2015-08-17

人生勝ち組・負け組と分けるのは弊害しか無い

競争において勝者と敗者が生まれるのは必然であることも、現代社会の中に競争の形を取るもの散見される事を否定するつもりはない。

だが、人生のものを勝者・敗者で区切るべきではない。

何故なら人生競争ではないからだ。

誰かを貶めてのし上がるものがいて、反対に奪われ続けた事で人生台無しにするものがいる事も否定する気などない。

だがその前者が勝者だとはとても思えないし、後者が敗者だとも考えられない。

また同様に、生まれつき恵まれ生涯に渡りまれ続けたものとその反対に居るものを勝者・敗者と分けるのも相応しとは思えない。

では何故、世の人は己や他者人生を勝ち負けで区切ろうとしてしまうのか。

それはひとえに誤謬である

競争に勝ち続けた者は自然人生の良い側に進みやすく、反対に負け続けた者は悪い側に進みやすい。

から人生のものも勝ちと負けなのだ

知能の程度を下げれば一見正しそうに見えるが、知能の程度を標準レベルに戻せばすぐに誤りであると分かる。

だが人はこんな簡単な事になぜか騙されてしまう。

何故なら、多くの者が同じ間違えをし続けているからだ。

人間は暗示に対して脆い。

同じ言葉をかけられ続ければやがてそれが真実だと思い込む。

故に多くの者が間違え続けている空間にいると真実を見失う。

レミングス集団であるからこそ崖に飛び降り帝国海軍一億総火の玉であるが故に神風と化す。

一匹のレミングスは崖の危険性を知り、1人の日本人は勝機の無さを理解しているが集団となった時それは失われる。

人生を勝ち負けに分けることは論理的に正しくない。

だが、もしも正しくなくてもそれが人を幸福にするのならば辞める必要はない。

祈って心が救われるならば信仰の真贋など二の次である

だがこの信仰は人を救わない。

邪教である

簡単なことだ。

勝者と敗者に別れる時、それは戦である

そして戦において、そこには敵と味方が生まれる。

そして勝者と敗者の概念が個々人の判断に委ねられる時、回りにいる大部分が敵となるのだ。

あいつは俺よりも金があるから敵、あいつは俺よりもブサイクから敵。

下手をすれば回りの全てが敵に変わる。

そしてその敵の群れに勝つためにその場その場の勝利ばかりを目指す。

何故なら敗者には権利など無いからだ。

他者を敗者と思い人に辛く与えればそれは真の敵になる。

己を敗者と思い人にへつらえば誰もが真の敵になる。

そうして回りの全てが本当の敵になるのだ。

最後に得をするのは優しい言葉をかけて金をむしり取る詐欺師だけ。

勝ち負けの二元論とは即ち、異分子が己の入り込む隙を穿つために人々を引き裂くことを目的とした嘘に他ならぬのである

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