はてなキーワード: 電子書籍とは
作者にとっては唯一かもしれないが、隙間時間に適当に眺める側からしたらその更新頻度は重いと思うぞ
web媒体の小節やら漫画は雑誌と違って読みにくいしとっちらかっていてアクセスも面倒だしちょっと見逃しているとすぐ有料になるなので萎えた
受験回数 1回
勉強期間 2ヶ月(参考書読み0.5ヶ月+過去問演習1.5ヶ月)
高校地学の気象分野を履修してなければ(自分はしてた)、参考書(入手可能なら教科書)で勉強しておくことを薦める。ここをすっ飛ばして試験用参考書を読んでもおそらく消化不良を起こす。
高校数学、物理、化学あたりも何となくでいいので頭に入っていると望ましい。
試験用参考書は中身がぎっちり詰まった堅めの本と、初学者向けに柔らかく解説した本の2種類買っておくとよい。
実技試験の過去問が収録されている本は電子書籍だと取り回しづらいので注意(1敗)。
鉄板として挙げられる「一般気象学」は初学者には取っ付きづらく、そもそも試験特化の本でもないので無理に買わなくてもいい。合格後も勉強や仕事で使うつもりならといったところ。
参考書を通読したら、過去問を解く→間違えたり理解が不十分なところを復習 の繰り返し。
独学する自信がないなら試験対策講座もあるが、7〜15万円程度とお高いので、切実かつ早急に資格が必要なら。
5択問題だが、消しやすい選択肢から消していけば大体2択程度まで絞り込めるようになっている。
計算が必要な問題もあるが、概ね中学レベルの計算能力があれば事足りる。
厄介なのが関連法規で、他の問題と毛色が違ううえに4問も出てくる。
気象の観測手法や日本特有の気象など、より実践的な予報の知識を問う問題。同じく5択。
気象庁の観測手法や各種予報の運用などはちょくちょく変わっているので、気象庁HPの「知識・解説」カテゴリにはできるだけ目を通しておきたい。古い参考書や過去問で勉強している場合は特に注意。
日本付近の気象状況について、配布された天気図等の資料を基に記述や作図で解答。
必要な知識や計算自体はさほど高度ではないが、とにかく時間設定がシビア。
設問の多くを占める「〜について〇〇文字程度で述べよ」問題はかなりの慣れが必要。過去問を数多くこなして頻出の単語や言い回しを体で覚えるしかない。
聞かれたことに対して変にひねらず答えること、聞かれてないことには答えないことを心がけたい。
直線を引いたり図面上の距離を測るのに必須。三角定規必須の問題は出ない(はず)。
図面の大半は白黒でゴチャついていて見づらいため、目盛の視認性が重要。だからといって自分で見やすく加工すると不正行為と見なされるおそれがあるため、デフォで見やすい商品を店頭で探そう。
コンパス必須の作図問題は出ない(たぶん)ので、補助的に円を描く、もしくは2点間の距離を測るために使う。なくても致命的ではないのでお好みで。
ディバイダは普段から所持して使っているのでなければわざわざ買う必要はないだろう。
解答自体には使わないが、図面の情報を見やすく整理するために使う。
多色ボールペンと、マーカーペン2色程度があればよいだろう。消えるタイプ推奨。
先述のとおり図面が見づらいため、老眼などがあるなら持っておきたい。
問題用紙と共に渡される。
ある図面の情報を別の図面に転写するなどに使うが、タイムロスになるので使用は最小限にとどめたい。
n=1ではあるが、過去問でこれぐらいやれれば勝ち負けにはなるかなという感覚。
・30分程度でひとまず解答欄が埋められる
・平均13問程度正解できる(合格ラインは11/15だが余裕を持って)
・75分(理想は60分)以内にひとまず解答欄が埋められる
昔の学校の図書室にあった蔵書はほとんどが活版印刷で、かすかに活字を押し付けたときのふくらみが残っているのがわかるのがなんとも味わいがあったと今になっておもう
オンデマンド印刷で活版にして店内のカフェで待ってたら出来上がりを買って帰れる本屋とかどうだろうか?
大量出版というのは電子書籍やインターネットブラウジングにもうとって代わられたのかもしれない、だから手書き個装丁の実質一品ものだった時代に近い価値観にしたら…
単純に海外と比較すると文化が違い過ぎて日本にはフィットしないと思う。考え方が古い新しいに関係なく文化の違い。
日本の本の装丁を見れば分かるけど海外の本と比べても豪華。帯付き、箔押し、見返し、PP加工、
洋書の汚れてても破れてても字が読めればいい的な味気なさに比べて所有欲も満たせてくれるのが日本の『書籍』。
本好きにも2種類あって文字が読めればいいという活字中毒タイプと、本を所有することで心の隙間を埋める積読タイプがいる。
活字中毒は読むものがなければ中刷り広告も読むみたいなジャンキーなので電子書籍文化と相性がいいけど
セールやポイントにしてもジュンク堂は各種ポイントに加えてhontoポイントも2重で付けて実質値引き販売してるけど、
町の小さな書店は手数料がバカらしくてやってられないだろう。みんながみんな大手やamazonのようにはできないよ。
残したいならもっと具体的に本屋の在り方を変えていく必要があると思う。
まず「紙の本は最高!」とか言うのが宣伝になると思ってる奴は単行本の『ハンチバック』で後頭部から殴ろうと思う。紙の本は鈍器にもなる。
まず書店はあまりにも長く姿を変えていない。一因として書店はこうあるべき、という形にこだわってる人が結構多いようだ。
一方、蔦屋書店は宗教上の理由で嫌いなんだが(失敗しているTSUTAYA図書館参照)あの探しにくさの中でよく賑わっている。
単純にでかいから置いてる本も多いし、なんか混雑してても関係ないオシャレなスタバみたいに思ってる人も居るんだろう。エンタメ施設としての成功は認めたい(TSUTAYA図書館は最悪だ)。
例えばもう既に導入されている買う前に読めるカフェの併設。
海外の図書館では普通にある光景なのだが、拒否感を覚えている人も多いようだ。
まあカレーパン食いながら本触られたらたまったもんじゃ無い。海外は不潔だ……という話ではなく、海外にカレーパンは置いていないから問題ないのだ。クリームパンとかメロンパンもないし。ドイツパンみたいな、かったいパン食ってるだけだから…かったいパン屋カフェを併設することを薦めたい。頭はやわらかく行こうぜ。
また日本では売れ残った本を返品できるような仕組みなのだが、ヨーロッパなどでは新品の本を半額セールで売ったりする。ワゴンセールだ。
大体電子書籍はポイント還元や%引きが多いのに、紙の本はいつまで定価で戦うつもりなのか…。
文化拠点と言うのなら安く本を買える仕組みというものも書店と出版社は協力して作っていくべきじゃないのか。
返品できたほうが本屋は助かるじゃないかとは言うがリスク取って攻めないと商売は死ぬ。役人仕事みたいになってはいないか?
なによりもセールってとても楽しい。普段買わないものまで買ってしまう。セールで手に入らなかったら結局は定価で買っちゃったりもする。
セールもなければチラシを撒く必要もないので宣伝もない。本屋のチラシって見たことないよなー。書店で企画出されてもなにをしてるのかさっぱり知らない。
そういう『商店』としての楽しみを、発展を止めた本屋は見事に失っていると思う。
そうは言っても書店の店主は歳を取っている場合も多い。そういう人を保護すべきだという訴えなのはよくわかる。
しかしだ。それでも国が支援すべきは「書店の発展」を考える人に対してであろう。そんな人はいない?いやこれはもう10数年前から業界や大学等で言われてることであるから専門家も居る。
うっかりTSUTAYA図書館なんか支援しようとしないで、書店に協力していくことは急務ではないかと考える。
■追記
それならアクションやSFやファンタジーとどれが見たいかで需要がばらける少年漫画をよりも、むしろエロ漫画の方が、一つの作品に多くの人が集中する可能性として、有利とは考えられないか。
どうしてエロ漫画にはドラゴンボール並みに総部数が売れたという漫画はないのだろう。
子供向けは子供も読めるから?でも少子化のこの国で平均寿命のわずか1/3から1/4程度の客層を取り込めることのバンテージなど微々たるものだと思う。
アダルトコンテンツは三次元で事足りていて、わざわざ成人向け漫画を買うというのは少数派的行為だということなのだろうか。
自分が調べた限りだとAVもといポルノビデオの市場規模は500億円ほど。対して成人向けに限ったマンガの市場規模はよくわからないのでなんとも言えない。
思うに、たとえ有名だとしても、その、有名であるということを認識する機会がないのがエロ漫画なのかなと思った。
完璧な全数調査が可能な統計学上の神の視点では、今有名と認知されている一般向けと肩を並べるほど有名なエロ漫画はあるとする。
しかし一般向けはその有名さに比例し広告が打たれ露出して可視化されるので、売れてるんだなと思う機会があるのに対して、エロ漫画はいくら売り上げがあったとしても公共の電波でCMが流れることなどはない。
せいぜいネットのバナー広告でしつこく表示されるようになる程度。これはマイナー漫画でも電子書籍側の勝手な推し感情で広告が打たれることがあるのと同じなので、せいぜい弱小勢力が粋がってると感じる程度で、有名な作品なのだとは判断されない。
あるいは知人間でこのエロ漫画は知ってるとか知らないとか語り合って、お互いがそのエロ漫画を知ってることは情報として共有しあえても、結局全体ではどれぐらいの人がその作品を知ってるのかは全然未知数なので、少なくとも、有名だとは思われない、積極的そう肯定するに足りないのだと思った。
身内が知ってることを知っても、ネットのタイムラインやあえて検索でその作品に言及するつぶやきをいくら見ても、「内輪で盛り上がってる」以上の根拠たりえない。
一般向けの作品が有名になると、「公共の場」で話題にのぼらされ「世間で有名だと刷り込まされる機会がある」に対して、その作品を知ってる人やファンが「団結感」あるいは「一体感」を感じる機会がないということなんだと思う。
神の視点ではみんなそのエロ漫画を知っていて、有名だという状態なのかもしれない。でも、我々が知れるのはせいぜい両隣の人の認知内容だけ。
ただ電子書籍サイトに入り浸ってると、ティーンズラブを盛んに推されてるような感じがしてきて、ティーンズラブ作品の中には下手な映画化した少女漫画よりは売れてるし有名なものがあるんじゃないかという感覚になってくることもある。
そういえばエロゲーは一万部売れたら大ヒットとしていいそうだけども。エロ漫画なら10万部売れたらってところか。やっぱりヒットの基準が低すぎて、到底一般向けの大ヒットと肩を並べられる希望を持った基準ではない。
エロ漫画の場合は売れないから高いのか高いから売れないのかよくわからないんだけども。だってあれ光栄のシミュレーションゲーム並みに高いじゃん。
そうそう。「作品名で言及されない」ことも、有名だとは思わされない要因の一つかもしれない。
一般向けは盛んに作品名を主語にファンコミュニケーションが行われるけども、エロ漫画でそれはない。あるとしても閉鎖的な空間に限られるから、これも内輪止まりではないかと思わされる一因になる。
あとエロは抜ければなんでもいいと思ってる人も多いから、自分がいちいちなんて作品を読んだか記憶してない傾向もある。エロ漫画の無断転載まとめサイト読んでる層は特にそうだと思う。
たとえ認知者数として彼らを含めれば相当の人間がその作品を読んでいたとしても、作品名を覚えていない彼らが「○○は~がよかった」とか語ることはないので、そういう「反応の質」でも、有名だと思わされるに不利な部分があるのだと思う。
まあとにかく、「われわれはこの作品を知ってる。われわれは大勢いる」って一体感が一般向けと違って持てないのはなんか歯がゆいよね。「われわれ」は「分断されてしまっている」
そういうコンテンツが好きでいると、たとえるなら好きなアイドルガマイナーだけどドーム公演できるまでになってほしいみたいな、そういう判官びいきの情が芽生えてきて、こういうことを書きたくなる。
本好きの高じた結果、その購入物によって汚染された室内は、積読現象によって室内の壁際を、二周ほど周回したころから、家主は、危機意識をいだいた。購入欲求から出発した恒常的な床不足と家計破壊は、室内に家主の生息をゆるす状況ではなくなり、電子化は必然であった。
だからといって、本当に床が抜けてからでは、家主は、裁断機を運用し、自炊する力もなくなってしまうだろう。
電子書籍リーダーの導入は、家主は部屋とともに死にむかうのではないかという認識が、本好きからひろがった時に生まれて、電子書籍の購入が開始された。
電子化が開始されれば、すべての蔵書を均一に電子化させる、という家主の決意は、まちがいではない。
しかし、特例事項があったことが、その後の過ちをうんだ。家主が必要と認めた書籍は、部屋に蔵書できるという規定である。
条件はあった。
入手が困難な希少本と、画集のような今の形に意味がある書籍という規定である。
規定は、理想的にその理念を行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、床が、抜けていると見えないことが、この規定を拡大解釈して、運用されたのも当然である。
さらにいえば、本好きから産まれたビブリオマニアが、紙とインクのフィーリングを忘れることができるものではないからこそ、そこに、無条件に規定を無視したくなる思いがうまれた。
その欲求は、正しい。
しかし、ビブリオマニアのもっとも深い罪業は、積読の増殖が、室内環境と家計にとってもっとも危機的なものであるという認識を認知しないことにあった。
しかし、電子化は、その代償を家主みずから支払わなければならない時代であり、電子書籍時代とは、技術革新の時代でもなければ、祝福された時代でもないのである。
その認識から生まれたフラストレーションは、ますます本好きの人びと、ビブリオマニアたちに、物理本回帰の欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。
増殖した積読という本が、たえず回帰する形は、物理本でしかないという欲求は、ビブリオマニアの二重の罪業である。
しかし、床を完全に再生させるためには、千冊以上は処理しなければならないだろうし、千冊処理するあいだに、積読は、さらに増殖するだろう。
つまり家主は、すでに、蔵書全部が部屋におくことはできないと、覚悟をしなければならないのである。
しかし、現代は、すべての例外規定が排除されて、ビブリオマニアは、電子書籍リーダーに逼塞しなければならないのである。
『……でなければ、版元が起こした反乱も、あの時、死んでいったストアたちの霊もなぐさめられない……』
マスダは、そう思う。
なんといっても「梱包材を一切使わず、ビニール袋にも包まず、商品をそのまま封筒に突っ込んで送ってくる」ことが常態化している。
商品が保護されていないので「本の表紙が破れる」「ボックスの角が曲がる」状態で届くのが当たり前。
外が硬い段ボール箱なら良いが、でかい茶色の紙袋みたいなものだとビリビリに破れていることも多々ある。
昔は「Amazonは過剰包装だ!」と怒る人をときどき見かけた。
その反動か分からんが、最近のAmazonはびっくりするくらい荷物を梱包しなくなっている。
SNSでAmazonの配送について愚痴を垂れると、かなりの速度でAmazon Helpが投稿を見つけて反応をしてくる。
ヘルプと言うてもフローチャートを辿って「返品・返金処理をした上で、新品の再注文を促す」「破損した商品で我慢する」の2択の選択に持ち込むわけであるが。
このあたりは完全マニュアル化されているし、データ蓄積もあるはずなので手際が良い。
間違っても「あなたのために新品在庫を探して取り寄せて、特急で配送します」「事故の原因を突き止めて報告します」なんて特別対応はしない。
「お金返すので、それでチャラね」が彼らの親切やサポートの上限であり、それを超えないサポート方針を徹底している。
対応窓口担当者には権限はなく、顧客の怒りが収まるまでのサンドバッグ機能がついたチャットbotに徹している。
このあたりは彼らの企業努力と合理化(コストカット)の結果だと思う。
なぜここに来てAmazonの配送サービスの質が劣化しているか?
これはAmazonが利益回収フェイズに入ったからではないかと思う。
Amazonはネット通販のリーダーとして日本に参入し、その後は競合他社と激しいシェア争いを繰り広げた。
Amazon Primeなども普及し、一定の市場シェアも確保した。
その中にはリピートで注文するヘビーユーザーも多くいるだろう。
ネット通販の体験をがっつりAmazonに握られ、買い物ルーティーンを固定している人も多いはず。
それはすなわち、ユーザーがAmazonに囲われているということだ。
ユーザーはAmazonを使った買い物に慣れて習慣になってしまい、他のネット通販に切り替えるのが面倒くさくなっている。
このようにAmazonから他社への切り替えを面倒だと感じている(=スイッチングコストが高い)ユーザーが一定数出てくると、めっけものである。
スイッチングコストをオーバーしないように値上げして利益率を高めれば良い。
ユーザーは切り替えの手間を考えると、渋々値上げを受け入れてくれる。
Amazonの場合、ここで値上げではなくて、サービスの質を犠牲に大幅なコストカットをして、利益率を高めているように思うのだ。
梱包材を減らして配送コストを下げれば、その分利益が増加する。
ユーザー全員の荷物を丁寧に梱包して発送するよりも、全員に梱包無しでガンガン送って、クレームが来た一部の人には返品対応をすれば良い。
商品に多少の傷があっても、他に切り替えて買い直すことが面倒なので、ユーザーはそのまま受け入れてしまう。
そうすると梱包材の分だけコストが減っているので、Amazonは儲かるわけだ。
一定の確率で届いた荷物が破損していることや、ユーザーからクレームが入ることは織り込み済みと言える。
そのあたりもデータを十分に蓄積しているので、発生する返品件数も十分予測できる範囲内なのだろう。
Amazonが提供しているのは「ユーザーが注文した商品を丁寧に配送するサービス」ではない。
いつでも買えるもの、再注文ができるもの、電子書籍(Kindle)は迷わずAmazonで買えば良い。
しかし、大事なプレゼントや高価なもの、限定生産品・予約注文品など再注文ができないものをAmazonで購入するのはリスクが高い。