はてなキーワード: 旧姓とは
フリーランスで仕事をしてるんだけど、仕事で使ってる名前(旧姓)と書類や口座の名前(新姓)が違うせいで毎回確認されるのが鬱陶しい。
こうなるのが嫌だから結婚前に婿入りしてほしいって伝えたのに、旦那は「会社勤めの俺が名字変わったら困るだろ」を崩さなかった。いや、会社に勤めてる大多数の女は結婚すると名字変えてるじゃん。
こっちは業界で名前を知ってもらうことがそのまま仕事の量・質・対価に繋がるわけよ。何年も前に発行された雑誌の奥付を見て、そこから検索して依頼してくれるクライアントだっているんだから。
それを考えたら、結婚した離婚した云々でコロコロ名前を変えられない。
友人(開業医の娘)も親のクリニックを継いだのに旦那が婿入りを拒んだから、HPのドクター紹介ページに注釈で旧姓表記してて正直「うわぁ」と思った。
選択的夫婦別姓を禁止するなら、男が妻の姓を選んでも「へぇ!珍しい!」みたいな反応をされない社会にしてほしい。でもそうならないんだよなぁ。
ダンナが名字を変えてくれて、うちは夫婦同姓になった。仕事は旧姓を使ってるので、仕事先からの年賀状なんかは
親族は当然、ダンナが名字を変えたことを知ってるし、普通の年賀状では、
イソノマスオ
タラオ
って夫婦同姓っていうか一家同姓で出してるんだけど、勝手に夫婦別姓にされる。
イソノサザエ様
タラオ様
って書いてくるようになったし、お歳暮もフグ田マスオ様宛で届いたよ。
ねえ、うち、イソノ家ってことで同姓にしたんだけど?妻の姓で夫婦同姓ってそんなにおかしいわけ?
夫婦別姓は進めればいいと思うけど、夫の姓で同姓>夫婦別姓>>>>(超えられない壁)>>>妻の姓で同姓 みたいな感じがしてる。
ようやく自分の考えがまとまってきた。夫婦別姓であることを選択できる社会に肯定的だからこそ、今選択的夫婦別姓制度を導入することには反対なんだろう。
色んな意見をみた結果、マイナンバーなどの公的書類では旧姓併記可能で、パスポートは未だ駄目らしく、企業などでは戸籍名でしか論文を受け付けない大学、同姓を選ぶことでキャリアに関わってくる海外との取引が多い企業があるらしいと知った。多くの民間でも戸籍名(新姓)と旧姓が同等に扱われるようにならないと、制度が導入された後に同姓夫婦を選択することによって不利益を被る可能性を否定できない。同じ能力のある改姓しなかった人間と比べて、コストのかかる改姓した人間を雇うメリットはどこにあるのか?同姓夫婦でいたいとする考えに社会的に圧がかかる状況では、真の意味で選択できると言えるのか。同姓でいたい価値観も別姓でいたい価値観も肯定できるのが、選択的夫婦別姓制度を導入するメリットだと思う。一方だけが改姓させられ、そのコストが多大であること、姓名に由来するアイデンティティをなくしたくないことの解消に、今の戸籍名重視の社会で制度変更してもどうなんだろうか。
本当にしたいのは相続だ。
パートナーとは法律婚せず、事実婚をしている。お互いに結婚願望は少なかったが、付き合って随分と経つので若い頃には何度か結婚の話も出た。
自分は姓を変えるのがかなり嫌だったし、育ってきた家庭環境も微妙だったので結婚に対しては余計に消極的だった。パートナーも姓を変えたくなかったそうで、「じゃあ結婚はいいや。結婚しなくても一緒にいられる」という結論になった。お互いに子どもも欲しくないし、親族とも疎遠である。面倒がない。
でも家を買った。ローンはまだまだ残っているが、預金もそこそこ貯まっている。すべて自分名義だ。がんばって働いて手に入れたものだ。自分が死んだらすべてパートナーに相続して欲しい。一緒に暮らしているのだからその権利がある。ふたりで決めて築いてきた財産だ。親兄弟親戚には決して渡したくはない。
ライフステージが変わって、また結婚について話す必要がでてきた。相手が姓を変えても良いよと言ってくれれば、ジャンケンでもして改姓する方を決めればいいかとこっそり思っていた。
話し合ってみたら、相手は姓を変えてもいいと思うようになったらしい。転職などのタイミングであれば改姓してもいいらしい。パートナーは昔ほど改姓に抵抗がなくなってきたようだ。われわれの所得の差がひらいてきたのも一因らしい。
しかしなんと、それを聞いた自分は「そうかあ、じゃあ結婚するか!」とは思えなかった。パートナーの姓も自分の姓も大切なのだと改めて思った。なにがジャンケンで決める、だ。そんなんで決めてたまるか。
とは言え金の絡む話だ。相続がスムーズに済むなら改姓してもいいというパートナーの気持ちを無視するわけにはいかない。
話し合って事実婚のまま保留になった。
姓を変えてもいいが、積極的に変えたいわけではないそうだ。そらそうだろう。
死ぬ少し前に法律婚してしまう手もある。死ぬのにそんな猶予があるとは思えないが。(と言うかいざ死ぬ段になったら面会できないとかの問題も出てくるんだろうな。)
くそ、保留だ保留。
そして、選択的夫婦別姓の話題が世の中を賑わせている。注目しているニュースでもある。
でも改正前の姓を名乗れるだけだ。旧姓ってなんだ。併記ってなんだ。戸籍法はクソか。
同性パートナーたちはこの世の中をどう思っているのだろう。養子縁組している人たちは改姓に抵抗はなかったのかな。それ以前の問題なのかな。
姓ってなんなんだ。
姓なんかに振り回されたくないのに、それでもやっぱり変えたくない。馴染みすぎているのだ。何十年もその名前で生きてきた。誰のものにもなりたくない。誰かを自分のものにもしたくない。改姓はそういう気持ちを侵害してくる。名乗れるだけでは、併記できるだけでは足りない。
名義変更にはコストがかかる。資産の名義変更にかかる多大な手数料は金銭的コストと言えるし、クレジットカードや各種証明書等の名義変更にかかる時間や手間は時間的コストとも言える。
現状の戸籍制度では結婚時に(国際結婚でない限り)同氏にすることが要求される。法律的には夫妻どちらの氏でも良いのだが、現状として妻側が改氏をする例が96%を占めることから夫婦同氏を求める現状の戸籍制度は女性に負担を強いる制度であるとして批判され、主に女性の社会進出の観点から選択的夫婦別姓推進運動の大きな動機となっている。
しかしだ、よく考えてみて欲しい。名義変更にかかるコストは結婚時の改姓にとどまらない。離婚時にも改氏をする人はいるし、性同一性障害等の理由で家庭裁判所の許可を得て改名する人もいる。氏名変更により生じる多大なコストはそもそも氏名を個人の識別子として用いる社会に問題がある。金融機関が悪いし、証明書やその証明に氏名を用いる多数の機関が悪い。選択的夫婦別姓派は左翼だと揶揄されることがよくあるが、自分の姓をキープすることでこれらのコストを回避しようというのは極めて現状社会に対し迎合的であり皮肉にも保守的であるとも言える。選択的夫婦別姓が実現するのは結構だが、それだけでは問題は解決しない。選択的夫婦別姓が実現した後もこの社会コストとの戦いは続けていってほしい。
現状の氏名変更によりキャリアがリセットされる問題が指摘されている。しかしこちらに関しては通称使用で対応できるのでわざわざ戸籍制度をいじる必要性はない。よって選択的夫婦別姓要望の論拠としては弱い。
研究者の業績がゼロになるといった誤った考えを持っている人も多いようだ。研究者が論文に本名を使う必要性は特に法的に定められてはおらず、科研費の申請等も旧姓や研究名で行うことができる。業績一覧が必要になる機会、たとえば就職などにおいては氏名が変わろうが自分の業績であれば業績リストに入れておけばきちんと評価される。氏名の変更は日本だけの問題ではなく世界中どこでも発生しており、対策も色々と講じられている。結婚したらいきなり業績がゼロになるというのは嘘である。
同姓維持派は選択的夫婦別姓により別姓の家族が生まれると「家族の絆が弱まる」と主張している。この論はバカにされることが多いが、実は否定のしようがない。これを頭ごなしに否定すると自分の靴も撃つことになるのだ。「姓が違うからと家族の絆は弱まらない」という主張はある人にとっては真でも、そうでない人達もいるわけで、この論自体の否定をすることは傲慢であると言える。同姓の方が家族の絆が強まると考える人は同姓を選択すれば良いという意見もあるが、別姓が可能になると本当は同姓にしたいと思っていても別姓を選ぶという人も出てくるだろう。
子供の氏を考えると話はさらにややこしくなる。法務省の答申では結婚時に子供がどちらの姓にするかを選択できるようにするという方式が考えられているが、世界を見渡すと実に色々なものがある。子供一人一人に別の姓を付けることが可能なところもある。これは一体どこまでやるつもりであろうか。進歩的な国では子供の姓をどちらにするかで揉めることも出るだろうし、兄弟の中で一人だけ違う姓にされ疎外感を感じる子供も出てくる。家族の絆が弱まる可能性があるというのは子供も含めてのことだと言える。
今現在旧姓を社会生活に使っている人たちは既得権益層だから不利益を被って当然なんだそうです→anond:20201125001017