はてなキーワード: 誤嚥とは
離乳食を食べたがらないで皿を天井に投げたり、バナナを握りつぶすのにはまったり、机の上によじ登って止めたら暴れて泣いたり、熱出して仕事休んで夜中も起きて泣き出すので一睡も寝ないで看病とか、夜中に落ちてたクッキーのかけらを誤嚥したので急いで吐かせて救急車で病院にいくとか、ベビーゲートをこじ開けて玄関に激突して怪我とか、寝ないので何時間も本読んで寝かしつけるとか、学校でのゴタゴタで危うく裁判沙汰とか、部活の送り迎えを週に何回もさせられるとか多額の費用で塾にいくとか、数え切れない。社会性もコミュニケーションも取れないほぼ動物の、弱い未成熟個体を自分の時間と金銭の多くを注ぎ込んで安全と成長と社会的や文化的な教育を責任を持って…ほぼ絶対に辞めることができない、何年も関わり続ける、ってやっぱり大変だと思う。大変だった。我慢の連続だ。配偶者をたしなめたり、たしなめられたりもした。
自分の事だけ考えてはいられなくて、常に子供を優先して我慢している。小さいことなら自分のために買ってきたケーキでも子供が食べたがったらまああげるし、本でもゲームでも何でもまあそう。大きいことなら仕事などのキャリア、人生の選択、教育費などのお金はやっぱり基本的には子供優先になる。
子供は子供で、あげる!これあげるよ。すきだよ。だっこして!とたくさん愛してくれた。子供こそが無償の愛を親にくれるのだと解った。こんなに愛してもらったのは生まれてはじめてだろう。経験できてよかった。ありがとう。最近は口も聞いてくれなくなったけどまあ自立の一歩なんだろうと思う。いつか子育てを経験してほしいと思わなくはないけど、まあそれは本人が決めることだろう。
提言というほどでもない思考実験の類ですが、この視点てあまり見かけないなと思ったので書きます。
さて、我が日本においてはコロナに関係なく毎年10万人程度が肺炎で亡くなってます。ほとんどが高齢者です。
肺炎を患う原因の内訳としては誤嚥性が約7割、細菌やウィルス感染が約3割らしいのですが
誤嚥で死ぬようではいずれ細菌やウィルスにもやられるような状態と推測します。
言い方は悪いですが「キッカケ」待ち状態の方が毎年10万人くらいいる、ということかと思います。
肺炎はポックリ逝くわけでもないので、その大多数が亡くなるまでの一定期間
どこかしらの医療機関のリソースを使用します。ICUも含まれます。
月毎の件数では1月~2月頃がピークでありますが1年を通せば適度に分散しており
例年であれば医療崩壊をするようなことはありません。
ところが昨年から今年にかけ我が国では自粛生活をしているため「キッカケ」がありません。
本来であれば1年を通して分散して亡くなっていくはずの方々がストックされています。
しかし耐えるといっても限度がありますので、感染力がピークの1月~2月に発症が殺到します。
原因は結果的にコロナ感染かもしれませんがそこは本質ではなく、風邪でもインフルでも同じです。
分散していれば捌けるキャパも、数倍で襲われては厳しいでしょう。
もちろん、これをもって自粛など意味がない、やめるべきだ、などと言うつもりはありませんし、
政府としても「どうせ死ぬんだからバラけて死んでくれ」とも言えないでしょう。
コロナに感染した人を差別してはいけない。悪くいっちゃいけない。
それはよーくわかる。感染者からしたら(マスクせずに遊びまわってたとかでもない限り)不慮の事故に巻き込まれたのとあんまり変わらないだろうし。
そんな状況を根拠にして叩くのは確かにヒドイことだし、ツラい状態の人をさらに追い込んでしまうだけだろう。
でもさ、職場に咳をしてる人がいるんだよ。
飲み物を誤嚥してむせたとか、元からノドに持病があってエヘンエヘンしてるとかじゃなくて、仕事はじめで出てきたらガラガラ声でゲホゲホしてるの。
もちろんただの風邪って可能性もあるのはわかってるよ。寒い季節だし、毎日マスクしてても風邪をひくときはひく。それはわかってる。
けれどこのご時世、なんの情報開示もなくゲホゲホしてるってやっぱり怖いわけよ。
咳を繰り返してる状態の人がすぐそばにいて、自分は内勤ゆえに逃げ場がなくて、もしかしてコロナだったら…って思うと自分への感染がすごく怖い。
それは病気への怖さだけじゃなくて、小さい子供がいる家庭がどうなるんだ…っていう怖さや、近所だからって週末に訪れるそこそこ高齢な親への感染も怖くて、正直仕事してられる環境じゃないと思ってしまうわけ。
でも咳を繰り返してるのに出勤して、PCR検査も受けないで/結果を公表しないで働いて、多くの同僚や取引先にうつしてしまったとしたら、自分はその人を間違いなく憎むだろうし、差別的なことを言ってしまう気がする。
よくないことはわかってるし、そんなこと言っても何にも意味ないことはわかってる。でも検査を数回繰り返して、出勤を控えるだけで避けられたはずのクラスター化を避けなかったとしたら、それは加害以外のなにものでもないように思ってしまうんだよ。
なんて書いてたら他の人もケホケホし始めたよ…。
父方と母方の祖母が特養とか老人向け住宅に入っているので、何となく分かる。父方の方は歳も歳だったし、実家でうちの両親が老老介護をやり続けると先に両親の方が倒れそうな状況だったので特養に入れて良かったと思う。本人も認知症がひどいうえに人さまにお世話されて受け身で生きることに慣れているので、職員の皆さまに苦労はおかけしているかも知れないけれど、家族としてはプロにお任せできるのはありがたい。
気の毒なのは母方の方で、元気なときはてきぱき動き回っていた有能な主婦だったのが、足腰がいうことをきかなくなり、いろいろな家事やら何やらを施設の方々に任せて自分はのんびりしていれば良い立場が落ち着かないらしく、施設に入るまでははっきりしていた頭がすっかり呆けてしまった。
周りの老人たちも人とコミュニケーションを取る意欲がないらしく、元々は元気でおしゃべり好きだった祖母が訳の分からないことを言うようになってしまった。幻覚や幻聴もあるようなので、脳の一部がやられる種類の認知症ではないかと介護に通っている母は言う。
一度だけ母と一緒にちょっとした食べ物を買って行って夕食をともにしたが、誤嚥したり喉に詰まらせることをやたらと恐れているのか、祖母の食事はむやみやたらと細かく刻まれていて味も薄く、あまり食べでのない代物である。結局ほとんど食べずに残していた。トイレはちゃんと個室になっているし、そんなに人手が多いようでもなさそうなのでやれることはやってくれているのだろうと思うけど、自分も将来ああいう施設に入りたいかと言われると悩む。
ただ、家族や身内だけで本人の住み慣れた家で介護をしようとすると周りの負担が重すぎるのでそういうところに入れているとしか言いようがない。無理に自宅で一人暮らしをして孤独死されても後味が悪いので、見守ってくれる人がいる場所にいて欲しい。身内のエゴと言われればそれまでだけど。
ある程度のお金持ちならもっと行き届いたサービスが受けられる施設に入れるだろうけど、施設の人は所詮他人である。他人だから淡々と冷静に対応できるところもあると思うけど、向こうとしては何か事故を起こして家族に訴えられたりすると面倒だから、人間らしい食べ物を供するよりも、とにかく事故の起こりにくい形で食べられるものを出そうとする。
自分が将来ああいう施設に入ることになるなら、部屋が狭くてろくに外出ができなくてもやれるようなハンドクラフト系の趣味を持とうと思っている。元増田同様、施設に過剰な要求をしても職員の皆さんに負担をかけるだけなので黙って見ているしかないのだが、面会に行って施設の状況を見ると暗い気分になる。