はてなキーワード: 統合失調症とは
保健師さんは福祉の専門家で、福祉が必要な人を適切な制度の担当者に繋げてくれる。
相談する点は、まずは父親の統合失調症が再発していそうなこと、アルコール依存症も併発していそうなこと、暴力を振るわれること、の三点。
たぶんこれだけ伝えたら緊急性の高い事案として、まず父親の通う病院へ事態の確認のための連絡をしてくれるはず。
もし保健師さんがやる気のない人だったら、今度は外科に行って怪我を見せてDVをされていると相談。そうしたら今度は多分警察も巻き込んで役所に連絡が行くと思うので、さすがに動く保健師さんが担当になるはず。
もしこれでも事態が改善しなければ警察に相談。DVと交通違反のことを話す。すると役所に(略)
とにかく1人で悩むな。他人を頼れ。
なるべく多くの人に相談しろ。もし何だったらここに書いた3つの相談先全部に行ってもいい。
そして、相談してると「情報共有してもいいですか?」と何度も訊かれると思うが、その問いにはハイと答えろ。それは「他の人もこの案件に巻き込んでいい?」という意味の質問だ。
つまり、自分が必要な窓口に相談しに行く前にその窓口に話を通してくれる。これで大分楽になる。
1人しか巻き込まなかったらその人が仕事をサボったら終わりだけど、多くの人を巻き込むとその人達がお互いの仕事の進み具合を確認してくれるので、ちゃんと話が進みやすい。
私が幼い頃には寛解済で、毎日晩酌したり散財癖があること以外は普通の父親だった。
そんな父親がここ数年症状が悪化している。丁度両親が自己破産した頃くらいだ。
毎年冬になると躁状態になり、真夜中にドライブしたり睡眠時間が減る。飲酒運転になると言っても晩酌は辞めないし、大丈夫だと聞かない。
車の鍵などを隠すと殴られる。
酒を一滴でも飲むと記憶がなくなるそうで、怒鳴ったり殴る記憶もないらしい。
統合失調症とは診断されているものの、母親の状態はカサンドラ症候群に近い。祖母の話などを聞いているとどちらかというと発達障害のほうが近いように思う。
人の心や距離感がわからないし、たとえ話や物語を理解することが苦手みたいだ。ふくよかな女性に対して「◯◯ちゃんはもっと痩せないとなあ!」と平気で言ったり、顔が可愛くないなど本人にも構わず言う。
そんな父は二十代の頃に診断を受けているため、今の基準だと病名が変わっても不思議ではない。
今尚通院はしているが、昔から通っている病院を変えるつもりはないらしい。話を聞いているとひどいものだ。
毎日の晩酌も批判しないし(本来精神薬を服用する場合飲酒はNGのはず)診察もただ雑談するだけ。
入院した時に離脱症状がなかったからアルコール依存症ではないと言われている。
毎日焼酎のパックを半分以上飲み、酒を飲むと一分後の会話すら覚えていないのに? 休みの日は朝から晩まで酒を飲み続けているのに? インフルエンザで寝込んでいる私を怒鳴りつけて殴ったことすら忘れてしまうのに?
病院で薬を処方されているはずなのに悪化している一方で悲しくなる。
こんな父のいる家など早々に出たいのだが、貧乏で学もなくひとり暮らしできるほどの給与が貰える仕事に就けない。地方で水準も低い。
その上、父親に似たのか精神的に弱く既にうつ病と診断されたこともあり、あまり無理もできない。
弟もいるが彼は発達障害のグレーゾーンみたいで、将来をどうするか考えているようだ。
これからどう生きれば良いのだろう。
産んでくれなくて良かったのに。
片親だが親からはとても愛されてきたし家族仲は良好。友だちも多くはないがいるし異性にもそれなりに相手にされる。仕事もべつに嫌ではない。自己肯定感が高く楽観的であるため生きづらいと感じたことはほぼない。「あ、この人から明らかに見下されているな」と感じることはたまにある。一部の男性から非常識な扱いを受けたり、性被害も時々受けるがあまり気にしない。人を嫌うことはほとんどない(見下してくる人間は好きではないが嫌うほどでもない、そういう人もいるな、くらい)。かといって歪みのない素直でまっとうな人間かといわれればそうでもなく、むしろ割とひねくれている気がする。
差別は嫌だし差別する人間になりたくないけど自分の中に差別的な感情が多少なりとも存在していることも知ってる。通勤ラッシュとかで、統合失調症と思われる人が一人で罵詈雑言を叫んでいたりすると、正直勘弁してくれと思う。その上でみんなが平等に扱われるべきだという理想も抱いている。誰にでも分け隔てなく接する心がけはしているつもり。
ジョーカーを見て、アーサーの心理や行動が理解できないというようなことはなかった。わりと的外れではない解釈をしているとも思う。でもそれはもちろん共感ではなく、知識と想像だ。「私だったらこうするのに」「こうすることも可能だったでしょ」と思うことはもちろんない。環境、人格、容姿、境遇、どれをとっても私は彼のようではないからだ。
とても辛くて悲しい気持ちになる映画だった。あれがハッピーエンドだなんて馬鹿げている。どうして、だれも、誰一人として彼に手を差し伸べる人がいなかったんだろう。コメディアンとしてバーでライブしてる時にも、きちんと自分を見てくれている人がたった一人いるだけでよかったのに。
私はアーサーのような人間を見て「かわいそうだ」と思う。心から思う。理不尽な哀れみだ。それはおそらく見下していることと同義だろう。その上心の余裕が充分にある時には、彼のような人間を「救済してあげたい」とすら思うのだ。利己的に。そして切実に。
そうだろうな、と思う。
世の中には様々な生きづらさを抱えた人がいると日々インターネットを通して知る。
生きづらい人の一部は、インターネットで「生きづらい」と叫ぶ。私は「生きづらそうだ」「かわいそうだ」「どうしたらいいんだろう」と思う。
そうした人に対しての、適切な思考、適切な行動とは、一体何を指すのだろうか。もちろん傲慢な意識を排除して彼らと接することができれば一番いいが、果たしてそんなことって可能なんだろうか。
僕が「GitHub」を「悪の組織」と言いましたのは、申し訳ありません。撤回させていただきます。
僕の言いたかったのは、
「悪のチーム」
と、いうことでした。
「GitHub」に参加して、そのスキルを悪用したプログラマたちがいたということです。
僕への「盗聴」「盗撮」は、チーム体制を敷いた「極悪非道」のものでした。
なぜ、そんなチームができたかは、僕は分かっていますので、そのことに関してはスルーします。
もうすっかり特定できていますし、相手も特定された事を知っています。
僕を「統合失調症」と、紐付けるために、やや強引な記事を書かれていますが、
といっても、法律上の無能力者だったり要介護というわけではないんだが、
一日中インターネット見てアメーバかなんかのフラッシュゲームして過ごしてる。
その後専業主婦になって、子供が手を離れてパートやバイトをしても続かない。
これではいけないと思って、外に連れ出そうと思ったら
「外に行くための服がない」とのたまう。
結局、自分が学生時代から着ているちょっといいブランドのボロボロの服を出して着てくる。
ようやく連れ出して、イオンモールで服でも買わせようかと思っても、
「ほしいものはない」「好きな色もない」「分からないから選んでほしい」で、意思が何もない。
昨年ついに幻覚が見えるようなことを言い出したのでいよいよ統合失調症かと思い、
メンタルクリニックに連れて行ったら「基地外病院に連れていかれた」と俺を恨む始末。
(ちなみに幻覚の症状は認められたが、疾患として鬱とか統合失調までは認められなかった)
自分の妻がこんな、病気でもないのにご飯を食べて死ぬまで生きるだけの何もせず、何も残さず、
何も考えない人間となるかもしれないリスクをとることに、俺はきっと耐えられない。
彼女が悪いわけでもないのかもしれない。
彼女の思考パターンは、「自分の人生のレールは他人が引くものであり、それを外れないことが自分に求められることだ」というものだ。
愚かな。レールを引いていた祖母はとっくに墓の下だというのに、まだ気づいていないのだ。
この愚かさを、誰のせいにすればいいのか。