はてなキーワード: 現実とは
この文章に対して,非モテの人間観を「虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴」や「奴隷の主人」になぞらえてくださるトラバが付いています。
以下の文章は,「コミュニケーションに何らかの問題があったとして,それを『人間扱い』などと態々大げさで曖昧な表現で非難してくるような人間はただの説教好き」だというのが中心的な主張だというのは明らかだと思いますが,丁寧に名乗りを上げていただき恐縮です。
このように,「人間扱い」という言葉は想像力と比喩,修辞でその意味を豊かに膨らませることのできる素敵な言葉で,いくらでも論点をずらしながら説教を続けることができるので,こうも説教中毒者を魅了してしまうのでしょう。
>それ、虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴が
>仮に奴隷の主人に「奴隷を人間扱いしてください」と言ったなら、
(中略)
>と返してくるはずだ
「あえて説明するなら属性で見るな、差別するなっていう面と、性欲を全面に出すなの2つがある。」
お説ごもっとも。しかし,「非モテは相手を属性で見て差別している,性欲を前面に出している」という偏見バリバリのこのような人間の説教を真に受ける必要がどこにあるだろうか。
断言するが,ほとんどすべての非モテは相手をすでに人間扱いし(ようとし)ている。相手は人間なのだから,普通にふるまえば当然そうなる。
確かにいくつかコミュニケーション上の問題があったりすることは多いだろうが,それを「相手を人間扱いしていない」と糾弾されるような必要がどこにあるだろうか。
「差別しない」とは言うが,こうしてネット上の架空の人物と会話する場合はともかく,現実に出会いあわよくば恋仲になりたいという人間に対して態々差別的になろうとする人間がどこにいるだろうか?
(いや,確かに恋愛工学やPUAやモラハラ男などの形で存在しているのだが,彼らはここでいう非モテではない。)
恋愛経験に限らず人間関係構築の経験が不足している人間は,足りないコミュニケーションを偏見で補ってしまい相手の地雷を踏むことがままあるが,ここで必要なのは具体的な会話例・行動例をもとにどのような偏見があったか検討することで,「差別するな」だの「人間扱いせよ」だの,強い言葉で非難する理由はどこにもない。
ところで,「属性による差別」は避けるべきとして,「貴方だから特別」はむしろ必須と言っていい。昨今も誰にでも優しい彼氏に対する不満が増田で複数観測されたことは記憶に新しい。依怙贔屓しないという道徳的に正しいことが恋愛でも正しい訳ではない。
「性欲を全面(前面では?)に出すな」というのも難癖に近く,性欲だけなら風俗に行けばよい話で,彼女が欲しいと言っている人間が性的な目的だけではないのは明らかではないか。
そもそも人間には性欲があるものなのに,それを出さないことが人間扱いというのもおかしな話だ。逆に,性欲を出さなかった者はこちらが人間扱いされず「ぬいぐるみ」で終わるということも,増田で頻繁に指摘されていることである。
こちらもまた,個別具体的な例をもとに何が「キモイ性欲の発露」で何が「貴方に恋愛感情があります」というメッセージになったか腑分けしていくことが重要で,「性欲を出すな」だの「人間扱いせよ」だの,強い言葉で非難する理由はどこにもない。
ネット上には非モテを人間扱いしていない説教中毒者が山のようにおり,そのような人間は「相手を人間扱いしていない」に代表されるように,非モテの信念に問題があると指摘してくるが,それが真であるごく少数例を除いては,もとから持っていなかった信念を改めようとする努力は当然失敗に終わる。
ネットで役に立つ助言は,苦しいながら自身の経験を具体的に語ったときにもらえる具体的助言と,「数をこなせ」というこれもまた苦しい助言だけで,それ以外は説教中毒者の中毒症状だと思った方がよい。
(と思っているはずなのにこうして助言めいたことをつい書いてしまうのだから人に助言したい・説教したいという欲求はまこと恐ろしいものです。)
元増田もだけど、こういう、友達枠というかいわゆるぬいぐるみ枠とされる男を、シームレスに恋愛やセックスのある関係に移行できるタイプの女性は、現実世界でどのように見分ければいいんだろう?
なんか特徴あるのかな?
この記事のダメな例に対して「そんなん言えるのはヤリチンだ!」「非モテではない!」って言ってトラバやブコメが散見されるけどこんな女ウケが明らかに悪い発言できちゃう男は明らかに非モテだよ。強いて言うならヤリチンに憧れてる非モテ。
てかヤリチンも女もこういう男どもにとっては本当に架空というか空想上の生き物なんだろうな。ペガサスとかと同じ。
まぁ、ああいう発言しちゃう男よりは、空想の女にキレ散らかしてるだけで現実の女には無害な増田諸君の方がだいぶマシな非モテだよ。ネットで女叩きしてないで誇りに思っとけって。誰もお前らのこと責めてねえから。
現実的に並大抵の男がああいうトークでヤれる女なんて事故物件くらいだが、それでいいなら今のお前らでもその気になりゃ食えるだろうし、せいぜい頑張ってみたら?それをモテとはわたしは呼ばないけど。
反ワクチンの集会が話題になってるけど、笑える話でもない気がする。
彼らが信じるか信じないかの話は、ただの政治思想や陰謀論と切り捨てることができない。反ワクチン的な発想は、左から右まで、リベラルから保守まで、どこにでも見られるから。それって、結局のところ、薄らとした政治不信、社会不信がベースになってるんじゃないか。
情報が十分に公開されない、もしくは理解できる形で公開されないってのが問題なのかもしれない。肝心なことは隠される。それが不信を招く。政府やメディアが何を言っても、「また何か隠してるんじゃないか」って疑心暗鬼になるのは当然だ。結局、誰が何を言っても信じられなくなる。
反ワクチン派の人々も、根本的には情報の透明性を求めているんじゃないか。もちろん、その結果として生じるデマや誤解は害悪だけど。信頼を取り戻すには、政府や専門家が情報をしっかり公開し、説明を尽くすことが不可欠だと思うよ。でも、現実にはそれが果たされてないから、こういう騒ぎも残っていく。
「説明が十分に果たされているか」ってのは、本当に大事なポイントだよ。それを怠ると、ただの不信感がどんどん膨らんで、社会全体が揺らぐ。もう少し透明性を持って対応しないと、この手の問題はどんどん増えるかもしれない。
ってなんでそんなウソつくんだろうね
だって、恋愛工学とかホストとか持ち出すまでもなく、モラハラ気質のクソ男に恋人いるとか日常じゃん
「女性に人として接する」ってモテと無関係とまでは言わないけど、数ある要素のひとつに過ぎないのは明らかなので、「それでモテます」は、ウソでしかないじゃん
なんでなんだろ、を考えてみた
思うに、この人たちって、
「顔とかオッパイじゃなく人格を評価する“正しい”男は恋愛において報われる」
もちろん、現実はシンプルでも公正でもないから、リアル女はアナとカネしか評価しないクズ男にも普通に沼ってて、彼らだってこのことを知らないわけじゃない
でも、彼らはこの現実を認められない
だって、そのメルヘンな脳内世界に止まる限り、「モテない」男性イコール“正しくない”存在なわけだから、思う存分、叩いたりマウント取ったりしてよいので、こんなお手軽快感供給マシーンを手放すわけにはいかない
どころか、「女性に人として接してる非モテ」に対して、「モテないのは人として接してないから〜(決めつけ)」とか暴力を振るってた側に反転しかねない
だから、この嘘を見つけたら、彼らは群がらざるを得ない
数しかないのだ
科学的な根拠がないだけでなく、多くの人の感覚にも反する嘘を突き通すには、数しかないのである
彼らには、「相手と人として接しないのはモテじゃない」、と反論する道も残ってはいる
これは理の通った対応に見えて、その実「私は相談に対し独自基準のモテを定義し自語り始めた役立たずです」と自ら開陳しているに等しい
しかし、それでも彼らにはその道は残っている
なぜなら無能であることは彼らにとってさしたる痛みではないから
彼らは、自分が
「君がモテないのは女性に人として接してないからだよ」などという嘘を前提に、非モテを悪/格下/劣等に位置づけ、叩いたりマウントをとって快感を搾取していること
わ〜〜〜すごい親切じゃん!!
この増田の言ってることはすごく理にかなってる。こんな肝心なことリアルで教えてくれるやつなんかいないし、ほかの有象無象のブクマカ共よりよっぼど信用できるぞ、元増田よ
こういうとき女性は的はずれなことばっか言うし、恋愛工学かどうかなんてまじでどうでもいい。芯を食ってねえ意見やアドバイスなんて今切実な悩みの役に立たねえから気にしなくていい。こいつらは誰も何の責任も取らねえ、放っとけ
あっけらかんと好意を伝えて、でも執着しないというのか、
「君のことは気になるけど縁がなかったらそれまで、別に相手には困ってないよ」くらいのスタンスのほうがカラッと爽やかに見えるもんらしいよ。(相手に困ってなさそうやつが自分のことが好き…かも?みたいなの大事)その演出のためと割り切って出会いの数こなしてこ
動こう!いいところ行けるぜ〜〜〜!!
画面にやたらと出てくるウザい広告にウンザしないやつは少ない。
ネットを見ていれば、どこに行っても追いかけてくるあのバナー広告、うっとうしい。
第一に、Web広告は「ユーザーに価値を提供するべき」だ。見たことある?価値を提供する広告なんて。
広告ってのは、基本的にユーザーにとっては邪魔者。だからこそ、少しでも役に立つ情報を提供しなきゃならない、本当はね。でも現実は、欲しくもないものを無理やり売りつけるような広告ばかり。誰がそんなの見たいと思うのか。
美しく、さりげなく、邪魔にならないように配置することが大切なはずだ。
現実は、ページをスクロールするたびに目に飛び込んでくるド派手なバナー。特に動くな!追いかけてくるな。
これは、嫌がらせとしか言いようがない。少しはユーザーの気持ちを考えたデザインにしろよ。
広告がないと無料でコンテンツを提供できないんだって話があるのは分かる。広告収入は重要だ。
だが、そのためにユーザー体験を犠牲にしていいわけじゃない。広告がユーザーの邪魔をするんじゃなくて、自然に溶け込むように設計する。それができないなら、広告の在り方そのものを見直す必要がある。
そして、ターゲティングの問題。適切なユーザーに適切な広告を見せるのが理想だが、現実は?
一度でも関連するキーワードを検索したら、その後何度も同じ広告が出てくる。しかも、買った後も追いかけてくる。お前、俺がもう買ったの忘れたのか?何個買えば満足なんだ?こんな無駄な追跡広告、誰も望んでない。
でも過剰な追跡はプライバシー侵害だし、ユーザーを不快にさせるだけだ。もっとユーザーの行動を尊重した、適度なパーソナライズが必要だろう。
結局のところ、Web広告は「ユーザーのために存在するべき」、これに尽きる。ユーザーの体験を損なうことなく、価値を提供し、自然に溶け込むような広告。それが本来の在り方だ。広告主もプラットフォームも、そのことを忘れかけてる。ユーザーの信頼を得るためには、まずユーザーの視点に立つことが大切だってことを。
魔法少女アニメでは主人公である魔法少女たちが危機に立ち向かい多くの人々を守り助けるが、現実の少女や女性たちはアニメの主人公たちの力強さや心の強さ、友情などには注目するが、人々を守るという使命にはあまり注目しないように思える
魔法少女アニメ以外でも、主に女性主人公が世のため死力を尽くすような作品に対して同様の傾向があるように見受けられる
当の女性たちはどう思っているのだろうか