はてなキーワード: TSUTAYA図書館とは
残したいならもっと具体的に本屋の在り方を変えていく必要があると思う。
まず「紙の本は最高!」とか言うのが宣伝になると思ってる奴は単行本の『ハンチバック』で後頭部から殴ろうと思う。紙の本は鈍器にもなる。
まず書店はあまりにも長く姿を変えていない。一因として書店はこうあるべき、という形にこだわってる人が結構多いようだ。
一方、蔦屋書店は宗教上の理由で嫌いなんだが(失敗しているTSUTAYA図書館参照)あの探しにくさの中でよく賑わっている。
単純にでかいから置いてる本も多いし、なんか混雑してても関係ないオシャレなスタバみたいに思ってる人も居るんだろう。エンタメ施設としての成功は認めたい(TSUTAYA図書館は最悪だ)。
例えばもう既に導入されている買う前に読めるカフェの併設。
海外の図書館では普通にある光景なのだが、拒否感を覚えている人も多いようだ。
まあカレーパン食いながら本触られたらたまったもんじゃ無い。海外は不潔だ……という話ではなく、海外にカレーパンは置いていないから問題ないのだ。クリームパンとかメロンパンもないし。ドイツパンみたいな、かったいパン食ってるだけだから…かったいパン屋カフェを併設することを薦めたい。頭はやわらかく行こうぜ。
また日本では売れ残った本を返品できるような仕組みなのだが、ヨーロッパなどでは新品の本を半額セールで売ったりする。ワゴンセールだ。
大体電子書籍はポイント還元や%引きが多いのに、紙の本はいつまで定価で戦うつもりなのか…。
文化拠点と言うのなら安く本を買える仕組みというものも書店と出版社は協力して作っていくべきじゃないのか。
返品できたほうが本屋は助かるじゃないかとは言うがリスク取って攻めないと商売は死ぬ。役人仕事みたいになってはいないか?
なによりもセールってとても楽しい。普段買わないものまで買ってしまう。セールで手に入らなかったら結局は定価で買っちゃったりもする。
セールもなければチラシを撒く必要もないので宣伝もない。本屋のチラシって見たことないよなー。書店で企画出されてもなにをしてるのかさっぱり知らない。
そういう『商店』としての楽しみを、発展を止めた本屋は見事に失っていると思う。
そうは言っても書店の店主は歳を取っている場合も多い。そういう人を保護すべきだという訴えなのはよくわかる。
しかしだ。それでも国が支援すべきは「書店の発展」を考える人に対してであろう。そんな人はいない?いやこれはもう10数年前から業界や大学等で言われてることであるから専門家も居る。
うっかりTSUTAYA図書館なんか支援しようとしないで、書店に協力していくことは急務ではないかと考える。
■追記
全国のTSUTAYA図書館にガブリエル・ガルシア=マルケスの著書が置いてあるか調べた
人口1桁万人市の武雄市、多賀城市、高梁市、宇城市の4市に加えて、海老名市、多賀城市、周南市、延岡市、和歌山市、丸亀市の図書館
TSUTAYA図書館はこれですべてだろう
結果、これらすべての図書館にガブリエル・ガルシア=マルケスの著書は蔵書されていた
図書館はTSUTAYAに乗っ取られ旧来の書店は閉業して、そのマルシアガルケスはもはや人口5万人の町じゃ手に入らないんだよ…
そんなに公益性のある資料なら、PDF化してネットで公開すればいいじゃん。
郷土資料の発行は、図書館の紙の本購入に支えられている!とかいうなら、もう図書館と紙の本経由させずに郷土資料編纂してる人にお金払えば良くない?
郷土資料とか、年一回開かれればいい方なんでしょ。要らないでしょ。
知の蓄積が図書館の意義、っつう意見も古くない?だって今一番知を蓄積してるのはインターネット空間でしょ。図書館とかアクセスしずらい、市町村民以外は利用に制限がかかる、とめんどくさい事ばっかりじゃん。
TSUTAYA図書館で十分なんだよ。税金払ってる市民が求めてるのは結局TSUTAYA図書館なんだよ。喫茶店があって、長時間滞在できる静かな空間で、本を手にとれる、それで十分なんだよ。勉強しにきてる学生が席を占領するとか言って追い出して、誰も読まない資料ばっかり保存してなんの意味があるんだ。
納税者に求められてる形で存在するのが税金使って立てた施設だろ。求められている形を怠ったから民間に委託されたりするんだわ。いいけどね。TSUTAYA図書館で。
TSUTAYA図書館の図書館学系からの批判は、
1.郷土史、郷土資料等の公立図書館の役割として保存すべき図書を廃棄していた点
2.図書の配架が既存の体系と異なっており、検索性に劣っていた点
3.Tカードを利用するため、読書傾向の民間企業による流用のリスクがあった点
だった記憶がある。(そんなの問題じゃねーだろ、と思ってたことは忘れてる気もするが)
今回の一件とは明確に異なる。というかスタバ(だったっけ?)の誘致も利用を促すって点では成功だと思うし。使われん、読まれん図書館に公立図書館としての価値はほぼないよ(郷土資料ぐらい)。
TSUTAYA図書館は「図書館」でそれをやったからブチ切れられたわけで、「図書室」は「図書館」じゃないんだよ。たったそれだけの前提を共有してくれればそれでいいのだが。