はてなキーワード: 公明正大とは
失われた何か 「響け!ユーフォニアム」の組織論ー拍手をしない部員達の心理について
http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-2428.html
これ読んで、もしかしたら俺には物語を理解する能力が欠けているのか
俺はいい加減おっさんなので、若い人たちとは感性が違うのかもしれんが。
まず、大方の部員達が拍手をしなかった理由についてこのブログでは
どちらにも与することができないという気持ちが、
としているが、これからして「えっ、そうなの?」と思った。
ブログの著者が書いているように、
というか、内心ではほぼ全員が、麗奈に与しているのだ。
ちょっとどうかと思う。
だから、麗奈に拍手をしなかった理由は、麗奈と部員の間には、もうない。
香織と部員の間にだけある。
なんとかしてやりたいから、せめてそっとしておいてやりたいから、
決着を付けずに済む可能性を少しでも残しておいてやりたいから、
逃げたのではない、むしろ積極的に、拍手をしないという選択をしたのだ。
ブログの著者は久美子と香織の起立に心を打たれたと書いているが、
むしろあのシーンは、逆説的に、部員の心情を視聴者に疑似体験させるために
あったのだと俺は思う。
画面に写らない部員達の「えっ、立つのかよ…」という気持ちを楽しむのが
あのシーンの楽しみ方だと思う。
ではもう何人かが香織に拍手したとしたならば
大道に沿うように、大勢側へと、みんなこぞって拍手をし始めただろうか。
それは、「響け!ユーフォニアム」ではないんじゃないだろうか。
引導を渡したわけじゃない。
それも、彼女の株を下げないような、素晴らしい順序で。
劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。
その判断は公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。
彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである。
唐の凌煙閣二十四功臣の第四位。
もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。
皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。
そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。
魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。
その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。
賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。
その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。
死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。
南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。
弱冠にして科挙に首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。
南宋の首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。
彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。
やむなく文天祥を処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。
エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。
首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。
地方の官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。
道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。
海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。
嘉靖帝の死後、釈放されてからも要職に就けないまま役職を転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。
この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である。
明末、抗清の武将。
李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。
揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。
それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。
日本で生まれて七歳で明へ渡り、北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。
そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。
父親が清に降ったのちも、鄭成功は奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。
その地を支配していたオランダ人を追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。
清の官僚として、地方の農村の再建と腐敗した官吏の処分を行い、名声を高めた。
道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。
http://anond.hatelabo.jp/20140428040704
を読んだのですが、
SF評論家巽孝之、そしてその妻であり同じくSF評論家の小谷真理の2名は、反対しただけでは
日本SF作家クラブ 名誉会員+一般会員で、239人でその3分の1は、79人います。
それと
ちなみに、賛成派、反対派ともに議論は公明正大、告知も投票もクリアーで工作の余地のないものでした。そこは誤解のないよう。
SF作家クラブの退会も視野に入れています: Takano's diary
http://takanodiary.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/sf-8cb5.html
上記の内容とテクスチュアル・ハラスメント裁判以外にも、大森氏の過去の言動で79人も反対する
理由が会員以外は皆目見当がつかないです。
どっちかというとDRMは、本人か家族で回し読みするぐらいなら問題ないけど、コピーして他人に配るのはルール違反。
という基本的なことをどうやって解決するか?という事に対するバッドノウハウで、最良の方法ではないよね。
映像コンテンツは、それを自分が視聴する権利を買ったんであって、コピーする権利をかったわけじゃないからね。
メディアコンバートはできてしかるべきだし、コピーする権利ではなく見る権利なんだから、LD版を持ってるのにDVD版を買わなければならないのは意味がわからないけど
何を買っているか?というのが明確じゃないのがメディアコンテンツの問題だと思う。
円盤の?映像なの?視聴する権利なの? 何を売っていて、何を買えたの? 視聴する権利なら、死ぬまで視聴できるようになってないとおかしいよね。
iPhoneじゃみれない、というのはおかしい(だから、ハリウッド物はルールを守って、iPhone用の映像が付いてくる、そのかわり原則的に見るのは本人な!という)
そういう暗黙の了解が多すぎて、自粛とか、自己規制になっていることが泥棒扱いなのであって、ちゃんと公明正大にみんなで話し合ってルールを作って、だめならちゃんとそれを改善する手続きがあるというのが合理的で民主的
一般的に嘘を吐く政治家は左翼と思われがちだけど、司法・検察やマスコミが右翼だからだろう。
察するに右翼による情報操作で左翼=馬鹿で悪徳、日本を害する売国奴、在日などのレッテルが張られやすいのはそうした社会を創り出す人間が権力という沼にどっぷり浸かってるからなんだ。俺が法律だからお前らは従うだけでいい。従わない奴は皆死刑だといったゴーマニズムが蔓延ってるのはそのため。
歴史を振り返ると、戦後の多発した冤罪事件の発生と有無を言わさない再審請求の棄却、当時の法務大臣たちの目には目をという屁理屈という名のちっぱけな自尊心を守るために死刑を断行するといった愚行を賛美していた風潮のせいなんだよね。推定有罪という暗黙の了解のもと、大した証拠もなく、見た目だけ、状況だけで容疑者を列挙し証拠もないのに自白書のみで検挙するといった横暴が繰り返し為された結果、反左翼主義の右翼連中は嘘吐きは左翼の始まりと言わんばかりの徹底した勧善懲悪を貫いて現在に至る。ここでの勧善懲悪というのは誰が良くて誰が悪いのかという問題に対して、右翼こそが絶対正義であり、左翼は嘘吐きだから(右翼の味方マスコミが吹聴し無知な世間に浸透した結果)邪悪なんだという姿勢を取っている。このようなご都合主義は自民党時代が築いた賜物だろう。
民主党が今ゴミクズのように批判されているが、それ以前に政権運営を行っていて今もそれを反省せず旧体制でやっていきましょうといってる自民党、新党結成から何度も嘘を吐き続け直前になって、原発推進や企業献金を受けるといった修正発言を繰り返す嘘吐き政党日本維新の会などの第三勢力も正直なところ信用できない。
まぁ普通に考えて「会話が無いから嫌なの」ってのは言い訳だろうね。
5年付き合って一緒にいる時間ずーっと会話してるカップル(なんかカップルって書くの恥ずかしい)
っているもんか?稀にはいるだろうけど、黙っててもOKってのが多数派でしょ。
んでまぁ言い訳前提(元増も言い訳だと思ってるっぽいし)で考えると
単純にセックスがイヤってことだよね。
もっと嫌な事考えるとすると、元増とはセックスするのがイヤってことだよね。
そもそもセックスしたいと思わない旦那と結婚したいと思う奥様も
いないだろうし、元増が悩む必要ないんじゃない?
性の不一致が離婚の原因として裁判所に認めてもらえるくらい重大なもの
なんだから事前に無理なら諦めることが肝心だと思うなー。
△
清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命は1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年。
つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。
この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツで毛沢東、知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。
中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。
京劇「捉放曹」の舞台で曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。
怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大・勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。
大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。
だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学と歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神の貴族たる文士、つまり文化・文明を守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。
1953年、共産党政権は中古史研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。
建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。
であればこそ、そのポストは“毛王朝の貴族”への道を確約するもの。
だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。
文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情。
50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤の政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。
広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究と教育の日々を送る。
陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。
全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳が研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。
怪人は硬骨漢。
だが朴念仁にはあらず。
頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。
窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。
69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。
陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国の社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。
どっかで製作者がインタビューに応じてたけど、
「(そういう風に)言われる可能性は承知していたが、それでもテレビでフェイク・ドキュメンタリーに挑戦してみたかった。
それで結局、(比較的こういうのが通じるであろう)深夜に放送するということで一応落ち着いた」とか語ってたような。
難しいところやね。テレビは公明正大かつ不偏不党・潔癖精錬であるべきなら、もう娯楽番組なんか何も放送しない方がいい。
大きな冗談でも小さな冗談でも誰かを傷つけかねないことにかわりは無い。
逆にそうでない方がいいなら、いちいち下らない所で揚げ足を取らないほうがいい。
結果としてテレビを萎縮させ続けて、それは自分たちの首を絞めるだけだ。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070606
を読んでいて思った。一番大切なことが日本では置き去りにされていないだろうか。
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子は内気にになります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます