であってほしいとは思う。
悪人に善性がないとは思わない。あっても全然良い。だから意図せず殺人してオロオロしても死霊の声を聞いて人助けをしてもいい。でも読者として第三者視点で悪な部分があると思えるのに本人の振り返りに悪いことをしたときのものがたいしてないのはなんというか…。
善性の発露が追い立てられてないゆえの余裕が原因と感じられて好きになれない…かな…。
(ファブルも好きだけどファブルと何が違うかも考えると長くなりそうなのでやめておく)
んーまとめると、転生前には意識的にあくどいことをかなりやってきたはずだしかなり自分勝手なのに転生後はそこらへんにあえてあまり触れずに素朴で(ジュースに感動したり)人当たりがよくて他人に優しい(自分の価値観の範囲で)描写ばかりを作者がしているのでこのキャラが嫌いです。主人公が嫌いな作品は基本、読みません。
普通に読み進めると主人公はよいキャラに見えてきますが、1・2話目を読み返すとやっぱり悪人で、現行のよい人間のようにばかり読めてしまう書き方が好きくないです。
過去の行いから想起する人間性と今の人間性に乖離がありすぎてズレを感じ続けています。もろもろ全ては自己中心的と解釈すれば理解できますが、でもやっぱり書き方のバランスが悪く感じる。
そのせいで漫画は面白いですがずっとのどに小骨が刺さっていて辛いです。
まとまってない。
主人公に関する開示されてない情報・事情もたくさんありますが今の読後感がこうなっちゃったからにはもう…ネ…。
あーんー。古い話で恐縮ですが涼宮ハルヒの憂鬱でハルヒが朝比奈さんを使ってコンピ研が輪姦したと捏造して脅して高額PCを強奪した場面があったからハルヒと作品が受け付けられないって人がちょいちょい居たんですよね。そんな感じ。ハルヒのそれは自分は流すことができたんですけど、流せる・流せないは人それぞれ作品それぞれだよねって話です。
漫画自体は結構面白くて、レミングスとミサキちゃんと双子ちゃんが好きです。冷静なつっこみ?のようなところどころのコメティ部分も面白くて好き。
ただやっぱりクラリッサが切れ者で岩野目たちも切れ者っぽくてさらに家も絡んできてその四乃山のふたりも切れ者でそれぞれ手ゴマ、厄ネタ持ってるとなるとこれだから群像劇はちょっと面倒だなって思っちゃう。
最近は急に各キャラの過去話を消化しだしてすわ打ち切りかと焦る。通常の流れに戻りそうで一安心?
しかし今話も一気に加速した感があってこれ畳みかけてる?大丈夫?もう少し続いて欲しいな。
この作品の個人的読み方はかわいい女性と絡んだ三蔵の反応を見ることなので、久しぶりに煩悩、というか今回は恥や傷心で苦しむ三蔵が見れてよかったです。何気に半年振り?
あれ、子供が触って棘が刺さった、といった騒ぎにならないんだろうか?
下町エリアだと、家の周りに鉢植えをたくさん置く慣習(江戸から続いているのだろうか?)があるけれど、アジサイやゼラニウムに交じってサボテンやアロエも見かける。
サボテンは危なくないのか?
有線タイプに限る。
コードが人にひっかかると、畢竟、耳か、接続端子か、どちらかが抜ける。あるいは断線する。
耳側がズポンと抜けると、気密性がある程度あると、鼓膜を破壊しないだろうか?
下り方向にたくさんの人が流入したら、駅構内に人が溢れて、レミングスみたいにならないかな?
人の動きを必ず予測できない、という立場に立って、駅構内から排出する方向のエスカレータ稼働を多くすべきでは?
永田町駅とか気になる。
これは、景観的に味わいがあって良い…金網ごしに眺める水辺ほど損なわれたものもない…ので、良いけど、酔っ払いとか落ちて死にそうじゃないかな。
どう考えても危なすぎるよね。
運転手さんとか、ホームに侵入するとき、単純に、ホームに立つ多くの人間を信頼するしかないというシステム。
硬質ゴムだと思うけれど、一切排水性がないので、靴によっては超滑る。 盲人以外にも危ないと思う。
行動上にあるやつ。
日本ハーデス系じゃない店舗だと思うけれど、あんなもん、日中にフォークリフトでかっさらったら持っていけるのでは?
こまめに売り上げ現金を回収しているのだろうか?謎。
交通事故事例を見ればわかるが、クルマはいきなり突っ込んでくる。
5秒を惜しんで、リスク取りすぎ。
クルマが跳ね上げた小石が目に刺さったらどうするの?
トング無い店の場合ね。
死にたいの?
一般論として、「反対するなら対案を出せ」という意見をよく聞く。
国会などの政治の世界でよく見るし、より身近なところで言えば、会社の会議とかでも聞く人は多いのではないだろうか。
そして、「意識が高いだけで自分の頭でちゃんと考えない人」は、この意見が説得力あるように見えるのだろう。これを金科玉条のように振りかざし、自分の意見に反対する人に対して「反対するなら対案を出せ」と主張する。これは一種のイデオロギーであり詭弁に近い。そして、日本の伸び悩み(衰退?)に繋がる本質的な問題だと思うので、以下2点で反論しておきたい。
社長が「最近売り上げが伸びていない。競合企業をなんとかしたい。ということで、競合企業の社長を事故に見せかけて殺害しようと思う」と言い出したらどうだろうか。
「バレた時にリスクが大きすぎる(当然、会社が潰れてしまう)」「言うまでもなく違法」
これに対して、「反対するならウチの業績を伸ばす対案を出せ!!!」と社長が逆ギレしたらどうだろう。残念ながら、社員は(社長と同レベルに)そこまで賢くないので、スジの良い対案は出せない。
ということで、粛々と競合会社の社長殺害計画が進むのであった・・・
みんなで 「+」に持って行こうとしている議論をしており、でもなかなか「+1」になるアイデアが出ない。そこに、(本人は「+1」だと思っているけれど)どう考えても「ー1」にしかならないアイデアを主張する人が現れたとする。それに対して対案が出せないからということで、全員でこりゃ無理だよなと分かっていながら「ー1」に向かう。。
アイデアを出す人が正義、ではありません。無能な働き者が組織にとって最悪の結果をもたらすわけで。明らかにダメなものは対案がなくてもダメと言っていいんです。
もちろん、反対するときはちゃんと根拠を説明すべきなのは大前提。
会議の場で、突然スジが悪いアイデアを発表しだす。反論した人に対して「対案を出せ!」と騒ぐ。ありますね、こういうこと。
でも、そんな発表をした人は、あらかじめ色々と調査して、時間を使って練りに練った案なわけです。当然、一瞬で思いついたアイデアなわけではない。
それに反対する人に対しては、今この一瞬で対案を出せ、というのはフェアではない。
反対のための反対みたいなことに終始して、全く建設的な意見を出さずに場を混乱するだけの人がいることも事実。そういう人に対して、「だったら対案を出してください」とあしらうのは効果的ではあります。
また、自分に対する戒めとして、「反対するなら対策を出そう」と肝に銘じることは(自分自身の成長に寄与するという点で)間違ってないし、自分も部下に対して、そうあれ、と言います。
ただ、すべてのケースにおいて「対案がないと反対してはいけない」というのは、絶対に間違っている。「何もやらない」よりも、「間違っていることが分かっていてもやった人が偉い」、というのは、非合理的にもほどがあるわけで。
競争において勝者と敗者が生まれるのは必然であることも、現代社会の中に競争の形を取るものが散見される事を否定するつもりはない。
誰かを貶めてのし上がるものがいて、反対に奪われ続けた事で人生を台無しにするものがいる事も否定する気などない。
だがその前者が勝者だとはとても思えないし、後者が敗者だとも考えられない。
また同様に、生まれつき恵まれ生涯に渡り恵まれ続けたものとその反対に居るものを勝者・敗者と分けるのも相応しとは思えない。
では何故、世の人は己や他者の人生を勝ち負けで区切ろうとしてしまうのか。
競争に勝ち続けた者は自然と人生の良い側に進みやすく、反対に負け続けた者は悪い側に進みやすい。
知能の程度を下げれば一見正しそうに見えるが、知能の程度を標準レベルに戻せばすぐに誤りであると分かる。
だが人はこんな簡単な事になぜか騙されてしまう。
何故なら、多くの者が同じ間違えをし続けているからだ。
人間は暗示に対して脆い。
レミングスは集団であるからこそ崖に飛び降り、帝国海軍は一億総火の玉であるが故に神風と化す。
一匹のレミングスは崖の危険性を知り、1人の日本人は勝機の無さを理解しているが集団となった時それは失われる。
だが、もしも正しくなくてもそれが人を幸福にするのならば辞める必要はない。
だがこの信仰は人を救わない。
邪教である。
簡単なことだ。
勝者と敗者に別れる時、それは戦である。
そして戦において、そこには敵と味方が生まれる。
そして勝者と敗者の概念が個々人の判断に委ねられる時、回りにいる大部分が敵となるのだ。
あいつは俺よりも金があるから敵、あいつは俺よりもブサイクだから敵。
下手をすれば回りの全てが敵に変わる。
そしてその敵の群れに勝つためにその場その場の勝利ばかりを目指す。
他者を敗者と思い人に辛く与えればそれは真の敵になる。
己を敗者と思い人にへつらえば誰もが真の敵になる。
そうして回りの全てが本当の敵になるのだ。
その結果、幸せになれるはずのほかの女たちも、どんどん結婚率が下がって 『働かされる』 という状況にってるわけだがな。
こういう言い方は、非常に申し訳ないが
自分たちにも問題があったのでは(男の選び方含め)と考える母集団と 社会が悪いと考える母集団。
端的に 結婚年齢が上がってしまった(就労機会の増加では無く)というのは 失策でしょ。
女性の社会参画はあってしかるべきだと思うが、 いまの無計画な権力増加運動は めぐりめぐって女性を不幸にしてるだけだと思う。
無計画な権力増加運動なんて、そいつらが一番嫌う 暴力的な男のやり方じゃ無いか。
男性との棲み分けを考えず、 女性に権利を権利を権利を権利を って集団がまともに機能するわけが無い。
社会は結婚なしにまわらないし 結婚する以上 男性との住み分けだし 男のように女が働けないしその必要も無し 女性は女性が幸せになるように働けば良い。