はてなキーワード: オリパラとは
ってオリパラ基準の感染症対策を求められるなら、旅行なんて無理だなって思ってたけど
アルコール除菌とマスクして、1m離れてれば、何千人で群れても、会話しなければ地元の店で食事しても問題ないなら、俺と彼女が旅行に行ったって全然問題ないよね。
アルコール除菌シートとか、噴霧器くらいは持参するし、マスクもするし、同行者以外とは1mの距離も空けるよ~、民宿では酒のんでもいいみたいだしねぇ
血縁のある家族に犠牲者が出たら辛いから帰省はしないけど、旅先の他人が何人死んだって心は痛まないし、俺もワクチン1回接種してるから抗体出来て無敵なんだよね?
パラは観戦は選ばれた子供だけな上に引率ある集団行動、日帰り。
フジロックは全国からウェイが集まって騒いでテントで濃厚接触。
批判のときも強制性ガーみたいな話は現状ほとんど出てないのでそこじゃないし。
オリパラフジやろうがやるまいが俺はどうでもいいんだけど、私が正義ですみたいなコメントをインターネットに晒してしたり顔でダブスタ批判してる奴らが本当に俺をイラつかせる。てめぇら筋通ってねぇんならしゃしゃんな!イイねとかスターとかつけんな!クソが。
https://togetter.com/li/1486369(2020-03-28)
・「コロナ対策について検討したいから厚生労働委員会を開いてくれ」
→今も国会開かない。
・「1ヶ月以上も大規模なイベント等の"自粛”を要請を続けるばかりで、中止にかかわる費用の補償や、そこにかかわる人たちの生活の支援についてはなんら具体策を講じなかった」
・「国民に"不要・不休の外出は控えろ”と要請しておきながら、首相は支持者や支援者との会食を繰り返し」
・「記録的な豪雨のただなかに被災者対応に備えるどころか閣僚や自民党幹部を集めた宴会を行い、首都圏に巨大台風が直撃しても被災者対応より内閣の人事を優先させたことを。そうした行為を何度も繰り返し批判されているにも関わらずまったく反省も改善もされないことを」
→コロナ対応医療関係者たちがこれは災害だと悲鳴をあげる最中、オリパラ開催を優先。挙句児童生徒をパラ観戦に駆り出す。
けっこう変化がないもんだねー。覚えておかなくても、現状もこうだからの横浜市長選ということなのかな。
おまけ。
https://twitter.com/nhk_news/status/1424339609006247937(2021-08-08)
ワクチンと感染対策解除が先行してるイギリスやアメリカ見て思ったこと。
ワクチン打ってもコロナで死ぬヤツは運命か寿命と思え(打たないヤツは論外)、お前らを死なせないために社会をこれ以上停滞させるわけにはいかん。
日本もオリパラやったならフジロックやるしコミケもやっていいよね、となし崩し的に元通りになる。
ワクチンが希望者全員に行き渡った年末ぐらいには完全にそうなりそう。
新型コロナが出てくる前もインフルエンザや普通の風邪をこじらせて肺炎で死ぬ人はいて、これからはそんな死に方する確率がちょっと上がるだけ、でみんな受け入れちゃう。
やるからには腹括れというのは強く思ってる。
フジロック配信今年はちょっとしか見てないけど、見た分ではそれぞれの言葉で思いを伝えていたな。
オリパラと資金の規模も違いすぎるだろうから、対策は比べられない。
ただ、無観客で配信のみだったら気持ちよくお金払ったのにな。。資金的に難しかったのだろうか。。音楽にお世話になっているので贔屓目もあると思うけど。。せめてワクチンが行き渡っていたらよかったのにな。。
オリパラはやはり国と都の対応の酷さが納税者として怒りが湧く。
止めるのは簡単だとか安心安全とか、馬鹿みたいに中身のないこと発していることに怒りを感じる。
オリパラ自体には興味ないんだろう。にじみ出てる。選手を毀損してる老人達にウンザリ。
その辺も理由かな。
オリンピックやパラリンピックが、コロナ禍に与えた影響について。
複数の論点があるという大前提が忘れられていたり、網羅されていない議論が見受けられるので、ここで整理しておこうと思う。できるだけ中立的、または両方の視点から書くように努めたつもりではある。この記事自身にも抜け洩れがあるかもしれないので、ご指摘は歓迎である。
インドなどからの入国者 待機期間10日間に延長へ 水際対策強化 によれば、入国後の隔離期間を長くできないのは「宿泊施設が不足しているうえ、対応できる検疫所の職員の確保も難しくなっていること」が原因。それが、五輪終了とともに 入国者上限1日3500人に緩和へ 五輪終了で「検疫態勢に余裕」 として(隔離期間ではなく人数ではあるが)緩和されているので、オリンピック・パラリンピックが検疫体制に影響を及ぼしているのは間違いない。オリパラを中止・延期して万全の検疫体制を敷いていれば、デルタ株の蔓延を遅らせることができた可能性は十分に考えられる。ワクチンとのスピード競争のことを思えば、影響はきわめて甚大である。
当初はいちばんわかりやすい論点だった。原理的には入国前後の検査やその後の隔離で防げるが、五輪に限らず日本の水際対策は万全ではない。
しかし、オリンピック期間中の東京都民の感染者もそれなりの規模になっていたために、結果的に「日本の感染者を増やした」とは言えないか、または増やしたとしても比率としてはほとんど無視できるレベルだったと言える。逆に、日本がニュージーランドのような「もともとの感染者数がほとんどゼロ」のような状態だったら、たとえ同じだけの感染者を海外から持ち込んだとしても、または隔離体制から1人でも漏れようものなら、大きな問題となっていただろう。
これまで日本に例のなかったラムダ株が、五輪関係者によって持ち込まれたことは大きなニュースになった。(anond:20210811105235)
ただし、ラムダ株が本当にデルタ並、またはデルタ以上に危険かどうかは「わからない」というのが誠実な見解で、危険である可能性は「低い」とさえ言える。ただし、デルタ株だって今年4月の時点では同じように軽視されていたので、決して甘く見てもよいという意味ではない。
ラムダ株の感染者はその後ちゃんと隔離されているはずである。しかし ラムダ株感染者と濃厚接触の可能性がある人、共有漏れ という報道もあり、市中に広まっている可能性もないとは言えない。ただしその場合、市中感染が判明するのは、日本の貧弱なゲノム解析体制では1ヶ月以上先のことになると思われる。
また、いわゆる「五輪株」のような新たな変異株の発生は、確率論なので「ゼロではない」とも言えるが、否定的に「可能性はきわめて低い」というのが誠実な表現だろう。むしろ、五輪後の感染爆発によって日本人の中で新たな変異株が生まれる可能性のほうが、よっぽど高い。(昨秋アルファ株が生まれたのは、イギリスで1日あたりの感染者数が1万人規模の時)
彼らが日本人からウイルスをもらって感染するだけなら、日本人視点で見れば直接的なマイナスではないが、感染を仲介する役目は果たしうる。また、たとえば全国から集められた警察関係者の感染など、日本人同士の感染拡大の影響もあった。
あくまで程度問題だが、感染が拡大している今のような局面では、1人の種火がその後の10人、100人の感染者を生むことにもなるので、累計500人超とされる五輪関係の感染者が、無視できるほどの数字だとは言えない。
いっぽうで、開催を決めた時点でこうした感染者がゼロにならないのは当然の前提であったはずなので、大会の価値と天秤にかけるべき当然の許容リスクとしては十分に低い数字だとも言える。
実際に、いくつかの悲しい棄権事例はあった。当事者にとっても競争相手にとっても、やるせない思いだろう。しかしこれよりも最悪な事態はいくらでも考えられた中では、五輪全体としてはよく成立させたほうだと言えるのではないか。
各国の検疫や隔離体制に責任を丸投げできる話ではあるが、やはり「オリンピックから帰ってきた選手が我が国にウイルスを持ち帰ってきた」とみなされるのは、日本としても気まずいことだろう。
しかし、実際に持ち帰った事例があったのかどうか、どのくらいあったのかは、不明である。そもそも、誰か調査しているのだろうか。「検疫体制も医療体制も貧弱な小さな国に、いままでいなかったデルタ株が持ち込まれた」のような悲劇は、起きてほしくないところだが。
緊急事態でも修学旅行実施 大阪市長「五輪やっている」 といった事例を筆頭に、市井のインタビューなどでも盛んに取り上げられる声ではある。よって、心理的な影響がゼロだと言うことはないだろう。しかしオリンピック反対派にとって、そうした声だけを拾い集めるのは容易なことでもある。これを公正に検証するのは容易ではない。
しかしひとつ確かなのは、「オリンピックもやっている」という声、さらには「国民に自粛を求めながら五輪を開催するのは矛盾ではないか」といった意見を報道することそのものが、そういう緩んだ空気を醸成しているという逆説的効果である。つまり、「本来は心理的影響なんて小さいはずなのに、メディアがそうやって騒ぐから、人々が五輪のお祭りムードを免罪符にして緩んでしまうのだ」というわけである。むしろ、オリンピック擁護派はメディアのそうした報道こそ批判してもいいように思うが、心理的影響の存在そのものを否定したいがために、そうした批判がしにくいのではないかと感じている。
また、擁護派の「他のスポーツ大会は開催されているではないか、観客を入れているではないか」という意見に対して、反対派が大会の規模や象徴性で線引きして五輪だけは特別に悪だと主張するのは、いっけん論理的なようにも見えるが、それこそ、「オリンピックもやっている」という証明しにくい心理的影響を主張するのであれば、「他のスポーツ大会はやっている」という表裏一体の心理的影響も、真摯に認めるべきだろうと思う。結局、心理的影響については両者が「それなりの影響」を認め合って痛み分けするしかないというのが、お互い残念で歯がゆいながらも、仕方のない妥結点ではないだろうか。
現実的な話ではないが、たとえば相当早い段階で無観客を決めて聖火リレーや開会・閉会式も中止にして、「大変なコロナ禍の中ではあるけれど、あくまで主催国としての責任を果たすために、お祭りではなく競技会を実施する」という態度で世の中が進行し、メディアの報道もお祭り色を極力出さないような内容であったなら、だいぶ盛り上がりに欠けたかもしれないが、コロナ禍における心理的な悪影響はいくらか抑えられたのではないかと思う。
また、「オリンピックもやっている」という緩みではなく、大会後半などは特に「感染拡大と医療の逼迫」を伝える報道の量や視聴が、大会期間中に減ってしまったという影響も、国民の緊張を高めきれなかったという点で影響はあったと思われる。
屋外競技における路上観戦やブルーインパルスの観覧など、による感染のことである。
当然ゼロではないし実数もそれなりの数になるとは思うが、いっぽうでオリンピックがテレビ放送されているからこそステイホームで観戦したという都民もいるわけで、差し引きすればステイホームによる人流減のほうが効果は大きいのではないかと思う。ステイホームのほうは視聴率が具体的な数字として得られるものの、オリンピックがなければその日にステイホームしなかったのかと言えばそうとも限らないので、検証はきわめて難しい。
開催前は、これがここまで切迫した問題になることはあまり想像できなかった。
オリンピック関係者の検査数まとめ(anond:20210809163832)にもある通り、都民と違って土日も変わらずに、毎日大量の検査がなされている。これは安全安心の大会のためには確かに必要なことなのだが、同時期に都民の検査数が限界を迎えてしまい、「発熱や濃厚接触があっても検査されない都民」と「何もなくても全員が毎日検査される関係者」という矛盾が生まれてしまった。国際社会に向けて約束した検査を履行することは非常に大切なことだという主張も十分わかるが、逆に開催反対派こそ、土下座してでも「バブル方式の完全性をあきらめてもいいし、オリパラによる感染拡大の検証もあきらめてもいいから、とにかく目の前の都民の命と健康を守るべく、まずは検査を、そして余力があれば保健師の業務逼迫の緩和を」とお願いするべきではないか。その上で、都知事や総理はそれに答えて 五輪より国民の命 菅首相 という約束を履行するべく、国際社会に土下座してでも国民の命と健康を守ってほしい。
また、検査だけでなく医療体制については、安全安心なオリンピック・パラリンピックのために大切に確保されている人的・設備的資源がどれだけあって、仮に中止や延期になっていればどれだけ都民のために割くことができたのか・できるのか、検証するほうも調査に応じるほうもつらい作業かもしれないが、ぜひとも確認していただきたいし、心理面などの難しい検証に比べれば、確実な数字が出せるものとも思う。
3兆円とも言われるオリパラの経費。オリパラがなければ、国や東京都の予算に今よりも余裕があったことは間違いない。
ただし、オリパラがなければ3兆円がまるまる浮いたのかと言えば、そうではない。また、招致した以上は、中止でも延期でも同額かそれ以上かかっていただろう。そもそも、招致した時点ではコロナ禍のことを予想できるはずもない。招致の是非や責任はコロナとは無関係で、あくまで財政的な話であるが、厳然とした巨大な金額でもある。
https://anond.hatelabo.jp/20210822112417
に触発されて書きました。
どっちの主張も、要は「コロナで社会が大変な状況なのは分かってるけど、僕らが食っていくために、自己実現するために……いま仕事を、パフォーマンスをさせてください!」ってのが言いたいことだよね?
[B! COVID-19] FUJI ROCK FESTIVAL ’21 ご来場予定の皆さんへ|MONO NO AWARE OFFICIAL SITE
このアーティストのお気持ち表明を評して「自分の言葉で立派に語れてえらい! それに比べてオリパラの選手どもは……」とアーティストage、アスリートsageしてる意見を見かけるけど……
両者で違いがあるとすれば、アーティストは作詞とかしてて言葉を並べる作業に慣れてるから(一部の人の)心を打つ美文が書けるのに対して、
アスリートは幼少期からスポーツ漬けで義務教育レベルの語彙すら怪しい脳筋だから素朴でありきたりな言葉でしかお気持ちを表現できない、
ってだけの差じゃないのかなあ?
クオモは老人をコロナで大量死させた上に隠蔽してたセクハラ魔だけど演説が立派だったので偉大なリーダー! みたいな価値判断をする人なのだろうか……
あっ、自分はこのお気持ち表明を書いた人のこと全然知らないので、「いや、この人は作詞とかしたことないよ。ギター弾いたり歌うだけの人」というツッコミが入ったら謝るよ。
ダブスタだと言われているようなので、自分の中での判断基準をあげてみる。他の人はわからない。自分のスタンス。
1. 国のお金が使われている。税金。私は都民ではないが日本国民だ。国民健康保険料も払っている。医療崩壊を国が大した対策も打たずに見ているのが腹立たしい。むしろリスクを高めているのが納得行かない。
やれる範囲で何とかやっているという印象。
こんな時期に堂々と要請無視して開けている居酒屋を苦々しい気持ちで見ているけど、叩いたり晒したりする気にはならない。。
ただ、民間と言っても、税金がダダ流れている企業には腹立っている。今回に限らずだけど。。
こんな感じ。
ウイルスは手強い。完全に排除するにはロックダウンしかないと思ってる。その中での気持ち。
だからオリパラは無限に批判されるべきだし、フジロックへの批判は許されないし、そもそもコロナは政治の問題なので党派性なしに語れない。益田の知能じゃ理解できないかも知れないが。
第5波の感染爆発がオリンピックと無関係とする説は、デルタ株の感染力の強さが原因と考えるのが主流のようだ[1]。
デルタ株の感染拡大がたまたまオリンピックと重なっただけなのだ、と。
現在、全国各地に広がっているデルタ株の系統で最も初期のものは、ことし5月18日に首都圏で海外渡航歴がない人から検出されたウイルスだったと分かり、さらに調べると、これとよく似たウイルスが4月16日に空港の検疫で見つかっていた[2]。
一方で、ことし5月ごろ関東や関西、中部、九州などで確認されていた、海外から流入したとみられるデルタ株のクラスターの多くは大きな感染拡大につながらず、7月初旬ごろまでにはほぼ収まったとみられる[2]。
もしデルタ株の感染力の強さだけが感染爆発の原因ならば、オリンピック期間中より人流が多かった5月、6月に感染爆発が起こっていたはずだ。
現実には感染爆発につながった遺伝系統以外のデルタ株は7月初旬で収束していた。
そして感染爆発した系統もオリンピックの開始を待つように急速に感染拡大した。
オリンピック開催によって、感染拡大防止のための堤防のどこかが決壊したと考えるしかない。
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏の指摘どおり、オリンピック開催に伴い局地的・一時的に密な状態が生まれた事実は否定できない。
ここではもうひとつ、国民の側の感染防止策に対する意識がおろそかになった可能性を指摘しておく。
5月から6月にかけて、オリンピック開催、さらに有観客開催を主張する中で、感染拡大防止策を軽視するかのような無責任な言説がまき散らされた[3][4]。
「国民にあれするなこれするなと要求しておきながら、自分たちはやりたい放題か。付き合ってられねえ。」
このように考えた人を責められるだろうか。
個々の国民にとっての帰省は、アスリートにとってのオリンピックと同等以上の価値があるかもしれない。
あるいは1年半近く慣れないライフスタイルを強要されてきた国民の中に、
「なんだ、これまで活動自粛だの、会食回避だのしてきたけど、感染防止策とか関係なかったのか。」
と受けとめる人が現れても不思議ではない。
不慣れな行動を意味も十分に理解できないまま強要されていること自体がストレスなのだ。
人は基本的に見たいもの、耳当たりのいい情報に流される(何より、政治家とその取り巻きはその権化ではないか)。
当局が矛盾したメッセージを国民に発信すれば、国民の感染拡大防止策に対する意識が弛緩するのは当然だ[5]。
とはいえ、新型コロナに感染して損をするのは間違いなく私たち自身である。
無責任な当局関係者や御用言論に惑わされることなく、感染防止策の基本をもう一度肝に銘じたい。
新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見(令和3年7月30日)
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html
[2]デルタ株“1つの起点から全国拡大か” 国立感染症研究所が分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013183971000.html
[3]観客上限1万人 規模縮小でも有観客に踏み切った首相
2021/6/21 21:07
https://www.sankei.com/article/20210621-23SHMAUX2RIENACWHNH4UWVCIA/?outputType=theme_tokyo2020
[4]緊急事態宣言は「屁みたいなもの」 「さざ波」発言の高橋洋一内閣官房参与がTwitterに
https://news.yahoo.co.jp/articles/664e6c0f49294e584ae90c3ce23a0bb0331f40fc
多分パンデミック下だったらどういう行政でも差はあれど厳しいことには変わりないのに何故こう言い切った? という声がすこし見られましたが、あさっての方向とはいえこう言い出すことについてはまあ不思議な部分はないのではと思ったので書き留める。
なんで不思議じゃないと思ったかというと、以前津田大介がフジロック会場でのトークセッションで「音楽はもともと反抗するための云々」とか言ってたのを思い出したから。そうだわそういえばフジロック周辺は割とまだ反権力の色が残るロックカルチャーだったな…と。
折坂個人の思想も参照しないといけないが、フジロックとしてとらえたときに「フェスは開きたい」「権力に媚びない(抗う)」の2点が含まれていることがフジロック側としても外野側としてもややこしい…変な言い方かもしれないが、当事者含め全員にとってフジロックが厄ネタな印象を受ける。
政府側…というか経済も回したいよねという市民含めた派閥については「策定したガイドラインを運用してCOCOAや見守りサービスも活用してイベントを開く」考えがあるので、正直オリパラとフジが成功して感染者数を参加者のうちの数パーセントにとどめられれば上々(小さい数字であるほど、現在の東京の通勤風景程度であれば生活や娯楽が保証できる)なので、反権力とはいえ「ちゃんとやれよ」程度の心持ちでいる。
一方フジロック側には五輪にめっちゃ起こってた野田洋次郎をはじめ、抗体検査だったり参加者結局飲み会する事件など、YouTube配信へのポジティブ反応とは裏腹にやらかしちゃってるわけで…。これは政権もだろうし党派にかかわらず他ライブ業者や見本市、コミケを含めた即売会・フリマの関係者もまあ発言は避けるまでも怒ってるだろうな…
仮にRIJFが開かれてたら、あっちはまだチケット転売防止策に奔走したメンバーとの関わりが多く多少は行政寄りなので(だからおとなしく中止したんだろうが)フジロックの開催の是非を論じるときにややこしくなる部分は減らせたんだと思う。
書き終わって蛇足だらけだなと思うけれど、まあフジロックは「開きたいけど言うこと聞くつもりはない」部分があって、コロナを論点にすると政府への攻め手がないので「分断」という論点を使ったんじゃないか……という考えなんだけどどうっすかね
オリンピックの感染対策も大金掛けたのにザルでガンガン感染者出してたんだから
こうなるのはオリンピック強行開催してしまった以上わかりきってた話だろ。
「俺たちはルール違反しまくってもおとがめなしだけどお前らはルール違反したらダメ」なんて通用しねぇよ。
一応書いとくと、ゴッチは自民党議員と同レベルの惨めな人って認識だよ。
先が見えてなくて場当たり的な事やってんのはどっちも同じだからね。
当初は鳴り物入りで立ち上げられたデジタル庁が、今や「干したる庁」などと嘲られ、国民や同庁の原動力となるはずだったITエンジニアからの期待を惨めにも失墜させるきっかけとなった平井大臣によるNECへの恫喝発言問題だが、それを受けて「疑惑を晴らす」として始められたオリパラアプリの発注プロセスに対する調査結果が公表された。
内容については東京新聞の記事に問題点の概要がまとまっているし、7月初旬の時点で日経クロステックが報告書の内容に繋がる記事を書いている。ではなぜ、平井大臣にとってこの調査が「疑惑を晴らす」ことになるかと言えば、「和泉首相補佐官らが、デジタル行政を仕切る自分に断り無く進めた不透明なプロジェクトを俺が止めてやった」という意識があるからだろう。先月末に、その辺りの詳細を新潮が報じている。
確かに、この辺りの事情を勘案すると、平井大臣の言っていることに決して理がないわけではない。では、平井大臣の恫喝は不公正な調達に対する適切な苦言だったのか?そうはならないだろう。オリパラアプリの受注金額は NTT が圧倒的だった(73億円中の45億円)のに、自分は自分で NTT から繰り返し接待を受けているからって、そこを問題にせずに NEC を槍玉に挙げて排除したり、挙げ句に自分と親しい会社をねじ込もうとするのは道理に合わない。そもそも、公正であるべき行政の責任者が、民間に対して「見せしめを作る」などと言いながら権力を振りかざすような態度を取ること自体がありえない。結局、これは政府内での「デジタル利権」を巡る醜い争いに過ぎない。
ところで、この新潮の記事を今から見返すと面白い点があって、それはデジタル監(デジタル庁の事務方トップ)の任命問題に言及していることなんだよね。どうも、7月くらいまではこの件で槍玉に上がった神成淳司氏が有力候補だったらしい。つまり、平井大臣としては「政敵」が推している人物ということになる。それが、オリパラアプリの問題を受けて辞退した。これが7月20日頃の出来事。
「確かに最高幹部のひとりとして神成さんの名前は挙がっていました。和泉首相補佐官と官僚トップの杉田和博官房副長官が推薦していたんです。ただ、日本のインターネットの父と言われ、内閣官房参与でIT分野のアドバイスをする慶應大学の村井純教授は反対していました。そうこうするうち、7月20日前後のことですが、神成さん本人から辞退の申し出がありました。週刊新潮でNECと共同研究を行っていることなどが報じられたので、幹部に就任すれば辞任に追い込まれる可能性もあります。自ら傷つく前に辞退したのでしょう。それにしても、“疑惑”の渦中にある人を幹部に据えようとするとは、和泉さんや杉田さんは何を考えているのやら」
その3週間後の8月5日にデジタル監に伊藤穰一氏を据えるという話が出てきた。
結局、ご存知の通りこの話は撤回されることになった。その原因である、いわゆる「エプスタイン問題」については文春の記事が詳しいので繰り返さないが、一方で、同様の内容を報じた新潮の記事に以下のように書かれている。
「今回の人選については、デジタル改革担当大臣の平井卓也氏が進めてきました。菅首相の肝いりの政策ですから力が入っており、平井氏も意中の人がいたようですが、何人かにフラれて伊藤さんにお鉢が回ってきたといいます」
結局、政敵の送り込んだ人物を排除して、自分の肝いりの人物を重要ポストに据えようと企んだものの、行政の責任者としての基本的な適正すら見抜けずに失敗した(そもそも、もっぱら投資家からの資金調達を得意としている人物にデジタル庁の何をやらせようとしていたんだろう)。この人たちは、本当に何をやっているんだろうか。ため息しか出ない。