はてなキーワード: 価値判断とは
一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの。
1
01
02
私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。
リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。
03
その仕事をしていれば、自分の体を自分のものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから。
しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分のものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。
高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。
私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?
私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。
でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから。
04
螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。
こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。
高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。
ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。
この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。
05
上司、オスカー・シュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。
そのため、私は日本に返される。
だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。
06
私は日本に帰ってくる。
かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。
三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的な健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。
私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。
ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会のリソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。
私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。
キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、
「うん、ごめんね、ミァハ」
キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。
2
01
自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチナ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。
キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。
が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。
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「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。
だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。
ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。
ミァハはレイコの遺伝子的な子供ではなく、チェチェンの戦争孤児だったと知らされる。
03
キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。
キアンの告白。
「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」
私は、
「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールやたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」
キアンは、
「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころは世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」
そして、キアンの葬儀。彼女はこれから液体になり、社会のリソースになる。
父はバグダッドにわたっていた。
ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。
ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。
意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。
精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。
上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、
「いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。
キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか。
螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女は電話をしていた。
「ううん、ごめんね、ミァハ」
そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。
ミァハ曰く、
「善とは恒常性のこと。
昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。
私たちは、そんな社会から飛び出して、自分で自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。
そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。
3
01
名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代、個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。
友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。
インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺で自己紹介した。
しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。
ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正にアクセスすることが可能な組織。
その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類を監視しようということを大儀銘文としている。
しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺を引き起こしたらしい。
「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます」
02
ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。
そして、生府が醸し出す、息苦しい空気。
それらについて思いを巡らせているうちに、「医療のドバイ」、バグダッドにつく。
そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。
03
彼女曰く、
「人間の価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である」
04
私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。
「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」
アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。
アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーもカフェインもアルコールもハレンチなほど。
そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。
05
父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。
その父と、バグダッドで再会する。
父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。
組織が人間の意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。
組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。
当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会のストレスの限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織はシステムを組もうとしていた。
キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織のモルモットになっていた。
『ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。
06
意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。
結局、プログラムは人類に実装されてはいるものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。
「しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。
「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」
父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。
ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。
父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。
ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。
ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。
死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。
4
01
高校時代の回想。
ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。
でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。
ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮、自殺、心中が頻発している。
わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。
しかし、どこまで情報をつかんでいるかを組織にスパイされないために、セッションをシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。
と、シュタウフェンベルクは彼女自身が組織の一員なのだと明かす。
ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。
私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。
シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。
02
チェチェンのウーヴェと会う。
ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。
ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。
ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。
一人で、ARの通じない山を登れ、と。
03
「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。
進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。
バンカーの中、ミァハと再会する。
ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。
「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。
「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。
04
高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。
私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。
〈物語のコア〉
ミァハは、
「私の意識は、ここの、チェチェンのバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。
でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。
私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。
……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だから、ボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。
それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスのボタンを押すはず。
私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」
〈/物語コア〉
私は、
「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやかな復讐になるかな。
だけど、それをあなたには与えない」
epilogue
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/09/post-346.php
フジ子・ヘミングについて冷泉彰彦が書いた文章を「いまさら」見たので,わたしの雑感を書く.
私が聞いた時,彼女の調子が悪かったのかもしれないが,彼女の「音」にはまったく感慨を覚えなかった.個人的に感想としては,演奏が始まる前,調律師が調律していた音の方が,よっぽど「ブリリアント」であった.おまえはなぜヨーロッパのオーケストラを聞くのか,と問われたら,こう答えるだろう.「音が違うから」と.それだけ,日本のオーケストラとヨーロッパのオーケストラでは,音がちがう.ピアノ演奏はあまり聞いたことがないが,少なくとも一人立体的な音を出している人はしっている.アルゼンチン出身の女性が出していた音は,立体的でたいへん美しかった.
たしかに,フジコの演奏を予断なく聴いて感動している人に水を差すようなことはしない.しかし,朝日新聞に出ているような広告をみたり,フジコがそういった過去を持っていることと彼女の演奏を結びつけたりといったことが過剰であると見受けられるためにクラシックファンに批判されているのではないか.
クラシックの音楽を解釈するために,人生観そして世界観に絡めて理解するというのは理解できる.しかし,それは立ち現われている音と「わたしの」人生観,「わたしの」世界観を絡めて解釈する行為であって,演奏者個人の来歴はさほど関係ない.演奏者個人の来歴が関係してくるのは,演奏に対しての価値判断が行われる場所においてであろう.つまり,フジコの演奏を聴いて,「天涯孤独だから」演奏に感動するというのはあまりよろしい態度ではないとわたしは思う.よって,「ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている」とわたしは述べない.「ブレンデルはさすがに引退か」とは思うが,そことは離れた場所で演奏を聴き判断する.そして演奏を判断するためのものとして,「音」「技術」「技巧」というものがあるのである.どんない偉大な経歴であったとしても,その場で聞いてしっくりこなかったのであれば,しっくりこなかった感動したのであれば,感動したと思えばよい.その場所に,「フジコの半生はこんなで」とか「ブレンデルの引退コンサートだから人生が云々」という話は関係ないのである.そういった話を引きはなして,演奏を聴かないがためにフジコファンは「耳がない」と馬鹿にされるのである.(フジコの弟が大声でブラボーと曲毎に叫ぶのも興ざめ)
物語を作って,物語の登場人物をステージにのせ,半生を聴衆に回顧させ,お涙頂戴芸をやっているから,フジコは批判される.それにわたしから言わせてもらうと,最初にフジコなんぞの演奏を聴いてしまった方がかわいそうである(フジコの演奏をすべて私は否定したいのではない,最初に出したアルバムは良いと思う.その後は練習不足がたたってか,年なのかしらないが全然ダメだと思っている).
ピアノの演奏には,お涙頂戴芸以上に素晴らしい芸術がある.それの根幹となっているのが各人が出す音である.フジコは全くそこができていない(というよりも年で,もうまともな音が出ないのではないか.長年鍛錬してきた他の老ピアニストと違って彼女にはブランクがある).その点から,フジコはさっさとお涙頂戴芸をやめるべきだし,フジコの演奏を非難しているのは,頭の固い日本の馬鹿クラシックファンだという発言をするのもやめていただきたい.
あとCDだといくらでもごまかせるので,実演聞いて判断するべき.
わたしのおすすめのピアニストは,ハンガリー出身でいまはイタリアに住んでるおじさんとか,ルーマニア出身で最近日本に演奏に来たのにおなかが痛くなって残念ながら帰ってしまったおじさんとか,アルゼンチン出身で体調不良でコンサートをキャンセルしてしまったおばあさんとか,もっといろいろいるがこの辺で.
「自分の子どもや親戚に、自分の勤めている会社を勧められるか?」
この質問の答えを考えた時、答えは明らかにNOだ。
俺が勤めている会社は一部上場企業で、働く人にやさしいことをアピールしている会社でもある。
それなのに、答えがNOにならば、他のブラックで働いている人は想像を絶する環境で働いているのだろう。
それはたぶん自分が我慢すればすべておさまると身勝手な考え方をしているのだと思う。
先日リストラでチームの人の引継ぎがあった。
チームリーダーによって、作業がリスト化されてそれをどう割り振るか。
「この仕事は新しい人にやってって言えませんね。チーム内で割り振りましょう」
とチームリーダの一言。
ただでさえ忙しいのに、リストラで抜けた人の後任を要求することなくチーム内で吸収を図ろうとしたのだ。
チームリーダは人事権がない。
それなのに課長に相談することなく(人がいなくて苦しいです、と打診することすらなく)
リスト化された業務をたんたんとチームメンバーに割り振っているのだ。
本来であれば、○○の業務はこのくらい時間がかかる。
やっぱりもう一人人を増やしてもらわないとね、だとか
そういう算数的な勘定が入って決まるものだ。
そういったことなしに、これはチーム内で抱えたほうがあまり説明しなくて良いよねみたいな空気で決まるのだ。
たんに課長に話せるか話せないかが基準で、空気を読んで打診そのものをしないのだ。
そしてメンバーも空気を読んで仕方ないかみたいな雰囲気でミーティングが終わる。
あほか。
時間効率性や時間あたりの利益など議論にあがることなどほとんどない。
上の役職連中に文句を言われないこと、のみが価値判断の基準なのだ。
・完成度100%になるまで無駄な書類作りにおわれる
こんなの長年その上司と仕事してきた連中が有利に決まっていて、
「こんなこともわからないのか」とか
「俺も最初の3年間はつらかった」とか
「事前にねごっておかないのが悪い」とか
俺らはエンジニアなのに、こんな抽象的なアドバイスのもとで仕事が行われる。
そんなもんだから、プロセス改革が叫ばれるようになってもどこから手をつけて良いのかさっぱりわからないのだ。
だって、価値判断の根っこが上司に文句を言われないこと、なのだから。
未来の子供たちがホワイト企業に入り、豊かな社会生活を送るために俺たちはなにをすべきだろうか?
結局、俺らは我慢することが良いことだと思っている。
気の合わない他人とでもコミュニケーションを密にとって仕事をすることが良いことだと思っている。
プライベートを投げうってでも、仕事に対して責任をもつことが良いことだと思っている。
お客様は神様だと思って仕事することが良いことだと思っている。
でも、今考えている良いことって自分が我慢できるからの話で、この状況が常であることを自分のこどもに要求できるだろうか?
俺らがやっていることの延長を、俺らの下の世代もおんなじようにやっていくのだ。
俺らがやっていることは繋がって社会を作っていく。
ここのところ急に。
いったい何なんだろうこれは。
別にデブに恨みがあるわけでもないし、健康状態や生活や仕事も良好。
突然なんの脈絡も無くデブへのイラつきがインストールされた感じ。
街などでデブが近い距離で視界に入るとイラーッ!っとしてしまう。
不様に突き出した腹、みっともなく横に広がる尻。
もともとデブには寛容、というか何も感じないほうだった。
子供の頃から、デブがいじられたり馬鹿にされたりしてるの見てもよく理解できなかった。
今はデブを見た瞬間「怠惰」「だらしない」「図々しい」のような価値判断がパーン!と頭に入ってきて
目の前の見知らぬデブにすごい迷惑をかけられたような気持ちになっている。ヤバい。
デブをやたら嫌う人がたまにいて理解できなかったけど
急に理解できるようになってしまった。
なんでデブなのにそんなアホみたいな量の昼食を買い込んでんだよ。
この宇宙人に突然注入されたような、特定対象限定の説明不能のイラつき・怒りと言うのは何なんだろうか。
あーデブ全員死なねーかなー…
http://anond.hatelabo.jp/20110711193536
元増田ですが、増田だしと適当に書きなぐったら何だかすごく反響があってびっくりです。
そしてトラバ、ブコメ等見ていろんなことを考えさせられました。
「例えば」ということでここは実体験ではありません。
そして「子供たち」と適当にぼかしたのですが実際は中高生です。
流石に小学生の子供たちにそんなレベルの高いことは要求しません。
それが「花はきれいであるということの代名詞」だったというだけの話です。
それで「花がきれいだなんて思ったことがない」なんて言われた日にはお終いです。
そこで「花はなんか見た目好きじゃない」と思っているなら話が別ですが
「花? え? 自分関係ないし(笑)」みたいな感じなんですね。
花について思考すらしないので、感想も出ない。
だから「これって美しいってことじゃないかな」と話を進めるわけ。
それが「増田がしているのは価値観の押し付けだ」というのがありましたが
元から価値観がないところに情報を与えることが全部「押し付け」になるかなと考えました。
結局当たり障りのないところで面倒くさくなく議論を終わらせている気がします。
要はその場で考えるのが面倒なんだろうな、という印象です。
私が怖いと思ったのは、そんな風に感性が必要な部分でしか図れない共通理解を
そのうち全て学校教育に一律一存になってしまうというところです。
「花はきれいだと考えるのが一般的です」
結局会話なんてすべて「価値観の押し付け」になってしまうので成立しない。
「私は誰それが死んでも悲しいと思わないから、私の前で泣くのは押し付けだからやめて」
想像したらすごく怖い。もう誰とも意志の疎通すらできなくなる。
ただ咲いている花をみて「きれいだね」と言った瞬間
「君は花を美しいとみるんだね、僕はそう思わないよ」
「花をきれいだと思うのは日本の伝統に即する考え方ではないか」
「しかし花を美しいと思うのは自由だ」
なんてイチイチ言われてちゃきりがない。
結局個人の価値判断しかないということはもうその世界に「他人」は存在しないのかなとか
いろいろ考えたらやっぱり怖くなった。
「個人の価値観が大事」という「価値観」に囚われて「押し付け」をしていないか。
というか、すでにそんな世界なのかもしれない。
花をグロテスクだって思うのもいいと思う。私も蝶々が大嫌いだし。
でも蝶々が飛んでいてどうこうって言われたらやっぱり
テキストの裏側にあるのは私の価値観じゃなくて、ある共通の概念だから。
私は皆が「情報空白」だとか「隠蔽」だとかいうのが一体なんの話なのかまるでさっぱりわかりません。「メルトダウン」隠蔽説なんてのはその最たるものです。全くもって意味不明です。
全電源喪失が発生してから、東電が炉心溶融を(可能性があるではなく、ほぼ間違いないという形で)認めたのが5/12だったが、3/11の夜の時点でわかっていたはずではないかという話です。私は、分かっていたと思いますね。
だって、2010年6月17日(2011年ではなく、2010年ですよ)、福島第一原発2号機で、作業員のオペミスで30分間の電源停止が発生して炉内の水位が2メートル下がった冷や汗ものの事故がありましたが、たった30分で2メートル下がったんですよ。現場の関係者なら、たとえ計器がぶっ壊れて確認できなかったにせよ、冷却停止してからあれだけの時間が経過していれば、「物理的限界を超えて」水位が「保持される」ことがありえないことなどはっきりしているはずですよ。水がなければ炉心溶融することが確実なのも実験炉で実証済みのシンプルな物理の話です。ですから、3/11の日付が変わる前には、「炉心溶融が起きている可能性がある」ではなく、「炉心溶融が起きていることは確実」が表現として正しかったのでしょうね。そう言わずに、だいぶたって5/12にデータと共にあらためて認めた時に「メルトダウン隠蔽説」というのが生まれてしまった。
まあ私はこれは「隠蔽」ではなく単なる表現下手なだけだと思いますが、「意味不明」というもんでもありません。
「騙す」というのは「意図的に嘘をつく」ことです。推進派が嘘をつきましたか?否。反対派が嘘をつきましたか?ついた。どちらが「騙した」のかは明らかです。そもそも推進派にしたって「絶対安全」なんて言っていないんだから「騙された」なんてのは自己欺瞞も甚だしいです。まして「絶対安全と言われた」なんてどの面下げて言うとんじゃと思いますね。
もちろん原発も人間の作った代物ですから「絶対安全」など求めていませんが、普通の「安全」ですらないですよ。
「安全」でない状態を「意図的」に放置して「安全」だと説明すれば「騙す」ことになると思いますが。
推進派が嘘をつきましたか?否。と言いきるのは極端ですよ。地元民を前にして「絶対安全」と言った人もなかにはいるんじゃないでしょうか。
まあ、それは置くとして、私が「だまされた」というのはこういうことです。
私は、「ナイーブ」に「原子力というものは人間には制御しきれないしろもの」と思っていますが、いやいや任せろ、制御してみせるぜ、と頼もしいことを言ってくれる「理系」の頭のいい方たちがこれまでやってきた原子力発電が、いざ事故が起きて、建屋が吹き飛んでからは、ああ、果たしてどういうアイデアでこの事態を収拾してくれるんだろうね、文系のオレには想像もつかないやと思いきや、ヘリから海水ぶっかけるだの、おがくずと新聞氏と水溶性ポリマーで汚染水を止めるだの(これは海外のネットユーザから、かぶと虫でも飼うつもりか、髪の毛でも入れて詰まらせたらどうだと揶揄されましたね)もう次から次へとアホくさくみえる案を繰りだしてくるんでガックリきたわけで。なんだ。口ほどにもない奴らだな。そんな程度の技術力で火遊びやっていたのか。もう玩具ぜーんぶ取り上げだ。という気分でしょうかね。そしたら、今度はこれまで電気使ってた恩恵を受けときながら黙れ黙れというようなむちゃくちゃな詭弁で反論してきたりするオマケつきですよ。もう失望したというか、「だまされた」ということです。まあ、これが今の日本のムードなんじゃないでしょうか(価値判断は別として)。
逆にあなたが批判している「ナイーブ系反原発派」が私にはそれほど悪質には思えないんですね。むしろ原子力推進派が「想定外」のヘタレだったことがショックです。もっと骨のある奴らだと思ってました。
ちなみに、別のツリーで「ナイーブ系反原発派」に広瀬隆せんせいを入れられてしまっているのは残念ですね。広瀬隆の著作を読むと、事実部分と創作部分との境界が一目瞭然なので、だまされようがありません。むしろ広瀬隆は、震災・津波による原発事故という恐怖、原発建屋の吹き飛ぶ姿を、事故前に描いた想像力は称賛に値すると思います。「原子炉時限爆弾」はまだお読みでありませんか。是非お読みになられてから批判されるとよろしいかと思います。
最近では、原発に関する書籍もかなりたくさん出揃ってきましたので、それらも新聞、テレビ、ネットとはまた違った情報が得られて面白いですよ。
まず「安全」と「絶対安全」は違うということを理解して下さい。
後者は間違いなく誤りです。事故が起こらない乗り物なんてあり得ない。しかし前者は正しいと言えるでしょう。乗客死亡事故皆無という実績がそれを物語っている。
では、以下はどうでしょう。
程度の差はあれ、間違いではありませんね。どちらも大事故が起こることは承知の上。確かに飛行機に乗るのを毛嫌いする人はいますけど「個人の趣味」程度に割り切られてますね。
これは一概に言えません。何を基準として比較するかです。それによって正しいとも誤りとも言えるでしょう。
さて、そこでこれです。
これが自動車や飛行機の話と本質的に違うのかどうかよく考えてみてください。個人的には本質的な違いがあるように思えません。実際、
この主張を肯定する根拠を挙げることはできます。勿論否定することも可能でしょう。しかしどちらにしたところで価値判断の問題が関わってくる話であるということは言えますね。
つまり、原子力関係者が宣伝として「原子力は安全だ」と主張すること自体を非難することはできません。一面の真実ではあるからです。宣伝とはそういうものです。
以上を念頭に置いて、個別の事例を検討してみましょう。
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁
技術的な主張として読む限り、実はこれは誤りではありません。実際、福島第二発電所、女川発電所、東海第二発電所および福島第一発電所5・6号機がそれを証明しています。福島第一発電所1-4号機で「停止した原子炉の冷却」ができなかった理由は、やるべきことをやっていなかったからです。具体的には「非常用所内電源」を安全な場所に設置していなかったからです。つまり原子力技術ではなくそれを管理する人間の側に問題があったということです。
そういう意味でたとえばJR福知山線の事故と同じようなもんです。あれはダイヤの無理とかATSの不設置とか、経営側の安全軽視に問題があったわけで、鉄道自体に技術的に問題があるわけではありませんよね。
正しいとも誤りとも言える根拠を私は持ち合わせていません。専門家でもなければ判断できないと思います。
ご丁寧にポスターを書くために「ヒント」を記したページがある。
http://www.jaero.or.jp/poster10/pc/hint.php
このヒントのなかに、「地球に優しい原子力発電」と堂々と記してあるのだから、子どもたちは素直に、その通りに書いているわけだ。
趣味のよいことだとは思いません。しかし、子供にプロパガンダポスターを描かせるということは残念ながら日本では社会的に許容されているようです。
http://www.city.ichikawa.lg.jp/fin02/1111000009.html
http://www.pref.nagasaki.jp/kokuho/kenko/tabako/poster.html
この辺を同時に批判するというのであれば、私もあなたに賛同します。
国費を使って原子力の安全性をアピールしてきたんだよ。探せばウジャウジャ出てくるよ。
以上の通り、それの何が悪いのかさっぱりわかりません。消費税だって禁煙だって国費を使ってアピールされています。それは悪いことなのでしょうか。国が国民に政策の周知と協力を求めることは度が過ぎなければ当然のことです。まして、その内容を批判する権利は抑圧されているわけでもなんでもありません。
上の通り「安全です」ということに問題はないし、そんなこというのならこれはどうですか?
しょうもないイチャモンはやめましょう。批判するならもっと本質的な部分を批判しましょう。そして批判できる点は東電や保安院の対応を見ていればいくらでも見つかるはずです。
繰り返しますが今回の事故は「安全」性を自ら損なった経営陣や監督官庁に責任の圧倒的大部分があります。技術的なことがわからなくてもこういう人たちを批判することは可能なはずです。それをやることこそが一般市民の役割ではないですか?
今回の記事はコメント欄をみてわかるように、まとめ人と読者の間で共有できているのは
「やらおん」「まとめブログ」というキーワードだけであり、このキーワードに基づいて
各々が好きなことを発言するにとどまっている。全く主張を共有できてない。
これでは駄目です。やらおんとは勝負にならない。と同時に、やらおんのことを対して理解できてないのがよくわかる。
私も馬鹿なんで「じゃあお前が説明しろよ」といわれてもできませんあしからず。
しかし、この人が高校生かあるいは私立文系なら許せるけど理系だったらありえない。
以下このまとめ人が高校生あるいは文系大学生と想定してダメだししていくよ。
指摘したいのは2(3)点。
1:問題と対象を具体的に絞り込め(話をしている内容を相手ときちんと共有しろ)
2:まず実例をあげて相手の同意を得られる足場を固めてから視点を広げていけ
(3:2がちゃんとできるようになったら、例外と一般例の区別ができるようになることを覚えよう=できるだけ特殊化しない)
まとめブログ全般を語ろうとする中学生レベルの幼稚さよりはずっといい。
できれば、「まとめブログの危険性」じゃなくていったん「やらおんの危険性」まで降りるべきだったけどね。
そこで「やらおんはやっぱ駄目だよな」ってところを確立してから全体に展開すべきなんだよね。
そうしないと都合よく対象を切り替えて議論の軸がぶれまくるから。まあいいや。
さらにいえば、「ある対象の危険性」って主張は価値判断を含むから
相手を説得する際に相当準備いるのでオススメ出来ないのだけれどまぁそこまで突っ込むとかわいそうか。
次はね。テーマと論じる対象を決めた後は、ちゃんと具体例を出していこうね。
他人に具体例示さず、理論の上に印象論とか一般的な理論を重ねていく人多いんだよね。
これは駄目、ホントダメ。
自分ではわかってるつもりかもしれないけど、それだと相手も対象についてわかってる場合じゃないと通じない。
というかその場合でも実は通じてない。
お互い通じてるつもりかもしれんけど実際にはお互いの心のなかのイメージについて語ってるだけで周りの人間から見たら噛み合ってないんだよね。
(140字程度のやりとりだと本当にイメージ共有出来てるかどうかは確認しようがないのかもね)
男と女の口喧嘩で女の方が勝ちやすいのもまずこの具体的な主張の段階で男の主張に力がないから。
女は具体的なことについて怒ってるのに、それについて男が常識とか一般論で反撃するわけだけれど
まず目の前の具体的な事例について正当化が出来なければ、一般論なんて無力もいいところ。これ大事。
よく目の前の問題が不利になるとすぐに抽象論に持って行ったり
逆にものすごく限定的な例外に話を持って行ってドヤ顔する人がいるけれど、
そういうのはこちらからみると「撤退」を「転進」って言い換えるただの大本営発表でしかないのだよね。
この点、proser13さんという人は主張の仕方をよくわかってると思う。
社会科学の実験である小学4年生の女の子についてのVTRを見せて学力がどの程度か予想してもらう実験があるのですが、その結果が興味深い
被験者を二つのグループに分けて片方には女の子が裕福な家の子であると分かる内容、もう片方には女の子が貧しい家の子だとわかる内容でどっちも学力そのものは分からないVTRを見せます。結果どちらのグループも予想の平均は「小学4年生レベル」。これはVTRに直接学力を読み取れる箇所がなかったから年齢だけを頼りに判断するしかなかったのでしょう。
次は両グループに学校での様子を映した同じVTRを見せます。これは難しい問題に正解したり、簡単な問題をはずしたりと良く分からない内容になっています。そして学校でのVTRを見せた後にもう一度学力の予想をしてもらいます。結果はすっぱり分かれました。事前に裕福な家の子だというVTRを見せられたグループの平均が6年生レベル、貧しい方は2年生レベルでした。言うまでもなく経済力と学力が関係している先入観に基づくものです。案の定、裕福な家の子だと思っているグループは難しい問題に正解した箇所をよく憶えていて、貧しい家の子だと思っているグループは簡単な問題をはずしたところをよく憶えていたそうです。この実験の恐ろしい所は偏見に基づかなくとも先入観はすごい威力を発揮するとわかったことです。「裕福な家の子の学力は高くて、貧しい家の子は低い」多少なりとも事実とは思いつつも被験者にとって積極的に肯定したい事実ではなかったはずです。だから一回目の予想ではそれをちゃんと抑えています。にも関わらずどっちつかずのVTRを見た後には先入観に基づく判断をしています。何かに直接触れることで、先入観、偏見がとけるかと思えばむしろ逆、偏見がほんの一部分でも事実を反映していればむしろ接触はそれを強化するということです。被験者には先入観について「そうあってほしい」という願望はなかったでしょうに、恐ろしいことです。
「偏見だけで判断するのは良くない」と思ってる人たちですら、対象の情報をわずかに得られただけで自身が好ましく思っていない先入観(経済力と学力の比例)に基づく判断を下してしまうということです。偏見というのはごく一部が事実だからこそ厄介なんです
実は論理的には変なんだけど、そんでも具体的な実例をあげることで、まさに相手の意見を誘導している。
コレと比べるとakkunto、tsukimajiro、Valerius909の意見がいかに力のないものかわかるはずだ。
試しに自分でproser13さんの発言を除いたまとめを非公開で作って読んでみたが、全くなんの具体性もなく、
「まとめブログ」や「やらおん」を知らない人には全く伝わらない文章だった。
主張というのはそういうものなのだ。自分が他人の話を聴くときのことを想像してみればわかるはずだ。
やらおんに関して私が言えることがあるとしたら「まとめブログ」を特殊化する必要は全くないってこと。
「理不尽に人気があるもの」など山ほどあり、その事自体に「まとめブログ」ならではの特殊性は殆ど無い。
「まとめブログ」なるものを特殊化して語ろうとしている時点ですでに問題なのだ。
カルト的人気のあるものの特徴などはすでに専門家による分析がある。
意外性がある (Unexpected)
具体的である (Concrete)
信頼性がある (Credible)
感情に訴える (Emotional)
やらおんは「信頼性」以外が強い。(意外性も最近は薄れてきているかな)
既存の原則があり、それに対してまとめブログという形態が非常に適している、なら分かる。
「なぜまとめブログは危険なのか」というのはだから命題の立て方そのものが誤りであると思われる。
このあたり気を付けるようにしないと、論文のネタ出せなくて苦労するぞー。
追記
別にいいんだけどさ。
コピペブログが流行るのは大手・インテリなどに対して大げさ・紛らわしいネタでも罵倒したり足を引っ張ったり潰すことに共感を抱く・溜飲を下せるから。そうしてPV稼いだ人間は、読者に同じ手で潰される末路が待つ
反論も何も、君は自分の意見を自分の意見として提示しないから反論のしようがないよ。
ぜんぶ元増田のせいにするんだもん。
まだ君の意見が何なのかを確認してる段階。
???
俺は、
「元増田の文がこうだからこうでこうなって、つまり元増田の前提とする社会とはこう」
と論理的に解き明かして見せただけ。
で、君は俺の読み解きに文句があるから頑張ってるんだろう?
「お前の説明のここの論理がおかしい」って言えばいいじゃないか。
簡単でしょ反論なんか。
俺は俺の価値判断だとか元増田に対する肯定否定をした覚えは無い。
でも確認しようとするとそうやって身をかわすでしょ?
何と戦ってんだ一体。
誰にでも優しかった可愛いはてなは、春休みが終わると、似合わない金髪のソバージュに、真っ赤なルージュをひいて、校門の前に停まる黒塗りの高級車にのって汚い男の前で股を開く下卑たアパズレに変わっていた。
はてなブックマークは大きな改悪をブックマークコメントに施した。
その改悪の要旨は、
・デフォルト表示コメントをスターのついた人気コメントと新着コメントに限定
・全てのコメントをすぐに一覽で見られない
というものだ。これははてながその本質をかなぐり捨てるような、大きな改悪だ。
新着コメントとスターの多くついたついた人気コメントだけを表示するというアプローチは極めて旧世代的だ。旧世代とは、ベストセラーしかおかない本屋、人気歌手のCDしかおかないCDショップ・・・時代とともに滅びさろうとしている『人気のあるもの、新しいものだけが価値あるものだ』という『恐竜の頭』的考え方のことだ。この馬鹿げた考え方を恐竜のロングテールで引っぱたいてきたのが、Amazonであり、appleであり、はてなだったはずだろう。
いまさらになって、恐竜の頭を選択するのは、はてなの自殺というしかない。
スターがついたものは見るべきコメントではない、ただ単に10人の人が気に入ったということだ。10人の人が気に入ったということは、そのコメントが『僕にとって』価値のあるものだということにはならない。上地雄輔のブーンブンシャカブブンブーンがいくらヒットしていても、僕にとってはオリモノ以下の廃棄物なんだから。
見るべき価値のあるコメントはユーザーごとに異なる、異なるからこそ楽しいし、多様性が生まれる。ユーザーがコメント一覽の中から探す、探すのもまた楽しい。そのニッチなコメントを評価しあい、好意を好感しあうのがはてなの楽しさだった。
その過程を台無しにすることで得られる利益はなんだろう?たぶん、「たいして見やすくもない、見やすさ」だろう。見やすくもない見やすさを目指すために、本質的な価値を犠牲にするのは、度のあわないメガネを買うために内蔵を売り払うようなものだ。誰にも利益なんてありゃしないんだ。
50000000歩譲って、人気のあるものか新しいものが見るべきものであるという旧世代のアプローチが現在においても価値をもっていたとうしよう。
けれど、「人気がある」ということを判断する為の指標として、はてなスターを使おうというのならば、間違いだとしかいえない。なぜなら、はてなスターは個人が何個でもつけられるから価値の基準になりえないからだ。AKB48の曲がいくら売れようとも、誰もが知っている国民的歌謡曲にはなりえないのと同じで、一人が何度も投票できる人気投票は人気投票として機能しない。そんな曖昧模糊とした基準で見るべきコメントを抽出する意味があるなら教えて欲しい。
ブックマークコメントが改悪されてから、明らかにコメントを書きこむユーザーが減った。
昔の「ニッチなコメントでも誰かが見てくれて評価してくれるかも」という楽しい期待が失われたからだ。どうせ新着からも落ち、人気コメントにもならず、誰にも見られないコメントなんて誰も書こうとは思わない。当然の結果として、コメントの数も多様性も面白さすら減った。一部の常連のコメント頻度も下がった。濃い人達が積極的にブックマークをしなくなり、クズみたいな手垢のついた胡散臭いライフハックばかりが目立つようになった。
なおして
まーこれ読めば狂ったように批判する人が多いだろうなっていう内容を雑に書き殴る。その内気が向けば、徐々に加筆するかも。特定の人が見れば誰が書いたか分かりそうな・・・。
デマは不安を煽るものが多いが、中途半端にインテリな奴が根拠薄弱な安全情報を流したりする例も。原発に対する非科学的な恐怖感に対する反動化だろう。無闇に恐れることはないという主張が勢い余って無闇に安全だというデマに繋がるのだろう。どっちにしてもデマは大迷惑なので止めて欲しい。
切込隊長こと山本一郎までその中に入ってしまったのが、人間の能力の限界を感じさせる。彼は結構賢い部類に入ると思ったんだけど、それでも人間の能力は個人レベルでは限界値も低いようだ。知能や倫理のネットワーク化が人類の課題。相互に補完・訂正し合って相乗効果を高められるか否か。
国同士が協力できずに地球規模でまとまれないのは、人類にとって地球が最大単位だから。それ以下の単位では、争いはあっても、学習によって視野を広げればまとまることも可能。そう言う意味でも宇宙開発は意味がある。地球よりも広い範囲を自然な意識内に収められれば、地球規模で人類がまとまれるだろう。
あと、デマに関しては、どこそこの教授が言ったからとか、米軍情報だからとか、そういう理由で信じた人が多かったが、やっぱりそういうのに弱いんだなと。 MITの教授だけど実は原子炉や原子力工学は専門外で物理の先生ですらなくマーケティングだか何だかの先生だと後で分かったりということがあった。デマに対する方策として、「信頼できるソース」というのがあるけど、これは肩書きとか機関名の権威に盲従しろってことではない。あくまで、自分の頭で総合的に情報分析・判断する際に、どういった情報を取捨選択するかという際の目安でしかない。取捨選択の判断基準としては、学問的手法によるのが適切。仮に優秀な学者が唱えた説でも、それは学説に過ぎないという当たり前の事実。あと学者の情報と現場を知ってるエンジニアの情報を組み合わせることも考えて欲しい。
これは私のような存在、中の人の気持ちも知ってるし、外の人の立場でもあるので書いておこうかと。もっとも中の人、外の人にも色々いるんだが。
絶賛する声が大きすぎて怖い。もちろん、気持ちは分かる。だから絶賛を非難する気はない。
しかし、まず第一に彼らはそれが仕事であること。つまり平時より課せられた使命であること。特に自衛官は我が身を顧みないことを宣誓し署名している。だから義務を果たしているに過ぎない。
念のためにもう一度書いておくが、それでも彼らに感謝するという気持ちは充分分かる。そうした過酷な義務を大阪市バスの運転手よりはるかに安い給料で遂行してくれるのは確かに有り難い。
が、しかし、彼らには宣誓に応じた義務を給料と引き替えに果たすというのが役割だということを忘れないで欲しい。
度を超えた絶賛は、自衛官らにとっても国民にとっても不幸なことだ。彼らは超人ではない。肉体的・精神的に被災者以上に過酷な状況の中で作業を続けることは、自衛官などなら平気だという訳ではない。
精神的に余裕のない被災者から容赦ない罵声を浴びせられることもある。自己完結型の組織として自前で用意した環境を享受すれば非難される。自分の家族も行方不明のまま。大量の遺体が腐り始める。理不尽なことが山ほど降りかかってくる。
そんな現場にいる人達をヒーロー扱いするというのはやや失礼なことだとさえ言っても良い。もっとも彼ら自身は何とも思う余裕もないだろうが。彼らに報いる方法は、彼らが充分能力を発揮できるような環境を平時の間に整えることだ。はっきり言ってしまえば、毎年の予算を増やすこと。そしてそれが有効に使われているか、官僚の都合が優先されていないかチェックすること。彼らに感謝すると言いながら、予算には関心を持たない人は多いのではないか。年々減っていく予算をどう思っていたのか聞いてみたい。いや聞きたくないわ。予算に関しては全体の額だけではなく、内訳も非常に重要。イージス艦とか支援戦闘機とかMDとかも大事だけど、もっと地味なところは蔑ろにされがち。柱の浮いた廃墟のような倉庫とか、すぐちぎれるペラペラの個人装備とか、歩いてるだけですぐ部品がなくなる小銃とか。今や第三世界と呼ばれた国々の軍隊の装備にも劣る点が多々ある。ハイテク装備にだけ目を奪われるとこうなる。
自衛官らを超人扱いして有り難がるのはやめよう。頑張ってくれてる同じ日本人として感謝しよう。
コンプレックスの強い人がそれを軍隊のロマンへの心酔という形で発散したがるというのはよくあることなんだが、今の日本では主にネトウヨがこれに該当する。極端な国粋主義というのは軍隊の内部よりも、外部から内部に浸透してくるものだと考えている。三島由紀夫が自衛官に冷笑されたのは当然。軍隊ではああいう人は一番浮く。井上和彦とか話にならん。ああいう人はヒーローを語ってその尻馬に乗ろうとしてるだけ。
連日の過酷な状況を伝える暗いニュースの連続で、自分自身は直接被災していないにも関わらず、心が参ってしまう人が続出。見なきゃ良いんだけど気になるから見てしまうんだろうね。そういう人はなるべく民放のセンセーショナルな番組を見ないようにした方がいいと思う。とかく人の不安や恐怖やらを煽りがちなので。情報は1日1回、NHKのニュースを見て、後は新聞の一面でもざっと眺めれば充分でしょう。
ネットの情報は読み解くのに相当のリテラシーと時間が要求されるのでこういうときは実はあんまり実用的でない。
んで、自主規制とか自粛とかいわれる物が行きすぎというのも分かるが、わざわざ話題を逸らすこともないとも言える。そういう訳でこの文章を書いている。
遺体を映すべきだという声をよく聞くけど、それは要らないと思う。それを見てたらどうなるの?慣れるの?そんな場面を見なくても震災から学ぶことは十分出来ると思う。
以下加筆するかも・・・・多分しない
日本の先駆的研究者、松浦祥次郎氏も再考を迫られたことを明かした
不可欠であっても数は減らせる
M9レベルを基準にすることについての国民の合意を確認しておく必要
数十兆のダメージか→国民皆でかなりの負担をすることになる(全員が「被災者」でありサバイバー)
今の日本に必要なのは抽象的な協力概念ではなく、国民が賢くなって賢い政治を選択すること
戦後政治を変えるのは震災前から喫緊の課題であったがもう猶予は一切無い
今、間違った復旧・復興をすると取り返しがつかない→反面、新しい街作りの機会
補償にも効果測定は必要(効果は補償された人・されなかった人・国民全体の人心の安寧も含む)
その防止策は?
場所は確かに難があるが、では財政難の中でどの選択肢を採れるか
庁舎近辺を徐々に再開発するのは無理?庁舎が来れば需要も生まれるのでは?
数々の地震に耐えた現庁舎も今後はさすがに不安(そこが出発点だったはず)
他にもあったけど、ありすぎて忘れた。とにかく考えさせられたことが多すぎて全部覚えてらんない。不安を煽るつもりはないが、もはや崖っぷちであることは事実であると認識した上で勇気が必要。
こういうアホなりにも真面目に考えてびっしり(というか8行おきじゃなく)書かれた文章(つっても作文程度だが)より、どっかの歌手が書いた5行くらいの詩を読みたがるのが大衆なんだと思ってるけど。
きっちり考えるより、分かりやすい言葉に感動してる方が圧倒的に楽だという誤謬の根本原因をどうするのかまで考えないとな。それは俺なんかより、インテリが考えるべきことなんだけど。インテリというのは優れた思考力を与えられている分、俺たち愚民を導く責任があるんだよ。ワンフレーズで国民を先導ならぬ扇動する政治家とか論外。
で、NHKの水野解説委員と横尾アナウンサーには萌えた。彼らは常識的なインテリだと思う。他にもテレビに出てる人でもいいこと言ってる人はいるし、それが放送されているのだから、まだマスメディアには存在価値が残っている。
追記
読めば分かると思うが、私のこの文章が歌手の安っぽいフレーズより有用だという主張をしているのではない。下らない物が結果的によい効果をもたらすことは良くあるし、私から見て下らない物が世の中のためになる価値ある物かも知れない。しかし、そういった価値判断以前に、単純に、真面目に書いた長文より情緒的なワンフレーズがとっつきやすく、それだけで満足してしまうことによる誤謬の可能性というのは大きいという構造の話。いずれにせよ、その辺はこの文章の主題ではないんだけれど。
ようするに、QBの価値観は人間の価値観から理解できる価値観か?という話で
9話によって、QBの価値観は人間の価値判断から、理解可能な価値判断である。という結論に達して
であるならば、価値観がバイライナーなので、QBの価値判断から、人間の価値判断が理解可能という結論に達して
他の星からの、外交問題であり、生命体同士の外交問題に触れているので、これは、たんなる侵略。
地球上の資源を、宇宙に持ち出しているので、一般的に、地球程度の倫理観でも許されないのだから、普通の宇宙のまっとうな文明組織がゆるされるわけがない。
つまり、QBは宇宙の総意を代表していない。代表しているなら、すくなくとも政府との交渉という真っ当な話にたどり着いているはず。
政府としても、小児がん患者や、心臓疾病など、余命3ヶ月以内の少女を魔法少女として延命と引換になどの、具体的な取引ができたはず。
魔女の生贄は死刑囚とかでも、いいわけだし。他の生命体で代用可能か?の研究も出来るだろうし。
文明を持つ生物であれば、政府取引するのが外交なんであたりまえ。
すくなくとも、文明同士の価値観のすり合わせから入るのが末等だし、受動的な嘘を能動的につくのは能動的な嘘である。という価値観が存在して当然。
ようするに、QBは一般的な国家間の文明同士の交流の手続きを踏んでいないので、おそらくは、エネルギーの密輸業者か何か。
地球から、エネルギーを取り出して、海外で高値で売りさばく、犯罪者団体の一人という可能性が浮上。すくなくとも、文明団体の代表ではない。
だいいち、こんな、原始時代的狩猟生活をするのではなく、そうやって、政府管理の元 長期的案 計画畜産をしたほうが、より多くのエネルギーを長期的に取得できるというのが、非常に合理的な考え方。
なぜ、合理的に人間という種族にたいする計画畜産をしない?=それは密猟者だから。という解答にしかならないんじゃね?