はてなキーワード: 竹中平蔵とは
朝日の「人災」「阪神の教訓ゼロ」という批判記事がひどい「ボランティアが少なかったから水、食糧がない」「すぐ自衛隊等を大量派遣すべきだった」
自分も共産と立民の間ぐらいの左翼なので、自戒や自省を込めてということなのだが、日本の左派とかリベラルとか言われる人の何が一番ダメかというと、本田由紀先生のコメントに象徴されるように、「現場で仕事を担っている人」の顔を思い浮かべようしないところ、言い換えれば、自分がその仕事をやれと言われた時に、できる気がするかどうかの想像力を働かせようとしないところだと思う。
ほぼ身内だから言いにくいけど、コロナ禍のときの左派は本当にひどかった。専門家が口を揃えて無理だという「全員検査」「ゼロコロナ」を強硬に主張し、やらないのは「無能」「やる気がない」「五輪のために隠蔽」と当時の安倍政権を糾弾していた。しかし、「全員検査」「ゼロコロナ」に対応するための人的リソースや能力が行政や保健所・医療機関にあるかどうかは、全くと言っていいほど言及しない。逆に、現場から「絶対無理」という悲鳴をあげているのに、全てことごとく無視。もちろん現場の言うことが常に正しいというわけではないが、それが間違いだという具体的なエビデンスや分析は何一つ出てこない。
日本の左派は何かというと「新自由主義」を批判するけど、「政権と政府は無能でやる気がない」という認識については、日本の左派と新自由主義者は奇妙なほど一致している。かつて竹中平蔵が労基法違反の多さについて問われた時に、「役人が仕事をさぼっているからですよ」と笑いながら答えていたのを思い出すが、この点に関して言えば、コロナ禍や能登半島地震で自民政権を批判している日本の左派と何一つ違いはない。
商品名としてやろなぁ
黒系スーツで女性は黒髪を一本まとめ、男性はレジメンタルタイなどの就活戦闘服概念は1994年ごろ(俺の記憶で)からとっくにあったやで
そのころはそもそもリクルートという言葉が企業名(お代官様に小判おくる汚職しおった悪企業の名。水戸黄門でいう桔梗屋・大黒屋くらい悪い)なんよ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6
記憶がうすれてねえんよ
まあ1988→2001の13年のみそぎでフレッシュでアホな新卒がまたリクルートを便利だといって利用するようになっちまったわけだけど
Benesse(偏差値教育)とリクルート(就活で自称サークルでリーダーシップをとっていた系アホとノックしてお辞儀云々のマナー講師を量産。卒業式次第をおしえるクズ高校教師かよ)と竹中平蔵(セーフティーネットなしの派遣業者)はマジで日本社会を新卒段階からダメにしたから反省してほしい
多くの人は、規制緩和によって派遣労働を推進したのは、小泉と竹中と思っていますが、労働者派遣法が成立したのは、1985年の中曽根内閣の時です(施行は翌年)。つまり、この規制緩和は、1980年代の土光臨調と中曽根行革にまで遡るということです。但し、当時派遣が解禁されたのは、専門知識を必要とする13業務に限定されました。
中曽根行革に続く行革は、橋本行革です。1996年、橋本内閣の時代に、対象業務が26業務に拡大されました。しかし、最大の規制緩和は、1999年の小渕内閣によってなされた改正で、この時に、派遣労働の対象が原則自由となり、禁止業務だけが定められるネガティブ・リストの形を取るようになりました。2003年に小泉内閣のもとで製造業務への労働者派遣が解禁されたとはいえ、なぜ非難されるのはもっぱら小泉内閣で、より抜本的な規制緩和に踏み切った小渕内閣ではないのでしょうか。おそらく、小渕内閣が公共事業を増やしたのに対して、小泉内閣は減らしたので、小さな政府を嫌う勢力は、小泉内閣だけを攻撃したいからでしょう。
派遣労働に関するもう一つのよくある誤解は、パソナ会長の竹中平蔵が、自社の利益のために派遣労働を推進したというレント・シーキング説です。竹中が大臣あるいは参議院議員の任にあったのは、2001年4月から2006年9月までで、パソナの特別顧問に就任したのは2007年2月、会長に就任したのは2009年8月です。そもそも、竹中は派遣労働を直接所管する厚生労働大臣には就任していないのですから、竹中が中心となって派遣労働を推進したというのはおかしな話です。もちろん、竹中は、政治家を辞めた後にも様々な政策を提案していますが、直接政治権力を持っているのではない以上、責任は、提案を受け入れる政治家にあって、民間人の竹中にはありません。