はてなキーワード: 買売春とは
金銭を介して性を売買することは、人間の尊厳と価値、男女平等の権利を侵害するものであり、とりわけ女性の心身に危害を及ぼす危険は大きく、受けた性被害はその後の人生にわたって深刻な影響を与えかねないものです。性産業に従事する女性の健康と安全を守ると同時に、個人の尊厳を守りジェンダー平等をめざす日本共産党として、性売買・性的搾取をなくしていくことをめざします。本来、買売春は売春防止法によって禁止されていますが、不十分な法規制をくぐって様々な形態の「サービス」を提供する業者が存在し、組織的な売春業者が野放しにされ、違法行為が見逃されていることが問題です。現行法のもとで厳正な監視、対策をつよめます。
確かにそうだね〜
共産主義の国って「我が国は売春を撲滅した」とか威張るでしょ。
そもそも店側が業務内容に性交渉を組み込んでいる店などありえない
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20180826-00094346
あくまで「不特定の相手方」でなければならず、夫婦や交際相手といった特定の者同士の間で金品のやり取りがあっても、買売春には当たらない。
また、「性交すること」が要件となっているので、手淫や口淫といった性交類似行為は含まれないし、同性間では買売春とならない。
ソープランドなどの性風俗も、実態はさておき、従業員と客との関係は性交類似行為にとどまり、性交には至っていないという“建前”に基づいているので、風俗営業法の下で合法化されている。
要するに風俗店であっても「不特定の相手と金品を目的とした性行為」は違法になる。
なのでそれを前提とした福利厚生もあり得ない。
答えは単純。
無い。全く無い。
なぜなら、どれだけ制度(「「健全な」児童買売春」の制度なんてものがあるとは思えないが)が整えられ、その過程に
と認められる程度の意思確認の手順が踏まれたとしても、子どもの意志は大人によって簡単に決定されてしまうからだ。
例えば、親に生活能力がない、このままでは生活していけない家庭の子どもは、意思確認の過程で全てに“YES”と答えるだろう。
だが、これは、彼/彼女の意志というより、単に選択肢がないだけの話だ。
そもそも、
子供は軽い遊びのつもりでも、暴力的な悪い大人に出会ってしまう可能性がある?それこそ、前述したように法整備されていない故の問題で、因果が逆。
などと言っているが、どんだけ法整備された上でやっていようが、子どもを買春する時点で一点の疑問もなく「暴力的な悪い大人」だろう。
こんなことさえ説明されないと分からない増田は、せめて自分が「暴力的な悪い大人」予備軍であることを自覚してくれ。心底ぞっとする。
オッサンだから昔話から始めるが、エロ本って学校持ち込んでると取り上げられた。
まあ、AVはVHSで回ってた頃というか、トランプが多くてゲームボーイなんかは少ない頃だな。
ギターだの、女子は雑誌だの化粧品だの持ち込んでる、まあ普通の学校だ。
「学校に不要なものは持ってくるな」「授業中に違うことをするな」「他人の邪魔をするな」
ざっくりこの3つがルールで、取り上げられたモノは放課後に返してもらえた。
朝のホームルームから、終わりのホームルームまでが学校の時間で、「見えたら没収」という対応だった。
何が言いたいかって言うと、エロ本を悪だとするとか、トランプを禁止するとかそういうことではなかった。
授業中や、学校時間帯は、不要なもの持ち込み禁止で見つけ次第没収、ただし放課後に返却、という対応。
結局、SNSの話も、教育と躾と場所の問題が切り分けできてないのが、議論が発散する基なんだと思うんだよね。
性教育に似てね?ってエントリがあってナルホドと思ったのがキッカケだが、
SNS教育ってのはあっても良いんだよね。教育機関なんだから。
私服でホットパンツがハシタナイとかは学校で指導するこっちゃないし、それは家での躾の範囲だろ。
各家庭で方針違うしな。
ただ、外で出すのは避妊じゃないよとか、出産は1000人あたり5人ぐらい死ぬ結構危険な行為だよとか、ガキのうちに子供出来ると大変だよ、
法律上は、性的同意年齢は13歳(青少年を「既婚者を除く」18歳未満の男女と定義してる理由の一つ)だけど、淫行条例で大抵ひっかかるよ、
みたいな教育は、学校機関なんだからやっても良いハズで、現にそこまで具体的じゃなくてもやってたりはするわけだろ。
オツキアイを3年とって結婚みたいなステップ踏むなら、男15で女13から付き合いだして、晴れて結婚ってのは理にはかなってる。
まあ、父母の同意が必要で、学校の承認はいらないわけで、つまりまさに「家庭の話」だ。
うちの娘を妊娠させやがって殺してやると親が怒鳴りこむ先は学校じゃないわけだ。だろ?
じゃあ、SNSでなんで禁止するみたいな話になってるかって言うと、3つの問題がある。
これは親がガチャで稼いでる会社に勤めてるとか無関係で、目を背けてはならんメンドウな話だ。
ここではメンドウなんでSNSで統一してるが、FacebookだLINEだmixiだメッセンジャーだポケベルだ全部同じな。
オッサンの昔話と同じで、「学校に不要なものは持ってくるな」の話。
まあ、メーカーの工場なんかだと、作業着になる時に携帯端末は全てロッカーに入れろってトコロもあるから、大人でも方針による。
で、ガキは未成年で未成熟なので、より頻繁に起こるんでこれは学校内で防げるなら防ぎたい。
というわけで、見えないところでLINE使ってハブったりしないで欲しいぜ、SNS禁止、と言う話。
大人でも美味い話で騙されたりするのに、未成年は未成熟なのでさらに引っかかりやすい、みたいな話な。
これは、淫行条例が最たるものな。高校生のウチに春をひさいでも良いこと無いから強制的に禁止、というやつ。
飲酒自慢したり、触れちゃいけない話題にウッカリ触って大炎上とか、振り込め詐欺の出し子になっちゃうとか。
例えば、LINEが大人と出会って買売春の場になりがちだから止めた方が良いよ、と教育するのはどれにあたるだろう。
最近は中学生だって良い年した議員に脅されてワイドショーを騒がせたりするご時世だ。
その影にどれだけ大人とLINEしてる小中高生が居るか想像すれば分かりそうなもんだろう。
学校が取れる対策は、「授業に関係のないものを学校に持ってこない」なんだが、
これは親が「携帯ぐらい持たせるだろ馬鹿か」みたいに炎上しがち。
なので、「授業中にスマホ弄ってたら放課後まで没取しますよ念書」を親から取る、とかになると思うな。
(でも「授業がツマランのが原因だろ没収とか人権侵害」みたいなクレーマーも居るとか聞くのよね)
大抵の場合、クレーマーと教育の間で、学校がSNS禁止にしたいのがここの問題。
つーかさ、増田読んでるオッサン連中さ、会社の女子社員とか主婦連中がスマホ内でどんなやりとりして、陰湿ないじめがあったりしてるか把握してる?
管理職でも労組でも良いや。パワハラの状況把握って、大変じゃね?
ってことで、「SNSイジメが起こってるみたいなんで、なんとかして下さい」って担任に言って解決することは無い。
これは断言できる。
見えない把握できない理解する時間がないものを管理統治するのは無理だ。
だもんで、「学校内でのイジメは学校の管轄」ってことになるならば、「学校内外の区分け無く行われるSNSは禁止」するしか対応手法がない。
ここが、唯一今後学校で「SNS教育」みたいなものが入り込める余地のある部分。
事実と意見を分ける、非は認めて謝る、うかつに本名住所を言わない、ネットは忘れてくれない、等など。
この部分に特化するなら、多分前向きな話って出来ると思うんだけど、言い出しっぺの法則が怖いので手を出せてないと思うんだよね。
「派遣の女子社員達が、LINE上で派閥を作って業務に支障が出てるんです」と相談された管理職の気持ちになろう。
女子中学生とあわよくばXXXXとか考えてる所属議員をどう扱うか、分別を持て、以外の啓蒙の手段があるだろうか。
結局のところ、「授業中にスマホ弄ってたら没収」「ネットリテラシーの教育」までは可能であっても、
イジメのコントロールとか、LINE利用が是か非かみたいな話は、学校じゃ出来ないハズなんだよね。
まあ要は「SNSは学校と無関係」と仮定して、実は関係するのはどこで、教育はどこまで可能かって切り分けて話そうぜって話だよ。
これは自分でも極論だと思うし、どこかがおかしいのは確かだと思うのだが、どこがおかしいのかよくわからないし、人文系音痴の俺には適切な文献を探すことすらできなかったので、誰かが教えてくれることを期待してここに書く。
これを書くきっかけは赤木氏のブログ記事「アグネスは子供の権利をないがしろしている」( http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/archives/1410043.html )とそれにまつわるtwitter上での議論「13歳のセックスする権利」( http://togetter.com/li/28748 )、およびそのブクマを見て違和感を覚えたことだ。。見ればおわかりの通り赤木氏は、フェミ系とおぼしき人を中心に徹底的に叩かれており、同情的な意見はほぼ皆無に見える。確かに赤木氏の言っていることは極論であると私も思う。しかしそれを批判している人にもどうしても違和感を覚えざるを得ないのだ。
赤木氏を批判する側の言うとおり、13歳は性的主体として未熟すぎ、自己責任の原則を適用するのは無茶だと思う。つまり、13歳を性的主体として考えるべきではないのだろう。
しかしながら13歳という年齢は十分性欲もある年齢だ。とすれば、放置しておけばいきさつはどうあれ現実の行動に走ってしまう子供達はいる。それも、同年代同士の恋愛の帰結というような、13歳という年齢を考慮に入れなければ非難することが難しいような経緯のあげくということもあり得る。
これにはどう対処すべきなのだろうか。大人の視線で言えば、ともかく13歳が性行動をすべきではないということになろう。となれば、純潔道徳を推進するというのが論理的に正しい帰結のように思えてしまう。
しかしながら、「純潔」の「じ」の字でも口にしようものならこれまた、赤木氏以上の勢いで血祭りに挙げられることは間違いないのだ。
だとするといったい、この年代の子供をどう扱うべきなのだろうか。世間の良識がどのあたりにあるのか、本気でわかりかねている。
実際俺自身が中高生だった頃は、自分自身を純潔思想で染め上げていた。誤解しないで欲しいのだが、私は何らかの宗教の熱心な信者などでは全くない。単に「責任が取れないことはすべきではない、従って未成年は純潔たるべし」と思っていただけなのだ。そして奥手な男子校生としては、自分が「過激思想」を持っていると気づく余地もなかったし、それで現実とのギャップに何の問題も起こらなかった。
ショックを受けたのは大学入学以降で、周囲が何の疑問も持たずに「恋人がいれば肉体関係になるのが当然」という価値観で行動しているのが理解できなかった。完璧な避妊法なんてないのに、みんな誰もかれも、いざとなれば大学中退して子供を養う覚悟が据わっているともとても思えなかったからだ。もちろん、全員が俺のように考えないのが間違っているとまでは思わなかったが、俺のような考えが「極論」として一笑に付され、何の検討にも値しないかのように扱われたことはショックだった。今の感覚で言えば、うっかりシー・シェパードの本部に紛れ込んでしまったらこのような気分になるだろうか、それほど絶望的な孤立を感じた。
その後周囲と話していて、そのあたりの感覚は高校以前の段階で確定してしまっていることがわかった。つまり、世の常識は良くも悪しくも、「中高生の少なくとも一部は性的主体として認められるべし」なのだ。
そこで俺はますます混乱してしまった。当時、児童ポルノ論議が始まった頃だった。つまり世間様の言っていることは「中高生は性的主体」だが「中高生を性的客体にすることは児童虐待」なのだ。まるでわけがわからなかった。
現在は自分が社会人となっているので「純潔」云々を自分の問題として真剣に悩む必要はなくなったが、それでも未だにこの件はわけがわからない。
こんなことを考えるのは俺だけなのだろうか。だとしたら俺の何がおかしいのだろう。ショックを受けてから十年以上経ったが、未だにまるで見当もつかない。
どこかで見たアメリカンジョークをご紹介する。
深夜パトロール中の警官、路上駐車を見つけ、取り締まるべく近寄っていった。念のためと中を覗くと、そこにいたのは若い男女。これはお邪魔だったかと回れ右をしかけたが、ふと気づいた。この二人、見つめ合うでもなくただひたすら時計を見つめているのだ。
警官、思わず声を掛ける。「君たち、何をしているんだね」
男が答えた。「日付が変わって彼女が18歳になるのを待ってるんですよ」
これがジョークとして成立すること自体、現行法体系における児童ポルノ・児童性愛の定義に無理があることを表しているのではないか。現行法の定義で児童ポルノ・児童性愛として人の道にもとる悪と処断されてしまうものの中には、実際には問題がほとんどないものがあるからこそ、このようなジョークが成り立つわけなのだから。つまり、現行の児童ポルノ・児童性愛の定義は、「百人の罪人を見逃すとも、一人の冤罪を出さない」という現代法の精神と矛盾を来しているということなのだ。それがなぜか、自分が児童性愛者と名指されたくないためなのか、誰もが「王様の衣装が見えないやつは非国民」だと心から信じている振りをしているように思えてならない。
そもそも、児童ポルノ規制の議論をするのであればこのあたりをまず議論しておかなければ、ただの偽善家同士の争いにしかならないのではないか。中高生を性的主体として認めるのであれば、買売春の主体と認めないとしても、中高生を性の対象にすること自体はともかく罪悪ではないということになる(でなければそもそも中高生時代の俺自身を含む、ほとんどすべての人が憎むべき児童性愛者であったことになってしまう)。盗品を買うことが盗みをすること以上に罪悪になり得ないのと同様、「若気の至り」の記録を蒐集すること自体を人の道にもとる悪として断罪することは明らかに行き過ぎであり、単純所持を微罪以上のものとして処罰することには根拠がなくなるだろう。
実際憶測だが、児童ポルノの多くは「被害児童」の買春の結果として撮影されているのではないだろうか。その「被害児童」が本当に全面的な同情に値するのだろうか?少なくとも、当事者を性的主体として少しでも認めない、即ち純潔教育を否定するのであれば、本人が「児童ポルノ製造」に多少なりとも「主体的に」荷担していることは確実なのだ。その種の児童を売春した者、あるいはその記録を蒐集した者の罪は、どう考えても成人に対する強姦や強制猥褻といった典型的な性犯罪に比べてはるかに軽いものとしなければ理屈が通らないだろう。
つまるところ、純潔思想を肯定して、「18歳未満の児童には何人たりとも指一本触れてはならぬ」とする覚悟なく、児童ポルノのあらゆる「被害児童」を純粋無垢の「被害者」として押し切る思想はどこかでその種の「いいところ取り」をしているとしか言いようがないのだ。だからこそ、この議論は宗教論争のようになってしまって、いつまでも収拾がつかないのではないか。
とはいえ、だったらどうすればよいのかと問われても、このような事情でなかなか解決策が私にはわからないのだが。