はてなキーワード: 利己的な遺伝子とは
利己的遺伝子論とは何かというと、生物の振る舞いにおける「利己的な」存在単位は、生物種でも生物個体でもなく、遺伝子だという理論である。たまに、「生物は利己的に振る舞うように遺伝子によって決定づけられている」という理論だと思っている人が観測されるが、全くそんなことはない。むしろ、利己的なのは生物個体ではなく遺伝子だとすることで、一見不合理な(利己的でない)ように見える生物個体の振る舞いを、実は遺伝子にとっては合理的な(利己的な)行為として説明することができる理論である。
よく知られているように、人間には異性愛者とそうでないものがおり、マジョリティは前者だが後者も自然状態で数パーセント〜10パーセントほど生まれるという。そして、これは人間だけでなく、自然界の他の生物種にも普遍的に見られることが知られている。よく、「ゲイは子孫を残せないから生物として不自然だ」という非常にナイーブな主張があるが、少なくとも人間に特有の現象でないことは明らかである。
では、子孫を残せない同性愛者は、なぜ自然淘汰されないのだろうか? ダーウィンに従うならば、子孫を残すのに不利な形質は淘汰されるはずだ。
答えは簡単。同性愛は子孫を残せないが、遺伝子は残せるからである。
どうやって? 自分が同性愛者であっても、自分の遺伝子の大半は、自分の近親者に共有されている。したがって、自分の近親者が子孫を残し繁栄すれば、自分の遺伝子も受け継がれるのである。
逆に、遺伝子がほとんど同じものが複数いるのだから、何も全員が子孫を残さなくてもいいわけだ。全員が異性愛でなくても、何も不自然なことはないのである。
いやさ、利己的な遺伝子的な考えで、メスは出産のコスト、リスクが高いので、オスの選択には慎重になる、ってそのままなんじゃねーのw と思うよ。
君はまぁ「男女逆にしたらゲロはくでしょ」っていうけど、ナチュラルに女性はそう思いがち(遺伝子の素直な発現)なんじゃないかなー、と思う。
でさ、セクハラとか政治的な正しさとかフェミニストが訴える理想的な男女のあり方みたいなものでさ、
男性からのセクハラは少なくなって、女性の性的自由、アプローチする自由が認められたらとして、
『それで女性が積極的になるか?』っーと、ならなかった訳ですよ。マジ失敗思想な訳。女性は変わらないし、じゃあ男性も(法的な範囲内で)古典的なマッチョな男性像をなぞった方が男女ともにマッチングしやすいよね、というのが今かなー、と思うよ。
また書きます。と結び↓つつ、2ヶ月あっという間に……。
https://anond.hatelabo.jp/20170516165447
夏休み中に誕生日を迎えるので、誕生日プレゼント兼読書感想文向けに、
まずはここら辺かな、と
https://anond.hatelabo.jp/20170515180123
https://anond.hatelabo.jp/20170515185422
でいただいたおすすめ本より、
『数の悪魔』
を注文しました。
明日には着くのかな。
息子の反応が楽しみです。
他におすすめいただいている
『オイラーの贈り物』
『利己的な遺伝子』
この辺りは、過去に私が全く関心を持たなかった分野なので、どれもこれも情報ありがたかったです。
唯一、結城先生の『数学ガール』シリーズだけは存在を認知していたので、著者が日本人で昔からTwitterされてる(もちろんはてなーでもある)のって影響あるのだなー、と実感できました(笑)
その後の息子の様子ですが、
夏休みに入る前の三者面談(担任+特別支援の先生+母である私)では、
「立ち歩きもなくなったし、積極的に発言するなど授業に対しても意欲的ですよ!」
と、ホッと一安心でした。
低学年では「先生の目が届くように」との配慮で、常に最前列を横移動していたような状況でしたが、
今年は一度後ろの席にしてみたら、それがハマったのか全く立ち歩きなく落ち着いているのとのこと。
おそらく、持たせている自由帳への落書き(すごい密度でゲームの構想が…)という内職に集中しやすいからじゃないか、と母としては予想しているのですが。
(教室からの脱走防止アイテムとして、入学当初から教科ノート以外に自由帳を持たせること、授業中の使用許可をいただいています)
今年の夏休みは、こども対象のプログラミングコンテストなどに応募出来るといいな。
息子自身が完成出来るところまでやる気が持続するかが怪しいですが、まず、ちゃんと完成させて1つ達成感を持ってもらうことが目標です。
沢山いただいたトラックバックに個別にお返事できずでどんどん時間が経ってしまっているのですが、聞いてよかった!!ありがとう増田日記!という感じです。本当にありがとうございます!
情報系の博士号持ちの横田ですが、ここに挙げてくれている三冊だけは絶対おすすめです!
吉田武先生の本だと、持ち運びのしやすい『オイラーの贈り物』も良いでしょう。
ここに挙がっているのは数学系の本になりますが、他の分野に目を向けるのも、息子さんの選択肢を広げるのに良いでしょう。
物理学者のファインマンの『ご冗談でしょうファインマンさん』や、動物行動学者のローレンツの『ソロモンの指輪』などは、
息子さんなら小学校に在籍している時点でも読めるかと思います。
もう少し大きくなったら、進化生物学者・動物行動学者のドーキンスの『利己的な遺伝子』も良いでしょう。
横田の専門分野的には、折角息子さんがプログラミングにハマっているとのことですし、アルゴリズムに関する本も良いのでは
と思います。灯台下暗しで、どれが今の息子さんに良いと今すぐ紹介できないのがお恥ずかしいですが…
学校で横田がやってもらえて嬉しかったのは、上の学年の教科書を貰えたということでしょうか。
高1まででさっさと高3の教科書まで全て終わらせた後は、丸二年間数学の授業の時間はフリーダムに大学数学をやっていて良かった
R.ドーキンス博士の「利己的な遺伝子」「神は妄想である」を続けて読んだ感想。
進化の過程において、一部の生物は自己の遺伝子を有利に残すため、子を世話する=利他性という資質を身に付けた。
生存に有利な資質の一種、利他性を持つ個体の割合が多くなった。ここまで前提。
利他性というものが生得的資質であるならば、慈善、正義というものも本能の一種であり、生理的快感を伴うものではないか。
生理的快感に従って行為するがゆえに、「困っている人」には注目し快感の命じるままに主観的慈善行為を行い或いは正義のため糾弾し、「困っている人」でなくなったら忘却するという現象が起こるのではないか。
この仮定が正しければ、単なる生理的快感を他者に役立てるためには理性による制御が必要だということになる。
自分の頭ではここまで。
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早速指摘あったので追記します。
「個体が好き勝手カオスに選択しまくった無限の乱数の結果一定の偏り(ESS)で収束が生まれる」というのは実に面白いなあ、でした。
書き方と自分の理解両方に不足があったと思います。指摘ありがとうございました。
なんでこんなエントリを書いたかというと、「おもいやりをもちましょう」と教える現行の道徳教育って思わぬ善意の落とし穴を作ってるんじゃないか、とふと思ったのが発端。
もし利己的行為を各自選択することでお互いが生存に有利に働くシステムを構築することができれば、生物学的に見て一番無理がないのではないだろうか。
そういえば、先月は番茶でアニメを殆ど見てないことを思い出しておそ松さんの続きを見始めたら、ローション会だった。
1クール目のおそ松さんは好きだったんだけど、2クール目は女子向けに突き抜けすぎて、ちょい食あたりやなぁ〜。
16話って女性の業の深さが見えて、「逆恋愛工学」みたいになってて、一周回ってホラーにしか見えないんだが…。
ここで言う逆とは「恋愛工学めいた【利己的な遺伝子】的発想を女性側が自分達が干からびてでも受け入れる」という意味での逆。恋愛工学…つまり、正位置では振りかざしてたことをね
2クール目のおそまつさんは見ないほうが良かったのかな…特に16話は最初っから最後まで媚び媚びすぎて、しんどい…。
なんだろう…こうじゃないんだよ。
どっちかというと、少年マンガとかロボットアニメの1シーンからヤオイ的なものを拾っていくのが好きな感覚を「腐」として認識するわけで
少女マンガはあの独特のテンプレのシュールさを楽しむ、バカエロ系AVとか、テンプレート的なライトノベルの女版文化だと思ってみてました。ごめんなさいw(たまにすげーいいのはあるけど、典型的な奴は本当にシュールっす)
妹にハルヒとかおおふりのキャラソンをかたっぱしから聞かされた時のことをおそ松さんのエンディングの入りで、思い出す。
地獄の16話終わったと思ったら、17話は十四松まつりかよ…マラソンで見ようと思ったら、タフネスが要求されるなぁ〜。これ。
16話でなんか、最近の嫌なことを色々思い出して、思考がこじれたから寝るけど
恋愛カテゴリに手を出して、女性向けアニメ見るとなんか精神の平穏を保ちながら見るのがすげーしんどい。
ゲスな女の恋バナと、部分的に一致していくのを見ると「あーオタクでも女の子はやっぱりそっちノリなのか?」みたいな気持ちになる(実際そうなのかはサンプル不足で謎だから気持ちの問題)
自分の語彙力不足と経験不足で、ゲスな恋愛論を言う人間と、女性向けのオタク的な色恋ものをきっちりと切り離せない。
これが、男性向けだと「ねーよ」とか「うぶすぎてかわいい」ってのが全部仮想的であると同時に安心するんだけど…。そして、ないと思っても意外と初な女性っているからねぇ…うん
前に、とれいC(@sakenomitracy )さんから「他の記事はいいのに、青二才さんの恋愛論だけはなんか違う」って言われたのは本当に的を射てると思う。
というのも、恋愛論をかじってから、人間の見え方が変わっちゃって、不信感とアウェー感で押しつぶされかけてるのよね…うん。
正直言って、恋愛のコツは2つしかない。「足るを知ること」と「自分がモテたいタイプの人のいるところに行く」ことの2つ。
で、恋愛論の多くは「ミスマッチを他人のせいではなく、大半は自分の鏡でしかない」と気づいてないだけ。
結局のところ、なんで恋愛論が存在するかというと、結論よりも共感を大事する女と、そこにうまく頷くとヤれること・モテることを知ってる男が「男ってホント馬鹿ね」「あいつがモテないのはキモいからっしょ」といいあうという地獄。
リア充版駄サイクル
頭の悪いやつのために補足しておくけど、ヘイトでもミソジニーでもないです。
1冊で人生が変わるなどと思うな、と誰かがお説教していた記憶があるので、
あなたの人生に一番インパクトを与えた1冊を教えて下さいませんか。
ジャンル不問!
(でもあんまり高価すぎない本のほうがいいかも。Kindleの本でもダイジョーブです)
- 城平京『名探偵に薔薇を』
- 筒井康隆『エディプスの恋人』(『家族八景』『七瀬ふたたび』)
- ティムール・ヴェルメシュ『帰って来たヒトラー』
- 沼正三『家畜人ヤプー』
- レオナルド・サスキンド『宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す』
- 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』『獄中記』
- 岩波文庫編集部『世界名言集』
- リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』
- 蓮實重彦『反=日本語論』
- 宮崎駿『風の谷のナウシカ』(全7巻)
- 谷崎潤一郎『春琴抄』http://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56866_58169.html
- ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』
- ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
- オリヴァー・サックス『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』
- 中島らも『ガダラの豚』
- 孫武『孫子』http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/31_sonshi/
- 鷹家秀史『英語の構文150―UPGRADED 99 Lessons』??
- 石川正明『化学の発想法―原点からの化学シリーズ』
- 渡辺次男『数学I(なべつぐのあすなろ数学)』
- 山本周五郎「橋の下」(『日日平安』所収)
- ロバート・B・チャルディーニ『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』
- 遠藤周作『沈黙』
実際に読み始める前の期待に胸膨らませてるこの感じのほうが好きかもしれません。
適当なつぶやきですみませんね。と、いいつつこれも酔っ払いの戯れ言ですが。
利己的な遺伝子みたいな考え方でさ、ある程度成功した男性が浮気をしたくなる、というのは動物行動学的に正しいんじゃないだろうか。
それなりに優秀になりえる遺伝子が多く残るようになれば、その種族は増えやすい。たぶんそんな時代があったんではないかな、と。
一方で女性観点だと上昇婚傾向がある。男は甲斐性というか年収、学歴などにこだわる傾向が非常に強い。これは男女平等に近いEU諸国でも同様。「成功した男性」を求める傾向がある。
(この辺は Buss and Schmitt 1993 あたりに詳しかったです。それを紹介している「科学でわかる男と女の心と脳」 麻生一枝もおもしろい)
結果的には男女共に一夫多妻制が女性の(上昇婚という)欲望を満たせるんではないかな、と。そんな風におもったんですよね(これが最後の行の話)
あと、このエントリもおもしろかったですよ ノルウェーの高出生率の裏側~男の二極化 http://totb.hatenablog.com/entry/2014/05/17/204346
それと「パリの女は産んでいる―“恋愛大国フランス”に子供が増えた理由」中島 さおり も面白いです。
愛の国フランス、男性観点だとまぁ口説きまくりだし、離婚しても共同親権だし、子育ては国がシングルマザーでも働きやすいように面倒みてくれるし、という状況。
日本での少子化って「いかに女性に生もうという気持ちになってもらうか」みたいな点がフォーカスされがちだけど、それだとカップリングがうまく行かない訳で、海外はうまくやってるなという印象がある。
私は金がないときに結婚した。年収400万円程度。で600万円くらいになったら、なぜか他の女性をチラ見したくなってきた。たぶん年収が下がったらチラ見する余裕なんてなくなると思う。
自然界において攻撃性は種を繁栄させるために非常に重要なものだ。
天敵となる生物を早めに衰退させ、餌となる生物を手当たり次第に狩っては脂肪としてエネルギーを蓄える。
これを行ってきた生物だけが自然界のヒエラルキーで上位に立つことが出来た。
逃げまわってばかりいたのでは何万と存在する他の生物たちに領地を追いやられてしまう。
外敵が住まないような場所に引きこもっていれば自分たちの種が滅びない事は可能かもしれないが、頂点に君臨することは出来ない。
我々の血にはたっぷりとその頃の習慣が残っている。
弱っているものは狩れ、軟弱な仲間は排除せよ、とにかく己が豊かになるためにこの世界を利用しろ、犠牲にしろ。
これは「生物界の頂点に立つような生物」であった人類が所得した本能として仕方のないものなのだ。
所詮、理性と呼ばれるものも、利己的な遺伝子が効率のよい繁殖を行うために作り上げた電気信号ネットワークの投影する虚像にすぎないのだから。
その虚像が生みの親の命令に逆らって、生まれ持った攻撃性を完全に抑えることができるようになる日はいつか来るのかもしれない。
だけどそれはまだ遠い話だ。
世の中の人間がやたらと人様の揚げ足を取って薄汚い笑みを浮かべたいそう幸せそうにしていても、それは仕方のない事なのだ。
「大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除・ソート。出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れてしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデル、エッシャー、バッハ─
の長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記)
そうなると「配偶者を守ろうとする」のは本能ではないってことか。
「自分の遺伝子を受け継ぐ子を作る相手だから」と言うかもしれないけど、遺伝子的に言うなら特定の相手にこだわる必要がない。今の配偶者がいなくなっても別の配偶者に産ませる/種つけしてもらえばいいんだから。それでも「子を産める機能があるのにそれを失うのが惜しいから」というなら、もう子どもが産めない年齢の夫婦は全て冷めていてしかるべき、ってことになるはずだし。
ま、人間の感情を全てそれで示せるわけではないだろけどね。血の繋がらない養子をほんとうの子どものように愛せる親もいるし、子を産めない配偶者を愛する人もいるし、血の繋がった子を殺す親もいるわけだし。遺伝子で全てが決定されるわけでもなければ、それのみに従って生きているわけではない。せいぜい「その傾向がある」程度なんじゃないかな?
だからそれを持って「本能だから仕方ない」とか言ってるのはばかばかしいと思っちゃうんだよねー。人間は利己的な遺伝子の軛から実はとっくの昔に解放されているんじゃないかな、と。良くも悪くもね。
・われわれは生存機械--遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。この真実に私は今なおただ驚き続けている。私は何年も前からこのことを知っていたが、到底それに完全に慣れてしまえそうにない。私の願いのひとつは、ほかの人たちを何とかして驚かせてみる事である。
・「乗り物」(普通は個体)とのその中にいてそれを運転する「自己複製子」(実際は遺伝子)の間の区別について、わたしが明確な考えを持ち始めたのは、ようやく1978年になってからだという事情がある。
・自然淘汰の単位として競合する遺伝子と個体の間の見かけ上の論争(故エルンスト・マイアを最後まで悩ませた論争)は解消されている。自然淘汰の単位には2種類があり、その二つの間に論争はない。
遺伝子は自己複製子という意味での単位であり、個体はビークルという意味での単位である。両方とも重要なのである。
・「利己的な遺伝子」のもうひとつのいい代案は「協力的な遺伝子」だったかもしれない。それは矛盾してまったく正反対のように聞こえるが、本書の中心的な部分は、利己主義的な遺伝子の間におけるある種の協力を主張しているのである。
このことは遺伝子のあるグループが自分たちの仲間を犠牲にして、あるいはほかのグループ犠牲にして栄えるということを意味するわけでは断じてない。
そうではなく、各遺伝子は、遺伝子プール-ひとつの種内で有性生殖のシャッフルの候補となる遺伝子のセット-に含まれるほかの遺伝子が作る背景のもとで、自己の利益を追求しているとみなされる。こうしたほかの遺伝子は、天候、捕食者や獲物、生命を支える植物や土壌細菌が環境の一部であるのと同じ意味で、それぞれの遺伝子が生き残る環境の一部なのである。
・ローレンツの攻撃、アードリーの社会契約、アイブルアイズフェルトの愛と憎しみ、もこのような問題を論じているといえようが、これらの本の難点は、その著者たちが全面的にかつ完全に間違っていることである。彼らは進化の働き方を誤解したために、間違ってしまったのだ。彼らは進化において重要なのは個体ないし遺伝子の利益ではなくて、種ないし集団の利益だという誤った仮定をおこなっている。
・ダーウィニズム理論の現代的説明の驚くべき結果のひとつは、生存の見込みに対するささいな作用が進化に多大な力を及ぼしうることである。これはこうした作用が影響を及ぼすのに使える時間がたっぷりあるからである。
・おそらく群淘汰説が非常に受けたのは、ひとつにはそれが、われわれの大部分が持ってる倫理的思想や政治的思想と調和しているからであろう。
・進化を眺める最良の方法は最も低いレベルに起こる淘汰の点から見ることだ、というわたしの信念について述べなければならない。
・複数の誤りが進化に必要不可欠だという説と、自然淘汰が忠実な複製に有利に働くという説は果たして両立するものだろうか?われわれは自分が進化の産物であるがために、進化を漠然と「よいもの」であると考えがちだが、実際に進化したいと「望み」ものはないというのが、その答えである。進化とは、自己複製子(そして今日では遺伝子)がその防止にあらゆる努力を傾けているにもかかわらず、いやおうなしに起こってしまう類のものなのである。
・化学的手段を講じるか、あるいは身の回りにたんぱく質の物理的な壁をもうけるかして、身を守る術を編み出した。こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。自己複製子は存在を始めただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をも作り始めたのである。
・海中を気ままに漂う彼らを探しても無駄である。彼らは当の昔にあの騎士のような自由を放棄してしまった。今や彼らは、外界から遮断された巨大なぶざまなロボットの中に巨大な集団となって群がり、曲がりくねった間接的な道を通じて外界と連絡を取りリモートコントロールによって外界を操っている。彼らはあなたの中にもわたしの中にもいる。彼らはわれわれを体と心を生み出した。
・遺伝子が決定論として批判されるような強い意味でのその創造論を制御したりしないことは、誰にも理解できることだ。われわれは避妊手段を用いるたびに何の努力もなしに(そう、かなり簡単に)、それらを否認しているのである。