はてなキーワード: オクラとは
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。スープ。夜:ナス、オクラ、にんじん、ほうれん草、餅の味噌煮込みうどん。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は暇。
4.5連休にしたいことを考えてた。
パラノマサイトの発売までに癸生川全部やろうかな。
なんてことを考えながらアディショナル新環境。
重なった時に一気に手札を切れるのが気持ちいい。
性能引きしてるとキリないので今回は我慢するけど、褒賞武器の凸がみんなより遅れるのは結構つらみ。
○ウマ娘
もうすぐアニバーサリー。
色々と新しい子が噂されてて、僕の好きなアグネスデジタルと同じレースを走った子も出るとか出ないとか。
次が玉髄確定の箱(のはず、初めてだから勝手がわからんけど)なので、これ開けたら、光楽器ミーレスが出る箱に切り替えようかなあ。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
「沼」とは、シャイニー薊というフィジーカー(ボディビルダーの一種らしい)が考案した、
ボディビルダー用のメシである。が、ダイエット食としても優れている。
その特徴は一言で言えば、「乾物や野菜で最大限かさ増ししたお粥」だ。
お粥ではあるが、米はほとんど使わない。いくら食っても、食っているのは実質ほぼ水なので
俺の場合、ダイエットに取り入れてから(他のダイエットと併用してではあるが)2kgほど減量した。
ちなみに他のダイエットも、カロリー制限や食物繊維、低GIなど食事改善によるものがメインで、
炊飯器に具材をいれて炊くだけで作れる。具材は、さすがに手間ゼロで用意するのは厳しいものの
調理の手間は多少ちぎるくらいで包丁はほとんど使わない、または皆無。
自分にとっては、弁当をレンジで温めたりレトルトカレーをご飯に盛ることは「そこそこ複雑な調理」なのだが、そんな自分でもなんとか作れた。
これがでかい。世の中のダイエット食、特に食物繊維系の食事は「胃に入ると満腹感が出る」というものが少なくないため、
大して食ってないのに満腹感だけが出る。これはこれで悪くないのだが、
満腹感だけを脳にインストールされたような感じがしてどうも座りが悪い。
一方で「沼」は、ローカロリーなぶんあくまで物量で勝負するため、文字通り腹いっぱい食える。
たくさん食えようが栄養があろうが、まずいものは食いたくないのが人間だ。
ご安心あれ、「沼」の通常レシピは日本人(と多分全人類)が大好きなカレー味なので、
日本人である限り無限に食えるようになっている。流石に毎日カレーを食うのは厳しいが、
美味いしいくらでも食えるくせにローカロリー。これが、沼が究極のダイエット食と言える理由だ。
これでもかというほど水を足し、粥を超えて泥状になるまで調理をしている。中には調理後にさらに水を足しているものもある。
増量のためだろうか? しかし、量以上に食感は大事だ。顎を動かさずに食えるというのは、胃の満腹感のみならず
脳の満足感にも悪い影響がある。
そこでこれから紹介するアレンジレシピでは、あえて粥ではなく炊き込みご飯という形態にこだわり、水気を抑えたものを紹介している。
これは適当に作れるという利点の裏返しでもあるのだが、巷の「沼」のレシピは具材の分量が「適量」で済まされているものばかりだ。
しかし、ほんとうに適量でいいのだ。どんなに間違えても、最後はカレーと炊飯器がなんとかまとめてくれる。
それでも、最初のうちは加減が分からず戸惑うだろうと思う。後のレシピではその点も注意した。
前述した通り、沼は分量がでたらめでもなんとかなる。カレーを信じろ。
このレシピも、「適量」だと困る奴のためそれなりの分量を書いているが、米以外は全部目分量とアドリブで作っている。
ちなみに3合炊きのレシピだ。
慣れてアレンジに自信がついたら0.5合以下でもいい。
元レシピのささみに代わり、たんぱく源、兼、米の代用として使っている。俺はそぼろタイプのものをキロ単位でまとめ買いしている。
沼にかぎらず、そぼろ型大豆ミートはひき肉の代用として、麻婆にパスタにラーメンにとあらゆる料理に混ぜて使える便利な奴だ。
オートミールをそのまま炊飯すると、これまたデロデロの糊状になって風味がよろしくないが
大豆ミートのつなぎになるかと思い少量混ぜている。不要かもしれない
俺はシイタケがあまり好きではないので、5mm~1cm大に小さくちぎっている
ここまでちぎれば風味が紛れて分からなくなるし、シイタケ自体はかさを増すためには無視できない
わかめはかさ増しには優れているが、食感が悪いし風味が合わない(ワカメが入ったカレーがあるか?)。
代用としてひじきを入れる。これも口に入れると結構カレーと風味がかち合うが、食感はまったく殺さずにカレーと合うのが良い。
市販のルーを、溶けやすいように細かく刻んで具材に混ぜる。普通は1でいいが、自信がないときや好みに応じて1.5ブロック入れる。
説明不要のダイエット食。沼とは相性がいいので、小さい短冊にするか細かく刻んで入れる。
これもアドリブofアドリブで、何をどれだけ入れてもいいのだが一例を挙げる
元レシピではオクラを入れていたが、俺はオクラも嫌いなので代用にピーマンを使っている。
種を取り千切りにする。
全部ジャーにいれたら、水を普段の3合炊き分入れて普段通り炊けばいい。
炊く前と炊いた後に軽く混ぜるとベストだが別にやらなくてもいい。
味は普通にカレー味の炊き込みご飯。米を0.7合しか入れてないのに、きっちり3合分炊けるからすごい
食ってもしっかり歯ごたえがあり、かさ増しした感覚が全くない。
沼はローカロリーではあるが、ゼロカロリーではない。当然、カロリーを相殺するほど大量に食っては意味がない。
少なくとも、沼を食った食事では他に余計なものは食わない、間食はとらないといった配慮が必要だ。
沼は美味いし量もあるので、この縛りはそこまで辛くはない。
さらに言えば、ダイエットを沼に頼らない、頼りすぎない配慮もいるだろう。
俺の場合、ダイエットがつらくなってきたが好きな物を腹いっぱい食いたい、そんな時に
チートデー(ハメを外して好きなものを食っていい日)に対する準チートデーのようなものとして、
緩衝材というかチートデーの先延ばしというか、そういった体調や満足感の調整に使っている。
上のレシピでは外せないのが米、カレールー、干しシイタケあたりで、大半がその場のアレンジで何とかなるものだ。
包丁を持つ気力がなければ乾物と冷蔵庫の残り物とルーをぶちこんで食う前に溶け残ったルーを混ぜればいいし、
それでもアレンジに失敗しないためのポイントがあるので最後に紹介する
葉物を入れても、どうせ水気が出た後は体積が激減してしまう。
葉物はあくまで風味付けや食感付けと割り切り、どうせ野菜を入れるならかさを稼げる根菜をメインにする。
逆に言えば、少々口に入れてもカレーを殺さないものなら何を入れてもいい。カレーを信じろ。
サラダをコスパよく取ろうとすると何が最適解なんだろう。誰か教えて。
自炊だと種類多く取ろうとするとその分調理時間かかるからあんまりしたくない。
ウーバーイーツのサラダ屋で頼んで、オクラ、鶏肉、アボカド…とか追加してくと2000円ぐらいになる。
食べてるものとか、調理しなくていいとか外でなくていい、とかの利点積み重ねてくと妥当といえば妥当だとは思うけれど流石にやり過ぎ感を感じているし、もう食べれない、というほどの量でもなし。
都心のOLがランチで食べるサラダボウル屋だと1500円前後と思うとそんなもんなのかもしれないが。
コンビニとかスーパーで山ほどサラダ買ってきたらいくらになるのかは試したことないけどどうなんだろう。
サラダチキン的なものはせいぜい200円とかだし実はそのほうが安い…?
ただしコンビニとかのサラダは水洗いしてて栄養ガーとか言う話は聞くが…
サイゼリアはラージサイズのサラダでも6,700円とかそんな感じだった気がするから、サイゼで2000円分サラダ食べた方がいい、という話もあるかもしれないがどうなんだろう。
○ご飯
朝:なし。昼:酒。手羽先。サラダ。パスタ。夜:チキンカレー、ジャガイモとオクラのカレー、ナスキーマカレーの三種のあいがけカレー。
○調子
○アニシャドF
アニシャドの縦軸の話全部ほったらかして、この二人の関係値だけを延々とやってほしい。
時々アリスとミモリを交えてほしい。
大好きこのアニメ。
宝箱全部開ける程度にはモチベが高い。
楽しかったーーー。
コインをいっぱい集めると言うサブ目的のおかげで爽快感あって楽しいコースが多かった。
DLCコースはどうしようかなあ、ちょっとピンとこないからパスかな。
サンシャイン>NewWii>New2>3Dランド>ワールド>ランド2>3>1>ランド>ギャラクシー2>ギャラクシー>64>2>NewDS>USA
って、これメーカーはどうするんだろ。最初から入ってるコースだけ遊ぶとかかな。まあ一旦飛ばすか。
○NewスーパーマリオブラザーズU DX
というわけで早速購入してプレイ開始。
今日はブンブンを倒しただけ。2Dマリオでブンブンめっちゃ久しぶりだな。3Dだと3Dランドであったばっかりだけど。
あと急に全然脈絡のないこと書くけど、クッパ七人衆全く覚えれない。
名前は言えるんだよ、ラリー、ロイ、ルドウィック、ウェンディ、イギー、レミー、モートンでしょ。
で、紅一点のウェンディ、髪の毛ふさふさのルドウィックは見た目が違うから大丈夫。
この中でロイはスマブラで散々擦られたからグラサンがロイで、そうじゃないのがモートンって覚えれた。
誰が誰だかさっぱり覚えれなくない?
「そうめんはもう茹でないでください!!」女将の戦後体験から生まれた調理法に「目から鱗です」
https://maidonanews.jp/article/14387882
「お願い、とうもろこし茹でないで!」スーパー青果部直伝【最もラクに食べる裏ワザ】30万人感激
https://www.o-uccino.jp/article/posts/90575
「お願い、枝豆茹でないで!」JA全農広報部が提案【震えるほどウマい食べ方】平野レミさんの仰天系も
https://www.o-uccino.jp/article/posts/91628
https://buzzmag.jp/archives/399604
いんげんはけして茹でないで下さい!ぺぺロンインゲン|けんますクッキングさんのレシピ書き起こし
https://tuberecipe.com/recipe/9021/detail
(参考)
○ご飯
朝:たまごとじ豆腐。オクラとほうれん草の味噌汁。昼:なし。夜:ニンニクのホイル焼き。カルビ。ロース。ご飯。レバー。
○調子
来週から忙しくなるので、山ほど昼寝して、肉とニンニクを浴びるように食ってエネルギーを蓄えた。
○メタルマックス買えない
DL版のストアでは販売停止してるし、Amazonなどではプレミア価格だし…… ぴえん。
面白かったー。難易度も程よく難しすぎず優しすぎずだし、ステージクリア型で悩まずサクサク遊べるし、3Dマリオの中ではかなりの好き好き度合いかも。
3DSの3D表現のおかげでジャンプの制御もしやすいのも良いね。やっぱマリオはジャンプの楽しさが大事だもんね。
タヌキマリオが便利すぎるのは、空中制御変身は毎回こんなもんかな感もあるし。
サンシャイン>NewWii>3Dランド>ワールド>ランド2>3>1>ランド>ギャラクシー2>ギャラクシー>64>2>NewDS>USA
相変わらずやり込み要素込みとクッパ倒しただけのが混在してるし、3Dと2Dが混在してて気持ち悪いけど、ここまできたらあとは、New2、NewU、3Dワールド、ラン、オデッセイの5作品なので、全部終わってから考えようと思います。