はてなキーワード: レミングスとは
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472
この記事に関する違和感をようやく理解。
この人と私では同じ現象を見ても、根本的にみる軸も方向性も違うのだ。
「自己嫌悪につぶされるくらいなら自分に優しく」というだけのことを言うために
こんだけ人をボコスカに貶めなければいけない人というのは、戦国時代ならともかく現代では生きづらそうで気の毒だ。
気の毒なだけならともかく、そのボコスカ部分をを敷衍しようとかしてるなら母親以上に有害な存在になりかねない
(文章中から判断するに今のところそこまでは考えてないっぽいが、今後も周囲から理解されてないと感じ続けたなら原理主義者に化ける素質は十分ある)
いわゆるこの手のタイプ > http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html
私は彼女が上げている事例を見て、
「自分が嫌われないために気を使う人」なんてどこにいるんだ?と思った。
彼女が敵意を持って恣意的に解釈しているだけで、彼女の母親の行為は彼女の解釈では説明できないと思った。
なぜなら、「自分が嫌われないために気を使う」ことと「身内をぞんざいに扱うこと」はイコールではないからだ。
前者にエネルギーを使いすぎて後者は手抜きしてしまうってもっともらしい説明が書かれていたが、説明として不十分。
さて、この「なぜ?」という問は、どういう目的で問いかけるかによって全く効果が違う。
解決不可能な「性格」を持って結論とする上の記事は、相手を絶対悪に貶めるという意味で非常に気分の良いものでしょう。
そして、その影響により自分の性格も歪んでしまったので、もうそのまま生きて行くしかないという開き直りも自分にだけは心地良いものでしょう。
そういう目的でなされた「なぜ?」は非常にキレイな答えを出してくれます。なんせ変数が相手だけだからね。
でも、その「なぜ?」は常に後ろ向きなアイデアを生み出します。そしてクソの役にもタチません。ただの精神的麻薬にしかならない。
あとこの記事に幾重にも塗りこめられた無自覚な悪意が、ゲロ吐きそうなくらい気持ち悪い。
その後徐々にポロポロと自覚的に悪意を顕にしていってるけど、最初の文章だけでこの人の「普通の人」に対する悪意は駄々漏れ。
どうせ母親が悪い→母親をこんなにした世の中が悪い(そしてその中に自分は含まれてない。私はただの被害者)的な妄想があるんだろう。
基本的に「暗い人間」の書く文章は、よほど洗練されない限り表に出すもんじゃねーな、と。嵐が丘を読み直したくなったわ。
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110906/1315341364
「教えてもらってない」人が人材を教育した場合、教えてもらってない人に怒られた人が受け取ることは「自己嫌悪」と「萎縮」です。
そして、そうしたことを学んだ人がそうした萎縮や自己嫌悪から来る態度を自然に外に出した時、また人材教育者が怒るという悪循環を繰り返します。
その結果、そうした教えを受けた、本来真っ白であった人はドス黒い魂を受け継いで同じことを他の誰かに受け継がせるのです。
(中略)
それは「気付き」と「考える」ことの不在から来る連鎖でもあったわけです。そうした水を飲ませない体育の授業の構図は今も続いています。
ぶっちゃけ上の記事を読んだ時に「どこの彼氏彼女の事情」だよと思ったし、その他10くらいのマンガやラノベがすぐに頭に浮かびました。
いっちゃなんだが、どこにでもある話である。
もちろん当事者にとってはありきたりのパターンでも大変なことだったことは理解できるが、
そのくせ、これみよがしになされた分析においては、自分の当事者性が欠片も考慮されていない。
母親と自分の関係として捉えるのではなく、母親の異常性だけにクローズアップする少女漫画的な安易な発想。
一見前向きだけれど、レミングスの行進を促しているようにしか見えない記事の結論。
(「私は私のままでいいんだ」ってのは一見救いのヒントのようだけど、そういう考えをこそ母親は心配してたんじゃないの?
それが許されるのは天才だけで、凡才がその道を進むには一度諦観を乗り越えて、報われぬ人生を覚悟の上で選びとる必要があるってわかってんのだろうか
普通の自分に誇りを持って生きるって、そう並大抵のコトじゃないぞ? だから私は「普通」の父親母親を尊敬するが、あなたのことはガキだと思う。)
ガキくさい上に、これが結論と言わんばかりのがんこぶり。
いろんな意味で「若さ」がダメな方向に結晶した記事だと思った。
最後に。
何でも暴力あつかい、何でもハラスメント扱い、何でも差別扱いと、自分と違うものを悪として自分から切り離すと、生きて行けないよ。
この人の文章にはとにかく「自分」が存在しない。「私は私のままでいいんだ」はどこいった
高校卒業前に、こういう「キレイなままでいたい症候群」にかかって自殺まで発展する奴いるけど、さすがに社会人になってこの幼さはちょっと痛々しい。
この記事を読んでもやもやを晴らしておきたかったので書いただけで、もっとも、ただの好き嫌いの問題かつ、年齢の違いに拠るものだと思う。
「私はこの記事が嫌いだ。私は後者の記事を支持する」は、「この記事が絶対的に間違っている」というものではない。
私がこの記事をキライで、著者を軽蔑しているからと言って、他の人にとってこの記事の存在価値がないとは思わないし、著者の人生が間違っていることにはなるまい。
まず先に断っておくと私は学会員ではないし、学会に何の興味も関心もない。
特に嫌いとかそういう感情もないけど、少なくとも私は私の人生において、関わって欲しくないとは思っている。
で、本題なんだけど。
タレントの北野誠氏が(恐らく)ラジオでの放言を契機にして干されかけているって問題が今起こってるじゃないですか。
そしてそれに対してその処分を下した松竹芸能も朝日放送も「どの発言が問題だったのかは言えない」と頑なに口を閉ざして、
当の北野氏も現状で予定されていたイベントやサイン会の類を全て取り消されて公の場に出ないようにされている、っていう。
で、その問題(どの発言が問題だったのかが公表されない、本人が出てこないの)をいいことにして、
mixiや2chで完全に「創価が消した」ってことにして喧伝してる連中が今ものすごい跋扈しているんですよ。
酷いやつになると問題のラジオでの発言とか言って完全に捏造した発言の文章をバラ撒いてる連中も居る。
で、それに対してmixiや2chで「これは酷い。みんなに知らせよう」と言ってバカがバカを呼んで、嘘ソースが拡散してものすごい事になっている。
でも、少なくとも北野氏のラジオのリスナーなら率直な話、恐らく今回の地雷になった部分(ラジオで言う『虎の尾』)はそんな所じゃないことは感づいているわけで。
別に創価の擁護をしたいとは思わないけど、こういう時に、それも一人の人間の一大事だと言うのに、
それを自分の憂さ晴らしのためだけに利用して平気で嘘をバラ撒いて(また、ロクに確かめもせずに騙されたフリをして一緒になって)、
それをネットこそ正義だとか偏向報道は許せないとかカルト宗教は許せないとか、お前ら本当に何者なんだよ、何様なんだよって思う。
だけどそれをどう表現して伝えればいいかわからない。ストレートにいってもせいぜい「学会員乙」「工作員乙」とか言われるだけだし。
前々から感じてはいたけど、この前「ドグラマグラ」が青空文庫で公開されて確信した。
みんな夢野久作が好きすぎる。
夢野に限らずいわゆる狂気系といえばいいのか、みんなそういうのが大好きだ。
それは例えば「tanasinn」だったり、「ゆめにっき」だったり、シゾフレの描いた猫であったり、
斧をふりまわしたりヒロインだったり、恋敵の腹をかっぱさくエロゲアニメだったりする。
音楽だってそうだ。
ヤスタカだってpalだってセラニだって結局はテクノかポップの皮を着たサイコなミニマルじゃないか・・・
なんだろう、これは。
みんな揃って破滅願望でもあるのだろうか。レミングスか。
少なくともただ漠然とした不安如きで自殺する気なんてさらさらない酔っ払いに思えるのです。みんな。
では、これはいったいなんなのか。
このテンデンシーとは。
厨二病の延長なの、か、な?
それはあるいはマイノリティーを「みんな」とマスっぽく飾ってみるような。